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宿屋にて

二人が歩いているうちに日が傾いてきた。しかし大き目の街の近くまで来ている。

「ここまで来たら野宿はしなくていいよね。ほっとするの。追手が本当に来たら怖いからね」

ソムナリアは正直につぶやいた。

「本当にいるかどうかは分からないけど、夜陰に紛れられたら、俺はひどい目に遭いそうだ」

ベルンハルトも同調する。

「あ、ところで、次の街の宿って取れそうかな?」

ソムナリアは心配そうに尋ねる。

「もちろん取れるさ。なんたって…」

ベルンハルトは自慢げに袂から羊皮紙でできた巻物を取り出した。

「ふふん。これがあると、優先的に宿に泊まれるんだよ」

「安全通行証だね。王印があるものだから、国内どこでも信用されるね」

「そうなんだ。これを宿で見せるとき、特権階級になった気分になるんだよな」

得意満面のベルンハルトを前にして、ソムナリアは冷めた目で眺めている。

「ベルンハルトは権威志向が強いんだね…」

ソムナリアの挑発的な言葉に、ベルンハルトは口をとんがらせた。

「いいじゃねえかよ。俺は平民だから、いつも軍の中では肩身が狭いんだぜ。たまには特権階級気分に浸りたいんだよぉ」

「うん、まあ、ガス抜きしないと権威志向にとらわれて隊内で部下をいじめそうだよね」

ソムナリアは真剣な表情で言った。

「そんなことしないよ…」

ベルンハルトは否定した。

「それより、もう少し歩くと街だ。まずは宿に入ろうぜ」

ほどなくして、二人は街に入り、ある宿屋の前に立った。

「さっき安全通行証を持ってるのを見せたけど、この宿だと要らないんだよな。おーい!主人はいるか!?」

ベルンハルトが宿の入口で声を張り上げる。ほどなくして、宿の主人が現れる。

「ベルンハルトさんですね。いつもごひいきにありがとうございます」

「1泊したいんだが、二部屋あるか?」

「ございますよ。その…お連れの方は…?」

「ああ、頼りにしてる魔術士だ」

「あ、そうですか。てっきり…」

「恋人とか婚約者とかではないんだ。そもそも、あいつは俺に気が無いんだよ」

ベルンハルトは愚痴をこぼしつつも、ちらちら見てソムナリアの反応をうかがっている。ソムナリアはそっぽを向いて聞こえてないふりをしている。聞こえてはいるけれども、誰が誰を好きだとか片思いだとか、そういった話に巻き込まれたくない。

「たぶん友達には思ってくれてるんじゃないかなと」

「友達だよ。いつまでも友達だよ」

ソムナリアは、ベルンハルトと終生仲良くしてあげると言っているのではなく、たぶん、いつまでも恋人にはなれないよと言っているのだろう。

「それはそうと、主人、部屋はある?」

「もちろん二部屋のご用意はできますよ」

宿屋の主人が奥の部屋に入った。

「ベルンハルト、顔が利くんだね」

「ああ、南方には何度も言ってるし、輜重隊のみんなで飲んだり食ったりしてるから、お得意様なんだよ。顔パスは当然、ってぐらいに飲み食いしたぜ」

「ベルンハルト様とお連れの…」

「ソムナリアです」

「ソムナリア様ですね。お二方のお部屋をご案内します。ついてきてください」

二階に上がってすぐに宿屋の主人が立ち止まり「この廊下を挟んだ両側の部屋です。左手がベルンハルト様で、右手がソムナリア様です」と示された。

「ねえ、左と右で何が違うの?」

宿の主人は、にっこり微笑んだ。

「違いは大してありません。でも、どちらでもいいですと言われたら迷うでしょう?だから、あまり深く考えずに左と右を決めました」

「なるほどね。それは正しいね」

ソムナリアは感心しきりだった。

「あ、それと…」

宿の主人が話しかけた。

「ソムナリアさん、あなたは宿の中では、ベルンハルトさんの妻君となっていただきます。その…売春なども多くて、ソムナリアさんがそういう方だと思い込んで、『接待』を求めるかも知れません」

