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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
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塚田(つかだ)洋子(ようこ)は驚いた。現世の写真がここにあるはずがない。

天国に来て六年目になるが、ここで写真というものをはじめて見た。文明のない天国には写真機などは無い。それなのになぜ写真が存在するのか。なぜこの子たちが持っているのか。しかも写真にはなべつる岩が写っていた。函館出身の洋子は、一度奥尻に行ったことがあるので見覚えがあった。

この施設の指導担当は、入所する子供の身体検査と持物検査を必ずやらなくてはならない。大事そうな手作りのおもちゃをこっそり持ってくる子供もいるが、修行に関係ないものは、入口で没収しなければならない。ヒストリーと天国時計以外は持ち込みできないのだ。

洋子は困惑した。今すぐこの写真を取り上げないと重大な規則違反になる。これをこのまま見逃すと指導担当は失格だ。いや失格どころでは済まないかもしれない。


洋子は平凡なサラリーマン家庭の一人娘として、函館市内で生まれた。真面目を絵にかいたような父親と、ちょっと天然が入って、おっちょこちょいの母親の三人家族で、平和な日々を過ごしてきた。子供のころから、保母さんになるのが夢だった。ところが、高校二年のとき、病気で死んでしまったのだ……。

天国に来て一週間の研修がはじまり、公務員制度があるのを知った。公務員の中に、六歳以下の指導担当の仕事があることを知った。現世でいう保母さんだ。

これを知ったとき、嬉しくてその場で飛び跳ねそうになった。何の迷いもなく公務員コースを選んだ。なりたくて夢見てきた職業があったのだ。ここで、永久に保母さんになれるなんて夢のような話だったのだ。

そして洋子は、公務員の中でもとりわけ人気の高い、幼児クラスの指導担当の試験に一発で合格し、ここで働いているのだ。

なべつる岩の写真を見て、洋子の脳裏に高校時代の甘酸っぱい思い出が蘇った。

函館市内の男女共学の公立校だった。片思いの男子もいたし、親友もいた。二年生になって間もない四月の上旬、急に身体が怠くなり、教室で倒れて病院に運ばれた。軽い貧血との診断だったが、そのまま一週間入院した。同じクラスの友達が、毎日お見舞いに来てくれた。その日あった席替えの話や、新しく担任になった先生の悪口、かっこいい男子がどうしたこうしたという他愛のない話を、毎日夕方までやって、怖い婦長さんに怒られた。

退院後、身体の怠さは残っていたが、学校に行って友達に会えるのが何より楽しかった。ただ、体育の授業はしばらく見学するようにと言われていた。

楽しみにしていた遠足も、もう少し様子を見るようにと言われたときは、もう少しっていつまでよ! って、ママに食ってかかったけど、はっきり答えてくれなかった。今から思うと、無理に平静を装ったような不自然な明るさがママの笑顔にあった。

でもそのときは、音楽の時間、気になる修二君の隣の席になって一言も話せずドキドキしたり、週末に親友のユッコと買いに行く洋服が売り切れにならないかと心配したり、学校の帰り道の保育園で、若くてかわいい保母さんが楽しそうに子供と遊んでいるのを見て、改めて自分の夢を固くしたり。そのためには、そろそろ真剣に勉強しようか、今日帰ったらパパに塾にいっていいか相談しようか……。などなど、次から次へと、楽しい考えや計画が浮かんできて、身体の怠さなんか、どこかに飛んでしまっていた。

その年のクリスマスが近づいたころ、部屋で本を読んでいたら、突然めまいがして意識を失った。気がつくと病院の無菌室にいた。

――わたし、どうしちゃったの? 

最後まで本当のことは言ってくれなかった。きっと、両親がそう決めていたんだろう。

絶望に打ちひしがれる時間を少しでも短く、楽しい夢を考える時間を少しでも長く、娘に残してあげようとしたのだろう。

そのおかげで、――自分はもうすぐ死ぬ――と、自覚したのは直前だった。

身体の痛みが感じなくなり、全身が軽くなったように感じた。意識が研ぎ澄まされ、周りの音が聞こえなくなった。水中にもぐり、耳がふさがれているような感じだった。


ユッコにお別れ言えなかったな……

修二君にも告白できなかったし……

保母さんにもなれなかったな……

病気のこと、何で早く言ってくれなかったんだろう……

そしたら、もっと、いろんなことできたのに……


ベッドの横で、ただただ泣いているだけの両親を恨んだ。やがてゆっくりと身体から魂が離れていくのが分かった。天井から死んでしまった自分の抜け殻を見ていた。

パパが涙をこらえ、両手を握り締めていた。

ママがいつまでも泣いて謝っていた。

病室の外の廊下に、ユッコが修二君を連れてきているのに驚いた。

――ユッコ! なんて言って連れてきたのよ、彼に迷惑じゃないの、怒ってるんじゃないの?

驚きと心配と嬉しさが時間差で襲ってきた。

ママが病室から出て、娘がダメだったと話したみたい。無声映画のように声は聞こえないが雰囲気でわかった。

ユッコが、両手で顔を覆い泣き崩れた。

ママが、修二君に何かを手渡した。

私がこっそり書いたラブレターだ。

――嫌だ、恥ずかしい。なんでよ、隠しておいたのに……。

思わず目を伏せた。

修二君が手紙を読んで肩を震わせる。

――え? 泣いてくれてるの? 

