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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
21/29

19

日曜の昼さがり。「田中屋」の定休日。

奥のテーブル席で、田中洋(ひろし)は四年前の出来事を思い出していた。

ツネゴンズの優勝決定戦の日。突然ここに現れたあの男。あれは間違いなく(たけ)()だった。いくら大人になったとはいえ、一人息子を間違うはずがない。洗濯してきれいに畳んだ白装束を膝に置いて目を閉じた。剛志が忘れていったものだ。いつか取りに来るんじゃないかと、大切にしまってある。

あの日、長さんに言われた言葉を思い出す。

――貴様、俺らを殺した罪を、息子に(なす)り付けてんだろ! 俺らの命と息子の命を(はかり)にかけて、帳尻合わせて満足してんだろ! だから、今頃のこのこ出てこられたら困るんだろうが――

顔中涙まみれの長さんに、顔面に力一杯のパンチを入れられた。

「あの日長さんに言われてハッとしたんだよ。そんなこと考えもしなかったけど、言われてみればその通りじゃねーかって……」

向かいの奈美子に向かってつぶやいた。

膝に置いた白装束を握り締めた。

「あの子、この席に座っていたのよね……」

奈美子が写真の入った額縁をテーブルに置いた。

「これ撮ったとき、あの子だはんして、長さん、えらい苦労してたよね」

奈美子が懐かしそうに写真を見つめていた。

「長さん一生懸命、剛志の機嫌取ってたな」

奥尻で同じ日に生まれた二人は、奥尻で育ち、奥尻で結婚した生粋の奥尻っ子だ。洋の実家は食堂で、奈美子の実家は旅館をやっていた。同い(おない)(どし)の二人は子供のころから奥尻の海や山を駆けまわり、小・中・高と同じ学校に通って、二十三歳で結婚した。

洋は実家の食堂「田中屋」を継いで、奈美子と二人で切り盛りした。なかなか子供ができなかったが、三十二歳のとき剛志を授かった。二人は大喜びで誕生日には毎年近所の常連を呼んでお祝い料理を振舞った。

「あいつ、俺を親父だと確信していたよ。目をみてはっきり分かった。でも俺は、反射的に拒絶しちまった。奈落の底に突き落としちまったんだよ。取り返しのつかねーことをしちまった。あいつの失望した、涙いっぱいためた目が忘れられねーんだよ……」

膝の白装束に涙が落ちた。

(なん)にも変わってなかったよ。なべつる岩からウニやアワビ採って見せにきた目と(おんな)じよ。奥尻の海みてーに澄んだ目よ……。ホントはあんとき、思いっ切り抱きしめてやりたかったんよ」

「わかってますわ。だてに幼馴染やってませんから……」

奈美子が写真の上から剛志をなぞっていた。

「ほんと苦労ばっかしかけてきたよな。バカな俺に無理に付き合わせちまってよ」

「しょうがないわよ。バカ承知で結婚したんだから」

奈美子がゆっくり顔を上げて微笑んだ。小首を傾げて上目遣いで笑うのは昔と変わらない。

「俺はこういう生き方しかできんのよ」

「昔からそう。何でもちゃんとやる人。ちゃんとやるから、ちゃんとなる。口癖よね。ター坊にもよく言ってたわ」

「ちゃんとやったのかな? 自信ないんだよ……。俺がやったこと、ちゃんとしてたんかなぁってな……」

「ちゃんとはみんな違うって言ってたじゃない。あなたはあなたのやり方で、ちゃんとやったんでしょ」

「でもな、どの面下げて現れるんじゃーってよ。俺、なんであんな、しょーもね―こと言っちまったんだろう……」

「いつまでもくよくよしないで。あなたらしくないわ。あの子がター坊だとしたら、津波からは助かったのよ。どこかで誰かが助けてくれたのよ」

「そだな。あいつ俺らとおんなじぐらいの年だったよな。三十五、六ってとこだよ。それであいつ、これ着とったのよ。公務員さなっとたのよ……」

膝の上の白装束を取り上げた。

「あれからずっと剛志のこと考えとるのよ……。

――津波のとき、どうなったんだろう?

――現世で、どこで何していたんだろう?

――天国で公務員さなって、何の仕事しとるんだろう?

――なんで公務員なんかになっとるんだろう?

