味については偽り言えず
飛鳥が怖い顔をしても、鼓はあわてることなくゆったりと答えた。
「華に教えたのはあたし。んで、あたしはあんたが宝くじを当てて、ご両親に報告してる現場にいただけ」
「は? そんなはずないでしょ」
飛鳥は眉をつりあげた。重大なことだったので、打ち明ける時間や場所には本当に気を使ったのだ。あの場には本当に、自分たちしかいなかった。それは断言できる。
「まさか盗聴器?」
「そんなことできやしないよ。ちゃんとテーブルの上で正座して聞いた」
それを聞いた飛鳥はネットを開いた。
「なにしてるんですか」
「近所の精神科を探す。引きずってでもこの女どもを連れて行ってやる」
「こらこら。現代人、もすこし気長に考えな」
「うるさい」
必死に画面をスクロールしながら、飛鳥は悪態をついた。しかし鼓は優雅に手櫛で髪を梳いている。
「確かに、あなたが不審がるのももっともです。でも、鼓さんはあなたの家に確かにいたんです。その時、人に見えなかっただけで」
そう華が言うやいなや、ざあっと砂の城が崩れるように彼女の姿がかき消えた。
「!?」
飛鳥は立ち上がって、家の中を探した。ドアも窓も鍵がかかっている。クローゼットにもいなかった。いきなり消えた華を見失って、うろたえる飛鳥。その横から、ころころと明るい笑い声が聞こえてきた。
「あのう、さっきからずっと私の服のすそ、踏んでますよ」
「うお!?」
確かに、言われてみれば右足に違和感がある。飛鳥が足をあげると、さっと衣擦れの音がした。
「これでおわかりいただけましたか?」
そう言いながら、華があらわれた。あらわれたといっても、上半身だけ空に浮いた状態だ。下半身はまだ完全に消えている。彼女の後ろにはなにもなく、トリックでもなさそうだ。
「……人外だ。それだけはわかった」
「なら良かったです」
「んで、祟り神? 貧乏神?」
「なぜその二択なのですか」
飛鳥のもの言いを聞いて、華がぷっと頬をふくらませた。
「私たちは、お酒の精霊なのです。古来より稲穂の恵みを受け継ぎ、神に捧げられてきたため、精霊の中でも優れた力を持っているのです」
「へー。どんなことができるの?」
少し興味が出てきた飛鳥は、華に聞いてみた。
「……自分の意志で姿を消せること。空を飛べること。よりしろの酒があるところには、それを介してすぐに行けること。この三つですよ」
華はえっへんと胸を張った。しかし、もっと派手な能力を期待していた飛鳥はため息をつく。
「え、必殺技とかないの? 手から謎のビームが出たりしないの?」
「なんですかそれは」
「思ったよりしょぼいなあ」
飛鳥が愚痴を漏らすと、鼓が苦笑いした。
「たいていの精霊はただ『いる』だけの存在でね。飲まず食わずでも死にはしない、それだけ。特殊能力持ちってだけでも結構なもんなんだよ。神様ってほど霊格は高くないんだから」
「へえ。その特殊能力使って、私らの話を聞いてたわけね……全部?」
「まあね」
飛鳥はため息をついた。親父の部屋には、数多の酒瓶がおいてある。その関係で鼓がくっついてきて、話を全部聞いていたのだろう。
「ふーん、趣味のいいことで。でも人間じゃないんでしょ? なのに精霊様、なんでお金がほしいの?」
飛鳥が言うと、華がにじり寄ってきた。よく聞いてくれました、と顔に書いてある。
「あなたもご存じの通り、この国には今やありとあらゆる酒があふれかえっています。かつて権勢を誇ったびーるさんたちも、今やのほほんとはしていられない状況。私たちはさらにひどいもので、最盛期に比べると半分以下しか飲まれていません」
華が、小さな拳を握った。その姿は見ていてほほえましいが、飛鳥は首をかしげた。なぜ人ならざる存在のはずの精霊が、中小企業の社長よろしく酒の売り上げを気にしているのだろうか。
考えてもわからなかったので、飛鳥は横になった。
「そうかいご苦労さん」
「なっ、なぜ寝るのですか。起きなさい。起きなさい」
華は飛鳥が寝たことで機嫌を損じたらしく、小さい手でぽかぽか飛鳥の背中を叩いてきた。正直、かわいいだけでたいして痛くない。
「起きませんか」
「断固として嫌だ」
「むううううううう」
