アイスと日本酒のマリアージュ
「あんたが本気でそう思ってるとしたら……こりゃ、考えてたより事態は深刻だね」
鼓が立ち上がった。しかし、打ちひしがれた様子はみじんもない。かえって闘志に火がついた、という風情だ。
さっきまで落ち込んでいた華も、しきりにうなずいた。そして、頬を赤くしながら鼓と同じように立ち上がる。しかし、帰るつもりでないことはすぐわかった。飛鳥は心底うんざりしている。
「……どうでもいいから帰ってくんない」
「こんなに、こんなに日本酒が誤解されていたなんて!! 華は無知がすぎました」
「蔵本ががんばっても、これじゃ売れないわけだねえ。さて、どうすっか」
「……まず飛鳥さんの誤解をとくべきだと思います。どうしましょう鼓さん、誰をお呼びしましょう!?」
「いや帰れっつったのになんで呼ぶんだよ」
飛鳥がつっこんだが、二人とも聞いていなかった。
「今来てくれる中では、みーちゃん一択じゃないかしら」
「わあ、久しぶりにお会いできるのですね」
「誰だよ!?」
完全に飛鳥そっちのけで、二体の精霊はきゃっきゃっと盛り上がっている。
鼓が懐から小さな瓶を取り出した。女性の小指ほどの大きさながら、ちゃんと中身が入ってラベルと蓋までついている。鼓はそれを握って、口を開く。
「みーちゃん、悪いけどこっちにきてくれる?」
すると、闊達な若い女の声が聞こえてきた。
「そこどこー?」
「出資者のおうち」
「勝手に決めんな」
飛鳥のつっこみは、当然のように無視された。
「なーに、今から? ちょっと待ってよー……」
それを最後に、女の声は聞こえなくなった。そのかわり、酒瓶からことことと物音が聞こえてきた。
次の瞬間、瓶がぴかっと光り、飛鳥は目を閉じる。次に目を開けた時には、部屋の中に金色の髪、褐色の肌をもった女子が増えていた。
きちんとした着物を着ている今までの二体とは違って、彼女は膝上でばっさり切られたミニタイプの浴衣を着用している。白地にバラの模様が浮き上がる着物の下から、形のいい足が見えた。
「どうも。muguetって言います。言いにくいからみーちゃんでもいいよ。よろしくー」
「よろしくといわれても」
無邪気にほほえむみーちゃんとやらを見て、飛鳥は戸惑った。全くどうしていいのかわからないのは、宝くじに当たったあの夜以来だ。とりあえずみーちゃんも床に座ってもらったはいいが、なんとも落ち着かない。
「で、わたしはここでいったいどうしたらいいの? とりあえずぐいっといっとく?」
顔をしかめている飛鳥を全く気にせず、みーちゃんは口を開く。
「いっときましょう」
「頼むよ」
華と鼓があおると、金色の髪を揺らしてみーちゃんは笑った。彼女が指を伸ばすと、飛鳥の目の前の紙コップに、みるみる褐色の液体がたまっていく。軽くにおいをかいでみると、ぷんとアルコールのにおいがした。
「いきなり酒が出てきた」
飛鳥がつぶやくと、華がうれしそうに胸を張った。
「精霊ですからねー。自分の守護するお酒くらいは指先から出せてしまうのですよ」
「それなら特殊技能、四つじゃん」
「あれまー。三つの方がキリがよかったのに」
「ままま、細かいことは気にしない。ぐいっといっとけー」
「無理」
みーちゃんは暢気に杯をすすめてくるが、飛鳥は手を挙げて断った。みーちゃんはひどく不満そうな顔をする。
「なんでー」
「日本酒嫌いなの」
眉間にしわを寄せて、飛鳥は拒否した。そこで鼓がなだめに入る。
「そんなら、そのまま飲めとは言わないよ。……アイスクリームはあるよね?」
「ないよ」
季節はまだ四月だし、飛鳥は普段からマメに買い物にいく方ではない。いつも家の中にあるのは買い置きの水とカップラーメンくらいだ。
鼓はちょっとそのままの姿勢で固まっていたが、すぐに立ち直った。
「買ってくる。銭をおくれ」
「イヤだよ」
「ちゃんと一番高いのを買ってくるから」