ソムナリアは、やや不服そうだが、うなずいた。

「やむを得ませんね。そういう『接待』を求められても、本務の邪魔でしかありませんから。まだ夫婦の方がまだましです」

言葉の端々からソムナリアの思いを感じ取ったベルンハルトは、うなだれて聞いているしかなかった。

「ささ、まずはお部屋にご案内しますね」

宿の主人が二人を宿の中に入るよう促した。

宿の中は、大広間があり、奥にはカーテンで仕切られた空間があるようだ。それと、キッチンとおぼしき空間もある。それ以外は、入口から見渡せる空間で、食事用テーブルや雑魚寝のための板の間がある。隅には暖炉も見える。

「では、ご夫婦ですので!同じお部屋に!」

宿の主人は、必要以上に声を出して、二人を奥に導いた。その途中、冷やかす声も聞こえた。ベルンハルトはいちいち冷やかす者を睨み付けつつ歩き、ソムナリアは感情を出さずに黙ってついていった。

宿の主人がカーテンを開けた。

「ここが、お二方の今日のお部屋です」

二つの簡易的なベッドが置かれているだけだ。もっとも、手紙を届ける密命を帯びている者にとっては、雑魚寝は絶対に避けなければならない。

ベルンハルトは、すぐにベッドに座った、

「あー、柔らかいベッドで寝れる!ありがたい!」

ソムナリアは、荷物を下ろしたまま立っている。

「ベルンハルト…」

ソムナリアが手招きする。ベルンハルトが顔を寄せると、ソムナリアがベルンハルトの耳に口を寄せる。

「夫婦の設定だからって、変なことしたら、火炎魔術で焼き上げてあげるからね…」

ベルンハルトは神妙な表情で、黙ってうなずいた。

「でも今はとにかく飯を食って、寝て、明日に備えよう!な?」

「そうだね」

ベルンハルトは立ち上がった。

「ちょっと待ってろ。飯を確保してくるから」

そう言うと、カーテンを開けて、簡易個室から出ていった。ソムナリアは、ベッドに座って、改めて宿屋の様子を見る。

大広間は見えないけど、酔っぱらいたちの喧騒が聞こえる。簡易個室は、隣も人が居るようで、カーテン越しに、なにか衣擦れのような音が聞こえるし、ぼそぼそと話す声も聞こえる。

