闇の森の竜と女王
モーリィに待っていた呼び出しがかかる。下ろしていた白銀色の長い髪をかきあげ手早くまとめ、治療部屋から出て砦の正門入り口にあたる大広場へと向かう。
治療部屋からは少し距離があるため早足。
一般女性に比べて大きな胸のため、やむ得ず下着をしっかりと着用しているのだが、手で押さえても上下に揺れる胸は相変わらず慣れなく邪魔に感じる。
石畳で舗装された大広場に辿りつくと、一仕事終えたらしく端の方でげっそりしたように座っている知り合いを見つけてそこに向かう。横に立ち様子を覗うと、ルドルフはため息をつきトーマスは肩を竦めた。
二人とも疲れた顔をしているが、曲がりなりにも第三騎士隊所属のエリート脳筋の彼らである、体力的にではなく精神的に疲労を感じているようだ。
モーリィは大広場に広がる惨状に昔のことを思い出した。
それは成人の儀式を受ける前日のことだった。
彼はヨーサクという名前の幼馴染。成人の儀式を受けるため近くの街に向かう荷馬車の中で、同年代の者達と話をしている最中に彼は突然こう言ったのだ。
『俺には夢がある! 凄いクラスを得て英雄になったら、裸の女の子をベッドの上に一列に並べて、後ろからお尻パンパンするんだっ!!』
みんなで一斉に大爆笑。
ヨーサクも多分本気で言ったわけではない、彼はそういうネタをたびたび挟んでは、みんなの笑いを誘うのが本当に上手い頭のいい男だった。
男の夢だよなーうんうん分かる分かると話が盛り上った。
――あの頃は本当に楽しかったな。
何故そのようなことを思い出したかというと、砦の大広場の地面に野営で使用する大きな麻布が敷かれ、何百人もの裸の男達が四角い尻を剥き出しにし、一列に並べられウンウン呻いて寝ていたからだ。
砦街の役割……正確には砦の役割というものがある。
たまに砦街に襲撃に来る獣王国の獣王様の――
『おっ、おめぇらっ強いやつ(脳筋)ばっかいるなぁ。よしっ! オラといっちょやってみっか!!』
そう仰る要望に対して砦どころか国。そして周辺諸国をも巻き込んだ砦一武闘会を開催してみたり。
この時は決勝戦で、獣王と女騎士の数時間にも渡る殴り合いの末、女騎士が起死回生のボディからの八の字回転連撃を獣王に決め優勝した。会場の全員が立ち拍手するほど熱く激しく盛り上がり、モーリィも感動して少し泣いてしまった。ごりら。
たまに砦街に襲撃に来る魔の国の自称魔王の――
『フハハハッ! 我は魔王なり、人族共よ我が力の前に跪くがよいっ!!』
そう仰る要望に対して、その場にいた騎士達全員で魔王迎撃戦をこなしてみたり。
『うわああんっ、御婆ちゃんに言いつけてやるうぅっ!!』
この幼女はそう言って泣きながら帰っていったので、魔王ちゃん(仮)とか魔王ちゃん(笑)と呼称されて親しまれている。そして迎撃戦成功に大はしゃぎをする大人げのない騎士達に、流石のモーリィも見るに見かねて『幼児相手にやりすぎですよ!』と叱った。
『アタシ参上!!』
それから直ぐ後に、泣きぐずる幼女を抱っこした女性が砦にやって来た。
ほっかむりに作務衣姿という何だかよく分からない格好をした、やたらと美人なその魔族女性は騎士達を全員ボコボコにし、女騎士達の合体奥義トライアタックすらも弾き返した。魔王ちゃん(仮)は手を叩いて大喜び、モーリィは自らの顔を両手で覆った。
その後、彼女は魔王ちゃんを抱っこして砦の井戸端会議に参加し、お土産に魔の国の産地と思われる大量の果樹植物や苔盆栽を置いて帰っていった。
この最初から最後までクライマックス状態だった魔族の女性は、魔王様(真)とか魔王様(恐)と呼称され、街でも一時期流行した苔盆栽はモーリィも治療部屋に置いて育てている。心安らぐよね苔盆栽。
とまあ、砦と騎士達の本来の役割とは周辺の魔獣討伐。
正確には闇の森からあふれ出てくる魔獣を迎撃することにある。
