出発のとき
次の日、ベルンハルトは昼過ぎに魔術教室の前に立っていた。
教室の中では、まだ午前の講習が続いているらしく、子供たちの喧騒が通りまで漏れている。ある子供は教室の隅を走り回り、ある子供は魔術がうまくいかずに半べそをかき、またある子供は突然喧嘩を始め、ソムナリアが止めに入っていた。
ベルンハルトは、ばたばたした様子の教室を前に、足を止めて立ち尽くしてしまう。
「こら、まちなさい! ……あ、ベルンハルト、来てたんだ」
ソムナリアは子供を追いかけるのをやめ、気づいて声をかけた。
「来てたのなら、声かけてくれたらよかったのに」
「いや、思ってたより忙しそうだったから、ちょっと戸惑ったんだ」
「……あー、子供たち相手だったら言うこと聞かせられると思った? そんなことないよ。むしろ、魔術学校とかより大変かもよ。魔術学校の先生はやったことないけど、あっちはみんな席について真面目に授業受けてたじゃん?」
「そうだな……」
ベルンハルトも、懐かしそうに応じる。
「ま、ベルンハルトは1年で中退したけどね」
「ああ、そうだったな」
ベルンハルトは、別に引け目に感じている様子もなく、平然とした顔で答えた。
「俺の過去はともかく……ソムナリア、いつ頃終わる?」
「もうすぐ午後の部が終わるよ。終わったらすぐに出られるよ」
「わかった。もう少し待ってるよ」
そう言ってベルンハルトが少し離れようとしたとき、一人の男の子がソムナリアの腰に抱きついた。
「こらー、やめなさいよー」
ソムナリアはいちおう怒ってみせたが、本気ではない。だが、ベルンハルトはどこか複雑な表情になっていた。
「先生?この人、カレシ?」
男の子がストレートに尋ねる。ベルンハルトは、内心ドキッとする。
「彼氏?なんでアレが?」
ソムナリアは、喜びもせず、はにかみもせず、怒りもせず、ごく自然に返した。ベルンハルトはがっかりした様子だったが、ソムナリアには見えていなかった。
「じゃあ先生、カレシいないの?」
「いないよ」
「へー、そうなんだ!」
男の子は満足げにニコニコしながら、またどこかへ走って行った。
そうこうしているうちに、市役所の鐘が鳴り響く。やや精度は悪いが、どうやら正午になったようだ。
市場の喧噪が少し収まった。市場から少し離れたところにある刃物研ぎ職人の工房から聞こえてきていた音が止まった。休憩に入ったのだろう。
ソムナリアは手を叩いて授業の終わりを知らせる。
「はーい、終わりだよー。ちゃんと片付けしてから帰るんだよー」
ベルンハルトは手持ちぶさたになっているが、ソムナリアが子供たちに向き合っているのを満足そうに見つめていた。
ソムナリアがベルンハルトに気付いた。
「ごめんね。もうちょっと待ってて。後片付けが…」
ローザが口を挟む。
「ソムナリア、片付けは私がやっとくから。それより、明日からお休みなんだから、子供たちにご挨拶なさい」
ローザが帰り支度の子供たちに声をかける。
「みんな!ちょっと待ってね。ソムナリアせんせいが明日からお休みします。せんせいがごあいさつします。…ソムナリア、前へ」
うながされるままに、ソムナリアは子供たちの前に出る。
「明日から、せんせいは、南の方におつかいに行きます。何日かしたら帰ってきます。その間は、せんせいはいなくなるけど、ローザせんせいがいらっしゃるから、楽しく魔術の練習をしてくださいね」
子供たちが口々に「はーい」と答えて、揃わないなりに一生懸命に小さい手をぱちぱちと叩いて、拍手を送った。
しばらくすると、子供たちは帰宅の途に着いたり、まだ遊び足りなくて数人で走り去ったりして、魔術教室から生徒はいなくなった。
「はあ、台風だな、ここの子供たちは」
「まるで子供の頃のベルンハルトはそうじゃなかったみたいな言い方ね?」
「…たぶんあんかガキだったと思う」
「まあでも、ここの子供たちの大半は魔術学校に入れないのよね。考えてみたら、ベルンハルトだってエリートなんだよね」
ソムナリアの言い方に、ベルンハルトはしかめっ面になる。
「なんか引っ掛かりのある言い方だな…」
ソムナリアが微笑んだ。
「まあ、気にしないで。…あ、それよりさ、魔術、してみない?久しぶりでしょ?」
ベルンハルトは素っ頓狂な声を出して驚いた。ソムナリアは、それをなだめる。
「実際魔術学校に入れたんだから、魔術ができる素質はあるのよ。魔術のやり方とか忘れたかもしれないけど、魔術教室レベルだったら思い出せるよ」
ソムナリアは、そう言いながら、小さな袋を手のひらに乗せて、ベルンハルトに見せた。
「ほら、やってみなよ」
ベルンハルトは、ひとつ咳払いをしてから、その小さな袋をつまみ上げた。
「まず、人差し指と親指で袋の先をつまんで…」
