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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
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洋子の受け持ちは三十名だ。六歳のときに受け入れた子供は、赤ん坊になって背中に羽が生えるまで、六年間担当するのがこの施設の決まりだ。

〇歳から一歳までが五名、一歳から二歳までが五名というように、各年齢五人ずつ、合計三十名の子供を受け持つことになっていた。

五、六歳は、時間になると勝手にヒストリーを開いて自分で修業を始めるが、四歳になると、一緒にヒストリーを開いて、魂の映像を見ながら、時々説明を加えることが必要になってくる。三歳以下だと、魂を取り出してヒストリーにセットするところからやらなければならない。魂の場面を見ながら、読み聞かせのように分かりやすく説明を加えることも必要で、手間がかってくる。

洋子は二人の黒装束のちょうど魂の上に当たるところに写真を入れて、外からは分からないように念入りに縫い込んだ。毎年、新しい黒装束が支給されるたびに、こっそり写真を入れ替えた。

二年が過ぎ、洋と美奈子は四歳になった。修行は順調に進み、二人の魂はほとんどピカピカになっていた。毎晩、一緒に魂の映像を見るのが日課になった。二人とも洋子にすっかり懐いて甘えてきた。洋子も実の子供に対するような愛情で、修行の仕上げに精を出していた。

三歳になった。毎晩二人の魂を取り外して、魂の映像を一緒に見ながら内容を想像した。この二人は、本当に仲の良い幼馴染だったことがよくわかる。いつも一緒に遊んでいた。奥尻の美しい海や山を駆けまわり、真っ黒に日焼けして遊んでいた。

二歳になると、大事な写真が胸のポケットに縫い込まれていることなど忘れているようだ。どうか、このまま写真を携えて現世に戻ってほしい。現世で二人が出会い、また夫婦になって幸せになってほしい。洋子の願いだ。自分の子供の幸せを願う親の気持ちと変わらない。

とうとう現世に戻る日が一週間後に近づいた。

今日は魂の最後のチェックがある。監査官が一つひとつの魂を確認し、現世に戻してよいかの最終確認を行うのだ。

監査官、角田(かくた)民子(たみこ)の厳しい目が光っていた。

現世では宝石の鑑定士をやっていた。現世との通算でこの道百五十年の大ベテランだ。彼女の目は機械のように正確で、何の迷いもなく判定を下していく。

洋子は最終確認が無事終わることだけを祈っていた。

「おかしいわね、この二人の魂……」

 虫眼鏡のようなレンズを二人の胸に当て、民子が首を傾けていた。

洋子が青ざめた。

「レンズを通すとなぜかぼやけるの。直接見るとピカピカなのに……」

怪訝そうに魂を見つめていた。

「詳しく見る必要があるわね。塚田さん、ちょっと二人をベッドに寝かせてくださる」

洋子は緊張で声も出ない。もたつく足で二人を抱きかかえ、隣の部屋のベッドに移した。

民子は引き出しから更に大きな拡大鏡を取り出して、色々な角度から何度も魂をチェックしはじめた。

「魂自体は問題ないのに、こうして黒装束をかざすと影が見えるのよ……」

民子は黒装束を手に取ると、目を皿のようにして隅々をチェックしはじめた。

洋子は生きた心地がしない。

「これは何?」

冷たい声と共に、黒装束の縫い目をしっかりと押さえる民子がいた。

「塚田さん。これ、あなたがやったのね……」

洋子はうなだれた。何の言い訳も準備していなかった。

「完全に規則違反よね」

民子は鬼の首でも取ったかのように、勝ち誇った笑みを浮かべると、ウメババを呼びに出ていった。

鉄仮面のように表情一つ変えないウメババが、金のカチューシャを光らせ現れた。

「地下の独房に閉じ込めなさい」

容赦ない声で秘書に命じた。

若い秘書が、気の毒そうに洋子を地下に連れて行く。

――どうなるのかしら……。

最悪の地獄落としを覚悟した。でも、自分のやったことは間違っていなかったと思っている。

最初に気づいたとき、写真を取り上げなくてよかった。少なくとも、二人の記憶の中では、最後までしっかりと写真を携えていた。現世でまた会えることを信じて修行を続けていたはずだ。


一週間後、秘書が辞令を持ってきた。

中を確認すると「(たましい)先導役(せんどうやく)を任ずる」と書かれてあった。

――魂先導役ってなんだろう……

地獄落としを覚悟していた洋子は、辞令の意味が分からず戸惑った。

反応の薄い洋子を察した秘書が、「天国の出口から旅立つ魂を、現世の境目まで先導するお仕事ですよ」

にっこり笑って補足した。

「さ、これをつけてください」

手にした袋から、赤ちゃんの背中に生えるより二回りぐらい大きな真っ白な羽を取り出した。

「それから、これは、梅子先生から……」

白い封書が渡された。

――ウメババから?