いろんなこと考えちまってな。でも、一番知りてーのは、あいつが、幸せかどうかってとこなんよ。幸せな人生送ってこっち来て。それで、ちゃんとした目的あって公務員さなったんだったらええんだよ。それだったら何の文句もねえんだよ……」


入口の引戸が開いた。

長さんと明美が店の中に掛けた暖簾をくぐって中に入って来た。

「田ちゃん、ちょっとええかい?」

「どうしたんでえ、雁首そろえて。今日は休みだよ」

「分かっちょる。島のみんなも連れて来た」

驚いて窓から外を覗くと、店の入口を島中の人間が取り囲んでいた。

「なんでえ。(なん)かあったんかい?」

「田ちゃん。ちょっと顔貸してくれねーか」

外に向かって顎をしゃくった。

店の周りは異様な雰囲気だ。目の前に、頭に鉢巻をまいたり、(のぼり)を上げた百人の顔があった。

「おいおい、何のまねじゃあ~」

困惑した洋が長さんの顔を覗き込んだ。驚いた奈美子も出てきた。

「怒らんで聞いてほしい……。(みそぎ)は十分果たしたよ」

「禊? 禊って何のことよ」

「とぼけんでもえー、あんたらのおかげで、ワシら現世にいるときと(なん)ら変わらず、寂しくもなく、修行続けておるよ」

長さんが周りの島民にも聞こえる声で叫んだ。

「だから、どーしたんでー」

洋がけんか腰に言い返した。

「田ちゃん、あんたの気持ちもよーわかる。あの大津波の日、あんたら、ター坊の誕生日でわしらをここさ呼んで、みんなで被災しちまった。責任感じてしまうのも無理はねー。ここ来た当時は、いろいろ言いよるやつもおったよ。でもな、ワシらみんなとっくに許しちょる」

「そうだー、許しちょるー」

百人の島民が一斉に拳を上げた。

「みんな、それ以上のものを、あんたらから貰っちょる。感謝しかねえんだよ」

「そうじゃー、その通りじゃ~」

百人の声が裏山にこだました。(のぼり)が海風に揺れていた。

「ここにいる全員がこう思っちょる。禊は十分果たしたんじゃ~」

「長さん、禊を果たしたなんて、そんな軽々しく言わんでくれねーか。この問題はな、そんな、甘っちょろいもんじゃねーんだよ。ここにいるみんなが許してくれたって、それで済むもんじゃねえ。津波で生き延びた人もな、大切な家族失って、俺のこと恨んでおる人が、今も現世の奥尻にはぎょうさんおるんじゃよ」

「田ちゃんよ、はっきり言わしてもらうよ」

長さんの顔色が変わった。

「意地張るのもいい加減にせえ! あんたあ、奈美ちゃんの気持ち考えたことあるんかあ!」

青筋立てて、洋の胸ぐらをつかみ上げた。

「こいつの気持ち? 俺と一緒じゃー、あんたに何がわかるんじゃー」

洋が負けじと言い返す。

「貴様、もう一遍殴られてえのかぁ~」

顔と顔を突き合わせ、殴り合いの喧嘩をやる体勢を崩さない。

「あんたに女心の何がわかるんよ!」

今度は横の明美がブチ切れた。

「奈美ちゃんが、今までどれだけ無理してつまらん男の意地に付き合わされてきたか、あんた、考えたことあるの?」

「ワシらもう見てられねーのよ。いつまでも、はんかくせーこと言ってねーで、いいかげん大人なんだから、もうちっと、楽に考えてもええじゃろうが……。今日、ワシらがきたのは他でもねぇ、折り入ってお願いがあるからじゃ」

長さんはつかみ上げた手を緩めた。

「改まってなんじゃぁ、気色悪いけん」

洋が露骨に不快感を表した。

「実はな、コース転換の話なんじゃ」

「こーすてんかん? なんじゃそりゃ? 言っとることがわからんよ」

「覚えとるかなぁ、ワシらがここさ来て、最初の研修で世話になった、札幌から来た白装束の先生がおったじゃねーか……」

「すったらこと覚えてねーよ、何年前の話だよ」

「その先生が去年、久しぶりに来よってな、修行は順調か? 悩みはねーか? っていろいろ聞いてくるもんじゃから、田ちゃんがかわいそうだから、何とかしてやれねえかって聞いたんよ」

「また、いらんことしよって……。俺のどこがかわいそうなんじゃ、バカにすんじゃねーよ」

「そう怒らんでよ。したっけな、天国憲章に特例ができて『コース転換』ちゅう制度が出来たんじゃ」

「さっきから、てんかん、てんかんって……。なんじゃ、そのめまいしそうな名前は」

「そっちのてんかんじゃなくてな。まあ、簡単に言うと、これまで公務員になったら永久に公務員やり続けることになっとったが、三つの条件を整えると、公務員から修行コースに変更出来るようになったんじゃ」

「三つの条件?」

「そう。その条件がな、一つは、公務員を三十年以上続けること。二つ目が、修行コースに転換するための推薦状を百枚集めること。そして最後が、今やっている田ちゃんの仕事を代わりに誰かがやることじゃ」

「ややこしくて、何言ってんだか、さっぱりわからんよ」

「田ちゃんは三十年以上、公務員として食堂やっとるから、一つ目は大丈夫や。これは分かるよな」

「おー、それぐれーはわかるよ」

「そんで、二つ目の推薦状なんじゃが……、これを見てくれ」

長さんが明美に目配せすると、手持ちの袋から書面の束を取り出した。

「こっちが田ちゃん、こっちが奈美ちゃんのね。それぞれ百枚あるわ」

明美がそれぞれの束を二人に手渡した。

洋と奈美子は驚いて顔を見合わせた。

「この制度聞いてから、ワシら田ちゃんには内緒で、毎月町内会開いて、手分けして推薦状集めてきたんよ。ここに島民の百人がおるから、百枚はすぐ集まったんじゃが、残り百枚集めるのにえらい苦労した。白装束の先生に頼んで雲っこに乗っけてもらって、奥尻以外の人にも協力してもらってな。六歳になってクリームハウス行きおったガキンチョにも、施設の担当に話つけて書いてもらったりしたわけよ」

