しつこい白バイ
飛鳥の背筋が寒くなる。まだ車のそばにいる華に向かって叫んだ。
「危ないっ!」
車が大きく方向を変え、右折車線に入った。急な回転に巻き込まれた華が、道路にたたきつけられる。ヘルメットが、道の向こうへ飛んでいった。
飛鳥は慌てて速度を落とし、華に寄った。
「華!」
呼びかけに答え、華は大きくうなずいた。彼女はすぐに地面から浮き上がり、飛鳥の後ろにまたがってくる。
「人様より丈夫なだけがとりえですっ。それより早く、追いかけて!!」
「はいよっ」
飛鳥の操るバイクは、再び速度を上げた。カーブを最短距離で曲がり、車を次々追い越していく。神社への襲撃は防げたが、まだ山頂付近の広場には危険が迫っている。
しばらく走ってようやく、部長の車が見えてきた。女の子一人吹っ飛ばしても、車は止まる気配すらない。酒が入っているため走行はふらついているが、速度は増している。飛鳥はこれで、完全に切れた。
「……とことんやろうっての」
それならそれで、こちらにも考えがある。部長たちが泣こうがわめこうが許してなどやるものか、徹底的にたたきのめしてやる。
「くらあああああ!! 逃げんじゃねえ、タマついてんのかてめえらあああ!!」
しかし、飛鳥の吠え声をあびせられた車はさらに加速した。飛鳥も飛ばしてはいるが、華のところへ寄ってしまったロスがどうしても縮まらない。
道路の両側には民家が建ち並び、追い越しも難しくなっていた。もう少し進むと、道は山中に入る。
「……別の道から行くか」
飛鳥は免許をとってすぐ、この山に来たことがある。確か、四輪が走行禁止の林道があったはずだ。人がひしめく山頂までは距離がある。うまく道を選べば、追いつけるはずだ。
大きくハンドルを右に切り、脇道へ車体を進めた。次第に両脇の緑が濃くなり、同じ太さの木々が並ぶのが見える。
それに伴って道も細くなっていく。車一台すれ違うのがやっとな細い道が、蛇のようにうねっていた。飛鳥は時々上から垂れ下がって居る枝にぶつからないように進む。
後ろに乗っている華の声が、次第に焦りを帯びてきた。乗り慣れていないものにまたがり続けて、不安になってきたようだ。
「く、車はいないし道は狭いし大丈夫ですかへぶっ」
華の声が途切れた。
「大丈夫?」
「え、枝に当たりました」
「身、乗り出さないほうがいいよ」
飛鳥が言うと、華は素直に背中に張り付いてきた。彼女のぬくもりを感じながら、飛鳥はぐっと目を見開く。本道との合流地点まで、あと少しのはずだ。
見覚えのある大きなカーブを二つ曲がり、最後の直線部分に出た。さっきまでとは違い、白線がひかれた大きい道が見えてくる。
次の瞬間、部長の車が飛鳥の前を通り過ぎた。タイミングはばっちりだ。一気にスピードを上げ、車を追う。しかしその時、背後から聞き慣れない声がした。
「そこのバイクの運転手さん、停車お願いしまーす」
誰だ、と振り返った飛鳥は眉をつり上げた。後ろから白バイとパトカーが追ってきている。後ろの華も焦っていた。
「あ、あれって警察ですよね」
「そうだよ!! しかしなんでこんなところにっ」
悪態をついた飛鳥の脳が、急に思い出した。この山は昔から善良なバイク乗りに愛されてきたが、同時にタチの悪い走り屋にもひいきされてきた。
当然周辺住民からの苦情が増え、とうとう自治体は「十九時以降の二輪通行禁止」という制裁措置に踏み切った。飛鳥はその取り締まりの真ん前に出てしまったのだ。しかも二人乗り、プラスヘルメットなし。呼び止められても仕方がない。
しかし、馬鹿正直に止まっていては部長の車を見失ってしまう。事情を説明したところで、すぐに信じてもらえる保証もない。そう考えて、飛鳥は大きく息を吸った。
「このまま走る」
