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その一二

「慎之介様?」


 慎之介の言葉に、灯はふと眉を寄せ、


「晶さまは……」

「灯。晶さまはこちらにはおいでではないわ。昨日の昼からずっと……」

「……え」

 代わって返ってきた一穂の言葉に目を瞠る。


「……だから、てっきりお社にお泊まりになっていらっしゃるとばかり思っていたのよ。まさか、いらっしゃらないなんて……  まさか…… 昨日は、確か、お役人様たちと庄屋様たちが、社に祈祷に上がられたはず。そのときに、庄屋様に……?」

「大丈夫ですよ、その点は心配ありません。庄屋殿に小姓趣味があったとは聞いておりませんから。それに、あの方々が通られるのは表参道でしょう? こちらの石段とは交わらない」

 一穂が上げた例は、普通なら最も可能性の高い原因だが、こと、晶に関してはそれも当てはまらないだろう。尚かつ安心できる理由を付け加えて、慎之介が一穂の肩を叩き、

「俺がちょっと探してきますよ。水瀬、悪いが……」

「ああ、残っていよう」

 軽く手を挙げ応じる順庵に笑いかけ、飛び出した。




「どうしましょう…… あの子に、なにかあったら…… せっかく、打ち解けてこられたようだったのに……」

「……社に行ったのは確かですから、そんなに心配することないですよ。裏木戸出てくの見ましたから。器用に石段から外れて迷ったにしたって、神域の中なんだ、大丈夫ですよ」

 それがあの女のせいだというのが気にくわないが、慎之介が去った方を見つめて、不安に震える一穂を放っておけるはずもなく、琥太郎は身体を支えるようにして、とりあえず、一穂を框に腰掛けさせた。


「でも、琥太郎だって帰って来れなくなったことがあったじゃない。あの時は石に蹴躓いて怪我して動けなくなってて…… 」

「……いつの話ですか、それ」


 精一杯、大人ぶって振る舞っているというのに、一穂の前ではいつまで経っても自分は子供のままらしい。

 幼い頃の話を持ち出されて、琥太郎はがっくりと肩を落とした。


「でも…… こんなことなら、夕べのうちに訊ねにこればよかったわ。巡見使のおとないもあるから、あまり荒立てない方がいいと思って一晩待ったのだけれど……」

「頭巫女殿」

 順庵が、青ざめてため息をつく灯に呼びかけた。

「はい……?」

「頭巫女殿までがそのようにご心配なさるとは。晶というのは、どのような娘御ですかな」

「え?」

「いやいや。少しばかり、興味がわきましてな」

「素直な方ですわ。巫女達ともよく遊んでくださいますし、何にでも興味を持たれて…… 本当によい方で……」

 ですよねえ?と一穂に同意を求めれば、一穂もこっくりと頷いてみせる。


「ああ、本当にどちらにいらっしゃるのかしら。そうだわ。私、姫巫女様にお知らせして参ります。なにかおわかりになるかもしれませんし。申し訳ありませんが、失礼致しますね」

