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その七

(どうしてこんなことになるんだろ)


 石段の途中で、晶は考え込んでいた。


 誤算の原因は、石段の段数を忘れていたことだ。元気よく手を振って灯と別れたのはいいが、一段目を踏み出した瞬間、果ての見えない石段に気が遠くなった。

 そして案の定、半分も行かない内に、足が動かなくなったのである。

 膝が笑って立とうにも立てない。

 

「さすがに一日に二回は無理があったか…… 」


 常日頃、階段なんて校舎の上がり下がりだけで、他はエスカレーターやエレベーターに頼っていたツケだ。

 こっちにはそんなものはないだろうから、これも努力目標に加えるべきだろう。



 木の間を見上げれば、月は出ていても針のように細い月だ。なんの足しにもなりはしない。ほぼ真っ暗闇の中では、立っている段の形さえ見えなくなってしまっていた。


 街灯も何もないのだから、こうなることも考えておかなければならなかったことだった。

  

 遙か下に小さな灯りが見える。微かに判別できる形からして、あれは庵の居間の辺りの灯りだろう。今頃、夕食を皆で摂っているはずだ。

「まさか、待ってくれたりしてないよね……」


 でも、待っていてくれそうな気がする。

 というか、一穂のことだから、絶対待っているだろう。


 ひしひしと己のふがいなさが身に染みて、はあっと深いため息をついた。


「……」


 それよりなにより、無事なのだろうか。

 あの灯りの下で笑っていてくれているのだろうか。



「よし! 後ろ向きに一個ずつ降りてってみよう!」

 気合を入れて立ち上がる。

 しかし、そのまま止まった。

 下へと向いたまま、闇を見つめる。

 微かな、物音がしていた。次第に近づいてきている。

「誰か、上がってきてる……」

 足音だった。一段ずつ確実に上がってくる。


 この石段を使う人は誰だろう。まず、庵の五人、そして、社の七人。

 いくら、石段が社の敷地内にあるとはいえ、囲いをしているわけではない。誰でも上ろうと思えば上れる。

 昼間のこともある。


「……」

 晶は、軽く膝を曲げた。両手を構える。

 幼いころから祖父に連れられて習い始めた合気道は、一応黒帯である。継続ご褒美にしか過ぎないが、まったく役に立たないことはないはずだ、たぶん。


 その動きに応じるように、音も少し手前で止まった。そのまま動かない。

 向こうも様子を見ているのかと考えた瞬間、前触れもなく質量が襲いかかってきた。身を沈め、かわそうと踏み込む。

 しかし、きれいさっぱり、笑った膝のことを忘れていた。

 踏み込んだ瞬間に膝が砕けて、バランスを崩して前のめりに倒れていく。

「う、わ……っ」

 思わず叫んだが、意外にも体は転がり落ちずに宙で止まった。


「え? あれ……」

 状況がつかめない。


「あれじゃねえ! こんなとこでなにやってんだ!」


「その声……」

 今ここで聞けるはずのない声がする。そして、顔を上げたら闇の中でも判別できる距離に、琥太郎の思いきり不機嫌な顔があった。

 どうやら、琥太郎が片手で晶を支えているらしい。

「わ、ご、ごめ……っ」

 現状を把握して、慌てて離れた。

「なんで、ここに……」