背が高くて、チョットだけ不良っぽくて、怖そうだった彼が涙をこぼしている。そしてポケットからお守りのようなものを取り出しママに渡している。どこかでわざわざ買ってきてくれたのだろうか。顔の表情や仕草でわかる。

彼が私のことを心配し、私を応援するために、わざわざ買ってきてくれたのか。一言も話したこともなかったのに……。

――奇跡だよ……。

声は聞こえないが、ママが何度もお礼を言っている。

――ママ、ありがとう。ナイスだよ。よく見つけてくれたね。私の手紙。カギのかかる引き出しの奥にずっと隠しておいたのに。生きてたら絶対渡せなかったよ。

これは洋子にとって現世で最大の思い出だ。

ママに死ぬほど感謝している……。


頭に浮かんだ思い出を振り払い、洋子は我に返った。

この写真を取り上げ、施設長の梅子先生、通称 『ウメババ』に報告しなければならない。

ウメババとは、洋子が心の中だけで使っているニックネームだ。口にしたことなど一度もない。現世で遊んでいたゲームソフトに出てくる怪獣のボスで、赤い恐竜のキャラクターが『ウンババ』で、それにどことなく雰囲気が似ていることからそう付けたのだ。

梅子先生、通称ウメババは、一八六四年生まれで、現世では日本の女子教育の先駆者と云われた人物だ。六歳のときに、岩倉使節団に随行し、最年少でアメリカ留学の経歴を持つ彼女は、六十四歳のとき、鳴り物入りで天国に昇ってきた。

彼女は天国でもしっかりした教育制度を作るべきだと持論を展開し、中でも、六歳以下の教育はもっとも重要で、クリームハウスを作って修行の総仕上げをするべきだとアマテラス様に進言した。そして自らハウスの施設長となり、ここで永久に教育者として生きる道を選んだと聞いていた。

アマテラス様はウメババを天国運営を司る側近の一人として上層部に加えると、公務員制度を更に充実させ、教育制度だけではなく、修行者をサポートするためのインフラを次々と整えていったのだ。

そんな彼女の口癖は――環境より学ぶ意思があればいい――だった。常に背筋を伸ばし、近寄りがたい雰囲気を漂わせていた。

戦争などは昔のドキュメンタリー映画でしか見たことのなかった洋子にとって、激動の明治、大正を生き抜いた彼女の考え方や行動は全く共感が持てず、苦手な人物だった。頭の上に光り輝く権威の象徴、金のカチューシャを見ただけで虫唾が走った。

それに加えて、ウメババの洋子に対する指導は、どういう訳か特に意地悪で、嫌味で厳しいものだった。顔さえ合えば思い出したようにヒステリックに怒られた。この間も、子供の指導法について、長々と説教されたばかりであった。

「あなたの指導は優しすぎるのです。その優しさは、自己満足以外の何物でもありません。ここにいる六年間で、現世の荒波を生き抜く強さが決まるのです。もう一度言うわよ。優しさだけの魂じゃダメなの。厳しさを知った強い魂にすることを考えなさい。現世で苦労するのはこの子たちなのよ」

 洋子は下を向いたまま返事をしなかった。

「何度言っても駄目ね。あなた、この仕事に向かなくって? いやなら、いつでもやめていいのよ」

ウメババの呆れ顔と、甲高いヒステリックな声が今も耳元に残っていた。どうしても素直になれなかった。ウメババの言っていることは分からなくもない。でも、こんな人格までも否定する言い方ってどうなの? それに、子供のことは大好きだし、毎日、一生懸命世話をしている。受け持ちの子供達からは、ヨーコ先生と慕われて、少なくともウメババよりは絶対私の方が好かれている。

――私のやり方ってそんなにダメなの?

現世で親にも怒られたことがない洋子は、他人から批判される免疫が全くなかった。ウメババとは一生仲良くなれないと思っていた。


こんなウメババに写真を隠していることなど知られたら、間違いなくクビになる。大好きな保母さんの仕事が出来なくなる。クビどころか、天国で最も重い罪、「地獄落とし」になるかもしれない。

――でも、あんなに大切にしているものを、取り上げることなんかできない。

そんな洋子の葛藤を知る由もなく、二人はロビーで楽しそうに笑っていた。

「ヨーコ先生、ここに『2088年7月12日、なべつる岩にあつまること。こなかったら、はりせんぼんのーます』って書いてくんない?」

洋が写真を持ってきた。

「私のも書いてえー。写真が小さすぎて書けないの。漢字もわからないし」

奈美子も寄ってきた。

――もういい! どーなってもいい。そんときはそんときよ!

洋子は腹をくくった。

「どれどれ、ここでいいのー」

それぞれの写真の裏に小さな文字で書き添えた。

「ワーイ、ありがとうヨーコ先生」

「先生、字、上手いねー」

「じゃあ、横に自分の名前を書いてごらん。書けるかなあー」

「はーい」

二人は元気に返事をすると、真剣なまなざしで『たなかひろし』、『たなかなみこ』と書き添えた。小さな写真の裏側が文字で一杯になった。

(ひろ)ちゃん、なくしちゃだめよ」

「奈美もな」

「先生。ノートの紙、二枚ちょうだい」

折り紙の得意な奈美子は、洋子からもらったわら半紙を器用に折って、お守りのような巾着を作った。

「こなかったら、ほんとにはりせんぼんのますからね」

二人は巾着に写真を入れ、黒装束の胸のポケットに入れていた。

――一蓮托生よ!

洋子はどんなことがあってもこの秘密は守り抜こうと覚悟を決めた。



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