 思いついたら吉日とばかり、ばたばたと来た時とは比べ物にならないほどの慌ただしさで灯は庵を出て行った。

「……なら、儂はそのあたりを探してきてみましょうか」

 順庵はまだ消沈している一穂ににこりと笑いかけ、ぶらりと、縁へと回る。


 そこでは、善爺がおろおろとあちらこちらを覗き込みながら、庭を右に左にと歩いていた。


「どうなされました。なにか失せ物でも?」

「い、いえ。あの娘の行方が知れぬとか…… とりあえず、このあたりでも探してみたのですが、姿は見えず。あとは一体どこを探せば良いのやら……」

 そしてまたせかせかと縁の下などを覗き込んでは、ため息をつく。


「……ふむ」

 順庵は眉間に皺を寄せたまま慎之介の部屋へ戻り、腰を下ろした。

 庵の中は彼らが探し尽くすつもりらしい。周りは慎之介が探しつくすだろう。ならば自分などができることなどなくて。

 とりあえず、ここを動けない以上、慎之介の帰りを待つ他ない。


「どうにも、厄介なことになりそうだな……」

 一人ごちた。





 程なくして。

 慎之介が戻ってきたが、その表情は暗い。

「……いらっしゃらないの?」

 それから察したのか、一穂は哀しげに面を陰らせた。

「……とりあえず、社への道のりと社の周囲、出かけた市までは行ってみましたが、どこにも……」

「市? ならば、居てもわからないだけではないのか? いくら今日とは言え、人混みは多かろう。待っていればその内帰ってくるかもしれんぞ?」

「いや、あの子はある意味目立つから、いたならそうと解るはずなんだ。実際、市のほとんどの店主が晶ちゃんのことを覚えていたしな」

 順庵の疑問を慎之介は即座に否定する。

「形が派手なのか?」

「そういう訳じゃない。どんなものでも興味深げに一つ一つ眺めるんだ。俺たちには当たり前の物でもな。おかげでこの間はかなり時間を食った」

 思い出したのか、苦笑する。

「ましろな雪に喜んで駆け回るようにはしゃぐ小僧が市にいれば、目を引くだろう?」

「小僧? 娘なのではなかったか?」

「小袖には慣れていないようでね、袴をはいてる。おかげで一見すれば男児にしか見えん」

「小袖に慣れていない? 娘なのにか?」

「着たことがないらしいな」

「ふ、うん……」

 順庵はなおさら意味深に相づちを打つ。

 それを横目に慎之介は床に座る一穂に向き直り、

「とにかく。今日はもう遅くて探せません。しかも、日が日です。あまり騒ぐのは得策ではない。庄屋殿に関心を寄せられては適いませんからね。明日、また探します。なに、あの子がいけるところは限られています。この神域にさえ居れば、お腹をすかせることはあっても、よけいな心配はする必要はありませんよ」

「そう、ね……」

 慎之介につられるように、一穂も笑った。

 それがその場を気遣っての笑みだとわかる。

「……」

 琥太郎は、そっと部屋を出た。



 舌打ちをして、いらいらと親指の爪をしがむ。

 あの一穂の様が気に入らないのだ。

 今までだって、好意で泊めた旅人が礼も言わずに姿をくらませたことなど何度もあったことだ。

 それなのに、なぜ今回に限ってあれ程案ずるのだろう。

 一穂様をそうさせている晶が、憎らしいほどだ。


「兄ちゃん」

「あ?」

 呼ばれて見下ろせば、いつの間にそばに来たのか弥吉がじっと見上げていた。

「ああ、悪かったな。放りっぱなしで。つまんなかっただろ」

「いいよ。……あの姉ちゃん、いないの?」

 弥吉までもがその目に不安を宿す。

「ああ…… って、お前、あの野郎知ってんのか?」

「うん。市で会ってお父が買い物してる間、一緒に遊んでもらった」

「ふうん」

 気のない返事を返す。

 この際、そんなことはどうでもいい。どうすれば、一穂がいつものように笑ってくれるのか。それだけが琥太郎にとっては大問題なのだ。


「あの姉ちゃん、ずっとここにいるんだよね」

「……いた方がいいのか? おまえ」


 意外に思って訊き返す。

 この弥吉、意外にも人見知りが激しくて大抵の初見の人間には懐かないというのに。


「うん。おいら、好きだよ」

 弥吉はためらいなくにこりと笑いながら頷いた。


「……」

 何となく、よけいにおもしろくない。

「兄ちゃん」

 また、袖を引く。

「なんだ。ちょっと待ってな。明日になったらちゃんと家まで送ってってやるから、奥で妹たちと遊んでろ」

「うん。あのさ、これどうしよう」

 そして袂から取り出して見せたのは小さな印籠で。

 それは、黒漆塗りで金で紋所を象眼した高級そうな一品だった。

「どうした? これ」

「さっきの人の傍に落ちてたんだ。きれかったから、拾って来たんだよ。姉ちゃんにあげようと思って。なのに、いないなんてさ~。持ってんの父ちゃんに見つかったら怒られるだろうし……」