闇の森とは人族と魔族の領域を隔てる境界線である。以前は行き来が出来たようだが、四百年ほど前に起きた人魔大戦と呼ばれる人族と魔族の大戦争の後に、森の木々が急激に伸び二つの種族の領域を完全に分断することとなった。
問題はこの闇の森で広大な森林には恐ろしい魔獣達がひしめいているが、同時に数多くの貴重な資源や動植物などが存在し、それを得るため無謀な冒険者達が入り行方不明になることがある。自己責任なので勝手にしてくれが基本なのだが、たまに森の支配者である闇竜などを刺激し酷い騒ぎを起こすのだ。
人間離れした砦の騎士達も闇竜達相手では流石に分が悪い。というか騎士達の重傷原因の殆どが闇竜達の仕業で、特にポチと呼ばれる片目の闇竜の強さが群を抜いて凶悪。たまに砦街に襲撃に来る魔王ちゃん(笑)が可愛らしいくらいだ。
そして今回起きた出来事は、諸外国と色々と問題を起こすことに関しては、安定した信頼と実績を持つ、神を祭る宗教国家の手の者によって起こされた事件だった。
彼らはよりにもよって闇竜達の卵を盗んだのだ。
闇竜達の大暴走の知らせがあり慌てて騎士団総出で出向いた。
砦街を完全に留守にするわけにもいかないので、砦警備任務中の第三騎士隊と、街の治安維持専門の第五以外の第一・第二・第四で出陣。騎士団長が王都に出向き不在だったため、指揮を第一騎士隊の騎士隊長が執り仕切り、彼を中心に事件に当たることとなる。
ここで話は少しずれるが、砦の騎士隊で騎士隊長になるには、ある最低条件がある……それは人としての知性を全て失っていないことだ。
以前にも話したが入隊時は普通でも、砦で脳筋達に囲まれて生活していると、いつの間にか全ての知性を理性と共に無くしてしまう。砦に送られて来るような騎士だと最初は5程度の知性を持っているが、それがわずか数週間で2以下になり、そして数か月後には0に近い小数点あたりまで落ち込み、晴れて砦の騎士の仲間入りとなる。
彼らの行動は一見して常人と変わらないように思えるが、脳の筋肉が常に条件反射で動いているため傍目には普通に見えるのだ。
だが隊長になれるような者だと元々の知能が高いのか、脳筋達に交じっても元の半分の3程度の落ち込みで済む。脳筋に交じっても知性と理性を失わない高い頭脳を持つ者、それこそ砦の騎士隊長に必要とされる重要な資質である。
参考までに普通の人の知性は最低でも10以上。
そんな素敵に脳筋な彼らだが、まずは原因の調査とばかりに闇竜の偵察に向かい、そこで必死に逃げている怪しい集団を偶然発見した。
頭脳はおそまつでも行動力と戦闘力は王国一の彼等、ある意味では、はた迷惑な連中だがこの状況下ではいい方に転がった。
手早く追跡し、手早く拘束し、手早く尋問し、手早く闇竜の卵を発見。
おま、おまえらまじかよっ! ふざ、ふざけんなよぉ! という流れだった。
この状況、闇竜にすれば人族が卵を盗んだのだ。
僕達とは違う国の人が盗んだんです。僕達は貴方達の良き理解者です。僕達は平和主義者です。ですので、あの、あの……ま、まずはお友達からお願いします!!
などという初めての恋の告白もどきは悲しいことにまず通用しない。
しかし大暴走する闇竜達を放置すれば、国がいくつ滅びるか分かったものではない。彼等は王に剣を捧げ国と民を守る騎士として、命を賭ける決断をしたのだ。
その場で最も高い知性を持つ第一騎士隊長の指揮の下、持ってきた炎ブレス避けの大盾と覚悟を持って全員で説得交渉をしに行こうか? で向かった。だが騎士達は闇竜の罠にまんまと誘き出され、背後に分散して潜んだ闇竜達の炎ブレスによる集中砲火を浴びせられる。交渉にもならなかった。
同時に砦の騎士達の知性は、闇の竜には遥かに及ばないことが証明された歴史的瞬間だった。全員がお尻を後ろに引いた逃げ腰の、へっぴり腰だったのが不味かったのか、こんがりとお尻を重点的に焼かれてしまったのだ。
へたれ過ぎ。王国の剣は?
