いつか、安らかな死を
リクトの仕事は葬儀屋。魂が完全に穢れ、悪霊と化してしまう前に、次の生へと導くことだった。一度悪霊と化してしまえば、もはや浄化することもできず、永遠に現世を彷徨い、人々に害をなす。それは、かつて蘇生魔法の濫用で肉体を失い、今なお苦痛の思念を送り続ける祖父から、彼が学んだ唯一の真実だった。その祖父が遺した古びた書物とともに、リクトは静かに午後を過ごしていた。
その静寂を破ったのは、乱暴なノックの音だった。扉を開けると、そこに立っていたのは幼なじみのアルテミスだ。彼は普段の落ち着きを失い、焦燥に駆られた様子で息を切らしていた。
「リクト、助けてくれ。もう、俺の力だけじゃどうにもならないんだ」
アルテミスは蘇生魔法師だ。死んだばかりの魂を肉体に戻すという、この世界では最も崇拝される職業の一つだった。しかし、リクトは蘇生魔法を憎んでいた。それは、蘇生を繰り返すことで魂の器が蝕まれ、最終的に魂そのものが破壊されてしまうことを知っていたからだ。
「どうした、アルテミス。お前がそんなに焦るなんて珍しい」
「カスター将軍の娘さんのことだよ。もう何度も蘇生魔法を使っているんだ。最初は簡単だった。でも、回数を重ねるたびに、魂が肉体に戻るのを拒むようになってきている。次に同じことをしたら……魂が肉体に定着できなくなるかもしれない」
アルテミスの言葉に、リクトは眉をひそめた。魂が肉体を拒む。それは「魂の器」が限界を迎えている証拠だった。蘇生魔法は魂に大きな負荷をかけ、その器を蝕んでいく。そして、その先にあるのは、魂の悪霊化だ。
「もし彼女の魂が悪霊になってしまったら、俺でも救えない。お前の蘇生魔法は、魂を悪霊に作り変えているのと同じだ」
リクトの言葉に、アルテミスは息をのんだ。リクトの祖父の悲劇は、この街では公然の秘密だった。アルテミスは知っている。リクトがどれほど深く、その悲劇に囚われているかを。
「頼む、リクト。彼女の魂の声を聞いてくれ。俺も、これが正しいのかわからなくなってきているんだ」
アルテミスの切実な願いに、リクトは深く息を吐いた。彼はこの事件に関わるつもりはなかった。しかし、親友の苦悩、そして苦痛に歪む魂の思念は、彼を突き動かすには十分だった。リクトは静かに頷き、立ち上がった。
「わかった。将軍の屋敷へ行こう」
将軍の屋敷は、その広大さとは裏腹に、張り詰めた沈黙に満ちていた。壁に飾られた肖像画の目が、屋敷に足を踏み入れたリクトとアルテミスを静かに見つめている。リクトは、この場所の空気に、死を拒絶する強い意思を感じ取っていた。
広間の中央に、威厳のある男が一人立っていた。世界を救った英雄、カスター将軍その人だ。しかし、彼の顔は深い疲労と悲しみに歪んでいる。その目は、生気のない娘の姿をじっと見つめていた。ロザリアは、純白のドレスに身を包み、まるで眠っているかのようにベッドに横たわっている。しかし、リクトの目には、彼女の肉体から発せられる微かな光の揺らぎが、苦痛に歪んでいるように見えた。
アルテミスが、将軍の前に進み出た。
「将軍。お連れしたのは、この街で唯一の葬儀屋、リクトです。彼は、娘さんの魂を苦しみから解放できる、特別な能力を持っています」
将軍はアルテミスに視線も向けず、冷たい声で言った。
「解放だと?娘は生きている。貴様は蘇生魔法師だろう。娘を生き返らせるのがお前の仕事だ。なぜ、死を扱う不吉な葬儀屋を連れてきたのだ」
「将軍、ロザリア様の魂は、蘇生を繰り返すことに耐えきれず、限界を迎えています。次に蘇生を試みれば、魂の器が崩壊してしまいます」
アルテミスの言葉に、将軍は初めてリクトの方を向き、その目を細めた。
「魂の器?くだらん。死を商売にする貴様が、娘の命を軽々しく語るな」
リクトは将軍の言葉に動揺することなく、静かに答えた。
「私は死を商いにはしていません。魂を次の生へと導くのが私の仕事です。ロザリア様の魂は、苦しんでいます。そして、あなたのことを思って、これ以上蘇生を望んでいません」
将軍は嘲笑した。
「馬鹿なことを!ロザリアは、私とともに生きることを願っている。貴様の言葉など、到底信じられるものではない」
将軍の言葉は、悲しみを必死に隠そうとする、一人の父親の叫びだった。リクトは、その悲痛な叫びの奥に、深い絶望を感じ取っていた。将軍が英雄と呼ばれるきっかけとなった戦争から帰還した時、彼には一つの喜びが待っていた。妻が、彼の子どもを産んでくれたのだ。しかし、体力の弱かった妻は、出産の時に命を落としてしまう。将軍は、忘れ形見ともいえる娘に固執していた。
「出ていけ!娘を侮辱するな!」
将軍は怒りを露わにし、リクトを屋敷から追い出そうとした。アルテミスは将軍とリクトの間に入り、なんとか場を収めようとする。
その時、リクトはロザリアの首元にかかる、小さなペンダントに目を向けた。それは、蘇生魔法の触媒にもなる「魂の器の鉱石」を埋め込んだものだった。
ロザリアの魂は、リクトに助けを求めていた。そして、彼女の魂の叫びは、父である将軍の耳には届かない。このままでは、彼女の魂は永遠の苦しみから解放されないだろう。