しばらくしたら、ベルンハルトが戻ってきた。

「飯は、ここで食えるそうだ。何せ大広間で飯を食うだけでも物盗りの心配をしないといけないからな」

「おー、やるじゃん」

ソムナリアは、薄い反応ながらも、素直に感心した。

「顔見知りだし、安全通行証もあるし、追加料金も渡したら、無理も聞いてくれたんだよ」

ベルンハルトはベッドに腰を下ろしながら自慢げに話す。

しばらく待っていると、夕食が運ばれてきた。

「ベッドは汚さないように、お願いしますよ」

宿の主人から手渡しで受け取ったのは、豆が多いスープとパンだった。

「スープ皿を持ったままじゃあやりにくいな」

ベルンハルトは、スープ皿を床に置いて、自らも床に座り込んだ。

「これでいいだろ?野宿よりも清潔だぞ」

「そうだね」

ソムナリアも気にせずに床に座り込む。


ソムナリアがスープを一口飲むと、少し驚いて、その後じわじわと微笑みに変わっていく。

「これ、おいしいね」

「ここのスープはうまいんだよ。豚の塩漬け肉をしっかり燻製にしてあるんだ」

「私が作るのと全く違うのよね」

「そりゃそうだろ。これ目当てに来る客だっているんだぜ。俺たちもそうだけどな」

そこまで言うと、ベルンハルトはがつがつと夕食を口に運ぶ。

「ずいぶんと美味しそうに食べるのね」

「ああ、うまいからな」

ソムナリアはふふふっと笑った。

「ベルンハルト、もう思考能力がなくなっちゃってるみたいね」

ベルンハルトの手が止まる。

「ああ…なんか意地汚いように見えた?」

はにかみながら、ソムナリアの方を見る。

「そんなことないよ。見てて気分良いぐらいの食べっぷりだったよ」

といいつつも、ソムナリアはクスクス笑っている。

「私のも食べる?」

ソムナリアが差し出すのを、ベルンハルトは両手で止めた。

「そこまではしないよ。明日のこともあるから、しっかり食べて、しっかり寝よう。な?」

ソムナリアはうなずいて、ゆっくりとスープとパンを味わうように食べた。

夕食を終えると、ベルンハルトは「しっかり寝よう」と言って、ベッドに横になった。

それからしばらくは、ソムナリアは何か細工をしていた。

彼女によると、触れると電撃が出る罠なんだそうだ。

「痛い思いをしたくなかったら、私に手を出さないでね」

ソムナリアの顔は、絶対に防御し通せる自信に満ちていた。

「信用ないのはしょうがないよ。手は出さない。出したら冒険できなくなるから」

ベルンハルトはあくびをひとつして、天井を見つめて、今日のことを振り返った。

-魔術教室のソムナリア、追っ手がいるはずなのに見当たらなかったこと、二人で食べた美味しい夕食-今日はいい一日だった。

「任務のことはすっかり忘れてるよな…」

ベルンハルトは自嘲気味につぶやいた。

もっとも、明日は南に向かって黙々と歩くだけ。追っ手がいないなら楽だ。そんなに難しく考えることはない。

ふと、それでもソムナリアは体調は大丈夫なのか…?聞こうとして、ソムナリアの方に顔を向けた。

「ああ、もう寝てるわ…」

無防備に眠りこけるソムナリアの顔を見て…

「このまま寝かしておいてやらないとな」

ベルンハルトは、ソムナリアに背を向けた。

ベルンハルトは、大広間の音にかなり悩まされていたが、しばらくすると眠気が勝ってきて、大広間も少しずつ静かになってきて、なんとか眠りにつけた。

ソムナリアは、そのまま寝ていた。たとえ大広間で酔っ払った連中が歓声を上げていても、一部で乱痴気騒ぎに発展していても、決して起きなかった。ベルンハルトが一度「うらやましいな…」とつぶやくぐらいによく寝ていた。

皆が寝静まって、まだ日が昇りそうにもない時刻に、ソムナリアは目を覚ました。ただ、普通の目覚めではなかった。苦悶の表情で目を見開いて、しばらく天井を見つめていた。息が荒くなっていたし、寝汗もかいていた。仰向けのまま、落ち着こう落ち着こうと自分に言い聞かせた。少しずつ落ち着いてきたが、今度は悲しさがこみあげてくる。泣きそうな顔になり、唇を震わせながらも、誰にも悟られないように、声を出さないようにこらえた。

悲しさも落ち着いてきたところで、上半身を起こして、ひとつ、ため息をついた。

「エミール…」

ソムナリアは、一人の男の名を呼んだら、不意に胸の奥から何かが込み上げてきた。顔を手で押さえて嗚咽を我慢しようとしたが、今度はどうしても少しだけ声が漏れ出てしまう。

「ソムナリア、どうした?」

ソムナリアの泣き声を聞いたベルンハルトが問いかけた。向こうからうっすら外の月明かりの中で、肩が上下に揺れるソムナリアのシルエットが見えた。

「なんでも…」

ソムナリアは「なんでもない」の一言も言い切れず、手のしぐさだけで関わらないで欲しいと訴えた。

「なんでもないか。分かった」

ベルンハルトは、ソムナリアに背を向けるように寝返りを打った。「なんでもないわけないだろ」と呟きながら。


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