表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
8/29

6

吉田は天国ホスピタルのベッドで一人天井を見つめていた。ここに来て一週間が過ぎていた。天国ホスピタルは、怪我をしたり、天国生活になじめずノイローゼになったものが入るところだ。入院患者はみなうつろな目をしていた。

 不気味な男が見舞いに来た。研修期間中ほとんど口を開かなかった黒ずくめの男だ。

「あんたぁ、吉田はんでしたっけ」

――こいつがなんで見舞いに……

訝しんで眠ったふりをしていた。

途中の道端で摘んだのか、カスミ草を花瓶に挿すと、何の前置きもなく話しはじめた。

「吉田はんも、世襲に苦しんでおったそうですなあ。ちょいと小耳にはさんだもので。確かご実家は千三百年も続く鵜匠をやっていたとか。あっしも現世にいた頃は、世襲に苦しんでおったんです……」

反対側を向いたまま動かない吉田に話を続けていく。

「首切りってご存知ですか?」

不気味な言葉にぎょっとした。

「あっしは江戸の元禄から明治の初期まで、世襲として罪人の首を斬り続けた山田浅右衛門一族の八代目でござります。吉田松陰をご存知でしょうか? 彼を処刑したのも、七代目、あっしの親父でございます」

背筋が凍り付く。

「あっしは『(よし)(とよ)』と申します。吉田はんの『(よし)』に、下のお名前の『(とよ)』と書きます。吉田はんの名前聞いたときから、他人とは思えませんでしたよ。ヒッヒッヒ……」

気持ち悪い笑い声が天井に低く反響した。

「こんな首斬り家業も世襲制なんですよ。あっしはこんな世襲は嫌だった。首切りなんかやりたくもなかった。親父に何度も談判しようと思ったが、怖くてできんかったんですわ。でも親父が死んで、明治になると時代も変わりました。エゲレスから『絞架(こうか)』などという首つりの機械が入ってきて、刀一本の首斬り家業はすたれていきました。代々の蓄えも底をつき、二百五十年続いた首切り一族はあっけなく滅んで行ったのです……。ところで吉田はん、我々一族の蓄えはどうやってこしらえてきたかご存知ですか?」

「…………」

反応がないので自分の質問に勝手に答えていく。

「あっしら一族は、処刑した罪人の(いき)(ぎも)をもらい受ける権利がありました」

「生胆って……」

驚いた吉田がつい声を出す。

「人間の肝臓です。我々一族は、首斬り家業の他、人間の生胆を薬にして売ることを生業(なりわい)にしてきました。そんなことやっとるから、代々地獄に堕ちて死神になるのでしょう。数えきれない罪人の首を刎ね、死んだ人間の生胆を、薬として売り捌いてきた当然の代償ですわ……」

吉田はいつのまにか話に引き込まれ、黙って聞いていた。

「我々一族は首斬りのプロです。山田浅右衛門一族の名は、地獄きっての大鎌の使い手として知らぬものはおりません。だから我々は、閻魔大王から他の死神たちを束ねる特権階級が与えられているのです」

吉豊と初めて目があった。空洞のような不気味な目だった。

「あっしは、どうしても天国に行きたかったんですよ。それで死ぬ間際にキリスト教に改宗したんです。笑ってしまいますよね。まさに悪あがきですよ。でも、やっぱり天国なんて夢の夢でした。あっしの魂は長年の悪行で、天国ロードを昇って行かんのです。それでもなんとか天国へ行こうともがいているところに、先に死神になった、祖父や兄弟が出てきて、地獄に引きずり込まれたんです。もう、百三十八年も前の話ですがね……」

「じゃあどうして今、ここにいるんですか?」

辻褄の合わない話に、つい口を挟んでしまった。

「それは、郷原とかいう吉田はんの上司。奴をそそのかしてこの魂を頂戴したからですよ」

「なんだって!」

口を滑らしたことに気づいた吉豊が慌てて下を向いた。

「課長をそそのかしたって、それ、どういうことですか!」

ベッドから飛び起き詰め寄った。

「本当に何にも覚えてないんですかい? あの日、あんたは雷に打たれて、天国の入口に引っかかって、地獄に落ちかけておったんですよ」

「ぼくが地獄に?」

「時間ギリギリになっても、あんたが動かんもんだから、郷原の旦那があっしのとこに来よって、オレを死神にしてくれー、って頼みよるのよ。あんまり必死なもんだから、仕方なく、大鎌とローブを渡したんですわ。そんで、大鎌であんたの矢をぶった切って天国に入れたってわけですよ……」

丸の内さんのことば――彼は死神に魂を売ったのよ――の意味を理解した。

今まで経験したことのない怒りが全身から噴き出した。

「課長をだましたんでしょう。ちゃんと説明したんですか? 死神になるってことがどういうことか。それに、死神がまっとうな人間の魂奪って、かわりに天国に来るなんて。そんなことが許されるんですか?」

怒りが極限に達していた。

「奪う? 人聞きの悪いことをおっしゃいますね。奴は納得ずくで、あっしの交換条件にのったのよ。それとあんたぁ、今、死神がまっとうな人間じゃないような言い方されましたな。こちとら『徳川(とくがわ)家御佩(けごはい)(とう)御試(おためし)御用(ごよう)(やく)』を務めた名門じゃ。あんたの細首斬って地獄に落とすぐれえ、いつでもできるんじゃ。首切り一族を舐めんほうが身のためでっせ……」

