うたたねする魔術士と必死に誘う戦士
この王国では、ここノアルコに限らず、どの街にでも魔術教室がある。
歴代の国王が魔術振興を重視して、門戸、身分などにかかわらず素質のある者を選抜して養成するために、国家が多額の投資をしてきた結果である。
古代文明からむしろ後退している中世文明下にあって、魔術は剣や弓よりも強力な兵器として重宝されている。王国としては戦力として魔術を使わない手はないし、民としては、平民が出世する唯一の機会である。
魔術教室は、かような国家的主要施策の最前線であり、かつ欲望のただ中にあるはずなのだが、実態は子供たちの笑い声や、時には喧嘩を止める講師たちの叫び声などが表通りにまで聞こえるような施設である。
もちろん、こういった施設から攻城戦の英雄が現れたりするのだが、そういう「魔術士」に育つまでには、もう少しの年数が必要である。
魔術教室で学んでいた子供たちが帰宅し、夕日が教室の中に入り込んできた頃、一人の若い女が、大の字で教室の床に横たわっていた。
まるで生気のない様子で、ゆっくりと深く呼吸をしつつ、ぼんやりと天井を見つめている。
不意に扉を何度も叩く音が、一人だけの教室に響き渡る。
そのあと「おい、いるのか!?」と叫ぶ声が聞こえた。
扉が今まさに開こうとする頃合いに、「あら、ベルンハルトじゃない?」という別の声が聞こえた。
「ああ、ローザさん、こんにちは。ソムナリアはいますか?」
「いるわよ。でも今は寝てるんじゃないかな。ルーティンだからね、あまり邪魔しないでね」
ソムナリアは「ベルンハルトが来るのか…」とつぶやいた。
そして「面倒くさいな…」と続ける。
ベルンハルトは、ひときわ大きな声で答えた。
「ええ、分かってますよ!だからあまりうるさくはしないつもりです!」
乱暴にドアが開けられ、ずかずかと男が入ってくる。
「ようソムナリア!元気か?…ていうか、いつも寝てるな?」
ソムナリアは顔も動かさずに声のする方向に目だけを向けて、また天井を見つめた。
「ベルンハルト、あなたが狙ったかのようなタイミングで来るのが悪いのよ…」
「それから…」
ソムナリアは、ベルンハルトの方に顔だけを向けてつぶやき続ける。
「…私が寝てるからって、私に変なことしようとしたらどうなるか、分かってるよね?」
ベルンハルトは大きくうなずいた。
「ああ、後から火炎魔術で焼かれる…」
部屋の入口で立つベルンハルトの背後に中年女性が立っている。
「ベルンハルト、あんたがちゃんと段階踏んだなら、私だって無粋なことはしないわよ。ね、ちゃんと真正面からアタックしなさいよ!」
「どうにかしてくれよ、あのローザさんを…」
ベルンハルトが、ローザと呼ぶ中年女性に指をさしながらぼやく。
それを見て、ソムナリアは、また顔を天井に向ける。
「私、あなたに興味ないから」
ベルンハルトも感じてはいたが、はっきり言われると意外と堪えるようで、分かりやすく肩を落とした。
「ま、それはともかく、魔術士ソムナリアを見込んで頼みがある」
ソムナリアは、大の字に寝転んだまま、顔も天井に向けたまま、目を閉じた。
「ソムナリア、冒険に行かないか?」
ソムナリアは何も言わない。
― 何分か細かくは分からないが、いくらか時間が過ぎた。
「おーい、ソムナリアさん?」
「ソムナリア、魔術士さん、冒険に出ないかい?」
― また静まりかえる。
と、ソムナリアの口から寝息が聞こえた。
「寝るな!ソムナリア!」
ベルンハルトは、両手を胸前に差し出す。
パン! 大きく手を打った。
「あ…」
大音響に驚いて目覚めた。ソムナリアは申し訳なさそうに、顔をベルンハルトに向ける。
「寝てた?私?」
「ああ、すやすや寝息を立ててた」
ソムナリアは、表情を戻しながら、また天井に顔を向けた。
「とはいえね…」
「今日いちにちお仕事して疲れた人に寝るなと言うのもおかしくない?」
ベルンハルトの顔が曇る。
「あ、そうだよな…」
「私ね、魔術教室で元気な子供たちと飛び回って遊んで、それから魔術も教えて…それはもう疲れてるの」
ベルンハルトは肯定するしかない。
「そうだよな…」
「それに、突然冒険に行こうって唐突すぎるし」
「でも前に行ったじゃないか?」
「うん…行ったね…」
ソムナリアが眉間にしわを寄せて、ベルンハルトに顔を向ける。
