プロローグ
よろしくお願いします。
「はぁ……」
唐突な話ではあるが、現在、幸せがどんどん逃げていきそうなため息をついている高校男児、須田勇姿。この男は、新学期をぼっちでスタートしなければならなくなった。
原因は彼の幼馴染たちにある。
彼には幼稚園時代からの付き合いである幼馴染が二人いる。それぞれ名前を飯野みすず、北原ひでりと言う。付き合いが長ければ当然、衝突もあろうが、彼らはそれを難なく乗り越えてきた。固い絆で結ばれていると言えるだろう。
しかし、高校一年生の終業式。明日から春休みだと浮かれ気分だったユーシを襲う衝撃があった。
「あの……今日は、ひでりと二人で帰らせてくれないかな」
当然の如く、三人で帰路に着こうとしていたユーシであったが、この一言で全てを察した。翌日、家でゴロゴロするユーシの元に届いた『交際宣言』がそれを証明し、見事、輪から外れることとなった。
ここで一つ、話を変えよう。
この三人、これまで奇跡的にも、ただの一度だってクラスが分かれたことがない。小学校の六年間、中学校の三年間、そして去年。この三人は、ずっと同じクラスで過ごしてきたのだ。
そして高校二年生に進級し、始業式にてクラス分けが発表された。
――二年一組。それがユーシの所属するクラスであり、また、みすずとひでりの所属するクラスでもある。
長い春休みを一人で過ごし、二人と顔を合わせることの気まずさに怯えながらの始業式の後にこの仕打である。今年一年、二人にどんな顔で接すれば良いのか。それを悩んでのため息が……そう、冒頭のそれである。
そして弾き出された結論が『二人の邪魔をしない』――つまるところ、他に友達のいないユーシにとっては、ぼっちで新学期をスタートする決意にほかならない。
(いやだって当然だろう!? 付き合って一ヶ月の熱々カップルを前にどんな顔して立てと!? 幼馴染だからってそんな無遠慮なことできねえぞ俺!?)
そんなことを気にする二人でないのはわかっている。長い付き合いは伊達じゃない……しかし、これは三人の問題ではなくユーシ個人の問題だ。
……幸せそうな二人の邪魔なんて、できるはずがない。
恐らく、告白したのはみすずからだ。なまじ付き合いが長いだけに、その告白には妙な緊張感があったはずで、勇気だって必要だったはずだ。みすずはそれを乗り越え、幸せを勝ち取った。
そんな二人の傍に、いつまでも俺がいたら……それは、これまでの関係から、何も変わっていない。そんなの可哀想ではないか。
だから、ユーシは二人から距離を置くのだ。
幸い、今日はまだ二人と顔を合わせていない。このまま人の流れに任せて帰ってしまおう。大丈夫、一人の学生生活というのは初めての経験だが、すぐに友達もできて、寂しくなくなるはずだ。
(そうだ、これは新たな始まりだ。巣立ちだ、旅立ちだ。後ろ暗いことばかり考えていないで、楽しい明日を想像しよう!)
少しだけ湧いた元気を忘れないうちに、ユーシはクラス分けで沸き立つ学校から一足先に離脱した。
◆
あれから二週間が経過した。
あれから友達はできなかった。
(こ、このままじゃ二人に心配かけちまう……)
始業式の日はどうにか二人から逃れられたが、同じ教室で過ごす以上、接触はどうしたって避けられない。だからユーシは授業開始日に、自分から仕掛けた。
「悪いな二人共、今日から俺はリア充目指して頑張るからよ。友達一〇〇人作って高校二年生デビューすんだわ!」
そう宣言するユーシを、二人は当然の如く心配した。何か悪いものでも食べたのでは? いいや、そうではない。これはユーシの、覚悟の宣言である。
(友達一〇〇人は流石に言い過ぎだけど、一人や二人くらいはすぐに作れる。そいつらと付き合うようになれば、二人から距離を取っても何の不思議もないんだ)
二人は存分にイチャイチャでき、ユーシは楽しい学生生活を送ることができる。誰も嫌な思いをしない、完璧な作戦。
……そのはずだった。
高校二年生がスタートしてすでに二週間。今頃ユーシは、新しくできた友達とカラオケに行ったり、ボウリングして遊んだりしているはずだったのだが……結果は酷いものだった。
(なんで俺は未だに……ぼっちで飯つついてるんだ?)
