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506.(頼もしいですね)

 その考えはとてもきれいに、腑に落ちた。どちらが欠けてもダメで、ふたりでいるとふたり以上になれる──そんな相棒同士。

 所長はにやにやとした視線を主任に向けた。「ほんと、キミといると退屈しないね」

 主任は鼻の頭を掻いていた。

「ボクはね、十勝くん。キミの話す叔父さんの話が大好きだったんだよ」

 所長の言葉に、主任は苦笑した。「俺も、叔父さんのこと好きだったよ」

 再びふたりは黙って絵の前に立ち、ためつすがめつそれを観賞していた。

「これ、どっちに開くのかな」不意にともえが云った。

「え?」

「だから、この扉」

「これは外開きだね」主任が答えた。

「どうして分かるんですか?」

「うん」主任は指さし、云った。「蝶番が描いてあるよね」

「あっ」と、ともえ。「そっか」

 まるで張り子の人形みたいに、ともえは首をカクカクと縦に振った。「なるほどっ」

 主任は口元に微笑を浮かべた。

 確かにこれは外開きの扉だ。ふつうなら外開きかスイングドアを採用するだろうに。

「じゃ、出てくるんだね」

「え?」

「この扉。ここから誰か出てくるだよね? そうでしょ、ダンナさん?」

 突飛のないことをともえは云った。

「そう……かな?」

 あはっと所長が笑う。「いいね、それ」

「よくないよ」と主任。

「ついでだ、まだちょっと面白いものがあるんだよ」

 所長はポケットからケータイを取り出し、操作して液晶画面をぼくらに向けた。武道館に描かれた扉の絵を撮影したものだった。

「これがなに?」のぞき込んでともえ。

「なんか、変じゃない?」

 見せられてもこの解像度。画面も小さいし。「はぁ」なんだろう。

「もうっ」所長は子供みたいに口を尖らせた。思わず苦笑した。ともえそっくり。さすがは姉妹。

「どういうこと?」と、ともえ。

「左上をごらん」と、主任。

「うーん」うなるともえ。ぼくも分からない。

「ここだよ、」ケータイの液晶を主任は指差した。「なんか──」

「もやっ?」ともえが変な声を上げた。

「そう」うなずく所長。「もやっと」

「もやっと……ですか」

「そう」もう一度、所長は含めるように云った。それからケータイを自分へ引き戻すとピッピと操作する。「何枚か撮ってみたんだけど、どれも、決まって同じところがボケるんだ」

「はぁ」

「気にならない?」と主任は楽しそうな顔で云った。

「ええ、まぁ……」むしろ、ぼくはどうしていいか分からないし──「あ、」

「なに?」と所長。

「レンズ、汚れてません?」

「拭いたよ」笑う所長と、うなずく主任。

「まぁ、これが何かは、今はとりあえず棚上げかな」

「分かったりするの?」

 ともえの問いに答えたのは主任だった。「何かあればね」

「それって、何もなければ原因不明ってことじゃないですか」とぼく。

「まぁそうだね」主任は笑った。「電子機器ってモノはアナログと同じだなんて云わないけれども、存外似たようなものだなぁと思うことはあるね」

「はぁ」

「デジタルになったからって、この世の謎はすべて解明できたかい? むしろもっと複雑に煩雑になってないかい? 知るほどに分からないことが増えていくと感じないかい?」

「ええ、まぁ……」話の行き先が分からず、ぼくは面食らった。

「ソフトの問題よね」所長は続けた。「結局、使うのは人間には違いないから」

「うん、そう」と同意する主任。「技術的に可能であっても、使うのは人間である以上ヒューマンスケールなんてそうそう変わったりしない。だからこそ人間工学なんてわざわざ謳う必要があるんだろう」

「そうですね」

 段差の高さ。手すりの位置。扉の大きさ。ありとあらゆる規格。そして、すべての基準としたSI単位系だって、いまでこそ定義方法がより厳密になったとは云え、元の基準から逆算してそうなったのだ。

