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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
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長さんと明美が田中屋を引き継いで三十二年が過ぎていた。一九九三年の大津波でここに来た魂は、洋と奈美子を除き全員現世に戻って行った。今は、大津波のことなど全く知らない世代が昇って来る。二人は最近の奥尻の様子を聞くのが何よりの楽しみになっていた。

現世では二〇一四年から「奥尻ムーンライトマラソン」という、島を上げての復興マラソンが毎年開催されているという話を聞いたときは嬉しくなった。

今の現世は二〇五九年。今年で四十六回を迎えるマラソン大会は、全国から毎年五百名のランナーが、前夜祭から完走後の後夜祭まで、二泊三日で島にやって来るという。奥尻の賑わいを想像するとわくわくする。

六月の梅雨のない空の下、三時過ぎから東側の海岸線に沿って走り出し、たくさんの島民の応援の中、ウニやアワビなど地元料理が振舞われ、なべつる岩や宮津弁天宮などの観光名所を見ながらコースを走る。中盤あたりで日が沈み、イカ釣り漁船の漁火が、静かな港に揺れ出すと、空から優しい(ムーン)(ライト)がコースを照らしてくれる。

なべつる岩は今もあそこにあり、島では相変わらずイカやアワビを採っている。昭和の時代と何にも変わらずゆっくり動いている。こんな話を聞くたびホッとする。


ふと、洋と奈美子が今年六歳になることを思い出した。

「お別れ会しないとな」

「もうそんな時期かしら。また、寂しくなるわね」

「ワシ、一つだけ気になることがあるのよ」

「なによ、あらたまって」

長さんがいつになく真剣な表情になった。

「ター坊のことなんだけどな。ほら、ツネゴンズの優勝決定戦のとき、ここさきた兄ちゃんよ」

「そんなこともあったわね」

スナックを開ける準備をしていた明美が手を止めた。

「白装束着とったから、どっかで公務員さやっとるんだべ。したから、父ちゃんと母ちゃんがもうすぐ現世戻るってこと、伝えておかんくていいのかなって。今回、会わんかったら、一生会えんべさ」

「実の親子だもね……」

「さがし出して、お別れ会に呼んだらどうかと……、おまえどう思う?」

「どうって言われても……。まあ、ター坊はいいとしても、田ちゃんと奈美ちゃんは六歳よ。四十手前のおじさん呼んで、あんたの息子よ、って言ったってピンとこないわよ」

「やっぱりそうだよな……。そんでな、この間、大変なこと発見しちまったのよ」

「何よまた、驚かさないでよ。おっかないから」

テーブル席の壁から、額縁を持ってきた。

「この写真なんだけどな。今度のお別れ会で田ちゃんに渡そうと思って取り出したのよ。したっけ、あの写真にもう一枚、別の写真が引っついてたのよ」

ネガフィルムの写真は、べたべたしてシールみたいにくっついてしまうことがよくあった。

「ヤダわー。それで何の写真よー」

「なんてことはねぇ、ター坊の七五三の写真だよ。たぶん五歳のときだと思う。ワシが田中屋の前で撮った写真で、志津乃(しづの)ちゃんと千歳飴の袋ぶら下げて写っちょる」

「志津乃ちゃんって、向かいの履物屋の?」

「そうそう。あの日、ター坊の誕生会にも来とったな。ター坊と同じテーブルで仲良く座っとったのを覚えとる」

「志津乃ちゃんはここに来なかったから、きっと助かったんだろうって言ってたわね」

「んだ。そんで、もしター坊がここさ来たら、この写真、渡しておこうと思ったんだけどな……」


 長さんと明美は、田中屋で二人のお別れ会を催した。

田中屋を継いでから、ほぼ毎日、一緒に飯を食ってきた。今となっては、実の子供同然だ。ター坊を呼ぶのは止めることにした。やはり、六歳の親に三十過ぎの子供が会いにきても、混乱させるだけだという話で落ち着いた。

津波を経験した島民は、洋と奈美子以外いなくなっていたが、最近ここに昇ってきた新しい島民を交え、心づくしの料理を振舞った。

お別れ会の最後に、長さんが額縁から二人が写った写真を取り出した。店の額縁には、剛志と志津乃の七五三の写真が残された。

「これはワシが田中屋の前で撮った写真よ。田ちゃんが命がけで現世から持ってきたもんじゃから、最後は田ちゃんが持ってたほうがえー」

長さんの脳裏にいろんなことが思い返された。田中屋を継いでから毎日顔を合わせ、二人の成長、といっても、だんだん子供に戻っていくのを見守ってきた。魂が浄化し、ヒストリーが薄くなっていくのを明美と一緒に喜んだ。

――今日が最後なんだ……

現世にいるときも、天国に来てからも、いろんなことがあった。みんなで天国に来ちまって、喧嘩もしたけど、楽しいことが数えきれないほどあった。

長さんは二人の頬を左右の髭面に押し付け両手で抱きしめた。長さんの涙と二人の涙が合流し、川のようになって流れていた。


翌日、二人は明美が念入りに洗濯した黒装束を着て、田中屋のテーブルに並んで座り、迎えが来るのを待っていた。

「なんだか、入学式みてーだな」

長さんが、落ち着かない様子でそわそわする。

「あんたが、そんなに緊張してどうするのよ」

明美が奈美子の黒装束の襟を直していると、引戸が開き、迎えの女が現れた。

女は軽く会釈をすると、外に待たせてある雲っこに乗るよう二人を促した。

「天国時計つけた? ヒストリ―忘れんようにね」

「先生の言うこと聞くんだぞ、風邪ひかんようにな……」

二人が最後の世話を焼く。

「達者でな。ちゃんと修行やって、魂ピカピカにするんだぞ」

不安気な顔の洋と奈美子が同時に頷いた。二人の目から涙がこぼれだす。長さんと明美がつられて目を覆う。

余計なことは何も言わない白装束が合図をすると、雲っ子は音もなく方向転換をし、あっという間に見えなくなった。




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