中華、万歳!
「はいお待ちどおさま」
「こっちもあつあつでーす」
「わあ」
運ばれてきた料理をみて、飛鳥の口から感嘆の声が漏れた。麻婆豆腐は赤黒い味噌だれの中に、たっぷりの挽き肉・豆腐・ネギが踊っている。小籠包はいかにも肉汁たっぷりです、といわんばかりにぷっくり悩ましくふくらんでいた。
飛鳥ののどが鳴った。一流の芸術は素人が見てもすぐわかると言うが、料理に関しても同じようだ。悪いとは思うが、みーちゃんが出してくれた日本酒そっちのけで、飛鳥は箸をとった。
まずは味の淡泊な小籠包から。皮を破らないよう慎重にレンゲにのせ、小さな穴をあける。そこからじわっとしみ出てきた茶色のスープを、ちびちびのどの奥へ流し込んだ。
出汁と肉汁が混じり合ったスープは、しっかり味がついているのに少しも脂っこくない。朝の空っぽの胃に、心地よくしみこんだ。
次に、皮とあんをぱくりと一口で食べる。もちもちとした皮と、柔らかなあんがかめばかむほど口の中ではじけ、味が広がる。なくなると、また次に手が伸びた。
瞬く間に小籠包を三つたいらげた飛鳥は、今度はざっくりと麻婆豆腐をすくって白米にかけた。たっぷり入った挽き肉とネギ、豆腐が白米の上で折り重なっている。少し行儀が悪いのは承知の上で、飛鳥は一気にかきこんだ。
たれは少し赤みがあるが、最初はさほど辛くない。それよりもぴりっとした山椒のしびれがやってくるのが新鮮だ。たれと挽き肉が濃厚な分、少し柔らかめのとろりとした豆腐がうまく中和剤になっている。豆腐を多めに食べればたれがほしくなり、肉とたれをかきこめば豆腐に戻りたくなる。
「無限ループだなー」
わしわしと飯をつめこむ飛鳥の横から、みーちゃんがグラスに入った貴醸酒を出してきた。その顔には、こっちも忘れちゃいませんかと書いてある。
そうだ、精霊たちが摂取して欲しいのは酒なのだ。断ろうかと思ったが、ここまで美味いものを作ってくれた相手にそれも申し訳ない。飛鳥は仕方なく、ちびちびとグラスの酒をなめた。
相変わらずグラスから漂うアルコール臭は強烈だが、料理と相性がいいのかそんなに違和感は感じない。大きなロック氷が入っており、少しおけば酒の味も薄まってきた。
飛鳥がグラスを干したのを見届けたみーちゃんが、それはそれは満足そうに笑う。薄めた酒を料理まじりで流し込んだだけだというのに、やたらうれしそうな彼女の顔を見て、飛鳥は不思議に思った。
「うれしい?」
「うれしいですねえ」
みーちゃんが胸を張った。変な連中だ、と飛鳥は思ったが、うんちくを語り、濃い酒をいきなり勧める部長のような人間よりは好ましい。
「料理とセットでおすすめ、方向性としちゃいいんじゃないの。すぐに金は出さないけど、興味は出てきた」
飛鳥が言うと、華の目がきらりと強く光った。
「そうですよね!! 私たち、これからも着々と進めて参ります。日本飲んだくれ量産ぷろじぇくと、を」
「その名前でいきなりダメな感じ全開になった」
「ああん」
悲しみに身をよじる華を横目で見ながら、飛鳥は最後の白米を口に押し込んだ。酔いは回ってきたが、頭が痛かったり吐き気はない。この前と違って、和気藹々(わきあいあい)とした楽しい時間が流れていた。
食器洗いをすませると、時刻は八時を回っていた。これから学校があるから、と飛鳥が言うと、三体は「今日はもう来ないので寝ないように」という注意を残し、ふつうに玄関から帰っていった。
☆☆☆
飛鳥はほろ酔いのまま、大学に向かった。正門をくぐって、グラウンドを横目に見ながら芝生の生えた中庭をつっきり、ベージュの外壁の授業棟へ入る。
同じ地域には超有名な国立大学があるが、飛鳥の学校は単なる中堅私立である。必修でない授業の出席率は限りなく低い。
それは大学側も経験的にわかっており、授業に大教室が使われることはほとんどなかった。今も、三十人も入ればいっぱいの小教室で、一般教養の英語の授業が行われている。