「あなた、ドラゴンが出るって言ってたよね?冒険に行こうと言われて、私、急いで準備して行ったよね?」
尋ねられたベルンハルトは「やぶへびだ…」と思ったが、口に出せないので「ああ…」とだけ言った。
「結局、ドラゴンいた?」
「いいや、いなかった…」
「よね?その集落の人たちが、大雨の時に水が集まって危険になるところを『ドラゴンが出るところ』と言って近寄らせないようにしてただけよね?」
「その通りだ…」
「防災意識の高い集落の巡検をしただけだったよね?冒険とは言えないよね?」
「申し訳ありませんでした!」
ベルンハルトはものすごいスピードでひざまずいて頭を下げた。
それでもソムナリアは許せない。
「だから、悪いけど、次は行かない」
「いや!ソムナリアでないとダメなんだ!」
ベルンハルトがソムナリアの手を取ろうとするが、ソムナリアは手を引く。
「ベルンハルト、手を放した方がいいよ…。だって後ろにまだローザさんいるからね。本当に火炎魔術出るよ?民間魔術士は強い魔術はできないけど、めちゃくちゃ痛いと思うよ?」
「あ!そうだった!」
慌てて手を放す。ローザはベルンハルトの後ろで、微笑んだまま、火炎魔術をやめた。
「それでも、ソムナリア、魔術士が必要なんだ今回は」
「へえ…ちなみになんで?」
「依頼主が言ってたらしい。魔術士を必ず同行させなさいって」
ソムナリアの顔が見るまに曇る。
「なにその言い方?依頼主な直接聞いてないの?依頼主は誰なの?」
ベルンハルトは、やや困った表情で、寝転んだままのソムナリアを見つめている。
「ちょっとおかしな話なんだよ。俺への命令書は近衛隊長なんだ。俺の上司の上司の上司みたいな」
ソムナリアは、ベルンハルトの地位もある程度は把握している。本当に「上司の上司の上司」が近衛隊長なのかは知らないけれども、だいたい当たっていると感じた。
「その上司の上司の上司の人が何か言ったの?それとも命令書に何か書いてあったの?」
「命令書にだな、『魔術顧問事務所と調整のうえ、魔術士を一名同行させること』って書いてあるんだよ」
魔術顧問事務所は王国の魔術士を統括する機関である。
魔術士の同行が必要な場合には、魔術顧問事務所に要請をする必要がある。
「それで私の名前が書いてあったとかいうの?」
「いや、名前は書いてなった。とにかく魔術士と同行するようにとのことだった」
ソムナリアは安堵する。
「ああ、よかった。だって私、魔術士と言っても民間魔術士でしょ?役所から直接指示を受けるのって1級魔術士とか2級魔術士とかだよ?私に同行命令は出せないはずなんだよね。もし出てたらおかしいよねって思ったの」
「それはともかく、俺はソムナリアに同行してほしい」
ソムナリアはまた目を閉じた。そして「だめだよ…」とつぶやいた。
「同行するのは1級魔術士か2級魔術士が妥当だよ。3級魔術士と技能面で劣っていると思うよ。民間魔術士に至っては、正規な魔術士扱いされないレベルだよ」
「でもお前、1級魔術士やってたじゃんか?」
目を閉じたまま、ソムナリアはため息をつく。
「それは以前の話。今は民間魔術士の資格しかないし、できる魔術も限られてるから」
「それでも!」
ベルンハルトが声を張り上げる。
「それでも、ソムナリアに同行して欲しいんだ!」
後ろでこっそりローザがベルンハルトを応援している。
ただし「ベルンハルト君…押しすぎでしょ…」と嘆いている。
ソムナリアは冷静に「なんで?」と尋ねる。
「この前の冒険で分かったんだ」
「冒険じゃないよ、巡検だよ?」
「いやだからそれはいいから…」
ベルンハルトは、ひとつ咳払いをしてから続けた。
「それがあったんで、俺の上司の小隊長が言うんだよ。ソムナリアに同行してもらえって。お前の名前は知らないけど、前に一緒に行った魔術士と行くといいだろうって。」
「そう」
ソムナリアは興味なさそうに聞き流した。
「やっぱり興味ないか…」
ソムナリアは顔だけベルンハルトに向ける。
「そりゃそうよ。行ったところで何もいいことないじゃない?」
「じゃあ報酬があれば考えてくれるか?」
「でも、役所とか近衛隊とかだから、お金の力で私を屈服させようとしてるでしょ?もちろん屈服してあげるよ」
ただ、こういうことを言い出すと、そう簡単には「屈服」などしない。大金を提示しても「その程度で屈服すると思った?」とあざ笑うのが目に見えていた。
