反転する真実
「……わたくしとしたことが」
「そうだよ、やりすぎだよー」
みーちゃんが苦笑いしながら、つばきの肩をたたいている。飛鳥はしばし考え込んだ。そして、不意にひらめく。
どうやらみんな勘違いしている。全ては逆になっている、と気づいた飛鳥は苦笑いをした。
「まずは私じゃないんだよね」
「万が一ということもあります」
「……うん、でも順番が違うね」
「油断なさっては困りますわ」
「だって、いじめられてるのは私じゃないもん」
「は?」
つばきには心底意外だったらしく、顎がはずれそうなほど大きく口をあけた。みると、精霊三体も同じ顔をしていた。
その中でいち早く立ち直ったのは鼓だった。
「……そういうことかい。さっきから、なんかあんたの態度に違和感があったんだけど」
「ご明察」
うなずきあう二人の横で、つばきが声をあげた。
「飛鳥ちゃん、だって、サークルに行きにくいっておっしゃってたじゃありませんか。部長さんにいじめられていたのでは?」
「……いじめられてたのは部長のほう」
飛鳥は苦々しい思いで口を開いた。
「部長はまじめなんだけど一言多いタイプというか……黙ってやってりゃ感謝されるんだろうけど、よけいな事を言って台無しにする奴なんだよね。勧誘の時からそうだった」
「たとえば?」
「うーん、書類の整備とか、やってもらったりするじゃん? そうすると部長は、完璧にやるわけよ。ものすごくきれいな字で、きっちり書き上げて計算ミスとかもなくてさ」
「助かるじゃありませんか」
「そうそう。うちの蔵のお兄ちゃんもそんな経理がほしいって言ってたよ」
無邪気に言う華とみーちゃんをみて、飛鳥は肩をすくめた。
「で、全部やった後でこういうわけ。『君たちも普段からちゃんと勉強していれば、こういう時あわてずに済むんだよ?』って」
「うわあ」
一同の間にたちこめていた空気が、さっと色を変えた。
「……確かに、そりゃウザいわ……」
「そんなの、『おまえは勉強してないけど俺はできるんだぜー』って言ってるのと同じじゃん。誰も素直に感謝しなくなっちゃうよ」
「そうなんだよねえ……」
精霊たちの言うことに完全に同意しながら、飛鳥は顎をなでた。部長が自分で気づいていたら、ここまでまずい事態になることもなかっただろう。自分の成果でなく、相手の顔色をみるだけの気遣いがあったら、もう少し周りに人がいただろうに。
「また、妙に自己顕示欲強くてねえ……相手が思ったほど感謝しないもんだから、同じような事を何度もやるわけよ。今度こそ感謝してくれるはず、自分を敬ってくれるはず、って」
「そして、よけい嫌われる。この繰り返しで人望を失っていたわけですわね」
聞いていたつばきがばっさり切り捨てた。一部始終をみていたわけではないが、きっとその通りだったのだろうと飛鳥も思う。
「そんなときに、私が飲み会でやっちゃったわけよ。絶対にうけるはずだ、と部長が自信満々で持ってきた酒を思いっきりくさすっていうのを」
あれでかろうじて保っていた、部内の威厳も地に落ちた。憎たらしいが何でも標準以上にこなす奴、ということで皆から評価されていたのに、結局は新入生一人満足させられない勘違い野郎、ということになってしまったのだ。
元々の好感度がなかっただけに、部長の悪口がささやかれるようになるまであっという間だった。飛鳥がこれはまずいな、と気づいたときにはすでに遅かった。部長は完全に居場所を失い、飛鳥を敵視するようになっていた。
自分のせいなので申し訳ないとは思ったが、飛鳥だって正面切ってかばってやるほど好きではない。せめて無用に部員たちを刺激しないように、部室に行かないようにしてやるのが精一杯だった。
ふつうなら、ここで話は終わりのはずだった。しかし、ここにあの暴行野郎どもが乗り込んできたことで話は大きく変わってくることになった。
「それで、あの卑怯な猿どもはどこでどうして関わってくるわけです?」
「うーん、どうして部長と表面上仲良くしてるのかまでは……」
飛鳥が首をひねっていると、横からつばきに肩をつかまれた。
「飛鳥ちゃん、こんな最悪な予想はいかがでしょうか……あの男たちにとって退学という結果は予想もしていなかったものだったのでしょう。特に今回は未遂ですからね、せいぜい口頭注意くらいに思っていたのではないかしら。ずいぶんと人をナメた話ですけれども」
そう言いながら、つばきが形の良い眉毛をつりあげた。飛鳥が続ける。
「それが、たまたまほかの学校で起きた暴行事件がきっかけで退学にまでなっちゃった。狙った相手が悪すぎたってのもあったろうけどね」
「彼らの受けた衝撃は相当なものでしょう。退学の理由を突き止められたら、まともな就職も結婚もすべて台無しになってしまいますから。やけになったとしても無理のない話では?」
「……でも、今度は正面からは来ない」
「前回たたきのめされていますからね。さすがにお猿さんでも、勝てないことくらいは学習したのでしょう。じっくりつけ狙ううちに、おもしろい男がいることに気がついた。周囲から疎外されていて、誰でもいいから認められたい欲でいっぱい」
「巻き込むにはぴったりですね」
華が顔をしかめた。飛鳥もうなずく。
「だから、まずは部長を鉄砲玉にしてなにかやらせると思う。そこを抑えた方が早いよ」
「事情は分かりました。しかし、わたくしたちが恨まれていることには変わりありません。うちは運転手つきの送り迎えですから……飛鳥ちゃんも気をつけるべきではありませんか?」
「とりあえず、あたしたちと一緒に行動しよう。空手部がぞろぞろいればそう手出しはできないだろうし」
獅子乃が言い出してその場は一応まとまったが、飛鳥はしばらく考えていた。あの暴行未遂男たちには話が通じないとしても、部長の方には忠告しておくべきではないのか。一度言って聞かないバカなら、さんざんたたきのめしてやるが。そこまで考えたとき、飛鳥の携帯が鳴った。
「はい」
「……元気そうだな」
あまり深く考えずにでた飛鳥の耳に、舌足らずの部長の声が飛び込んできた。歓迎会の前に連絡先を交換していたことを思い出す。ろれつが回っていないところをみると、部長はかなり飲んでいるのだろう。
「おかげさまでぴんぴんしてますが」
「……相変わらず憎たらしい」
「あんたに好かれようとは思ってません。とりあえず忠告しときますけど、今つるんでる連中、美術部の部員以上にろくなもんじゃないですよ」
相手がこっちを嫌っている雰囲気丸出しなので、飛鳥も遠慮なく本音を口にした。電話の相手が誰か察した周りの空手部員たちが、顔を見合わせる。
「……ははは」
部長は、なにもかもあきらめたような乾いた笑いを漏らした。
「君は、いつもそうなのか。自分の思ったことをそのまま口にする」
「ええ、バカなんで」
「なのに、周りはいつも君を助けようとする。僕の周りには、いつも誰も残らない。この差はなんなんだ?」
部長が己の境遇を呪い始めた。正直てめーのことなんざ知ったこっちゃないわいと飛鳥は思ったが、とりあえずおとなしく聞いておくことにした。




