ミレーという少女
モーリィはいつも通り治療部屋で仕事を行っていた。
日々は流れ様々な出来事があった。
恒例の魔王ちゃんが砦に襲撃に来ていた。
作務衣姿の魔族女性も一緒に来て、ご婦人方やモーリィ達とのどやかに井戸端会議を行い、遊び疲れた魔王ちゃんを抱っこして帰っていった。
補充の勇猛果敢な新米騎士達が、あちこちの場所から来ていた。
既に何人かの新米騎士は上手く砦で適応している。
中には辛うじて人としての知性と理性を保っている者がいて、次期隊長候補として大事に育てられているとトーマスから聞いたが、恐らく治療部屋に運ばれ数日看病した彼のことだろうとモーリィは思った。
――砦に類人猿ではなく人類が増えるのは本当にいいこと。
何の疑問もなくそう自然に考えるモーリィも砦に来て三年目。
都会の空気に馴染んできたのかと、彼女自身、良いのか悪いのかよく分からない切ない気持ちである。
そんな治療部屋のモーリィの元に思いもしない人物が訪れた。
「や、やあ、モーリィ……お久しぶり」
聖女になって思い出すことも少なくなっていた彼女。
「え……ミ、ミレー?」
「えへへ、戻ってきちゃった」
「戻って来たって……本当に久しぶりだね! また会えて嬉しいよ!!」
愛らしい顔立ちに鳶色の瞳、綺麗な茶色の髪に小柄な体。
彼女は勇者と一緒に旅に出たはずのミレーだった。そして恐らく、モーリィが聖女というクラスを発現させる切っ掛けの失恋を教えてくれた少女。
ミレーが申し訳なさそうな顔をして治療部屋に入ってきた。
笑顔で再会を喜ぶモーリィを見て、少しだけほっとしたような安堵の表情を浮かべる。
モーリィは所在なさげに入口で立つミレーの手を取り強引に椅子を勧めると、急いでお茶を淹れテーブルの上に自分と彼女の分を置いた。
護衛のため壁際の椅子で待機している女騎士の分も淹れて手渡すと、彼女はサムズアップをしながら無言で受け取り、ずずーっと美味そうに啜った。
ミレーは治療部屋に以前はいなかった女騎士を不思議そうに見る。モーリィはどう説明したものかと悩んだが、先に今まで話をしてもらうことにした。
「うん、勇者と一緒に旅していたんだけど、私以外にも数人の女の人がいてね」
「へぇ、男女混合パーティというやつなのかな?」
モーリィの何気ない質問にミレーは首を大きく左右に振った。
彼女のボブカットの柔らかい髪が動きに追従するように綺麗に広がる。
「ううん、違うわ。勇者以外はみんな女の人だったの」
「え……そ、それは!?」
「あっ! 別に彼女達との仲は悪くなかったわよ。むしろかなり仲良くなってね」
「あ、そうなんだ、それは良かった……」
モーリィの案じる様子に気づいたのか、ミレーは手の平をぱたぱたして明るい表情を見せる。どうやら心配させないための強がりではなく、彼女は本当にパーティの女性同士で仲良くやっていたらしい。
――あれ、でもそうすると砦に何故戻って来ているのだろう?
疑問を感じたがミレーの語る旅の話の続きを聞くことにした。
「うん、よくオークの群とかを女の人全員で討伐しに行ってね。私は後方支援だったけど、たまにくるオークとかメイスで成敗してたのよっ!!」
「おー凄い! ミレーも活躍していたんだね?」
ミレーは少し興奮ぎみにブンブンと片手を軽快に振り回す動作。
流石に冒険していたんだと感心するモーリィ。
しかし彼女のメイスを振るような動作はやたらと下ぎみ。
「仲間の女の人も、みんな強い人ばかりでね」
「うん、うん」
久しぶりに見るミレーの元気で明るい姿に、最近の出来事で精神的疲労を感じていたモーリィは嬉しくなり、心が癒されるような気分になる。
「それでみんなね、凄い二つ名とか持っててね」
「へーどんな名前だろう?」
「えっとね、貫きのとか、切断のとか、抉りのとか」
「え、ええ……う、うん……あれ?」
モーリィは首をひねる。ミレーは本当に嬉しそうに話していた。
――おかしいな微妙に癒されない、何故だろう本当に不思議だぞ?