「人の金を借りておいて、なぜ一番高いのを選ぶ」
「いいから」
最後はほとんどごり押しに近かったが、飛鳥は根負けして鼓に一万円札を投げてよこした。精霊に買い物ができるわけがない、とたかをくくっていたのもある。しかし予想に反して、鼓はすぐにコンビニの袋を下げて戻ってきた。
「後はあんたらに任せた」
「はいっ。さ、まずはアイスをガラスの食器にうつしましょう」
「やろやろ」
華とみーちゃんが元気よく立ち上がった。しかし、飛鳥は彼女たちの勢いに水を差す。
「そんなもんない」
それを聞いた華とみーちゃんの目が、大きく見開かれる。
「……普段いったいどうやって食事してるんですか?」
「紙皿と紙コップ。使ったら捨てる」
「蛮族ですか?」
「ひどい」
食器にこだわりがなさすぎる飛鳥をとがめながら、華は冬眠前の熊のように台所をさまよった。
「とにかく紙皿では寂しすぎますから、なにか食器を」
「……めんどくさいなあ」
仕方なく飛鳥は、食器棚の奥から背の低いマグカップを取り出した。うっすら埃がつもっており、最初は拒まれる。しかし、最終的にはまあよろしいでしょうと華が折れた。
それでもカップを洗って、アイスクリームをざっくりと入れると格好がついた。
「みーちゃん」
「はいよ」
華から声をかけられたみーちゃんが、アイスの上にとくとくと日本酒を注ぐ。美少女の指先から次々に酒滴が生まれてくるのを見て、飛鳥は声を漏らした。
「ほー」
さっきも見たが、みーちゃんが出した酒は、飛鳥の見てきたものとは全く違っていた。ふつう日本酒は、透明か白く濁っているものだが、これは全く違う。まるでブランデーのような深みのある琥珀色で、とろみがある。なんとなく興味をひかれた飛鳥は、じっとアイスを見つめていた。
「はい、できあがりです」
もう少し何かするのかと思っていたが、本当にそれだけで完成らしい。みーちゃんと華が、目を輝かせながらマグカップを差し出してきた。
「わたしたち、がんばりました」
「アイスに日本酒かけただけじゃん」
「紙皿使ってる人が言わないのー。ささ、食べて食べてー」
「……うーん」
無邪気に勧められたアイスを見て、飛鳥は後込みした。が、アイスの代金を出したのは自分である。鼓は本当に一番高いアイスを買ってきたようだし、食べないともったいない。
「じゃあ、とりあえず……」
飛鳥は三体の視線を感じながら、おそるおそるアイスを口にした。ふわっと日本酒の香りが寄ってきたが、我慢してぐっと飲み込む。冷たい固まりが、のどをすべり降りていくのがわかった。
「あれ」
思ったよりすんなりと、日本酒まみれのアイスは飛鳥ののどをすべり落ちた。アイスの甘さで、酒臭さがだいぶ中和されている。ラムレーズンのアイスがあるが、あれをもっと濃くした感じだ。
「思ったよりいける」
飛鳥がいうと、精霊三体が顔をつきあわせてにやにやと笑った。なんだか相手にいいようにされている気がしたが、飛鳥は黙々とスプーンを動かして完食する。
「どうですか」
「……大部分アイスのおかげかもしれんが、思ったよりおいしかった」
華に聞かれて、飛鳥は素直に感想を述べた。
「むっふー。アイスだけだと甘いけど、ちょっと大人っぽくなったでしょ?」
みーちゃんは勝手に紙コップを出してぐいぐい自分の酒を飲んでいる。さっき精霊は飲み食いしなくても死にはしないと華が言っていた。しかし、やりたかったら人間と同じようにふるまうらしい。
「精霊なのにそんな生活感あふれることでいいの」
「問題なーい。君もちびっとなめてみ」
「ええ~……」
下手に口を出したのが災いして、みーちゃんに酒入りのコップを押しつけられてしまった。今度はアイスの助けはなく、強烈なアルコールのにおいが飛鳥の鼻をさす。
九割は嫌悪感だが、心の一割は「意外とうまいかも」と告げてくる。結局、好奇心に負けた飛鳥は紙コップを手にとった。