しかし、そんな大学の配慮にも関わらず教室はがらがらだった。かろうじて出席している学生の顔にも覇気がなく、意欲がないのがよくわかる。生徒たちはグレーの椅子にだらっともたれかかったり、机の下でスマホをいじったりしていた。
そんな中、ひとり最前列で背筋を伸ばしている女生徒がいた。早乙女つばきは、今日も通常営業だ。
「席とってとは言ったけど、なんで一番前?」
小声でつぶやきながら、飛鳥は仕方なくつばきの横に腰を下ろした。飛鳥が座るなり、つばきがかすかに笑ったのがわかる。言いたいことはあるが、最前列で私語というのも情けない。飛鳥は口をつぐんで、教科書を開いた。
その後、飛鳥は面白くもなんともない英語の授業を耐え抜いた。途中何度か脱落しかけたが、隣のつばきが実に的確なタイミングで足を踏んでくるのでなんとか眠らずに済んだ。
授業が終わり、教師もほかの生徒もびっくりするくらいのスピードで教室からいなくなった。しんとした狭い教室の中で、つばきがつぶやく。
「顔が赤いですよ。お酒を召し上がりまして?」
なんとも典型的なお嬢さん言葉だが、彼女が言うととってつけた感じはみじんもない。
「うん」
「朝から?」
飛鳥が素直にうなずくと、つばきは首をかしげた。ばっつりショートにしている飛鳥と違って、枝毛ひとつなさそうな、腰まで伸びた黒髪がさらりと揺れる。
「まあ珍しい」
「事情があって」
「楽しそうですわ。今度誘ってくださいまし」
「つばき、日本酒好きなの? 真面目そうな子が意外」
飛鳥はそう言いながら、軽くつばきの肩をつついた。二人はともにダブり期間がある身だが、勉強嫌いで浪人した飛鳥と違い、つばきは海外留学が伸びただけで授業態度はすこぶる良い優等生だ。好んで酒を飲みそうなタイプには見えなかった。
「飛鳥ちゃんにしてはつまらないことをおっしゃいますね」
「あんたんとこ金持ちだから、お酒はダメとか言いそうなイメージあんの」
つばきの生家は地元では知らないものがいないほどの大富豪だ。主な収入源は、莫大な所有不動産からあがってくる賃貸料だが、それを交通や娯楽産業に手堅く投資し、盤石ともいえる経営状態を維持している。
そのため、飛鳥は両親以外では彼女だけに、四十億持っていることを話している。案の定、つばきは「あらまあ」の一言だけですませ、あっけらかんとしていた。
会社の株の配当だけで、年間一億近く個人資産が増えていくというお嬢様の対応としては妥当だろう。華たちもこっちに行けばよかったのに。
その超のつくお嬢様が、かわいらしく首をかしげながら口を開いた。
「イメージと申しましても……おばあさまが生きておられたころは、正月になるたびに樽が割られて大盤振る舞いでしたのに。わたくしが辛党になったからといって、誰が責められましょうか」
富豪の大盤振る舞いか。さぞやすごいんだろうなと思った飛鳥だった。
「あの三体、あんたのところに行くように言うわ」
「なんのことでしょう?」
「うーにゃ、なんでもない」
つばきはぽやぽやしているように見えて、飛鳥以上に現実主義者だ。ここで素直に「実は精霊に押しかけられてさ」とぶちまけたら、「頭、どうかしたの?」という正論をきれいな言葉で吐かれるだけだろう。実際に遭遇してもらうのが一番だ。
押しつけることを決めてしまうと、気が楽になった。安心するなりのどがかわいたな、と飛鳥は思った。今朝飲んだアルコールのせいだろうか。
飲み物買ってくる、とつばきに断って、飛鳥は教室を出る。早足のまま自動販売機を探した。
しかし、校舎の一階にある自動販売機の前には、派手な女生徒たちが陣取っていて延々会話をしている。どいてくれ、と言っても本人たちには聞こえそうもない。仕方なく飛鳥は校舎の外に出た。