その一三
のろのろと時が過ぎていく。
男二人は縁に腰掛け、ぽつりぽつりと話ながら庭を眺めていた。お茂は朝昼兼用となった食事の用意を、腰を何度も伸ばしながら黙々と続け、善爺はまだ庭の植え込みの隅や、物置の中などを覗き込んでいた。そして、一穂は縫い上がった淡い色合いの真新しい小袖を膝の上に広げたまま、ぼんやりとしている。
「頼もう!」
またもや、甲高い声が静寂を破った。
「一穂殿はおいでかな。庄屋さま、直々のお運びであるぞ、お出迎えされるがよろしかろう!」
瀬能である。
一穂は小袖をたたみ、部屋の隅へ置くと、無言のまま玄関へと向かう。
そこには、ふんぞり返る瀬能と、それ以上に胸を張り、鼻の下を伸ばした豪社がいた。
「これは一穂殿。いや、たった今巡見使殿をお送りして参ったところでな。近くであった故にこうしてご機嫌伺いに参った……」
豪社が言葉を詰まらせる。
いつもなら、一穂はにこやかな微笑みを浮かべ、しとやかに跪くはずであるのに、今日に限って、そこに立ったままである。
しかも、
「なんのご用でございましょう」
口調すら、険しい。
「い、いや。だから、滞りなく巡見使殿はお帰りになった故、これも社の加護と礼を言いに……」
「それはありがとうございます。ではごきげんよう」
くるりと背を向ける。
「これ、一穂殿。恐れおおくも庄屋様にそのような不遜な態度、許されると思うてか。そこへなおれい!」
瀬能が声を張り上げても、
「今はお相手をさせていただけるような心持ちではございませんの。どうぞ、お引き取りください」
にべもない。
「か、一穂殿? 一体どうなさったと言うのだ……」
訳もわからず、とりあえず、一穂の手を取ろうと豪社が手を伸ばした瞬間、
「一穂様!」
灯が駆け込んできた。息を切らし、額に汗を浮かべ、いつも冷厳ささえ漂わせる頭巫女にあるまじき様子である。
「晶さまの行方が……」
「わかったの!」
一穂は豪社を押しのけ灯へと駆け寄った。
突き飛ばされた豪社は玄関先に尻餅をついたまま、目を点にしている。
「秋、さあ、申し上げなさい!」
灯が背後に隠れるようにしていた秋を前に押し出した。
「たった今、私に話したことを、一穂様にもう一度おっしゃい!」
「秋、なに? なにがあったの?」
一穂が目線をあわせ秋を覗き込む。
秋は灯を見上げ、一穂を見、そしてとうとう泣き出した。
「ご、ごめんなさい。ごめんなさ~い。だって、わたし、晶さま、庵にお戻りになってると思って…… だけど、みんなが朝から怖いから、言えなくって……」
「華音様にお尋ねしたら、秋が知っているかもとおっしゃって。問いただしたら……」
「泣かないで、秋。一体何があったの? 私に説明してちょうだい」
一穂は秋の肩を抱き、優しく問いかけた。
秋はやがて鼻をすすりながら、
「き、昨日ね。晶さま、お約束通りにおいでになったの。で、でもっ、晶さま、わたしの『かみひこうき』拾いに行ってくださっって……!」
「『かみひこうき』?」
「晶さまが作ってくださったの。みんなとけんかして、鳥居の下で泣いてたら晶さまがおいでになって、作ってくださったの。紙を折って、鳥のように飛ばすの。何回も飛ばしていたら裏の林のほうへ飛んで行っちゃって…… 晶さま、危ないからって拾いに行ってくださったのっ」
「それで?」
「それで…… 修行の時間になったから、わたし、お社に戻って……」
「それから、晶さまにお会いしていないの?」
秋は小さく頷いて、
「待っていなかったから、怒って帰られたんだと思って…… そんなことわかったら、また灯様に怒られると思って…… だから、わたし……」
堰を切ったように、わんわん泣き始めた。
訊ねられても来ていないと言って嘘をついたらしい。
「慎之介……」
声を聞きつけて、出てきていた二人を振り返る。
「わかりました。俺が見てきます。水瀬、悪いがもうしばらくここにいてくれ」
「わかった。ところでそこのお二方」
順庵は玄関先に尻餅をついたままの豪社と、抱き起こすこともできず、ただうろうろと周りをうろついている瀬能に声をかけ、