呼びかけを無視した、というのはすぐに相手に伝わった。あっと言う間に白バイたちは飛鳥の愛車を取り囲む。
その迅速さに飛鳥は舌を巻いた。当たり前のことだが、向こうは毎日バイクに乗っているプロ中のプロである。飛鳥がスピードを上げれば向こうも上げ、わざとゆるめれば向こうも減速する。決して獲物を逃がさぬように、白バイたちは影のようにはりついてきた。
うかうかしていると、路肩に追い込まれて停止せざるを得なくなる。囲みの弱いところを見つけて破るしか道はない。
飛鳥は首を動かす。すると、一台のバイクが目にとまった。
周りの警官たちに比べて、明らかに下手くそが乗っている。体重移動がうまくいっていないせいで、コーナリングがお粗末だ。
ここが穴だ。飛鳥は覚悟を決め、目をつけた隊員との車間距離を縮める。急に接近してきた飛鳥に驚いたらしく、隊員が声をあげた。
「そこのバイク、減速しなさい! 聞こえてるでしょう!?」
「うん、聞こえてる」
隊員は若い女だった。まだ経験も浅いのか、声から余裕が消えている。しめしめと思いながら、飛鳥はさりげなくバイクの向きを変える。バイクの隊員が、オオカミのような低いうなり声をあげた。
「高槻、挑発に乗るなっ」
先輩隊員が注意を呼びかけるが、もう遅い。一番抜きやすいコーナリング後半の立ち上がり、仕掛けるならここと決めていた。
なんとか言い返す文句を考えていたであろう女隊員のバイクのスピードが落ちた瞬間、飛鳥は一気に加速し、隊員を振り切った。再度囲まれる前に、細いわき道に入る。
「待ちなさい!」
後ろから声が追いかけてくる。飛鳥はわざと悪路を選んで走った。女隊員が悲鳴をあげる。
「こ、こら! 待ちなさいってば!」
苦戦しているようだ。無理もない。飛鳥のバイクはオフロードで山道を得意としているが、彼女が乗っているのは普通のバイクだ。道の真ん中にこぶがあったり、水たまりが口をあけているようなところを通るようにはできていない。あの車体で転倒しないだけ、大したものだ。
「止まりなさいったら!」
一瞬、背後まで女隊員がつめ寄って怒鳴った。飛鳥はしれっと言い返す。
「止まれと言われて止まるバカがいるか」
そしてさらに、あおるようにスピードを上げる。女隊員のバイクも、負けじとついてきた。
「……絶対に免許取り上げてやるから、覚悟しなさいよー!」
「今の警察はそんな安い脅し文句を使うんだ」
相手がカッとなりやすいのがわかったので、飛鳥はわざと軽口をたたいた。どうせなら怒りついでに転んでくれると助かるのだが。
「脅しで済まないわよ」
「やれそうに見えない。おばさん、あの中で一番下手くそでしょ」
「お……お……おば……」
飛鳥が何気なく放った一言で、女隊員の声が揺れた。心のどこかに突き刺さったのか、あれだけうるさかった彼女がぴたりと静かになる。バイクの音も、少し後ろへ遠ざかった。
なんだかよくわからないが、チャンスだ。飛鳥はグリップを握り、さらに速度を上げようとした。
その時、背中を冷たいものが走り抜けた。周囲の音が、やけにはっきり聞こえるようになる。このまま直進するのはまずい。今まで幾度も飛鳥を救ってきた野生の勘が、先に何かあると告げてきた。
「飛鳥さん、前に白いのがいっぱい集まっています!」
華が声をあげた。前を見た飛鳥の顔がひきつる。狭い林道に、ずらっと白バイが停まっていた。
(しまった……回り込まれた!)
山のことを知り尽くしているのは、彼らも同じだった。飛鳥が女隊員に気をとられている間に、残りの隊員たちは先回りをしていたのだ。
為すすべなく、飛鳥は袋小路に近づいていく。後ろにはすっかり元気を取り戻した女隊員がいるし、さっきのように脇道もない。
ここまでか、と飛鳥が思った時、後ろの華がぽつりとつぶやいた。
「私、行けます」




