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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
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洋の目に、真っ白で大きな建物が見えてきた。クリームハウスだ。丸いドーム型の建物に、ソフトクリームを上から潰して横に広げたような屋根が載っていた。建物の横に「S556天国の出口」と書かれた看板が見えた。ここで修業の仕上げをして、この出口から現世へ旅立っていくのだ。

これまで、長さんと明美さんがいつも(そば)にいて、何の心配もなく修行をしてきた。寂しいと思ったことなど一度もなかった。洋は不安で涙がこぼれそうになるのを必死にこらえていた。

建物の南側には芝生が広がり、たくさんの子供が遊んでいた。同じぐらいの子供もいれば、白のカチューシャを付けた先生に抱かれた赤ん坊もいた。

建物に入るとロビーで待つようにと言われた。

(ひろ)ちゃん、楽しそうなところで良かったね」

「まあな……」

無邪気に話しかけてくる奈美子に心細さを悟られないよう、無理に余裕を出していた。本当は、はじめてくる場所に緊張し、転校生のようにドキドキしていたのだ。

施設の中も真っ白だった。周りの壁に窓が一つもないのに、中はとても明るかった。外から見るとソフトクリームのような白屋根は、内側から見上げるとステンドグラスになっていて、一階の床から天井まで吹き抜けになっているからだ。下から見上げると、一階から八階まで丸いホールを囲むように部屋があった。各階に等間隔でドアがあり、大きな幼稚園のような感じだ。一階は大ホールの周りに、職員室、家事室、倉庫があった。二階が職員宿舎で、三階から八階までが年齢ごとの教室と寝室になっていた。三階が六歳で、上に行くほど年下になり、一番上の八階が一歳未満の教室になっていた。

子供の歓声が飛び交う外の賑やかさに対し、建物の中はとても静かだ。白装束が黙々と掃除をしたり、食事を載せたワゴンを運んでいた。よく見ると、建物内にも小さな雲っこが浮かんでいて、白装束が笛を吹くと近くに寄ってきた。ここの雲っこは、建物内専用の移動手段のようだ。外の雲っこと比べると、すばしっこくて小回りが利く。仕事のないときは天井近くに雲のようにまとまって、ロビーにちょうどよい日陰を作っていた。

四階の五歳教室のドアが開き、元気な歌声が漏れてきた。音楽の授業をやっているようだ。ドアが閉まるとまた静かになる。教室は防音になっているようだ。

「おれ、現世に戻っても、また、奈美と近所になりたいな……」

「あたしも……」

ロビーで座ったまま、沈黙が続いた。

「そうだ。現世に行くとき、おてて繋いだまま降りていったら、あたしたち双子になるんじゃない?」

奈美子が真顔で言った。

「バカだなぁ、おれたち、別々の場所に行っちゃうんだぞ。手なんか繋げるわけねーだろ」

「ダメかぁ……。あたし、いいこと思いついたーって、思ったんだけどな」

現世で過ごした三十八年、天国で食堂をやった三十四年、修行コースに転換してから三十二年、合計百四年。通常の人生ならとっくに寿命を超える時間を一緒に過ごした二人は、離れ離れになることが想像できなかった。

「おれ、もっといいこと考えた」

「なに?」

「写真だよ」

長さんから渡された写真を取り出した。津波で海に投げ出されたとき、咄嗟に手に取ったネガフィルムの写真だ。現世のものを天国に持ってくることはできないはずだが、津波に飲み込まれたとき、魂に重ねて抱きしめていたこの写真は、一緒に天国まで昇ってきた。グチャグチャになった写真を奈美と二人で乾かして、しわを伸ばして手作りの額縁に入れた宝物の写真だ。横長の下半分に三十代の二人が写っていた。ねじり鉢巻きをつけた精悍なまなざしの洋の横で、割烹着の奈美子が、剛志を抱いて笑っていた。写真の上半分には、奥尻島のシンボル、ドーナツ型のなべつる岩が、小さく佇んでいた。

洋はそのボロボロの写真を半分に折って、真ん中から二つに切ろうとした。

「ダメよ、そんなことしちゃ。大事な写真じゃない」

奈美子がびっくりして洋の手を止めた。

「いーんだよ、ちょっと待ってろ」

構わず何度も折り曲げ、慎重に二つに切り離した。なべつる岩の穴がちょうど半分になった。

「この写真って、元々現世にあったんだから、また現世に戻ると思うんだ」

子供の思いつきかもしれないが、現世にあったこの写真は、本来、天国に存在してはならないものであり、現世に戻るという考えは理にかなっていた。

「そだね。奈美もそう思う……」

「おれ、海ん中で、この写真ずーっと握り締めてたんだ。したっけ、魂と一緒に天国まで来たんだよ。だから今度はおれと奈美で半分ずつ持って現世に戻るのよ。そんで、向こう着いたら見せっこしよう。なべつる岩が一つになったら奈美だってわかるよな」