「あのな…… いつも一穂様が言ってるだろ。勝手にものを持って来ちゃいけねえって」

「う、うん…… でも、こんなに綺麗なんだよ? お姉ちゃん喜ぶかなって!」

「…… しょうがねえ、預かっておいてやる」

 琥太郎は眉間に皺を寄せながらひょいとその印籠を取り上げた。

「うん。兄ちゃん、姉ちゃん帰ってきたら教えてね。また『あっちむいてほい』してもらうんだ!」

「あ?」

 聞き慣れない言葉を聞き返そうとしたが、既に弥吉はお茂婆と妹たちがいる部屋へと駆けていってしまう。



「ったく…… いい加減にしろよ」


 一穂が消沈しているのも、弥吉がこんな面倒そうな物を拾ってきたのも、全部あの晶のせいだ。

 今度会ったら怒鳴りつけるだけでは済ませられない自信は、思いっきりあった。

 いらいらと足元の小石を蹴りつけながら、庭へ回る。

 昨日、晶の姿を最後に見かけた場所だ。

 枝折り戸の向こうに、石段が樹間に見え隠れしながら上へと続いている。

「……しょうがねえ」

 面白くはないが。

 一穂に笑顔を取り戻させる簡単な方法は…… 晶を見つけることだ。

 こうなったら、自分も探す他、ない。


 ゆっくりとのぼった。

 あらゆる木の下闇に目を向ける。

 あたりの気配に気を澄ます。

 晶が座り込んでいた場所を過ぎ、

 そして、鳥居の下へとたどり着いた。


 奥にそびえる社。

 その向こうにすっと立つ椎の木。

 月が、てっぺんに引っかかるように夜空にある。

 生きている物の気配は何一つなく、そこにあるのは、ただ、静寂だけ……


「どこ、行きやがったんだ……?」

 無意識に、親指の爪をしがんだ。


 

***



 翌朝、社に預けられていた子供たちは、親たちに引き取られ家へと帰っていった。

 幸い、七重村の人々にはなんの害もなく、無事に宴は終わったようだ。一穂もにこやかに対応して、幼い二人は何が起こったのかさえも気づかずに、無邪気に手を振って帰っていった。

 ただ、弥吉だけは心配そうに琥太郎を見上げたが、琥太郎が黙って頷くと、安心したように微笑んだ。


 そして、村には日常が戻る。


 巡見使は今日の内に庄屋の屋敷を後にするという。

 そうすれば、何一つ変わらぬ毎日が、また過ぎていくはずだ。

 ただ一カ所、本来ならば、村の尊敬を一身に受け、もっとも平和でなければならない蓮華社と譲りの庵を除いては。


「神寄せかもしれんな」

 再び晶を探すために庵を出て行こうとする慎之介に向かい、順庵がつぶやいた。

「神寄せ?」

「たとえ異州からの流れの民だとしても、五社すら知らぬと言うのはあり得ない話だ。それが全く無知な土着の娘ならまだしも、お前よりも算術が優れているような教養がある者ならなおさらな。見たこともない衣服、見たこともない持ち物。遙か彼方の異国の地より、神が引き寄せた者だとは考えられんか? 過去にそうした者がいたという話がなかったわけではない」

「だが、それはお伽噺の上でだろう?」

「言わせてもらえれば、樹老公神(じゅろうこうしん)だとてお伽噺に違いはない。だが、俺たちはまことしやかに信じている。ならば、ただのお伽噺が実は真実であったと思えんことはないぞ」

「……ふざけている場合じゃないぞ、水瀬」

「ふざけてはおらんさ。至極まじめだ。神というのは元来気まぐれだと言うではないか。彼の樹老公、早笙(そうしょう)に五王伝を託せしは、己が右側を歩いてきたからだという。その前に、左側を天喜が通り過ぎたにもかかわらずな。理由が、右側ならば物が渡しやすかったからだそうではないか。その程度で人の命運を決める神だ。実在するなら、人を異地から異地へ移すことぐらい容易かろうよ」

「だったら、どうだというんだ」

「つまり、神の気まぐれでこの地に来た娘だ。また気まぐれで他の地へ飛ばされたのかもしれん。ならば……」

「気にすることはないと?」

「そうだ。放っておけ。所詮、何ら関係ない娘だ。これ以上関わるのはよせ。お前には他にするべき事がある」

 上がりかまちで柱にもたれかかり、懐手のまま、順庵は慎之介を見下ろす。


 慎之介は土間に立ったまま相手を見上げ、


「お前は、同じ事を一穂様に言えるか?」


「……」


「たった数日だ。たったそれだけしかこの庵にいなかった娘が姿を消しただけで、あれほど沈み込んでおられる。あの方に、『神の思し召し故、捨て置けばよい』と言えるのか?」

