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天国の歩き方  作者: 三田村 保歩
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郷原は天国に来て、三十七年が過ぎていた。

初めて天国に昇って来る魂の指導教官として、一週間研修をやってきた。

数えきれない魂を修行の場に送り込んできた。

たまに、修行棟に顔を出し、その後の様子を見るのが楽しみになっていた。

彼のように、呪文を実践で使い、現世と天国を行き来したことのある公務員は珍しかった。その経験を活かし、天国に来た何人もの魂を一人ひとり熱心に指導して、コース選択についても丁寧に相談にのってきた。

そんな中、先日の天国日報で伊藤が天国に来ることを知った。現世でかわいがっていた部下の一人だ。久しぶりのビッグニュースだ。

伊藤は吉田と違い機転が利き、どちらかというと要領が良い部下だった。出世をネタに、郷原の口癖をパワハラの証拠として支店長に出したが、その後、自分のやってしまったことを後悔し、人事部長に真実を告げていた。

そんな伊藤が六十七歳でこっちに来た。

「課長、すっかりご無沙汰してしまい……」

三歳年下だった伊藤も六十七歳だ。長身のイケメンだった面影はどこにもない。

「課長はよせよ。ここでは単なる指導教官なんだから」

「ぼくはあのとき出世に目がくらみ、課長のことを売ってしまいました」

伊藤が両耳の上だけに残る僅かな白髪を、金八先生のようにかきあげた。ボリュームのあったかつての頭髪はどこにも見当たらない。

「おう、知ってるよ。それより元気だったか。すっかり貫禄ついて……」

息子のような郷原が、親父のような伊藤の両肩を懐かしそうにポンポン叩いていた。小さなことをいつまでも根に持たないところは昔と変わらない。

「課長、ゴメンなさい……」

初老の禿げおやじが、息子のような若造に深々と頭を下げた。

「だから、オレは課長じゃないんだって。それよりお前、最年少で役員なったんだって。良かったな、オレの指導の賜物だよ」

郷原は嬉しかった。自分の部下が偉くなることは自分のこと以上に嬉しいものだ。

「でも、次期社長って話もあったろうに残念だったな。なんかあったのか?」

「肝臓がんです。見つけたときはステージ4で手遅れでした。課長を売ったバチがあたったのでしょう……」


伊藤の一週間間研修は郷原が担当した。

そして伊藤は「修行コース」を選んだ。

ところが一年後、伊藤は突然郷原を訪ね、唐突に切り出した。

「ぼくに公務員の仕事を譲っていただけないでしょうか」

九十度に腰を折ったまま微動だにしない。

郷原は伊藤の言葉が理解できなかった。

彼は、天国憲章の附則に『コース転換』という特例があることを説明した。

適用条件として、

①三十年以上、公務員として従事していること。

②修行者の百人以上の推薦状を得ること(但し、修行者が推薦状を出すのは、修行中に一回、一名のみに限られる)

③当人の代わりとして、別の修行者が公務員コースに転換し、当該業務を引き継ぐこと。

この三つの条件を全てクリアし、後は、郷原が伊藤からヒストリーと天国時計を受け取れば手続きが完了する。ヒストリーは新しい魂に連動して中身が変わり、天国時計も新しい所有者の残りの修行日数を表示する。白装束と黒装束は、後日それぞれ、雲っこで届けてくれるという。

アマテラス様がこの特例を作ったのは、十五年前、一部の公務員が、デモを起こしたことが発端だ。デモの目的は「公務員は永久」とする厳しい条件の緩和を求めるものだった。そのころ、公務員は永遠に続く仕事の単調さでノイローゼになり、ホスピタルに入院する者が増えていた。それで、天国憲章の附則に『コース転換』という特例を付け足したのだ。

ただ、特例が出て十五年が経つが、この制度はほとんど浸透していなかった。適用条件が厳しすぎるのだ。公務員として三十年以上従事するところは、時間が経てばクリアできるが、推薦状を百枚集めることはとても難しい。現世に例えると、一生に一度の投票権を、たった一人の公務員のために行使することであり、簡単に集められるものではない。更に、修行者から公務員に転換したい人物を見つけることは至難の業だ。修行の途中で公務員に転換する人物など、そう簡単に現れるものではない。