――ユーシの完璧な作戦には、誤算があった。
まず一つ目、高校一年生ならいざしらず、二年生の新学期という時期に友達づくりを始めようとしたこと。一年生である程度のグループが既に存在し、それは二年生に進級したところで消えて無くなるわけではない。もちろん、クラスが別々になれば疎遠にもなろうが、それにしたって多少は知り合いが同じクラスにいるものだ。つまり、最初から繋がりがある。
二つ目。そんな状況であっても、一応ユーシには希望があったのだ。それは始業式の日、突発的に開催されたクラスの親睦会と銘打ったカラオケである。一年時から多数の生徒の人気者であった倉科杏子という女子生徒が言い出したもので、
「同じ教室で過ごすんだから、一発目くらい派手に行こーよ!」
という弁のもと、まだ帰宅していなかった二年一組メンバーみんなでカラオケに行ったのだ。そこで既に、ある程度の派閥が生まれてしまった。翌日、学校に来たユーシはクラスの雰囲気にそれはもう萎縮した。
ただし、運良く残っていたとしても、そのカラオケにはみすずとひでりも参加したためユーシは参加しなかった可能性がある。
……とまあ、以上の二点も、ユーシが未だにぼっちであることの理由ではあるが、決定的なソレではない。
そもそもの話、ユーシは友達を作れないのだ。それこそが、第三の理由。
(……友達って、どうやって作るんだっけ)
この男、これまでの人生をずっと三人で過ごしてきた。……あまりにも仲が良すぎたのだ。他に親しい友達を作らなくても困らないほどに、三人は仲が良かった。ゆえにユーシにはこれまで他の友達がいなかった。友達を作ることが無かった。
その弊害が、ここに来てユーシを苦しめている。
(声をけなきゃ何も始まらない……そんなのわかってるんだけど)
既に固まってしまったクラスの相関図に、たった一人で突っ込んでいけるほどユーシの心は強くない。精々が、そこに自分もいる想像をして気を紛らわせるくらいだ。
……そんなユーシを見て、放っておくひでりとみすずではなかった。
「ゆ、ユーシ……一緒に弁当食うか?」
あまりに絶望的な空気を醸し出すユーシにやや引きながら、ひでりが昼食に誘う。一瞬、飛び上がりそうになるも、その気持ちを落ち着かせ、
「それには及ばねえぜ。言ったろ? 俺はリア充目指して頑張ってんだ。今こうしてぼっちで弁当つついてんのも、リア充になるための修行なんだよ」
なんて、苦しい言い訳で誤魔化す。ひでりのそれがドン引きになり、「そか……うん、頑張れ?」なんて言いながらユーシの元を去る。見れば、教室の入り口でみすずが待っている。これから外で二人仲良く昼食だろうか。去年までだったら、そこにはユーシの姿もあっただろうに。
それは、とても楽しそうな昼時に思えた。
(弱気になっちゃいかん! 二人の幸せを見守る覚悟はどこに行った!? 大丈夫、まだその気持ちはなくしていない。だからまだ頑張れる!)