「必要なれば。そのために、俺は遠く離れた地に居を構えた。お前のように情に流されんためにな。今がその時なら、役目を果たすさ」

「……そう、だな。お前ならできるかもしれん。だが…… 俺には無理だ。言うことも、放っておくことも」


 まだ外には早朝の朝靄が立ちこめている。


「どこを、探す?」

「あの子がこの敷地を出ることはまずない。なら、社の周りとこの庵の周りしか後は思いつかないが…… もう少し広げてみる」

「物見高く、辺りを見物に行って迷ったのかもしれんぞ。そうなれば、探す範囲は村中になる。ご苦労なことだな」

「例えそうなら、なおさら見つけてやらないと。自分の帰りが遅くなれば、我々が案ずることをもう知っている。気が気じゃないだろうよ」

 慎之介が肩をすくめ、扉を引き開け…… 足を、止めた。


 琥太郎が立っていた。

 足元で、百がぱたぱたと尾を振りしゃがみ込んでいる。


「おまえ、一穂様の傍にいたんじゃ……」

「水瀬さん。こいつの鼻、利くんだよな」

 慎之介の問いを無視して、琥太郎は順庵に尋ねた。

「……ああ、保証してやるぞ。万を上回るだろう」

「なら、オレが探しに行ってくる。闇雲にあちこち歩き回るより、こいつに追わせる方が絶対早い。とっとと見つけ出して…… 詫び、入れさせてやる!」

「詫びだ?」

「そうじゃねえか。一穂様、あんなに心配させて、許せるはずねえだろ! 慎之介は残っててくれ。また、あの色惚け親父が妙な気を起こすかもしれねえし、一穂様一人にできねえし」

「……決めたのか?」

「決めた!」

 真っ直ぐに、慎之介を見返してくる。

 慎之介は小さく息を吐き、腰から大刀を引き抜き、

「こいつを、持っていけ」

 投げ渡した。


「……いいのか?」

 宙で受け取り、琥太郎は信じられないという表情で刀を眺める。

「構わんさ。謂われは知っているな? 名を『緋燕(ひえん)』。大事に使えよ。そして、必ず見つけてこい。見つけてきたらお茂ばあに好物を頼んでやる」

「よし! 絶対だな!? すぐ帰ってくるからな!」

 高揚した頬で刀を握りしめ、どかりとばかりに落とし差しにする。

「百、行くぞ!」

「わん!」

 そして、百に声をかけ、走り出した。


 木戸の開く音。

 軋みながら閉まる音。


 そして……


 庵に静寂が戻る。



「……どういうつもりだ?」

 押し殺した声で、順庵が慎之介に詰め寄った。

「あれは、時が来るまでと……っ」

「来たように、思えた。だから、渡した」

 気色ばむ順庵とは対照的に、慎之介は至極冷静に順庵を見据える。


「菅野……?」

「あいつにとって、何よりも一穂様が一番だ。どんなことがあっても、一穂様の傍を離れるようなことはせん。しかし、今、離れて探しに行くという」

「だからなんだ? 探しに行くのも一穂殿のためだろう? しかも、ただこの周りをだ。まだその時が来たわけではない!」

「……水瀬。さっきのお前の言葉ではないが、神があの子をなんらかの目的を持ってこの世に寄せたというのなら、このためかもしれんと俺は思う」

「……あのな」

 順庵はこれ見よがしに大きなため息をついた。

「突拍子もない考えだと思うか?」

 慎之介が笑いながらそんな順庵を見る。

「相手方の策略かもしれんのだぞ? 疑ってしかるべきだろう。こちらにその意図がないとしても、向こうは厄介なことにそうは思っていない。 ……それに、まだなにも知らんのだぞ、あいつは。この七重から出たこともない。知識と言えば、俺とお前が語って聞かせたことだけだ。そんな状態で世に出すつもりか? もっといろいろ教えてから……」

「俺たちにも教えられんこともあるさ」

「……この、頑固者め!」

「お互い様だ。それに、いまこの辺りには例の熊が徘徊している。昨日のこともあるんだ、身を守るためには剣は必要だろう?」

「ふん。どんな熊だろうが、あいつの相手になどなりはせん。素手でもあしらえるだろう。剣を渡した理由にしようとしても無理というものだ。……菅野。お前には悪いが、俺はまだその晶という娘をしらん。だから、信用もできん。故に、目をつけるぞ。それで、あいつにもし害を成すようであれば、容赦はしない」

「わかっている。好きにしろ」

「ふん」

 順庵は縁側に立ち、指を二本唇に当てた。高く鳴らせば上空の靄の彼方で鋭い鳥の声がする。そしてそれは、短く三度吹き鳴らした後に、羽音と共に遠ざかっていった。


「そういう技は俺にはないな……」

「俺にはお前ほどの剣の腕はない。お互い様だ」


 二人はどちらともなく、靄に煙る空を仰いだ。



 

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