しかし、ベルンハルトは「本当に屈服するぞ」と言い放った。そして、降ろしたバックパックの中をまさぐりながら自信たっぷりに続ける。
「なあソムナリア、お前、ファラリス年代記の中巻が無いって言ってたろ?」
ソムナリアは、かなり驚いた表情を見せる。
「もしかして、見つけたの!?本当に!?」
「ああ、俺には価値は分からんが、少なくともお前が欲しがってたのは覚えてた」
バックパックから本が現れた。すすけた表紙を見たソムナリアは息をのむ。
「本当に、ファラリス年代記の中巻だ…。上巻も下巻も買えたのに、なぜか出会えなかったの、それ…」
ソムナリアは立ち上がって、古びた本に引き寄せられるように、ふらふらと歩を進めた。
「はい、止まって」
ベルンハルトが本を背後に隠して、ソムナリアに向かって手のひらを突き出した。
「欲しい?」
「欲しい!」
その目は輝いている。
「屈服した?」
「屈服した!」
「冒険に一緒に行ってくれる?」
今のソムナリアの目にはファラリス年代記中巻しか見えない。
「冒険に一緒に行かせてください!」
ベルンハルトは、これだけ簡単に釣られるソムナリアをはじめて見た。驚くと同時に、不安になってくる。
「どういう冒険か知ってるのか?」
「ああ、そうそう、忘れてた。どんな冒険なの?」
やっぱりこの本しか見えてない。
ベルンハルトは努めて落ち着いた声で説明を始めた。
「手紙を南方軍司令官に持っていくのが目的だ」
ソムナリアは小首をかしげる。
「手紙を運ぶのって、冒険なの?」
「まあ、冒険の一種だと思ってくれ」
ソムナリアは納得しきれないが、ベルンハルトは続ける。
「差出人は聞いてはいけない。内容はもちろん見てはいけない。司令官に直接渡すようにとのことだ」
「で、どんな手紙なの?」
ベルンハルトは、バックパックから長方形の皮革の薄いバッグを取り出し、さらに中にある羊皮紙製の封筒を取り出した。
「手紙はこれ。中身は見るなよ!」
「見ないよ。…これ、恋文?」
「え?そうなのか?」
「いいにおいするでしょ?」
ソムナリアはベルンハルトの鼻の前に手紙を差し出す。ベルンハルトがスンスンと匂いをかぐ。
「あ、確かにいい匂いがする」
「これ、ローズウォーターを振ってると思うの」
「ローズウォーター?」
「バラの花から匂いを取り出した水よ。あんまり採れないからすごく高価なんだよ」
「そうなんだ…」
「ちょっと待って。聞き流さないの。これで差出人が貴婦人じゃないかなって思わない?」
「はあ…あ!そうか!…そうだね。高価なローズウォーターを使ってるんだからそうだね」
「気づくのが遅いよ…。あと、この封蝋にローズウォーターを仕込んであるんじゃないかな。外すと、ふわっといい匂いがするのって、どう?」
「いいと思うよ」
「ベルンハルトはローズウォーターの匂いには興味ない?」
「あんまり」
「そっか。素直だね…。あ、手紙、もういいよ。片付けて」
ベルンハルトは、ソムナリアに言われるままに手紙をしまった。
「ベルンハルトは、その貴婦人からの手紙を南方軍司令官に持っていくのね。私の仕事は?」
「魔術士が追ってきたときの、俺の護衛だと思う」
「私、民間魔術士なのに、できるかな…?」
「本当に魔術士が出たら逃げるしかないかもね」
「それってさ…」
ソムナリアはベルンハルトの顔を覗き込んだ。
「それってさ、私、本当に同行する意味あるの?」
ベルンハルトは、ソムナリアから視線をそらせた。
「同行する意味、あるんじゃないかな。よく知らないけど」
ベルンハルトは平然と言う。ソムナリアは本当かなと首をかしげる。
「意味は本当にあるよ。少なくとも俺たちは、魔術士が現れたときに、そいつが強いのか弱いのかさえ分からないんだ。元1級魔術士がいてくれるだけでありがたいんだ」
ベルンハルトの説得は、ソムナリアにはあまりひびいていない。
「あの本がもらえるなら何だってするからいいよ」
ベルンハルトは苦笑いを浮かべながら、手を差し出す。
「とりあえず、よろしくな」
ソムナリアは、ふとベルンハルトの背後のあたりに目を遣った。さっきまでいたローザはいなくなっていた。
「こちらこそ。その報酬さえあれば」
ソムナリアは笑顔でベルンハルトと握手をした。