とはいえ、クラスで友達を作るための具体的な策が浮かばない。本来ならば策なんて必要ない、ただ「俺も混ぜて!」と声をかけるだけで良いのだが、ユーシにはハードルが高すぎる。
だから、
(……こっちもこっちで、あんま気乗りしないけど)
少なくとも、クラスメイトに声をかけるよりはマシだと、ユーシは立ち上がった。
◆
「入部希望!? ささ、まずは見学からどうぞどうぞ! ……え、二年生? あー、まあ大丈夫! 何事も経験!」
三十分後。
「……ごめん、無理させちゃった?」
日頃の運動不足が祟り、ちょっと野球部の練習に参加しただけで息も絶え絶えに。というか、明らかに部員の目が邪魔だと言っている。
「す、すみません……俺に野球は無理そうです……」
「そんなことは……今の君には無理でも、毎日走って、練習すれば!」
決して邪魔だと言わず、入部を推してくる野球部の部長に感謝しながらも辞退。
(そもそも高校野球って地雷過ぎないか? ただ友達が欲しいだけの俺にはキツいって……)
部長は優しそうな人だったけれど、他の部員とは上手くやっていけそうにない。この三十分で得た知見はそんなものだった。
再度、放課後の部活勧誘が行われている中庭を訪れ物色する。当然の如く、目立つ勧誘は軒並み運動部で、文化部はその熱量に気圧されている。
――クラスでの友達作りを諦めたユーシが次に取った行動は、部活動への入部だった。クラスメイトに声をかけるのが難しいのは、既に固まったコミュニティに、自分という異物を投げ入れることのリスクが大きいからだ。考え過ぎだとは思うが、突然降ってわいたユーシという存在に困惑し、そのコミュニティが崩壊なんてしたらきっと、ユーシは自己嫌悪で立ち直れなくなる。あるいはもっと単純に、虐められる可能性がよぎってしまう。
ならば、異物が混入することが不思議でないコミュニティを探せばいい。それこそが部活動であった。
この時期は、新入生を引き入れようとどの部も勧誘活動が盛んだ。誘っているのだから、差し出された手を握ることに違和感などあろうはずもない。クラスメイトに声をかけるよりは、かなりハードルが低い行為と言えよう。
ただし、それも部活を選ばなければの話だが。
(身の丈に合った部活を探すのって、案外大変なんだな……)
一発目が野球部だったというのも良くない。おかげでユーシに、自分に運動部は無理だ、という思い込みが生まれてしまった。練習量がどうとかではなく、運動部特有のあの雰囲気がどうも苦手なのだ。選り好みしていられる場合でないのはわかっているが、勧誘期間は四月いっぱいだ。もう少し悩んだってバチは当たらないだろう。
(やっぱ文化部かなー……定番だと文芸部とか、放送部とか?)
思い浮かべる文化部は、運動部よりはマシに思えるが、どこもユーシの雰囲気にはそぐわないように思えた。
(なんか何しても駄目な気がする。……いかんいかん、めちゃくちゃ弱気になってるじゃないか)
でも。
みすずやひでりと距離を取るようになってから、何もかも上手く行ってない気がする。
そうやって俯いていたからこそ、それは目に飛び込んできた。
カサリ。風に乗って飛んできたのは、これまでと同じく勧誘のビラだった。拾い、見てみると――、
「ふ、風紀委員募集……?」
そもそも部活じゃなかった。ビラの概要を詳しく見る前に、
「あー! ありがとうございまー!」
「あ?」
やけに甲高い声がユーシの耳に届く。顔を上げ、声のした方を向けばそこには見知った女子がいた。
「……倉科?」
「ん? んー……誰だっけあなた。アタシのこと知ってるの?」
覚えられていなかった。
クラスメイトの倉科杏子。始業式の日、カラオケしようと言い出した人気者である。当然、人気であるのだからユーシも知っている。しかし、現在根暗ぼっちの道を邁進中であるユーシのことは、彼女の視界には入っていなかったらしい。
「ちょっと待ってね、思い出すから」
「どうでもいいけど、これ落としたのって倉科か?」
「ああ! そうそう、拾ってくれてありがとね。風で飛んでっちゃって。別に放っといても良かったんだけど、風紀委員がポイ捨てってのは、ちょっと」
「風紀委員?」
いいや、考えればわかることだ。飛んできたビラにまさしく『風紀委員募集!』と書かれているのだから、これを配っていたらしい倉科は風紀委員である。
しかし、なんというかまあ……。
(イメージ合わねえー……)
明るく染められた茶髪。校則に触れない程度のネイル、化粧。スカートは短く折られ、着ているカーディガンも学校指定のものではない。普通に考えて、風紀委員に所属していそうな風貌とは大きくかけ離れている。
「なんだよその顔、これでもアタシ、ちゃんと風紀委員やってんだかんね」
「その割に、風紀委員として活動してるところを見たことがないな」
「してるってば! 確かに目立たないというか、目立つことが有り得ないっていうか……ううん。そっちこそ、そんなこと言えるほどアタシのこと知ってるの? さっきから名前だって……あれ、もしかしてアタシ達って知り合いだったりする?」
「俺が一方的に知ってるだけだから気にすんな」
学年の人気者、倉科杏子のことを知らない者は、恐らく二年生にはいない。きっと三年生だって、結構な数が知っているだろう。確かに、ユーシと倉科杏子は同じクラスではあるが、互いに興味が無かったのだからその関係が交わることはない。今みたいな偶然でも起きない限り。
「そう? ……まあいいや。ビラ拾ってくれてありがと! あ、ついでだからそのままあげるよ。気が向いたら風紀委員にいらっしゃい! じゃあね!」
そう言って、人気者たる所以の笑顔をユーシに向けながら倉科杏子はビラ配りに戻って行った。その後で、ようやく風紀委員のビラをじっくり読む時間を与えられる。
『風紀委員募集中!
