その九
金銀の箔押しで彩られた屏風を背に、金糸銀糸の縫い取りを施された座布団に座り、絹の豪奢な着物に身を包み、それに不釣り合いなほど不機嫌な顔つきのまま、豪社は右腕を侍医に預けていた。
その腕は、ほんの少し、赤くなっていただけなのだが、侍医が軟膏を塗りつけた途端、
「痛いっ」
と大声で叫んだ。
「もそっと、優しゅうにはできんのか! このヤブめ!」
「は、はい、申し訳も……」
侍医はおどおどと答え、あて布に軟膏を塗りつけることにした。それをそっと腕に重ね、包帯を巻く。
「こ、これでよろしゅうございます。明日また診に参ります故……」
そして、挨拶もそこそこにそそくさと退散していった。
「旦那様。いい加減、お諦めになられたらいかがでございましょう? あのような乱暴な女など……」
言いかけた瀬能の鼻柱を扇で叩く。
「口を慎め。一穂殿は退かれたとは申せ、頭巫女であられた方ぞ」
「し、しかし、旦那様にこのような無体を…… しかも、あのような乱暴者どもを囲っておりますのに。あやつらの為に、武士が一三人、使い物にならなくなりました。せっかく雇い入れた侍り者も……」
「それはそやつらが不甲斐ないからであろうが。したが、あの者どもについては、儂も考えておる。思うに、一穂殿はあやつらにたぶらかされておるのだ。でなくば、なぜに儂の誘いを断ろうか。そう思わぬか?」
「そ、そうでございましょう。そうでございましょうとも。巫女を務められた方が、聡明で無いはずがございません。総じて悪いはあの不逞の輩共に違いございませんとも」
真っ赤な鼻柱をさらしたまま、瀬能は揉み手をしながら頷く。
「そこでじゃ。お主が雇い入れた侍り者、なんと申した?」
「大吾と小吾。兄弟にて先日我から売り込んで参りました故」
「なんじゃ、推挙ではないのか。では腕と申しても怪しいものじゃの。まあ、よい。その者どもに申せ。あの二人を始末すれば本日の失態に目を瞑ってやる。褒美も取らそうとな」
「……始末、でございますか?」
「そうじゃ。儂と一穂殿を邪魔する者は何人であろうと許しはせぬ。あの美しくたおやかな方は儂の隣にあってこそ、ふさわしい方じゃ。良いな。早々に取りはからえ」
「は、ははっ」
低頭し下がろうとした瀬能を、豪社が呼び止める。
「待て。事は巡見使殿が去られた後にせい。下餞な者を排除するに世に憚ることはないが、何が災いするかわからぬからな」
「ははっ」
再度、瀬能は低頭し、前を辞し、そのまま屋敷の離れへと歩を進めた。
そして、近づくに連れ聞こえてくる騒ぎに、眉間にしわを寄せた。
***
その一室は異様の一言に尽きた。
半裸、もしくは全裸の女達が十数人、その肢体をだらしなく投げ出している。
ある者は顔を腫れ上がらせ、ある者は四肢を曲がるべきはずもない方向に曲げ、ある者は幾筋もの血の筋を肌に刻み、静かに血を流している。
酒と、血と、汗のにおいが充満した空間に、動いているのは二つの影。
直毛の男は十を超したばかりと見える娘の両脚をこれでもかと押し広げ、激しく揺らしていた。娘は口からよだれを垂れ流し、その瞳は放心したように宙を見ている。もう、抗う気力も泣く力もない。
「啼けっ、啼けっ、なんで啼かねえ。おまえまで俺をバカにするのか! 畜生、畜生、畜生っ」
ひとしきりうめいた後、むりやり引き剥がし、部屋の隅へ投げつけた。
床に転がる徳利を掴み、直接口を付け飲み干す。一瞥し、部屋の隅でうずくまる童女を見据え、舌なめずりをする。
泣き叫ぶ童女を抱き寄せ、裾を割る。童女の細い喉から絶叫がほとばしる。
癖毛の男は人妻と見える女の放漫な胸を左手で押しつぶすように揉みしだき、右手は裾の中でしきりにうごめかせていた。女はあえぎ声を上げ続け、みだらな要求を呪文のように繰り返す。
「そうか。では、望み通りにしてやろう」
男はやにわに女の体を両手で宙に持ち上げ、己の方に向けると、両脚を体に絡ませそのまま自身に落とす。女は嬌声を上げ、目を剥き動かなくなる。それにもかかわらず、男は女の体を何度も持ち上げては下ろし、体を揺らし続けた。
二人はそうしてもう二刻も時を過ごしていた。
屋敷に戻ってからずっとである。
その間、誰もそこに近寄ろうとはしなかった。酒の追加を持って行った女中は、誰も戻ってきていない。
部屋に踏み込んだ瀬能は、異臭にまみれたその光景に鼻を鳴らし、
「誰が女共を好きに扱うても良いと申した?」
