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【完結】恋愛案内人  作者: 安部マリヤ
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恋愛案内人 第一章 神愛薬局 後編

 恋愛案内人 第一章 後編


 やがて季節は秋、十月を迎えた。

 竜矢は、いよいよ抱えきれなくなった思いにいっそ「無力感」を感じながら生活していた。この胃の痛みは、大人の仲間入りをしたという証明か。彼は日常的に胃薬を飲むようになってしまっていた。

 その日はたまたまいつも飲んでいる胃薬がなくなってしまい、彼は薬局を探していた。

 そんな時、ふと目にとまったのは、とても古い薬局だった。



「こんな薬局……見たことがない」



 竜矢は狐につままれたような感覚でその薬局を見上げた。

「神愛薬局」。かなりの老舗なのだろう、看板の文字は左か右に書かれている。

 さらに、屋根は古びたトタン、壁は木でできている。まるで昭和初期、いや、大正時代にタイムスリップしたかのような建物だった。

 扉は格子状になっており、横に引くタイプだった。扉の横には、リアルな蛙の置物が置いてある。もはやこれ以上は説明不要。怪しさ満点の店である。

 竜矢はとても慎重な人間であり、こういう得体のしれない店には入らないタイプだ。だが、この日はなんだかその懐かしくもノスタルジックな雰囲気に、どこか心がほっとするようなものさえ感じてしまい「神愛薬局」に吸い込まれるように入ってしまう。

 自分は何をしているのだろう。

 そう思いながらも、ガラガラ、と少し重い扉をあける。この胃の痛みを抑えるいつもの薬さえ貰えればいいや。

 そんなことを思って店の中を見ると、薬局の主人が声を掛けてきた。



「ハイ、いらっしゃい。おや、お客さん、大分やられてますね」

「え? え?」



 竜矢は改めて目の前の男をじっと見る。身長は180センチくらいだろうか。立派な体格だ。

 白衣の中は袴で下駄。ぼさぼさの頭に、丸型のめがね。少し疲れた顔をしている。

 そして、手には今時珍しく、煙草がある。



「最近、何かお悩みでしょう? 私にはわかる。はーい! 恋愛のことだ」



 竜矢はどきりとした。

 どうしてそんなことを知っているのだろう。

 というより、この妙なテンションはなんなんだろうか。



「ユー、見た感じ胃がお疲れ気味だね。とりあえず胃薬あげようか? それから、困ってること、全部吐き出してみて。ここに来るお客さんは皆、そういう話で悩んでいるのだよ」

「え? そういう、話?」

「さっきも言ったでしょう。恋愛の話だ」

「恋愛……。でも、僕にはそんな人いないし……」

「いるはずだ。でないと、ここには入ることすらもできないはず。恋愛でお困りなんだろう?」

 竜矢は黙ってしまった。思い当たる人は、一人しかいない。けれどその一人の事は、口に出してはいけないはずだった。

「まあまあ、まずは紅茶でも飲む? 愛子、紅茶淹れて」

「ハイ」



 竜矢はぎょっとした。そこには見目麗しい球体関節人形が赤い花柄の振袖を着て立っていた。いや、立っているだけではなく、話をしていた。しかも自立し、歩行などもしているのだ。



「モウ、淹レテオキマシタ……。ダージリン、デス」



 その手にはティーポットやティーカップがある。それらをテーブルに置くと球体関節人形は白衣の男の側に立った。



「ああ、忘れていた。私は諒介。彼女は愛子。まあ、いろいろあったのだよ、私は覚えてないけれど。……ソーリー、それより君の話をしようか。さあ、聞かせて。そしてそれに合った薬を処方しよう」



 竜矢は何故だかこの男にすべてを話さなくてはならない気がして、自然と口を開いた。そうして、自分の姉への見方が変わってしまったことなどを、諒介に語った。一度せきを切った思いは、とめどなく溢れた。誰にも語れなかった気持ちを、言葉を覚えたての幼児のように、必死に解放する。「この恋心をどうにかしてくれ。許されない恋を、感情を、どうか罰してほしい」と――。