嫌な予感がした。きっととんでもないことが書かれているに違いない。

震える手で中を開けた。

それを目にしたとき、心臓が破けんばかりに波打った。

巾着に包まれた二枚の写真が入っていた。二人が持っていた、なべつる岩の写真が!

「どうして?」

洋子は自分の身に何が起こっているのかわからなかった。

秘書の顔を見つめると、

「梅子先生からのお餞別ですってよ」

秘書が明るく言った。

「お餞別って……」

「まもなく天国の出口から、二つの魂が旅立ちます。早く先導して下さい」

時計を見た秘書が洋子にウインクした。


天国の出口に、洋と奈美子を抱えたウメババが立っていた。

二人ともきれいな羽が生えそろい、白い絹のレースを纏っていた。頭の上には小さな光輪が輝いていた。天国での修業を終え、ここを卒業するときの正装だ。

「梅子先生……」

「あら、ウメババでいいのよ」

「ぇ……」

――一度も人前では口にしなかったはずなのに……

「何年この仕事をやっているかお分かり? あなたの考えていることぐらい、全部お見通しですのよ」

洋子は恥ずかしさと申し訳なさとで真っ赤になった。

小さくなった洋子の横で、秘書が小声でささやいた。

「梅子先生、アマテラス様に頼み込んだみたいですよ……。本来なら、地獄落としになる罪を、自分が犠牲になってもいいから、あの子だけは特赦にしてほしいと……」

涙が溢れ出た。

天国の出口が開いた。思ったより強い風が吹いていた。

「先導役、これも立派な仕事です。――環境より学ぶ意思があればいい――。しっかり勉強してくるのです」

梅子先生は、にこりともせず最後まで説教口調を崩さなかった。

これが梅子先生の優しさだ。本当の優しさとはこういうことだ。上辺だけの優しさではなく、桁外れに大きく、重たい優しさがあるんだ。

「さあ、あなたの最初の仕事です。二人の魂をしっかり先導してきなさい」

梅子先生は洋と奈美子の魂を外に向かって投げ出した。

洋子は慣れない羽を大きく開き、天国の出口を飛び立った。仲良くじゃれ合いながら先に飛び立つ二人を追っかけた。

――ほらほら、そんなふざけちゃだめよ。

振り返ると、天国の出口がだんだん小さくなる。

梅子先生が厳しい表情を崩さず、秘書と並んで立っていた。


「どうしてあの子にきつく当たってきたのですか?」

秘書が問いかけた。

「いずれ、別の地区の施設長を任せようと思っているからです。まだまだ、時間はかかりますけどね……」

 

洋子は二つの魂を、慎重に先導した。初めての仕事に緊張した。ようやくプラットフォームが見えてきた。ここが天国と現世との境い目だ。

六年前、ここに昇ってきた日のことを思い出す。

あの日ここに来て、はじめて死んでしまった実感が溢れ出た。現世でやり残したことが次々と頭に浮かんできた。夢が絶たれた絶望感で身体が震えていた。上に見える白い(ホワイト)地球(アース)が怖かった。下に見える青い(ブルー)地球(アース)に戻してほしかった。

今、改めて白い(ホワイト)地球(アース)を見上げると、六年前の印象とは全く違っていた。

白い(ホワイト)地球(アース)は、洋子を見守る天使のように、優しく静かに回っていた。


青い(ブルー)地球(アース)と白い(ホワイト)地球(アース)。プラットフォームから眺める二つの天体は、ここが鏡であるかのように、同じ大きさで、同じ速度でゆっくりと回っていた。

今日は現世も天国も快晴だ。

洋子の初仕事、二人の門出を祝福しているかのように、二つの天体がはっきり並んで見えていた。

洋子はプラットフォームで羽を休めると、二つの魂を抱き寄せ、封書の中から写真の入った巾着を取り出した。

げんこつのように固く握りしめている拳を開き、巾着を確りと握らせた。二人は最初から分かっていたかのように、拳の中に硬く握り締めた。

――離しちゃだめよ。

ここで二人とはお別れだ。ここから先は、自分の力で好きなところに降りて行く。

――この子が無事に転生(リインカネーション)し、またどこかでめぐり合い、幸せな一生を送れますように。

願いを込めて二つの魂を送り出した。

羽を広げた魂は、青い(ブルー)地球(アース)に向かって勢いよく飛び出した。

だんだん小さくなる魂に、見えなくなるまで手を振った。


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