「ご覧の通り、ただいまこちらは大変取り込んでおります故、ろくなおもてなしもできぬ有様。これ以上の粗相があってはなりませぬから、本日は、大変申し訳ないながらも、どうかお引き取り願えませんかな。さあさあさあさあ」
豪社をむりやり立たせ、背を押し、外へ追い出し、枝折り戸の外で待っていた駕籠に押し込んだ。
「こ、この無礼者っ」
「用人殿」
後を追ってきた金切り声を張り上げる瀬能の肩を抱いて耳元に口を寄せ、
「後日、かならず一穂殿はお屋敷をお訪ねくださいますよ。そうですな、離れの茶室などご準備なされておいでになってはいかがかな? そこでしっぽりとしていただいて、ことがうまく運べば用人殿の手柄となるは必定でございますぞ?」
「さ、左様か? 本当に巫女は屋敷に参るのであろうな」
瀬能の声も自然小さくなった。
「この水瀬順庵が保証致しましょう。故に、今日の所はお引き上げくださらんか」
「わ、わかった。しかと約したぞ」
「お任せあれ」
慇懃に頭を下げる。
「よ、よし。者ども、屋敷へ戻るぞ!」
「……ふん、欲惚け、色惚け、ろくなんがおらんな、この郡は」
去っていく駕籠を見送りながら鼻息荒く手を打ち鳴らし、やっかい払いを果たした順庵は、慎之介を振り返り、
「さあ、心おきなく行ってこい」
「……お前、家老殿になにを吹き込んだ?」
「なに、大したことじゃない」
「本当か?」
「天地神明に誓って。早く行け、時間がなくなるぞ」
慎之介はまだ疑わしそうに順庵を見返していたが、あくまでも涼しい顔をしている順庵に追求を諦めたようだ。秋を背負い、石段へと向かった。
社の裏手で秋を下ろす。
「さあ、晶ちゃんはどっちに行った?」
「慎之介様……」
しかし、秋は降ろされた場所から動かずに不安そうに慎之介を見上げる。
「なんだい?」
「晶さまはお戻りになるよね?」
「……当たり前だろう。なにも心配することはないよ」
「良かった」
にこっと笑う。
「じゃあ、ありがとう、言えるね」
「……ああ、言えるさ。だから、お社で待っておいで。いいね」
「うん。晶さまね、あっちに探しにいってくださったの」
指さして、ぱたぱたと走っていった。
「あの秋が、ありがとう、か……」
巫女の中で、秋が一番きかん気が強くわがままだったはずだ。
「ったく。一穂様にもできなかったことをできるんだからな。さあ、晶ちゃん、どこに行った? 君は必ずここに戻って来なければならないんだぞ。秋のために、そして、一穂様のために……」
慎之介は、林へと踏み込んだ。
奥へと進む内に、本来、行く手を阻むように張り巡らされているはずの幣をつけた縄張りが、倒れている箇所を見つけた。
「結界の外か……」
小さく舌打ちをする。これは、よくない。
そういえば、誰も彼女に結界から出てはいけないと教えてなかったのではないだろうか。
社がこの山にあるのは、山にある危険から村を守る意味もある。
山の地形、山に棲むもの、そういったものを隔てているのだ。
次に目に留めたのは、一本の矢だ。社の一角とは反対方向に先を向けた状態で、馬酔木の陰に落ちていた。
「変わった矢だな…… あの子のか」
そういえば、森で拾った荷物の中に、弓があったことを思い出した。それも随分変わった弓だと思ったのだ。
その辺りを重点的に探って、もう一本、矢を見つける。
周りはびっしりと木々が生い茂り、矢を打つには不向きな場所だ。
ここにいたって、事態はかなり深刻なものではないかという気がしてきた。
その『かみひこうき』とやらを探して、迷い込んだだけではなさそうだ。
探すだけなら、矢を射る必要などないではないか……
晶が矢を射たと思われる地点まで戻る。そして、林の奥へと続く小道に片方の小下駄を見つけた。晶は小下駄も履き慣れないようで、よく突っかけて転びそうになっていたものだ。
そしてその先に、矢がもう一本。それは、半分に折れ曲がっていた。
「……」
その傍の草むらに、弦が切れたあの弓が落ちている。
「おもしろく、ないな……」
表情も険しく、片手を大刀にかけたまま、先を進んだ。