「そっかあ、それいいわ。でも……、本当に会えるかなあ。だって現世じゃ、どこのおうちに生まれるかわからないんでしょ。それに、赤ちゃんになっちゃうと、なんにも覚えてないし……。あたしのおうち、優しいお母さんだったらいいんだけどな…‥‥」

「大人になってから会えばいいんだよ、場所と日にちを決めておこうぜ」

「じゃあ、場所はどうする?」

「おれたち奥尻しか知らんしな。やっぱりここだよ。なべつる岩」

洋が半分になったなべつる岩を指した。

「さんせー、じゃあ、いつにする?」

「そだなぁ……。確かここに、写真撮った日が書いてあったはずだけど……」

右下に『一九八八年七月十二日、剛志一歳の誕生日、田中屋前で』と消えかかった文字で書かれてある。

「これだ、七月十二日にしよう」

「なんねんの?」

「ン――、分かんねーよ、そんなこと。自分で考えろよ」

洋はめんどくさいことは、子供の頃から奈美子に任せてきた。

「あたし、二十三歳がいいなあ」

「なんでだよ」

「だって、あたしたち二十三歳で結婚したのよ。だから、もう一回会ったとき、なべつる岩で結婚式やろうよ」

「おまえ二十三歳で会ったって、昔の記憶とか全部なくなってるんだぞ。いきなり会って、結婚なんてするわけねーだろ」

「いやだよー、やろーよ。なんでもちゃんとやるのが(ひろ)ちゃんでしょ」

「これは、ちげーよ」

と言いつつ、――ちゃんとやる――という言葉にはどこか引っかかる。


「あら、君たち何やってるの」

長いポニーテールに白のカチューシャをつけた高校生ぐらいのお姉さんが立っていた。

「お名前は?」

二人と同じ目線にかがみ込んだ。

(ひろし)です。で、こっちが奈美子(なみこ)

お姉さんが肩に掛けていたバッグからノートを取り出し確認した。

「なあんだ、二人ともあたしの受け持ちね」

何のことか分からず、白装束のお姉さんを見上げてぽかんとした。

「今日から六年間、あたしがあなたたちの先生よ。ヨーコ先生って呼んでね」

二人の頭に優しく手を置いた。

「先生の頭につけてるの、なーに?」

奈美子が白のカチューシャを見て言った。

「あ、これね。これはここの施設の先生がつけるのよ。かわいいでしょう」

白のカチューシャは専用施設の身分証のようなものだ。高い倍率の試験に合格したときに授与される。ちなみに、施設長になると金のカチューシャが授与されることになっていた。

「ねえ、先生……」

優しそうな先生に安心し、緊張が取れた洋が切り出した。

「もしオレが現世に戻ったとしてー、もし、二十三歳になったとしてー、そしたら、そんとき、現世って何年になってるの?」

「あら、何でそんなこと知りたいの?」

「こいつが、どーしても、知りてーって言うから……」

隣にいる奈美子を顎でしゃくった。

「あなたたち兄妹かしら?」

「んーん、夫婦よ」

おませな奈美子が気取って言った。

「へー、そうなの。仲良しねー。いいわよ、チョット待ってね」

そう言ってヨーコ先生は、ノートを開いて計算を始めた。

「今が現世では二〇五九年だから、六年修行すると、二〇六五年でしょ。そこから、二十三を足してっと……、えーっと、二〇八八年よ」

「二〇八八年!」

洋と奈美子が同時に叫んでいた。そして、笑い転げて盛り上がる。

「あら~ 二〇八八年がそんなに面白いのー? なんか秘密があるのかなぁ~ さっき二人で相談してたよねぇ~ 先生、見てたんだよ~ 怪しいなぁ~」

ヨーコ先生が声色を変え、いたずらっぽく言った。

「あたしたち現世で二十三歳になったら、また結婚するの。二〇八八年の七月十二日にこの写真のなべつる岩に集まって。その約束をしてたのよ。ねー、(ひろ)ちゃーん」

奈美子が仲のいい友達に自慢するかのように、二枚に切った写真をヨーコ先生に差し出した。


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