 ぼくは黒いXの形をしたメートル原器と、銀色の円柱、キログラム原器を思い浮かべた。それらは基準として世界中にあれども、それはぼくらの住む世界の中から人間が都合よく切り取ったものでしかない。空間だけでなく、時間だってそうだ。

「科学とオカルトは水と油じゃなくて、その実、大変仲良しさん」所長はメガネのつるに振れて位置を直した。「それとも、私たちはもともと魔法と云う学問の一分野である科学、とりわけ建築工学を学んでいただけなのかもしれない」

「ああ、そうか」主任は組んだ腕の片方をといて、顎に当てた。「ぼくらは魔術師なんだ」

「いや、キミは設計士」すかさず所長が云った。

「ならお姉ちゃんは?」

「吉田はアルケミストだよ」

 そう云った主任に、所長はくふっと笑った。「分かっているねぇ、さすが十勝くん」

「アルケミストって?」ともえはぼくに訊いてきた。

「えっと、」なんだっけ、と一瞬考えた後、するっと答えが出た。「錬金術師」

 所長は満足げにうんうん、と頷く。ぼくは思った。さもありなん。

 所長の営業力を思えば、その言葉はぴったり当てはまる。一瞬、魔女と云う単語が脳裏をよぎったけれども、それはすぐに追い払った。くわばらくわばら。

「錬金術もいいが、その触媒に僕らスタッフを酷使するのはやめてくれ」

 主任の言葉にくふっと所長は笑った。「等価交換だよ、十勝くん。私たちは決まった大きさの箱しか持っていない。何かを得るには、何かを差し出す必要がある。だからキミたちの箱も借りてボクは身の丈以上の錬金術をしているのさ」

 ぼくと主任は顔を見合わせ、苦笑交じりに肩をすくめた。

「そうだよ」ともえが云った。「うちのダンナさんをあんましいじめないでよ」

「ちょ、ともえ、」

「おや、」主任はさも意外、むしろ異論あり、と云った顔をした。「ボクがいつ、かわいい妹のダンナさんをいじめたりしたのかな?」

 ぼくをまっすぐ見ながら云うのは反則だと思う。

 所長、ずるい。やっぱ魔女だ。それも東の。

「ともえ」ぼくは彼女の腕を取って云った。「だいじょうぶ、大切にしてくれてるよ、義姉さんは」

「そう?」

「そう」

 するとともえは、ぱっと笑った。「分かった」

 それから所長へ目を向けて「でも」と云う。「もし嫌なことされたら云ってね」

「ぼくの奥さんは頼もしいですね」

「当然です」ふん、と胸を張る。「わたしのダンナさんはわたしだけのダンナさんですから」

 顔が赤くなるのを感じた。家の中でならいいけれども、いまは外だ。しかも所長と主任の目の前で。

「結婚も……悪くないね」ぽつりと主任が云ったけれども、どんな顔をしていたか見ることはできなかった。

「十勝くん、あまり妹夫婦は参考にならないと思うよ」

「そうかな」

「でも、まぁ。羨ましいと云う気持ちはボクも同意だよ」

 もうだめだ。耳まできっと真っ赤になっているんだ。鏡を見なくたって自明過ぎる、間違いない。どうしてこうも気恥ずかしいのだろう。ぼくがともえを恥じることなんて何もないのに。誇れることならたくさんあるのに。

「ともえちゃん」義姉が云った。「あまりシングルの前で当てつけしないで頂戴な」

「主任さんと結婚すればいいじゃない」それからぼくを見て「お似合いだと思うでしょ?」

「えっ」

 ぼくにそれを振るのか。無邪気が許されるのは、時と場合によるぞ。

 ぺちっといい音がした。所長が自分の額を平手で叩いた音だった。

「あまりお姉ちゃんをいじめないでよ、妹ちゃん」

 あはっと、ともえは笑った。

 主任を見れば、ぼくらに背を向けて扉の描かれた壁を見ていた。だからどんな顔をしているのか分からなかったけれども、背に組まれた両手はどこか所在なげで、その動きはどうにも胡乱に思えた。

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