「私も何と、潰しのミレーって名前つけてもらっちゃったのよっ!!」
「ああ、うん……何か、その凄いね」
ミレーは鳶色の大きい目をキラキラと輝やかして、嬉しそうに下から上へとメイスを振る動作。角度が酷くエグかった。ナニかがキュとなり、モーリィは自分の太ももをすり合わせた。
モーリィの本能がささやく、この話題をこれ以上喋らせてはいけない。
「えーえっと、その、そうだ! 勇者のほうはどうだったの!?」
「…………」
話題を変えるつもりで勇者の名前を口にしてから、モーリィは失恋した時のことを思い出して少しだけ心が痛んだ。しかしそれ以上にミレーの変化は劇的だった。
にこやかな表情をしていた彼女の顔から、感情が抜け落ちるかのように消えたのだ。モーリィは今まで見たことのないミレーの様子に酷く不吉なモノを感じた。
「あ、あの、ミレー?」
「ああ、勇者ね……アレ、クズだった」
ミレーの怒りの表情、人の影口は滅多に言わない彼女が珍しい……あまり穏やかな話題ではなかったようだ。
「少し手ごわい魔獣を倒してね。勇者がちょっと酷い怪我を負ったけど、私が治してあげてね。街の人にも感謝されて、それで勝利の祝宴をしましょうかでみんなで宿に泊まったの」
「う、うん」
「その夜に勇者のやつが私達の部屋に入ってきて、いきなり全員に服を脱ぐように命じてきたのっ!!」
「え、ええぇぇぇ!」
その時のことを思い出したのか、ミレーは拳を握りしめ足踏みしそうな勢いだった。
「いきなりね……俺の夢は裸の女を一列に並べて、後ろからお尻をパンパンすることなんだって意味の分からないことを言いだしてね!?」
「あ、うん……それは、その、意味が分からないね?」
悲しいことにモーリィには少しだけ意味が理解できてしまった。
「俺はお前たちの為に今まで怪我を負っても我慢してきたんだ。そろそろお前たちの体で癒してくれよ。とか、ほざきやがったのですよっ!! 最低最悪よ!!」
「…………ええ、最低最悪ですね」
ミレーは怒り心頭なのか言葉使いまでおかしくなっていた。
それに対して最近の騎士達の悲劇と、どこかで聞いたことがある男子共通の夢の話を思い出し、額に手を当て何とも言えない気持ちになるモーリィ。
「えっと、それでどうしたの?」
「女の人全員でぼこぼこにしてから、剥ぎ取って、もいでやったわっ!!」
「――――――」
――え……ええ? 剥ぎ取って……もいだ? もいだの? もいだって?
よく分からない焦りを感じてモーリィは恐る恐る尋ねる。
「あの、ミレーさん……何をもいだの?」
「とにかく、ナニをもいだのよっ!!」
ミレーのあまりの剣幕に、モーリィは「ひぃ」と悲鳴をあげ股間を手で押さえる。女になってから失って久しい息子的なナニかがヒュンとなった気がした。少しちびってしまったかもしれない。
大声を出して心が落ち着いたのか、ミレーは少し気恥ずかしそうに咳払いをすると、いつもの優しい表情で話を続けた。
「それでまあ、色々あって恥ずかしながら戻ってきたの」
「ああ、うん、そっか、ミレーも大変だったんだね」
「うん、えっと……それでまた、ここで働けることになってね」
ミレーはもじもじと自分の太ももの上で指を閉じたり開いたりを繰り返す。何か本人的に言いにくいことらしい。モーリィはミレーの言葉の続きを待った。
「その、身勝手な話だけど、また、ここに居る事を許してもらえるかな?」
「え? あはっ、そんなことか、ミレーがいいのなら大歓迎、本当に戻ってきてくれて嬉しいよ」
ミレーの迷いなど何でもないようにモーリィは即答して喜んだ。
「うっ、あ、ありがとうっ……モーリィ」
ようやく安心できたのかミレーは涙ぐみながらも微笑む。後ろで腕組みをして座っていた女騎士も一件落着とばかりにウンウン満足げに頷いていた。
それに気づいたミレーは疑問を聞いてきた。
「あの、それで彼女は?」
「ああ、えっとね」
