夢と現実、どちらが本当の自分なのか
お読みいただきありがとうございます。
今回は寝ている時に見る夢についての話です。
夢。寝ている間に見る方の夢についての話です。
皆さん夢はよく見ますか?
今の時期だと初夢は何だった?みたいな話を友人とされた人も多いのではないでしょうか。
夢というのは、一説には寝ている間に脳が情報を整理していて、その一部が像を結んで私達に見せていると言われています。
ただ、それで言うと私の夢は半分位は謎に包まれています。
見たこともない場所、会ったこともない人達。
漫画やアニメ、映画などで見たっていうならまだしも思い当たることが無いそれら。
更には自分が異性になってたり人間以外の生き物になってたりもします。
一体どこからそんな情報が入ってきたのか甚だ疑問です。
やっぱり前世の記憶か、なんて思ったりもしますが、そうすると自分は前世は何だったのかちょっと怖くなりますね。
そしてここからが今日の本題。
夢って自分が主観的に存在している場合、ただ見ているだけではなく、自分で考えながら動く事が出来ますよね?
(中には、いやいや、映画のようにただ見ているだけって人もいるのかも)
では、夢の中での自分の思考や行動は現実と同じでしょうか。
以前聞いた話では夢は抑圧された現実から解放された状態で、自分の願望が反映されることがあるそうです。
つまり、夢の中の自分こそが、自由を得た本当の自分の姿なんだと言えるのかもしれません。
私自身は、現実では友人から
「真面目な奴だ。ちょっと変わってるけど」
「誠実で人情深い人です。その行動基準は一般的ではないけど」
「あなた以上に信頼出来る人は滅多に居ません。また色々な意味で類を見ない人です」
などと良く言われます。
余計な言葉がくっついているものの、概ね品行方正で礼儀正しく誰にでも分け隔てなく接する好人物です。
か、しかし。
夢の中ではどうでしょう。
家にやってきた強盗を返り討ちにして殺害すること多数。
越後屋ではないけど悪徳商店だと見れば商品を盗み。
合意があるか怪しい性行為に及ぶ(相手は毎回違う知らない人)。
オマケでトイレが登場したら常に詰まって糞尿が溢れています。
先日の夢では祖父の遺産で麻薬を手に入れてしまい、警察に連絡したら犯罪者一家だと家ごと家族が処刑されて自分だけ生き残り、処分に困った麻薬は密売人に売って金儲けに走ってました。
(夢の最後では麻薬捜査官と思われる流暢な日本語を話す怪しい中国人女性に詰問されるところで目が覚めました)
念を押して言いますが、現実でこんなことしてませんからね。お間違えなきように。
それと勿論、夢の中で毎回犯罪を行っている訳でもありません。
子供の頃の夢とかほのぼのしたのもちゃんと見ます。
ただ、そんな変な夢を見た後はなんであんなことをしたんだろうと自問してしまいます。
これはもしかしたら本当の自分の願望は夢で見たようなものなのではないか。
仮に何をしても許されるならそんな非人道的行為を喜んでするのが自分なのではないかと考えてしまうわけです。
まあそれでも有難い事に、もし今お金も時間も幾らでもあって、何をしても許されると言われたら、多分のんびりと小説を描いてる気がします。
何と言うか私の心の奥底で、本当は犯罪に手を染めたいと思っていても、夢の中でやれてるならもう良いかなって思うんです。
代わりに、夢の中では出来ない事を現実ではやりたい。
それが創作であり何かを生み出す事です。
夢の中だとどうしても後に残すことが出来ないですからね。
また何故か集中して物事に取り組むことも出来ない気がしています。
そうしてそれぞれで好きな事をやっていけば、夢と現実で人生を倍楽しめる(犯罪を楽しめているかは微妙ですが体験出来るのでお得かなと考える次第です)。
だからまあ夢と現実は表と裏、光と影。
どっちも自分で無理に否定する必要は無いのかなって思います。
唯一困るのがどこまでが夢の出来事だったかが曖昧になることなんですけどね。