無茶言うな騎士達だって自分の身が一番可愛い。
騎士達のお尻の姿焼きという地獄絵図なその場所に現れたのは、炎のような色合いの髪と瞳を持つ、どこかで見たことあるような、やたらと美人な魔族女性。
『なるほど貴様達は卵を取り戻して来てくれたようだな、良いだろう今回はその働きに免じて引いてやろう……だが次は無いぞ人族?』
女王様的な見下し視線と、ぞくぞくするような有り難い言葉を仰って、卵と卵を盗んだ者達の身柄と引き換えに彼女と闇竜達は闇の森に帰って行った。この時の騎士の何人かは職変更して騎士になったかもしれない。
そして負傷した騎士達は、万が一を考慮して偵察に来ていた女騎士達と、その知らせを聞いてやって来た砦街の住民有志の協力によって、荷馬車に出荷前の豚のように大量に乗せられ砦まで運搬されていったのだ。
このような時の砦街住民の団結力は素晴らしいものがある。
負傷した騎士達を剥く作業を居残りの第三騎士隊と、砦街のご年配のご婦人方と女騎士達で取り組んだ。モーリィも手間を省くため治癒しながら手伝おうとしたらご婦人方に遠慮願われた。彼女達いわく年頃の若い娘さんが、そんな恥じらいのないことをするものではないらしい。
モーリィは以前から薄々と感じていたのだが、ここに来た当初から街の住人には女だと勘違いされていたのではないだろうか? 最初から砦の井戸端会議に参加させられて、たまに相手が男のお見合いを勧められるという、思い当たる節がモーリィには色々とあるのだ。
後……二十代くらいの者が多い女騎士達はいいのだろうか?
そのため、騎士の剥き身の下ごしらえが出来上がるまで、モーリィは治療部屋で何とも言えない気持ちのまま指をトントンしながら待機していたのだ。
大広場についたモーリィが見たのは、砦街の市場で年に一度行われる肉祭りのように、ぎっしりと並べられた騎士達。元男のモーリィとしては男の裸を見ても特に何も感じない。むしろルドルフやトーマスのように男の服を延々と剥いていたらうんざりしていただろう。
本物の女性ならば何か思うことはあるのかと辺りを見回してみたら、騎士達を剥いたご婦人方や女騎士達が、腕を組みゲフフグフフといったご様子で、ニヤニヤニタニタと全裸の騎士達を眺めながら何やら熱い評論を交わしていた。
どうやら、あんな連中でも本物の女性の方々には需要があるようだ。
モーリィは休んでいる二人に手を振ると治療を開始することにした。
並んでいる騎士達のお尻の一つを軽くパンっと叩くと、あれほど酷かった重度の火傷が見る見るうちに治癒されていく。
本来なら治癒の術はゴニョゴニョと呪文を唱える必要があるのだが、聖女の能力だと対象を軽く触るだけで治癒させることが可能だった。正直この時だけは聖女になってよかったとモーリィは心の奥底から思った。これだけの数の男尻を目の前にして呪文を唱えながら治療していたら確実に精神が病んでしまったはず。それ以前に魔力が持たないだろうが。
なるべくお尻を見ないようにしながら次々とパンパンしていく。
――騎士の皆様方、オゥフとかウッとかアフゥ、と変なお声を上げられますのは大変に気持ち悪いのでお止め頂けるようお願いいたします。
モーリィはしばらくそうやって治療をしていたが、ふと集中力が切れて横を見てしまう。騎士達の治療を終えたお尻が密集するように並んでいた。
ツルツルと綺麗になった筋肉質で四角いが様々な形状のお尻が並んでいた。
モーリィは天に向かって絶叫したくなった。
――ヨーサクお元気ですか? 私は元気です。あの頃の貴方の夢は裸の女の子を並べて、後ろからお尻をパンパンすることでしたね? 夢は叶いましたか無理ですよね? 実は今の私は貴方の夢を代理で叶えているところです。ただし目の前にいるのは女の子ではなく、むさ苦しい男達で、全裸にされた彼らのお尻を後ろからパンパンとしております。不思議なことに涙がこぼれてきました。嬉し泣きというものでしょうか? ヨーサクもお体を大事にし日々を健やかにお過ごしください。かしこ。
モーリィはそのように心を別の場所に隔離した。死んだ目で無心に数百人以上の騎士のお尻を治癒したのである。パンパン。
後日、それからしばらくの間。
治療した騎士達がモーリィと会うたびに、頬を染め俯きチラチラと上目使いで乙女の顔をしてくるのが、酷く酷く苛立たしかった。