「お前が戻ってこねえからだろうが! 一穂様に言いつけられたんだよっ」

「え? じゃあ、ご飯はっ?」

「お預けくってんだよ。ったく、早く戻るぞ。腹が減ってしょうがねえんだからよ。手間かけさせんじゃねえっ」

 そしてあっさり背を向けた。


「あの、ごめんなさいっ。急いで…… わっ」

 再び膝が笑って、前を行く琥太郎の背中に激突する。

「おわっ?」

 どうやら不意だったにもかかわらず、足を踏ん張って耐えてくれたようだ。

「なにやってんだてめえはっ!」

 しかし、怒鳴りながら振り返られたために、まだ琥太郎に体重を預けていた晶の体は支えを失って、いとも簡単に滑り落ちた。

 そのまま下まで転がり落ちていくかと肝を冷やしたが、数段下で止まった。

「あれ、ここ、広くなってる……」

 ちょうどそこで階段が曲がり、踊り場のようになっていたのである。

「びっくりした……」


「そいや、そこで曲がってたな……」

 ほっとした声が上から聞こえた。

「なにやってやがんだ。ったく、世話の焼ける……」

 ぼやきながらも、琥太郎が駆け下りてくる。



「あ、はい、すみません。でも、こんな広いところあったんなら、休憩ここでしたら良かった」

「休憩だあ?」

「途中で膝笑っちゃって…… どうしようかと思ってたとこなんですよね」

「……ここ、降りるだけでか」

「あははは…… まあ、はい」

 一度目はちゃんと降りれたのだが、今はまあ言うまい。火に油を注ぎそうだ。

「で、どうするつもりだったんだ?」

「後ろ向きで一段ずつ降りようかなって……」

「あのな…… まだ三分の一も来てねえんだぞ、朝になっちまうじゃねえか。どうして、叫ぶなりなんなりしねえ!」

 雷が落ちてきた。

 薄暗くて表情が見えないだけに、妙に怖い。

「ご、ごめんなさい。でも、聞こえないでしょ?」

「この声でも十分聞こえる!」

「そう、なんですか……?」

 そういえば、夜中でも自動車や電車の音が途切れない向こうではなく、黙れば自分の息づかいさえ耳につきそうな程の静寂の中だった。

 そういうこともありなのかもしれない。


「すいません。気がつかなくて。それだったら、遅くなるから先に食べててくださいって言えばよかったんだ。あの、先に降りてご飯食べててください。わたし、ゆっくり降りますから……」

「……おい」

「はい?」

 どうやら、相手は腕組みをして晶を見下ろしている様子だった。そのまま、しばらく沈黙が続く。

「あ、あの……?」

「ったく、なんでオレが……」

 一つ大きなため息が聞こえた直後、身体が不意に浮き上がった。

「へ? なっ、ちょっと…… 下ろして……っ」

 またもや肩に担ぎ上げられているのである。

「降りるから。自分で降りるから~っ」

 思いきり足掻く。

「うるさいっ。そんなことされちゃ、オレたちが飯喰えねえんだ!」

「だから先に食べててってば。とにかく、わたしはこんなことされるキャラじゃないんだって!」

「わけわかんねえことわめくな! 黙ってろ、舌噛むぞ!」

 晶の叫びを無視して、琥太郎は階段を駆け下り始めた。

「うわ……っ」

 耳元で、風がうなる。

 昨日も思ったのだが、自分を担いでなおかつこの速さで走ることができるこの琥太郎とは一体何者なんだろうか。おまけにこの薄闇の中である。それとも、ここではこれがふつうなのか。だったら、自分はどうなるのだろう。