どう話したらいいのか迷い女騎士を見ていたら、彼女は男前の表情で頷きサムズアップ。それに勇気づけられたような気がして、モーリィは自分の身に起きた出来事を話すことにした。
「あのねミレー、その……クラスが判明したんだ。僕のね?」
「え、本当っに? おめでとうモーリィ! それで何のクラスだったの!?」
無邪気に喜び祝福して、無邪気に質問してくるミレー。
「聖女……つまり私は女になってしまったんだ」
瞬間、部屋の空気は見事に凍り付いた。
ミレーは小さく口を開けて、えっ……という表情。
――あぁ、ちくしょう、ちくしょう、やっぱりこの子は可愛い。
モーリィはミレーの愛らしい顔を見て現実逃避気味。
そのミレーはいきなりモーリィの胸を両手でむんずとつかむ。
突然のことに悲鳴を上げるモーリィには構わず、壊れ物を扱うかのように繊細に優しくきゅっきゅっと揉みだしたのだ。今まで感じたことのない不思議な感覚に、モーリィの口から変な声があふれ漏れる。
「うん、違和感あったの。モーリィの声が何か高いし、厚手の医療服でわかりにくかったけど胸が大きくなってるし、というか何か綺麗になってるしっ!!」
「ちょ、ちょっと、ミレー、む、胸を揉むの止めてぇっ!!」
「何この胸、何この胸、うわうわっなんか凄すぎて止まらないのよ、うわっ!!」
うわっうわっ言いながらミレーは壊れた。
そして唐突に揉むのを止め手を放すと、彼女はモーリィの胸に顔を押しつけ腰に手を回して力いっぱい抱きついてきた。驚き赤面するモーリィに対してミレーはその状態で懇願する。
「モーリィ。このまま抱きしめたままで、お話の続きをして欲しい」
「ミレー……?」
「ごめんなさい、お願い、モーリィ……」
ミレーは僅かに涙声になっていた。どうしようかと視線を上げたモーリィと女騎士の視線が合う。彼女は腕組みしたまま表情を変えずに無言で頷いた。
――ほんと男前だな砦の女騎士様は……!
モーリィはミレーの体に手を回すと、今まで起きたことを改めて語り始めた。
途切れ途切れで決して上手い話し方ではなかった……一つ一つお互いの離れていた時間を埋めるようにモーリィは語っていった。全ての話が終わりモーリィは胸に抱きついたままのミレーの背中を何度も軽く撫でる。
すると今度は彼女がぽつりぽつりと語りだす。
「モーリィあのね、私ね。今回の冒険の旅で勇者とのことがあったから、男に幻滅して男なんてもう一生いいって本気で思っていたの」
「え? う、うん……」
「でもね、でもね、今のモーリィだったら、私イけると思うの色々な意味で……」
「うん、え……ええっっ!?」
話がおかしな方向へと転がっている酷く嫌な予感。夢の中で空を飛んでいて突然落下しているような感覚。それともこれは悪寒なのだろうか?
抱きついたまま豊かな胸からミレーが顔を僅かに上げる。
モーリィは彼女の鳶色の潤んだ瞳を見てゾクリっ。
その表情はつい最近嫌になるほど見たことのあるものだったからだ。
「モーリィ、私と結婚しましょうっ!?」
ミレーは頬を染め恍惚とさせ、熱い眼差しをモーリィに向けていた。お尻を治療してあげた騎士達が浮かべていた乙女顔ってやつだった。
その表情に愛らしさより、恐怖を覚えたモーリィは縋るように女騎士を見た。
彼女は背中を向けていた。そして肘を折り曲げ横に広げたまま、両手の平を上に向け首を左右に振っていた。すまない私には無理だ……彼女は処置無しというやつだ。
女騎士の異様に分かりやすい仕草が今のモーリィには異様に腹立たしかった。
「私のお嫁さんとして、絶対にモーリィのことを幸せにするからっ!!」
――結婚はともかく、そこはせめて夫にしていただけませんか?
もう離さないとばかりに鼻息も荒くきつく抱きしめられ、胸部装甲をミレーの顔でぐりぐりと縦横無尽に占拠されたままモーリィは呆然と思った。
料理を持って様子を見に来たターニャが、状況を察して引き離してくれるまで、彼女はミレーに抱きつかれていたのだ。