底なし沼のような暗い目を向け凄んできた。

「脅したって駄目ですよ。あんたさっき、そそのかしたって言いましたよね。詳しい説明もしないで騙したんでしょ! そうでしょ!」

吉田が男の身体に飛び込んだ。不意を突かれた吉豊がベッドに倒れ込んだ。すかさず馬乗りになって、吉豊の細くて骨のような首を絞めつけた。

「オレはお前を許さない」

「一人じゃ何にもできん小僧めが……」

うめき声が漏れてきた。

「ぶっ殺す、ぶっ殺す、お前をぶっ殺す!」

力いっぱいのパンチを狂ったように顔面に叩き込んだ。吉田の目が完全にイッていた。

「オレの課長を! あんなに世話になったオレの課長を!」

黙って殴られていた吉豊が、骸骨のような細腕で吉田を投げ飛ばし、反対に馬乗りになった。

「小僧、人を殴ったことがないのじゃろう。甘ったれの坊ちゃんが! いいか、人を殴るときゃあ、こうやるんじゃー」

顔面に重しのようなパンチが飛んで来た。親にも手を上げられたことがない青白い吉田の顔がゴム人形のように歪んで、前歯が砕け散った。

「二人ともいい加減にしなさい!」

聞き覚えのある声で我に返った。

――丸の内さん……

ホスピタルからの通報を受け駆けつけたのだ。

悲しさの混じった呆れ顔の丸の内さんをみて、全身の力が抜けた。

悔しさや情けなさ、自分自身のふがいなさが一気に込み上げた。吉田はそのままベッドに倒れ込み、死んだように眠り続けた。


ひと月が過ぎ、吉豊との殴り合いの傷もようやく癒え、吉田は欠けてしまった前歯を気にしながらもホスピタルで自分の修行に没頭した。魂の操作や呪文の使い方にも慣れてきた。

ある日、現世投影の呪文を唱えていたら、偶然自宅の様子が映った。小さなベッドに赤ん坊が眠っていた。

――ボクの子供だ!

男の子のようだ。両手を操作し少しずつ時間を戻していく。律子と母が激しく言い争う場面が現れた。

律子は息子と二人でここを出て行くと。母は子供は渡さない。あなた一人で出て行ってと。嫁と姑の関係は以前にも増してぎくしゃくしているようだ。更に時間を戻していくと玄関前に課長が現れた。

――ぼくが自殺した後だろうか……

課長がインターホンの前で頭を下げていた。気落ちした課長が帰りがけにコンビニで酒を飲み、酩酊して井の頭線の車輛に吸い込まれていく様子が映っていた。魂を左右に操作し場面を変えてみた。会社の支店長室だ。支店長が伊藤と佐々木に電話をかけていた。

「伊藤か? 郷原のパワハラ語録だ。多少脚色しても良い。なんでもいいから早く出せ。……何もないだと? そんなことないだろ、奴の口癖でも何でもいいんだよ。いいか、これはお前の出世に響くんだぞ! 今更奴を庇って何になる。奴のサラリーマン人生は終わったんだ! ……ん? そうか、よしよし……。その言葉通り、すぐにメールで送るんだ! 郷原に言われたと添えてな。すぐにだぞ!」

今度は佐々木にかけている。

「オイ佐々木! なんで郷原のパワハラ語録送ってこないんだ! さっき伊藤も送ってきたぞ! 『郷原課長に、給料分ぐらい働け! この成績で明日休むのか? って言われました』ってな。お前もあるだろ? ……何もないだと? 何でもいいから出せ。お前も結婚して、かわいい女の子が生まれたばかりだったよな。このまま田舎に飛ばされてもいいのか? ……ん? そうかそうか、あるじゃないか~ それだよ、そのフレーズ。忘れんうちに、すぐに送ってくれ」

汚い手でかき集めたパワハラの裏付け資料が人事部に提出されていた。資料の冒頭に『郷原は添付の資料の通り、部下に対する顕著なパワハラ行為があった。今回の吉田の自殺も、彼の行き過ぎた指導がプレッシャーになり引き起こしたものである。吉田の残した遺書に――郷原課長についていくのはしんどいです。ぼくは疲れました――と書かれているのが、疑うことのできぬ証拠である』と書かれてあった。警察にも同様の資料が提出されていた。

テレビニュースや新聞に、郷原の顔写真が凶悪犯人のように載っていた。週刊誌には郷原が子供の頃に親を亡くしたこと。養子になって函館で育つが、素行が悪く、高校卒業後家出して東京に出てきたと。

生い立ちを勝手に調べ上げ、尾ひれを付けて放送されていた。社内で郷原の話を出すことはタブーになっていた。吉田は愕然とした。

――ぼくのせいで、課長がたいへんなことになっている……

更に魂を操作すると、閻魔大王に血の滴る大釜の上に摘まみ上げられた課長が、一週間で十人を地獄に落とさないと釜茹でにしてやる。と怒鳴られていた。その後、新宿御苑の玉藻池のほとりで途方に暮れる課長がいた。

吉田はいてもたってもいられなくなった。

――ちゃんとやるしかない!

無意識のうちに、現世行きの呪文を唱えていた。身体が少しだけ浮かんだような気がした。次の瞬間、細い水道管を通過するかのように、ものすごい勢いで、自分の身体がどこかに向かって流れて行った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