リクトは、将軍の怒声に背を向け、ロザリアのベッドへと静かに歩み寄った。彼は、ペンダントに埋め込まれた鉱石に、そっと指先を触れた。
「将軍、あなたが信じないのも無理はありません。この鉱石は、蘇生魔法に必要なものですが、もう一つの役割があります」
リクトはロザリアのペンダントを将軍の手にそっと置いた。
「この鉱石を介して、ロザリア様は、あなたに直接、今の気持ちを伝えることができます」
将軍は半信半疑の顔で、ペンダントを握りしめた。アルテミスが将軍を説得する。
「将軍。もし、それが嘘ならば、我々を処刑しても構いません。しかし、もし、それが真実ならば、娘さんの魂を救うことができます。どうか、一度だけ試してください」
将軍はアルテミスの真剣な眼差しを見て、意を決したように目を閉じた。リクトは将軍の背後で、ロザリアの魂に語りかけた。
「ロザリア様。お父様に、あなたの言葉を伝えてください。ペンダントを介して…」
ロザリアの魂は、微かな光を放ち、将軍の握るペンダントに宿った。
「お父様…」
将軍の脳裏に、懐かしい娘の声が響いた。それは、病に侵される前の、元気で明るい声だった。
「お父様、これまでたくさんの愛をありがとう。お父様と過ごした時間は、私の宝物です…」
将軍は目を開け、涙を流しながら娘に語りかけた。
「ロザリア…本当に、お前なのか…?」
ロザリアの魂は、さらに優しい声で応えた。
「はい、お父様。いつも私のそばにいてくれて、本当に嬉しかった。何度も身体が疲れてしまったけど、お父様が私の手を握ってくれるから、頑張れました。ありがとう」
将軍は震える手でペンダントを握りしめ、嗚咽を漏らした。
「ロザリア、すまない…。お父様は、お前を失いたくなかったんだ…」
ロザリアの魂は、優しく将軍を諭すように語りかけた。
「わかっています、お父様。だからこそ、もう大丈夫です。私の身体は疲れきってしまいました。これ以上、お父様を悲しませたくないのです。どうか、私を安らかに眠らせてください…」
その声は、将軍の心を深くえぐった。ロザリアの魂は、彼女が何度も蘇生を繰り返すたびに経験した、魂の器が崩壊していく苦痛を将軍に伝えた。将軍は、娘の苦しみを初めて知り、その場に崩れ落ちた。
「ロザリア…すまない…」
将軍は涙を流し、娘に謝罪した。ロザリアの魂は、その涙を見て安堵したように、穏やかな光を放った。リクトは将軍に、ロザリアの魂を安らかに次の生へと送る儀式の必要性を語った。将軍は、これまでの頑なな態度を改め、リクトの言葉に深く頷いた。
「わかった。娘を、安らかに送ってやってくれ」
こうして、ロザリアの魂は、愛する父に見守られながら、穏やかに次の生へと旅立った。将軍は、リクトの信念と、魂を救う能力を深く尊敬し、彼を街の有力な後援者として、今後の活動を支援することを申し出た。
ロザリアの死を悼む儀式が終わり、静寂が戻った屋敷の中、将軍は改めてリクトの前に立ち、深々と頭を下げた。
「リクト殿。感謝してもしきれない」
将軍の言葉は、これまでの威圧的な態度とはまるで別人のようだった。その目は、深い悲しみと同時に、新しい光を宿していた。
「私は、娘を失うのが怖くて、蘇生魔法にばかり固執していた。蘇生魔法は、確かに命を繋ぎとめることはできる。だが、魂を救うことはできない。貴殿に会って、初めてそのことに気がついた」
リクトは静かに将軍の言葉を聞いていた。
「私は、この街を守る英雄だと言われてきた。だが、私の最も大切な娘一人、救うことができなかった。貴殿は、私の娘の魂を、そして私自身の心を救ってくれたのだ。私にとって、これ以上の恩はない」
将軍は、ロザリアのペンダントをリクトに渡した。それは、魂の器の鉱石が埋め込まれた、彼女の形見だった。しかし、リクトはそれを受け取ろうとはしなかった。
「将軍、これは、あなたが持つべきものです」
リクトは静かに言った。
「このペンダントは、ロザリア様とあなたの絆の証。そして、あなたが娘の死と向き合い、その尊厳を認めた証です。どうか、大切にしてください」
将軍はリクトの言葉に深く頷き、ペンダントを大切に握りしめた。
「わかった。だが、貴殿のその能力は、この街の人々に必要とされている。私の娘と同じように、蘇生魔法にすがって苦しんでいる魂が、きっと他にもいるはずだ」
将軍は、リクトの活動を全面的に支援することを約束した。彼の屋敷の一角を葬儀場として提供し、彼の活動が街中に広まるように、貴族社会に働きかけることを申し出た。
「貴殿の力で、この街に、死を悼む場所を創ってほしい。魂が安らかに眠る場所を。それが、私の娘、ロザリアが望んだことなのだろう」
リクトは、将軍の提案を静かに受け入れた。彼は、将軍の申し出が、娘を失った悲しみから生まれた、単なる感情的なものではないことを理解していた。それは、死を拒絶していた将軍が、死と向き合い、その尊厳を認めた証だった。
彼は、将軍という力強い後援者の助けを得て、死を悼む人々の心を救う静かな日々に、彼の新しい物語を見出していった。死は、終わりではなく、魂が安らかに次の生へと旅立つための、尊い儀式として、街の人々の間で深く受け入れられていくのだった。