「存分に憂さを晴らせって言ったのはてめえだろうが」
癖毛の男が悪びれもせずに答えた。
「ふん。所詮、旦那様が飽きられた女共故、どうと言うことはないが…… あまり傷を付けるな。後始末に困るわ」
「いい女衒、紹介してやるよ。なに、絶対表に出やしねえ。死体は山に捨てりゃ、熊が喰うだろ。なんなら、俺たちが刻んでやってもいいぜ」
「……好きにせい。それより、少し話がある」
「なんだ」
「女を置け」
「このままでも、話はできる。言え」
その不遜な態度に眉をひそめたが、瀬能は何も言わなかった。己が雇い入れたこの男共が、その辺りをうろつくならず者と同域の者ではないと、直感的に感じていたからだった。
金をちらつかせば尾を振る輩ではない。恐らく、気に入らなければ雇い主でさえその対象とするだろう。そういう恐怖である。
「譲りの庵に起居する男共を始末せい」
童女を弄んでいた直毛の男が振り向いた。立ち上がった拍子に童女の体が床に転がる。幼い白い太股に血が筋となって流れていた。そしてそのまま動かない。しかし、男は一顧だにせず前を隠しもせずに瀬能に歩み寄り、
「ほ、本当かっ」
どもりながら、瀬能の襟を掴み上げた。
「な、何を……っ」
「てめえにやらせろとさ」
癖毛の男が女を離さぬままに代わりに答える。
「し、しかし、大丈夫なのか。そなたは、真っ先に……」
「な、なんだとおおっ」
直毛の男が腕を振り上げる。
「やめろ、小吾!」
癖毛の男、大吾の一言で、振り上げたまま動きを止めた。
「仮にも雇い主だ。手を出すな。……瀬能殿、弟はな、奴らに意趣返しをしたいんだとよ。卑怯にも姿を見せずに奇襲を仕掛けた報いをな。それを懸命になだめていたところなんだが……」
にいっと唇の端を持ち上げ、
「雇い主の命が下れば、大手を振ってやれるってもんだな」
舌なめずりをした。
「誰がやっても良い。おのれ等にしても益、我らにしても益。言うことは無いはずじゃ。ただし、後日、巡見使殿が帰られたあとにせい。彼の方のお役目はこの地が最後。最後の最後で耳にされた醜聞は、真っ先に報告の種となろう。それは避けねばならぬ」
「後、な……」
大吾は女の肩越しに目を細め、微妙な微笑みを顔に浮かべた。それが何を意図するのか、瀬能にはわからない。ただ、背筋に怖気が走った。
「と、とにかく、申しつけたぞ。報酬はすべて片づいた後に思いのまま取らせよう。よいなっ」
瀬能は逃げるようにその場を去った。
残されたのは、男二人と、既に動くことの無くなった女共である。
大吾は己を女から引き抜き、女を他の女たちの山に放り投げた。
障子を開け放し、縁に出る。庭の松の上に、三日月が上っていた。
「あ、兄……」
小吾が隣にぺたりと座った。
「後でと釘を刺されては、お前には無理だな」
「で、でもっ……」
悲壮な表情で兄にすがる。
「わかっている。お前の仇は俺が取ってやる。お前の邪魔をしたやつは片づけてやるから心配するな。お前は、本来の役目を果たせ」
「でもっ……」
何か反論しかけた小吾は、もどかしそうに首を振り、きゅっと唇を引き結んだ。
「でも、それじゃあ俺の気がすまねえっ。俺がこの手でっ……」
唇を動かしもしないのに、すらすらと言葉が発せられる。
「俺の言うことがきけねえか?」
大吾がにらみ付けると、小吾はその体躯を縮ませて、
「わ、わかった……」
今度は口で答えた。どうやら、口を使えばどもらざるを得ないようだ。
「お前の写し身の腕が、今度の仕事は必要なんだ。わかっているだろう?」
大吾は小吾の隣に座り、肩を抱く。
「今日の事はほんの暇つぶしにやったにすぎん。大事を見失うな」
教え、諭すような口調だった。
「あ、兄者……」
小吾の瞳から凶暴な光が消え、素直に兄の言葉に耳を傾けている。
「なに、お前の悪いようにはしねえ。可愛い弟のお前の恨みは兄の俺が晴らしてやる。それでいいだろう?」
「わ、わかった。あ、兄者が敵を、と、とってくれるんだな。な、なら、それでいい」
大吾が小吾の頭を撫で、小吾はうれしそうに頷いた。
「け、けど、兄者。例の仕事は、お、俺にやらせてくれ。ひ、一人ぐれえ片づけねえと、お、おもしろくねえ。た、ただでさえ、あ、明日からとりすまして暮らさなきゃ、な、ならねえんだ」
「そうだな。お前の好きにしろ。存分に遊んでいいぞ」
「へ、へへへ…… や、やっぱり兄者だ。お、俺のこと、わかってるんだなっ」
「俺はお前の兄だぞ。お前のことは何でもわかってる。お前は俺の言うとおりにすりゃいいんだ。がんばるんだぞ」