「この辺の人は、みんな奥尻の震災は良く知ってるから、喜んで協力してくれたのよ」

明美さんが補足した。

二人は一枚一枚推薦状をめくっていく。洋の胸に熱いものが込み上げた。奈美子の涙が、推薦状にいくつものシミを作っていった。

「これは、ここにいる全員の総意じゃ! 我ら奥尻全員の総意じゃ! こればっかしは、有無は言わせねえ」

「長さん、ちょっと待ってくれ。そうは言っても俺の代わりに誰がこの仕事をやるんじゃ? さっきの話じゃ、誰かが代りに公務員さなって、俺の仕事やらんといけねーんだろ。そんなもの好き、いくら何でもいるわけねーじゃろうが。ここまでやってくれたんは嬉しいけど、やっぱり無理だよ……」

洋は集まった島民を見渡した。

「ワシと明美がやるんじゃ」

耳を疑った。

「ワシは今年で四十一歳。ここに来てから年々若返り、今が一番脂がのっておる。この最高のタイミングで公務員に転換して、明美と二人で田中屋を引き継ぐんじゃ。グッドアイディアじゃろ。ハッハッハー」

長さんが豪快に笑い飛ばした。

「長さんは良くっても、明美さんにご迷惑でしょ」

思わず奈美子が口をはさんだ。

「最初は断ったのよ。でも長さんがね、昼間は食堂やって、夜はスナックにするって言うから……。ほら、あたしもこの仕事しかできないからさ、どうせ現世戻ってもおんなじ仕事やりそうなのよ。だったら、こっちでやってたほうが気が楽だしね。向こうだったら、客が来ないとか、ツケがどうとか面倒くさいけど、ここだったら、お金が絡まないから楽なのよ」

明美がしなを作って、まんざらでもなさそうに説明した。

「あたし、長さんにズーッと口説かれてたのよ」

「それはみんな知ってるけど……」

「最初は、こんなジジイって思ってたけど、よく見ると結構いい男なのよ」

「そりゃあ、だんだん若くなるからなぁ……」

洋が苦笑いをしながら長さんの顔を見た。

「そうじゃろーそうじゃろー、こいつすっかりオレに惚れちまったんよ」

長さんが調子に乗って明美に抱きつこうとして頭を叩かれた。

「この人ったら、しつこくってね。それで、あたしも三十一になって、女として一番いい時期だって踏ん切り付けたのよ。潮時っていうか、女のけじめっていうやつね」

何の潮時だか、けじめなのかはよくわからない。

「こいつも昔は島一番のべっぴんさんじゃろ。最初はとても手の届かん高嶺の花だと思っとったんじゃが、今じゃ、ワシが四十一で明美が三十一。ベストカップル誕生ってわけよ」

長さんが性懲りもなく明美の腕を取り、また頭をひっぱたかれていた。

「だから奈美ちゃん。あたしに遠慮することなんか、これっぽっちもないんだからね」

明美が奈美子向かって微笑んだ。

「というわけで条件は整ったんじゃ。これはさっきも言ったが、ここにいる奥尻全員の総意じゃ。この推薦状が紛れもない証拠(あかし)じゃ」

「……いいんかい。そこまでしてもらって」

洋の声が震えた。

「いいんじゃよ。こいつらだって、今度から、田中屋が夜は明美のスナックになるっていうからむしろ喜んでおる。ズーッと天国にいたいっていうやつも出てくるよ。どうや、反対する理由なんて無いだろ」

――本当にいいのだろうか……

洋が奈美子に無言で問いかけた。

――あたしはいいわよ。あなたが決めてください。

長年連れ添ったテレパシーのようなもので答えていた。

「みんな~ 本当にええんかー」

洋が目の前にたむろする島民に向かって大声で問いかけた。

「あったりめーだろーが、ここにいる奥尻全員の総意じゃ~」

「あたしら、一度しか使えない推薦状を、あんたらのために使ったのよー、無駄にしたら承知せんからねー」

「いままで旨い飯作ってくれたお礼だよー。まあ、長さんが、どんな飯こしらえてくれるんだか心配だけどなー」

笑い声が沸き起こる。

「まーえーよ。えーからこっちさきたらえー、早く一緒に修行やるべさー」

老若男女の声が奥尻の空にこだました。

数えきれない笑顔と歓声を目の当たりにして、洋の両目から涙が溢れ出た。

天国に来て三十四年、今まで人前で一度も見せたことがなかった涙が堰を切って流れ出た。


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