 考えている内に、琥太郎が立ち止まり、また投げ捨てるように地面に降ろされた。目の前に、庵がある。


 あっという間である。


「すご……」

 絶句するほかない。


「ったく、手間かけさせんじゃねえぞ!」

 晶に吐き捨てて、琥太郎は庵に駆け込んだ。

「拾ってきましたよ! だから飯喰っていいでしょう? もう、腹減って腹減って……」

「まあ、晶さま。お帰りなさい。ご無事ですか?」

「なんで先にあいつなんだよ!」

「当然だろう、そんなこと。さっさと卓につけ」


 そんな賑わいを背に、パタパタと一穂が出てきて、手を伸ばす。


 晶は、伸ばされた手と、一穂を、少しの間、じっと見て、ほっと安堵の息を吐く。


「晶さま?」

「はい、ありがとうございます。すみませんでした、心配かけてしまって……」

 ふにゃりと笑いながら、後に続いた。



***



 翌朝。

 起きた晶の枕元に、一組の着物がきちんと畳んで置いてあった。

 薄い黄色に格子柄の、膝丈ほどの小袖と、えび茶色の袴。

「……」

 しばらく両手で広げて眺め、恐る恐る身につけてみる。驚くほどに、ぴったりだった。

「あ、あの……」

 着たまま、居間に顔を出す。

「まあ、晶さま。やっぱりお似合いだわ。大きさはいかが?」

 笑顔満面で、一穂が訊ねてくる。

「ちょうど、いいです。あの、これ、わたしの……?」

「そうですわ。いくら何でも、あの着物ではちっとも可愛らしくありませんもの。せっかく、可愛らしいんですもから、もっとかわいい格好をしなければね。社に上がった子たちのものを仕立て直したので、古着で申し訳ありませんけれど」

「い、いえっ。そんなことないですっ」

 慌てて首を振る。

「でも、いいんですか? わたしが、着て……」

「もちろんですわ。晶さまの為に仕立て直したのですもの」

 当然のごとく、一穂が答える。


「……あの、一穂さんっ」

 

 胸が、すごく苦しい。


「わたし、手伝いますっ。ここにいる間だけでも、ここの仕事。なにかできることがあるかわからないけど、あったら、なんでもします。どんなことだって言ってください。頑張ります! できるようになります!」

「……」

 少し、目を丸くしていた一穂が、ふっと笑う。

「そうですわね。では早速、慎之介を起こしてきてくださるかしら。夕べ、仕事が終わらずに寝たのが遅かったらしくて、まだ起きてきていないのよ」

「お仕事、ですか?」

「社が持つ田の広さを計算してもらっていたの。村の方々にお貸しして耕していただいているのだけど、出来高の数割を取り分としてお分けしているのね。だから、どの田をどなたにお貸しするのか、決めるためにどうしても必要で…… だって、家族が多い方には広い田をお貸ししなければならないでしょう? たくさんのお米が必要なのですもの。この辺りで、算術ができるのは慎之介だけだからお願いしたのだけど……」

「わかりました。じゃあ、慎之介さん、起こしてきます!」





 しばらくして、慎之介があくびを噛み殺しながら居間へとやって来た。一穂は無言で茶を出し、

「あら、晶さまは?」

「晶ちゃんですか?」

 慎之介は、茶を一息で飲み干し、

「俺の部屋にいますよ。……ったく呆れた子だ。俺が一晩かかってできなかった事を、あっという間にやってしまいそうですよ」

 苦笑する。


「……晶さまが?」

「ええ。見てもいいかと言うから見せましたらね、次々計算していくんです。俺、要らないんじゃないかな」

 すると、軽い足音が廊下を走ってくる。

「ほら。多分もう終わりましたよ」

 言うそばからカラリと障子が開いた。晶が赤い頬のまま顔を出し、

「慎之介さん、たぶんあれで大丈夫だと思います! あ、一穂さん、他に何かすることありますか?」

「……そうですわね。お食事をお済ませになったら、慎之介と共に市に出かけて頂けますか?」

「買い物ですか? はい。あ、じゃあ、朝食とってきます!」

 ぱたぱた……

 返事も待たずに、足音は炊事場へと遠ざかっていった。

「随分、動きやすそうですね」

 慎之介が喉を鳴らす。

「一昨日とはずいぶんな違いだ」

「ね、いい子でしょ?」

 同じように一穂も笑いながら、得意げに慎之介を見た。

「ええ。あなたの人を見る目は確かですよ。俺は世間ずれしてますからね、疑いが先に立ちますから。時に、あいつはどこにいったんです?」

「素振りに行ってくるとかと言って、朝から出かけていったわよ。随分、剣術に打ち込んでいるみたい。師匠がいいのかしらね」

「少しは成長しているとは思うんですが、昨日のを見ていると、剣より手足が先に出てますからね。まだまだですね」

「厳しいのね」

「託されましたからね」


 ふふ、と、二人顔を見合わせて笑いあった。


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