「あ、ああっ」
***
小さな影が、木陰の下にうずくまっていた。膝を抱え、肩を落とし、頭を垂れて、ため息をつく。
「……どーしよ」
うめいて、頭上を仰ぐ。
目の前にあるのは、いつもと変わらぬ木漏れ日に輝く緑天井だ。
ぼんやりとそれを眺め、また、がっくりと首を垂れた。
そして。
少し離れた樹上から、その影をじっと眺めている者がもう一人。
観察する相手は、軽く一刻、同じ事を繰り返し、そしてやめる気配もない。
いいかげん、いらついてきた。
軽く枝をけり、地上に降りる。そして、影に歩み寄り、
「なにしてんのよっ」
いきなりその頭を張り飛ばした。
「……っ」
相手は、頭を抱えてうめいたが、ちらりとこちらを見ただけで、またため息をつく。
「ちょっとお、なに柄にもなく暗くなってんのよっ。女々しいったら。いい加減にしなさいよ、桂ちゃん!」
前に回り込んで、強引に前を向かせた。
大きく見開いた目が、じっと見つめる。
「な、なに……」
とまどっている内に、その瞳からぽろりと大粒の涙がこぼれた。それが弾みになったのか、次から次へと涙があふれ、落ちていく。
「ど、どうしたのよ。桂ちゃん、桂斗!」
「え、永姫ぃ」
とうとう、桂斗は顔を崩して派手に泣きはじめた。
「こら、泣くな。泣いてちゃわかんないでしょ! 一体どうしたのよ。また、才斗や温姫にいじめられたの?」
「ち、違うよぉ」
「じゃあ、どうしたのよ。ちゃんと言いなさいよ!」
「……た」
「え?」
「ボク、客人、招いちゃった」
「……は?」
「門の前で、舞ったら、門、光って……」
「え」
「開いて、来ちゃった」
「……えええええええええええっ???」
辺りの静けさも、なにもかも忘れて永姫は心底叫んだ。
「な、な…… な、なに、莫迦なことを…… で、できるわけないじゃない、桂ちゃんに。柊斗さんならまだしも……」
それが何かの間違いだという理由を探し、それらしい言い訳を探す。
「だから! だからやってみたんだ! みんなが、兄者ばっかり褒めるから。だったら、僕だってできるって思って……」
「……やったら、来たの?」
「うん……」
「う、うんって…… 本当に? 見間違いじゃないの? 偶然その辺りを通ってた爺さまだったとか」
「違うよっ。ちゃんと、門が開いたんだ。そこから入ってきたんだから、絶対だよ!」
「え~…… できるかどうかはともかくとして、筋だけはいいって言われるもんねえ、桂ちゃん。やったらできちゃうって、もうなんだか……。でさ、どんなの?」
「え?」
「だから、その客人よ。いままで会ったことないもん。興味あるじゃない。どこ? 会わせて」
「……」
桂斗は無言で永姫を睨みつける。
「……あ、そ。この期に及んでわたしに隠すわけ。ふううん、わかった。そっちがそのつもりならいいわよ。今から親父様に……」
「居ないんだもん」
立ち去るふりをした永姫を、桂斗のつぶやきが追いかけてきた。
「え……?」
聞き間違いかと思って、振り返る。
「なんですって?」
「だから、いないんだ。どっか、いっちゃった」
「どっか……いっちゃった?」
「うん。まさか来るとは思わなくて、本当に来たからびっくりしちゃって、見てる内にどっかに行っちゃったんだよ~ その辺探してみたんだけど、どこにもいなくって……」
「わかんないの?」
「わかんない。だから…… どうしよお、永姫ぃ」
泣きながら、桂斗がしがみついてくる。
「どうしようって…… 大体、客人招いて、そこからどうするのか知ってるの?」
「……知らない。永ちゃん知ってる?」
「知ってるわけないじゃない。まだ教えてもらってもないのに!」
「で、でも、いなくなったまんまってのは、マズイ、よ、ね?」
「まずいでしょうね」
「親父様や兄者に見つかったら……」
「間違いなく大目玉だわね。百叩きどころじゃ済まないわよ」
「そんなあ。この間、二〇回叩かれて、七日は椅子に座れなかったのに…… やだあっ」
「ええい、泣くなっ。手伝うから!」
永姫の怒鳴り声に、ピタリと桂斗は泣き止む。
「え、永ちゃん……」
「とにかく、探すのよ」
「え?」
「え?じゃないわよ。客人をよ! 見つけて、連れてきて、帰せばいいじゃない! そんで知らんぷりしとくの! 桂ちゃんのお尻守るためにはそれしかないでしょ!」
「え、永姫っ!」
「抱きつくな! 客人、どっち行ったの! 行くわよ!」
「うん!」