所々、枝が折りとられている跡を追うにつれ、やがて道を逸れた。何者かが最近通ったとわかる跡が残る藪の間を抜ける。
開けた場所に出た。濡れつもった枯れ葉の合間に、布きれを見つけた。晶が着ていた小袖と同じものだ。
すぐ上の笹の葉に細かな汚れが付いている。
「……血?」
その先をかき分け急ぐ。
途中、何度か人が倒れたと見える跡を見つけ、そして次に目にしたものは、栗の幹に刻まれた太い抉るような四本の溝だ。その数が進むに連れて増えていく。そして、当然のようにその周囲には血が飛び散っている。
嫌な予感がした。
「くそ、冗談じゃないぞ……」
祈るような気持ちでその跡を追う。
そして、足を止めた。
跡が藪に入り込む形で途切れている。微かに聞こえる水の音。
注意深くその藪に近寄り、枝を掻き分けた。
そこで、地面が途切れていた。深く切り立つ崖が眼下に伸び、そして、遙か下には激しく流れる川面が日の光を反射して煌めいている。
辺りの葉の面には乾いた血が隙間を埋め尽くすように貼り付いていた。
「……」
青ざめて、見下ろす慎之介の視線に、枝に引っかかったえび茶色の布地が写った。
「莫迦な…… こんな事が…… 晶ちゃん…… 晶ちゃん! いるのか? いたら返事をしろ! 頼む、返事をしてくれ!」
しかし、水音と風にそよぐ葉擦れの音以外、何一つ返ってこなかった。
***
庵に戻った慎之介は、一穂にただ見つからなかったことだけを伝えた。
「すみませんが、少し、酒をもらえますか……」
疲れた様子の慎之介に、一穂は何も言わずに徳利と杯を二つ、渡した。
「ありがとうございます。琥太郎は戻りましたか?」
「まだだけど…… あとは、あの子が見つけて来ることを祈りましょう」
「そうですね」
百の鼻で見つけるものは、いったい何なのだろう。
重い足取りのまま、部屋へ戻る。
そして、そこで待っていた順庵に、見たままを伝えた。
「その娘、もう生きておらぬのではないか」
一番恐れていた答えを、ずばりと口にする。
「……やっぱり、お前の考えもそうか」
「その爪痕からすれば、例の熊か?」
「だろうな」
「知らぬ間に結界を越えたことが運を分けたか。その崖は深いのか?」
「と言う話だ。過去に何人か落ちて行方しれずになったとか。故に境界を引いてあったんだが……」
「来て間もない娘は知るよしもない、か。ま、これで結論は出たな。爪に刻まれた人と見えぬ骸を見つけたところで、どうなるものでもないし、琥太郎を呼び戻そう」
袂の中で腕を組んでいた順庵は、やにわに立ち上がり縁に立った。懐から笛を出し、今まさに吹き鳴らそうとする。
「待て、渡里」
「なんだ? 何か不都合でもあるか」
「……人に、見えぬ骸だと? よくそんなことが、平然と言えるな!」
慎之介が、叫んだ。両拳を白くなるほど膝の上で握りしめている。
順庵は笛を唇から離し、
「俺はその晶という娘を知らん。だから、どんな感情も持ちようがない。俺にすれば、琥太郎が無事に戻ることのほうが大事だ」
冷徹に言い放った。
「よく考えろ。俺たちはなんのためにここにいる」
「そう、だな…… そうなんだが……」
慎之介は、自分の拳をにらみ付けたまま、
「だが、俺はあの子に無事でいてもらいたいんだ。でなければ…… 一穂様がどれほど嘆かれることか…… 頭巫女殿や燦や秋たちも悲しむだろう。第一、俺自身が…… やりきれん。もっと教えておけば良かった。一度教えれば覚えただろうし、言いつけは守っただろう。そういう子だったんだ。なのに……」
絞り出すように呟いた。
順庵はそんな慎之介を無言で眺めていたが、やがて小さく息を吐き、笛を袂に仕舞った。
「……渡里?」
「そう呼ばれるのは三年ぶりだな」
「あ…… すまん、つい……」
「いいさ。他でもない、お前がそれほど気にするのならな。ただし、目は飛ばすぞ。琥太郎の安否が第一だ。もし危なそうなら、見つけておらずとも呼び戻す。まあ、その前に、百の鼻でそれをみつけるだろうがな。それでいいな」
「……すまん」
慎之介は泣きそうな顔で、笑った。