「あるよ。そういう薬。恋愛感情をなくす薬」

「ほんとですか!」

「ああ。でもいい? これは一人だけに効くもんじゃない。つまり、今後誰にも恋心を持つことはできなくなるってこと」

「えっ……」

「それでもユーはオーケー? 今後二度と、誰にも恋できなくても、今の辛い恋を消したい? そこまで、覚悟はできている?」



 竜矢は息をのむ。覚悟ができているかどうかは分からない。けれど……今の辛さ、実の姉を愛してしまっているという現実から逃げたかった。そのためなら、何にすがってもいい。

 ーー悪魔と契約するみたいだ。

 と、竜矢は思ったほどだった。



「ああ。僕はそれでいい」

「愛子」

「ハイ」



 そして愛子は店の奥に行き、しばらくすると薬を持って来た。



「ドウゾ。粉薬デス。オ水モアリマス」

「さあ、飲んで」

「い、いただきます……!」



 粉薬を飲むと、胃がなんだか落ち着いたような気がした。

 そして、胸の内にあった淡い恋心がふわっと消えていくのがわかる。

 竜矢はその効果に驚きながら、諒介を見る。



「今、恋している相手は……?」

 そう諒介が問う。

「……誰もいない。本当に、嘘みたいに恋心が消えた!」

「それはよかった。でも副作用は一生続きます。それだけは肝に銘じておいてください」

「はい……」

「ただ、恋ではなく愛ならば、もしかしたら出ることがあるかもしれませんがね。お楽しみにどうぞ」

 そして竜矢は薬局から出ると、家に真っ直ぐ帰って行った。

 家に着き、玄関に入るといつものように姉の綾子が出迎える。

「おかえり。たーくん」

「うん。ただいま。あれ? 姉さん、泣いたの? 涙の跡がある」

「え? あ、ううん! なんでもないの。ほら、お姉ちゃん、花粉症だから、きっと今花粉が飛んでるのよ。痒くて痒くて……。えへへ」



 姉さんは、また何か無理をしているな。竜矢はそう思ったが、それを言葉にするかどうか、ほんの一瞬、迷った。

 だが、聞かない方がいいだろうと思い、触れないことにした。

 姉さんにも姉さんの悩みがあるさ。そこに触れないことも家族としての思いやりだろう。姉弟だから、相談されれば親身に聞くけれど。そう思ってすぐに自分の部屋に戻って行った。この劇的な変化に、竜矢自身、どこまで気づいているだろうか。

 綾子は綾子で、竜矢の態度が少しばかり対して変わったような気がしたが、思春期特有の心変わりだろうと思って、放っておくことにした。

 こうして竜矢は自分の恋心を壊していった。それはもう跡形もないくらいに……。

 そして、綾子にも変化が訪れる。恋人が「元恋人」になったあの電話以来、健二がストーキング行為をしてくるようになったのだ。仕事終わりに待ち伏せされたり、電話も一日に三十回はかかってきたり。

 怖くて怖くて堪らない。

 でも、どうすればいいのかがわからない。竜矢にも絶対に言えない。

 そんな事情もあって、最近の綾子は日によって道を変えながら仕事に行く。そしてこの日、仕事に向かう途中、彼女は今まで見たこともない店……神愛薬局の目の前に立っていた。

 なぜここに立ち止まったのか、自分でもわからない。「でもこの扉を開かなければ。そうすれば何かが変わる気がする……」。と、そう感じていることはわかる。たとえ理由は見つからなくても、綾子はもう、扉を開くしかなかった。。



「いらっしゃい。ん? 以前見たことあるような……。まあ、いいか。さてお客さん。ユーの悩み、解決してあげるよ。ここはどんな薬でも揃っているからね」



 そう言われて、綾子は思わず今悩んでいることを、そして抱えきれないほどどうしようもなく大きくなってしまった思いをすべて吐き出そうと、その美しい唇を開くのだった。


 恋愛案内人 第一章 完


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