我々は、共に風紀を正す同志を求めています。
求めています。求めています。求めています。
求めています。求めています。求めて……
総合棟2F 生徒会室隣 風紀委員会 』
「え、こわ」
やけにずらずらと長いこと書いているな、と思ったらその内容は同じことの繰り返しであった。ギャグだとしたらセンスが無さすぎるし、マジだとしたらそれはそれでやばい。
関わらないでおこう。そう決意するとともに、こんなところに所属している倉科杏子という、UMAよりも謎の概念を知ってしまったことに軽い恐怖を感じるユーシであった。
◆
全滅だった。
何がと言えば、部活動のことである。ここ一週間、手当たり次第に数ある文化部を見て回ったのだが、どれもパッとしなかった。そもそも去年一年間、どれだけ教師に催促されようと帰宅部を貫き通したユーシである。友達作りに失敗していることからもわかる通り、みすずとひでり以外の人間と関わることが極端に下手くそなのだ。条件だけ見れば最適解に見えた部活動も、ユーシにとっては鬼門でしかなかった。
(……もう、意地を張るのはやめちまおうか)
今日も一人、もくもくと母の作った弁当を食す昼休み。食べ終わったら中庭の勧誘を覗こうと思ったが、めぼしい文化部は全て見たし、運動部は論外。完全に手詰まりだ。強がるのをやめて、またこれまで通り三人で過ごせたらどれだけ楽だろうか。
今日も教室に二人の姿はない。外で仲睦まじく過ごしているはずだ。
簡単な話だ。そこに『俺も混ぜて!』と入っていくだけで、この苦しい時間は終わりを告げる。クラスメイト相手にはできなかったことも、二人相手ならば造作もない。
(そうだな、そうしよう)
あと二日で勧誘期間が終わる。そうなればもう、気軽に部室の戸は叩けない。クラスメイトに声をかけるのと、なんら変わりない行為になってしまう。だがあと二日で適当な部活に入るなど、自分には無理だと悟ってしまったのだから仕方ない。
諦めよう。
そんなことを考えながら、弁当を鞄の中にしまおうとして、ユーシの目に飛び込んでくるものがあった。
◆
弁当を食べ終わり、ユーシは立ち上がる。部活を探すためではない、二人を探すためだ。ひでり達はどこにいるのだろう。中庭はうるさいし、屋上は立入禁止。無難に食堂とか?
そうやって二人を探すために動く脚は、不思議と軽やかだった。これまでに感じていた重さは感じず、ただただ明るい気分だけがユーシを支配していた。
支配している、はずなのに。
「…………」
総合棟2F。生徒会室の隣――『風紀委員会』と提げられた教室。
その前に、ユーシは立っていた。
部活動探しはもうやめだ。委員会だって、入るつもりはない。早くひでりとみすずの元へ向かい、肩の力を抜いて笑い合いたい。
しかし、そう考える度に『幸せそうな二人』というのが脳裏をよぎって仕方ない。三人で笑い合いたい? もちろんだ。だが今二人の元に戻ったところで、それはこれまでの『三人』ではなく『二人』と『ひとり』。わかっている。嫌なだけなのだ。二人の邪魔をしたくないだなんて言いながら、結局は『二人』が仲良くする様をユーシは見たくないのだ。
クラスメイトに声をかけるよりも、苦手な部活動に入るよりも、ひとりで弁当を食べるよりも、それが嫌なだけだ。
だからこれは逃走。
ユーシは最後の逃げ場所に、この『風紀委員会』を選んだ。
ここも駄目だったら、大人しく一人で二年生の一年間を過ごしてやる。そんな覚悟をしながら、ユーシはその手を戸にかけた。