ソムナリアが低くささやいた。
「それから、マナバッグの口を対象に向けて…」
今度はベルンハルトがつぶやく。
「ウィラを指から出す」
「ウィラはマナバッグに吸い取られ、中のマナと反応して…」
「炎となって吹き出す」
二人のつぶやきとともに、ベルンハルトの指から炎がほとばしった。
ベルンハルトが満足そうに炎が上がったあたりを見つめる。ソムナリアはベルンハルトを見て満足そうに微笑む。
「できたじゃん」
ベルンハルトは褒められて、少し照れている。
「できるもんなんだな。でも思ったより難しくはなかったな」
しかし、余韻に浸る時間は無い。ベルンハルトはすぐに発たないといけないことを思い出した。
「あ、出ないた。ソムナリア、出れるか?」
「うん。全部準備してるよ。ちょっと待ってね」
そういうと、ソムナリアは教室に入り、奥まで小走りで進み、階段を足取り軽く上っていった。
ベルンハルトがしばらく待っていると、後ろからローザが声をかけた。
「ベルンハルト、あの子をよろしくね。あの子、子どもたちに教えているときは、結構いきいきしてるんだけど、何か物足りないみたいなのよね」
「そうですか…」
ベルンハルトは相槌を打つのが精いっぱいだった。ベルンハルトは、ソムナリアの生活のほとんどを知らない。昨日の夕方はひどく眠そうで不機嫌だった。でも今日は、魔術教室の講師を楽しそうに務めていた。今のソムナリアのことは、これらしか知らない。
「ローザさん、ソムナリアが不機嫌になるのは、なんでなんですかね?」
「それね、私もよくわからないのよ」
ベルンハルトは、やや躊躇しながら尋ねる。
「教室の講師って、『呪い』にかかった人が多いように思うのですよね。そのせいとかでは?」
「それがね、違うと思うのよ」
ローザはさらりと答える。
「私なんかは『呪い』にかかって教室の講師になったのよね」
「…すみません」
ベルンハルトは申し訳なさそうに謝る。
「いいのよ。もうずいぶんと良くなったからね。それはいいけど、ソムナリアの様子を見てると不思議なのよ。『呪い』って、いくつかの種類があるんだけど、当てはまらないのよね」
「そうなんですか」
「不機嫌そうなのは、たぶん、他に何か引っかかってることがあるんじゃないかな。そこをサポートしてあげるのが…」
ドン!
「ぐへっ!」
ローザはベルンハルトの背中を強く叩いた。ベルンハルトは、不意を突かれて、間抜けな声を出した。
「ソムナリアのハートのサポートは、私じゃなくて、ベルンハルトの方が適任よ!」
そう言われて、ふと考えた。-ベルンハルトはソムナリアの心のサポートのために来たのか?
「俺、冒険で助けてもらうためにソムナリアに一緒に来てもらうようにしてるだけで…」
「何言ってるのよ!?どう見たって、冒険にかこつけて、あの子の心の支えになりたがってるようにしか見えないわよ!」
ローザはギラギラした笑顔を見せる。ベルンハルトは「そんなこと全く考えてない」と言おうとしたが、否定しても無駄そうに感じたし、そもそも胸を張って否定できる自信がない。
「ソムナリアを頼っているのは本当です。心の支えには…なりたくてもなれないような…」
自分の気持ちをごまかしつつ答えた。
「ふーん」
ローザが続いて何か言おうとしたとき。
「おまたせ」
ソムナリアが現れた。麦わらのハットをかぶり、ウールのバックパックを背負っている。
ローザがベルンハルトの様子をうかがいながら、口を開く。
「あら、ソムナリア。冒険者なんでしょうけど、かわいいわね、そのハット」
ベルンハルトはというと、どういう表情をしていいか分からないようである。
「さあ行こう。日の入りまでに次の街に着けなかったら大変よ?」
「あ、ああ…。行こうか」
ソムナリアの衣装に目を盗られて、しばらく固まっていたが、ようやく歩き出せるぐらいになった。
「じゃあ、ローザさん、行ってきます!」
「ソムナリア、いってらっしゃい」
ベルンハルトは、ソムナリアとローザが挨拶を交わすのを眺めていた。
「これじゃピクニックみたいじゃないか…」
近衛隊の命令で行く旅なのに、まるで休日のレクリエーションである。ベルンハルトは、本当にこれでいいのかと疑問に感じた。でも、ソムナリアが楽しそうに冒険に同行してくれるのだから、よしとしないといけないと思った。
「では行ってきます」
ベルンハルトも、ローザに挨拶をして、目的地に向かって歩き出した。
背後から声が聞こえる「段階は踏みなさいよ!」と。
ベルンハルトは、ソムナリアがローザの言葉をどうとらえたか、ちらりと見たが、苦笑しながら「それはないない」とつぶやいていた。
ベルンハルトは、がっかりしつつも、これから冒険という職務が始まるのだからと、自らを落ち着かせた。