伊藤はこんな誰も見向きもしない特例を見つけ出し、コース転換を依頼しに来たのだ。

「お前、自分が何を言ってるのか、わかってるのか?」

「もちろんです、天国憲章を何度も読み返しました」

伊藤は有名私大の法学部を出ていた。難しい条文を解釈するなどお手のものだ。

「実は百人の推薦状はもう集めてきました」

伊藤は手にした風呂敷の結び目を大事そうにほどいていった。

「見てください」

『推薦状』と書かれた書類の束が目に入る。一枚一枚に見覚えのある名前が書かれてある。

みんな郷原が、教官になってから指導してきた名前だ。

「これは……、どうやって集めたんだ?」

予想外の展開に驚いた。


――郷原さん、ありがとう。

――郷原さんのおかげで、安心して修行に励んでいます。

――郷原さんをもう一度現世へ戻してください。


書く必要も無いのに、署名の横にメッセージが添えてあった。

「ここにきて課長の偉大さを再認識しました。天国で課長の指導を受けた人たちは、みんな感謝しています。課長のことを話すと懐かしそうに当時の話をしてくれます。みんな喜んで推薦状を書いてくれました」

推薦状の一枚一枚をめくりながら、伊藤の話を聞いていた。 

「課長は公務員になって三十八年です。修行者への転換条件が整っているのです」

郷原は天国憲章の細かい附則など読んだこともなかった。

「この一年、修行を続けながら課長の指導を受けた人を訪ね歩いて、推薦状を集めてきました」

「おまえ、そんなことしてたんか」

「ちゃんとやれば、ちゃんとなる。それだけです。ぼくはぼくのやり方で、ちゃんとやっただけです」

「でもおまえ、オレを裏切った罪滅ぼしでやってるんじゃないのか? そんなんだったらお断りだぞ」

「それは違います。ぼくがぼくなりに、考えて、考えて、考えまくってたどり着いた結論です」

伊藤の表情は真剣だ。

「ぼくは課長の教えを後輩に伝えるため『郷原塾』というものを作りました。――ちゃんとやれば、ちゃんとなる――。ちゃんとやるためには、――相手のことを考えて、考えて、考えまくる――。課長に教わった精神を徹底的にたたき込みました。最初はなかなか上手くいきませんでした。でもここに来る前、少しだけ課長の背中が見えてきたんです。

――取締役は人生のお手本です。一生ついていきます。

――取締役に足を向けて寝られません。

ぼくもやっと、こんなことを言ってもらえるようになりました。もちろん社交辞令かもしれません。でも、少しだけ課長に近づけたような気がしたんです。嬉しかったんです。

でもそんな矢先に肝臓がんでした……。ぼくは、現世で道半ばとなってしまった郷原塾の続きをやりたいんです。指導教官の仕事を譲っていただけないでしょうか」

伊藤が再び頭を下げた。嘘を言っているようにも思えない。

「オレは現世でもここでもみんなに助けられたんだ。そうそう、吉田にも助けてもらったよ。あいつ現世に戻って、パワハラ課長に成り下がったオレの名誉を回復してくれたんだ」

「知っています。ぼくのところにも来ました。あのおとなしい吉田から、貴様、誰のおかげで課長にしてもらったんじゃあ~って怒鳴られました」

夢に出てきた鬼の形相の吉田を思い出していた。

「これは一人一回しか使えない貴重な推薦状です。課長のために使ってくれた百人の思いを汲んで、どうかお許しいただけないでしょうか」

思いがけない話に言葉を失った。

改めて伊藤をみた。現世で最後に見たイケメンの伊藤より、禿げ上がった今の方が圧倒的にカッコ良かった。

決して公務員が嫌だったわけではない。指導教官の仕事は好きだった。永久にやっていくつもりだった。修行コースに転換するなんて考えたこともなかった。

でも、伊藤の言葉にホッとしているのも現実だ。

今まで必死に張り詰めていた糸がプツリと切れてしまったような脱力感に包まれた。

「ありがとな……」

それしか出てこなかった。


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