華の反応がおもしろい。飛鳥が寝たままでいると、鼓がぼそっとつぶやいた。
「華、ここに振り下ろすのにちょうどいい重石があるよ」
ふっと声の方を見ると、腹筋ローラーを持った鼓が不敵に微笑んでいた。
「凶器の使用は断る。殺す気か」
飛鳥があわてて抗議すると、鼓は得意げに胸を張る。
「本当に殺す気なら包丁を使うよ。あといちいち口に出したりしないね。ほら、華をからかってないで起きた起きた」
鼓が恐ろしいので、とりあえず飛鳥は起き出した。最初はこちらが主導権を握っていたのに、今や完全に相手のペースだ。精霊だと信じてしまったせいだろうか。
「……だって人間じゃないなら、売り上げなんて気にしたって仕方ないじゃん」
「いいえ! 私たちにとっては大問題です。私たちはあくまで酒に付随した存在ですから」
「?」
「つまりね」
飛鳥が首をひねっていると、横から鼓が口を開いた。
「あたしらが精霊として存在するためにはね、各々の名が付いた酒が人間界にあることが絶対条件なんだよ。あくまであたしらは酒のおまけってわけ」
「なんでそうなってんの?」
「知るかい。人間がいつかじじいばばあになって死ぬことになってんのと同じだよ。理不尽なもんだが、仕方ないさ。これで華の言ってたことの意味がわかったろ」
鼓の話を聞き終わり、飛鳥はようやく得心がいった。日本酒全体の売り上げが落ちれば、当然販売をやめる酒は出てくる。華たちにとっては、そのたびに仲間が一体また一体と減っていくことになるのだ。
「へえ、それでねえ……」
「年輩の方からはご指名をもらうことも多いのですが、若い方がここのところ手にとってくれませんね。今こそ、販売戦略を練り直すべきです」
「そのためには、長年にわたって銭を落としてもらう必要があってね。確実に金を持ってる出資者を探す必要があったのさ。で、白羽の矢が立ったのがあんたというわけ」
「はあ。で、こっちのメリットは?」
「ありがとうとすまいるがもらえます」
「ふざけんな」
飛鳥は拳を握った。
「……というのは冗談で」
あわてて鼓が口を開く。
「あんたの力で酒が売れれば、もっといい礼くらいするさ」
「どうだかね」
飛鳥は半目になりながら、鼓をにらみつけた。鼓はふいと目をそらす。どうせ細かいことはなにも詰めていないに違いない。もとが神様寄りの存在だから仕方ないが、なんとも甘いことだった。
華に目をやると、鼓とは違ってまだ難しい顔をしていた。
「どうしたの」
「は」
飛鳥が声をかけると、華は驚いていた。よほど熱心に考え込んでいたようだ。
「考えてもしかたないとわかっていても、ついやってしまいます。皆、全力を尽くしているのに、なぜどんどん仲間が消えていくのだろうと」
なんとなく、飛鳥にはその理由にあたりがついた。本気で悩んでいる華に教えるかどうか迷ったが、結局話をすることにした。
「仲間が消える、つまり日本酒が飲まれなくなってる原因か。個人的な考えでよきゃ話すけど」
「ぜひ!」
華は座り直して、正座になった。ますます話しにくくなったが、飛鳥は咳払いをして口を開く。
「理由はひとつしかないよ、まずいからじゃない?」
「は……」
完全に想定していない理由だったらしく、華が固まった。聞き捨てならぬ、とばかりに、いつの間にか鼓もじっとこちらを見つめている。
「だって、日本酒ってぴりぴり辛いし、ほとんどアルコールの味しかないもん。香りだの味の違いだの、多少あったってわかんないよ。私みたいな飲めない人間にとっちゃ、何を飲んでも同じ」
「…………」
押し黙ってしまった二体相手に、飛鳥は話し続ける。
「それ自体がうまいもんだったら、口コミで勝手に広まってくんじゃないの?」
残酷なことを口にしている自覚はある。飛鳥には罪悪感があった。しかし、はっきり言った方が向こうのためになることもあるのだ。ここまで言えばさすがに考えを改めて帰りたくなるだろう。
「まずいってわかってるものに金は出せない。じゃ、悪いけどそろそろ帰ってくれる?」
飛鳥はまっすぐ玄関を指さした。華は、まだ目に涙を浮かべながらじっと座っている。鼓は表情を崩さなかったが、じっと顎に手をあてて考え込んでいた。
しばらく重苦しい空気が流れた後、鼓が話し出す。