辛党の視界
「おいしそうだなー、肉」
「ええ、これは貴醸酒? 久しぶりですわ」
同じ卓を見ても、辛党は飛鳥と見ているところが違った。うきうきと酒のボトルに向かって突進するつばきを横目で見ながら、飛鳥はため息をつく。
「お、お姉さんいける口ですね? まあぐいっとぐいっと」
「ありがとうございます」
腰を下ろすやいなや、つばきはみーちゃんの酒をあっという間に空にした。その後も続けて、変わらないペースで杯をあける。あきれた飛鳥は、茶々を入れた。
「二日酔いするよ」
「今までしたことありませんもの」
「やっぱりしこたま飲んでるなこの女」
つばきは自分の都合の悪いことには答えず、おかわりを要求した。飛鳥は自分の食事に専念することにする。よく見ると、目の前にチーズが数切れ置いてあった。
「これなに?」
飛鳥は華に聞いてみた。
「いきなりお酒を入れちゃうと、胃がびっくりしますから。先に食べ物を入れておくだけで、お酒の酔いがましになりますよ」
「そんなもんかねえ」
「用心しておいた方がいいでしょう? 明日も学校でしょうし」
うなずいてから、飛鳥は薄く切られたチーズをかじった。何切れか腹におさめると、さっきまでの激しい空腹がましになる。そこで貴醸酒をなめた。大きなロック氷が入って酒が薄まっている分、飲みやすい。
「飲んでくれてるー」
みーちゃんが相好を崩した。同性でも、かわいい子が笑うと目の保養になるものだ。
「慣れたからね。それでも苦手なことに変わりないけど」
飛鳥は頭をかいた。
「では、そんな飛鳥ちゃんにもおいしいアレンジの仕方をお教えしましょうか」
横からつばきが話しかけてきた。この酒飲みは、今度は鼓の清酒をかたっぱしから飲み干している。そのくせ、表情はちらりとも変わらない。
「酒豪のつばきさん、どうぞ」
「それでは。料理と一緒に飲んだり、ロック氷を入れるのもいいですが、炭酸水やジンジャーエールで割ってもおいしいですよ。発泡タイプなら、フルーツを漬けてサングリアにしてもいいですね」
「それはちょっといいかも」
飛鳥はそそられた。鼓も機嫌良く、会話に参加してくる。
「それはハイカラな方法だねえ。昔から言われてるのは、弱い奴は酒と一緒に水を飲んだ方がいいってことだね。『和らぎ水』ってわざわざ名前もあるくらい、悪酔いしない飲み方としちゃ定番だから」
鼓が言い終わるとほぼ同時に、華がピッチャーから水をくみ取って、酒のグラスの横に並べる。
「一口ずつ?」
「酒と同じ量飲んでみな。脱水にもならないし」
鼓に言われて、飛鳥は水を口に含んでみた。確かに、酒が口の中から洗われてさっぱりした気がする。
「うん、これならもうちょいいけそう」
「そりゃ良かった。……でも、量を飲んだら一緒だからね。くれぐれも無理すんじゃないよ」
「へい」
忠告に従い、飛鳥は飲酒を中断してメインに手を伸ばした。豚肉があめ色のソースと一緒に、お行儀よく皿の上に並んでいる。
固いかと思ったが、すんなりナイフが入った。甘辛いソースと、どっしりした豚の脂がからんで口の中で広がると、思わず笑みがこぼれた。
「今回もおいしい」
「ありがとうございます」
飛鳥が言うと、華がきれいな仕草で頭を下げた。
「あれだね、味もいいけど変に脂っこくないのがいいね」
「煮込んだ後に、一度冷やしてます」
そういいながら、華は冷蔵庫の方を指さした。
「冷やすと、表面に脂が固まって浮いてきますから。それを全部とってしまったほうがすっきりします」
「へえ」
煮物ひとつとっても、手間のかかったことである。自分なら絶対にやらない。飛鳥はありがたく肉を胃の中へつめこんだ。
つばきの方は酒ばかりで、ほとんど料理に手をつけていない。結局、肉はほとんど飛鳥がたいらげることになった。終いのデザートだけ率先して食べる彼女を見ながら、飛鳥はパンパンになった腹をさすった。
ひとしきり盛り上がった会話が一旦落ち着き、場に沈黙が流れた。その時、つばきが口を開く。
「眠くなってきてしまいました」
「適当な布団でいいなら泊まる?」
「そうさせていただきましょう。それにしても、みなさんは飛鳥ちゃんとどうやって知り合ったんですか?」
「高校の時の同級生」
飛鳥は適当にごまかした。しかしそうなると、全員二十歳ということになってしまう。華とみーちゃんはともかく、鼓はアウトな気がするが仕方ない。しかし、幸いつばきはそこに触れてこなかった。
「まあ、そうでしたの。これからも時々おつきあいくださいます?」
育ちの良い者特有の穏やかな笑みを浮かべるつばきに向かって、三体も色よい返事をする。ほほえましい光景だ。精霊とつばき、思った通り相性がいいのではないか。この調子で交流の機会を持ち続け、折りを見て押しつけることにしようと飛鳥は決めた。
「……なんか変なこと考えてませんかあ」
飛鳥の腹のうちを見抜いたのか、みーちゃんがじっとりと見上げてきた。飛鳥は別に、といいながら話題を変える。
「つばき、明日一限なんだっけ」
「あら、珍しい。出てきた事なんてほとんどない方が。どういう風の吹き回しでしょう」
「いいじゃないの。早起きしようかと思っただけだよ」
本当は自分だけ朝早く登校して、家に残ったつばきと三体を仲良くさせる作戦なのだ。しかし、それを聞いたつばきは首を横に振る。
「心がけは立派ですが、明日は一般教養の木下先生ですよ。きっと教室、一割も埋まらないんじゃないかしら。やめておいては?」
つばきの口から出てきた名前を聞いて、飛鳥は顔をしかめた。必修でもないのにやけに厳しく、しかもテストが難しいので、だいたいの学生が捨てることで有名な授業だ。
飛鳥は早々に白旗をあげた。
「……やっぱり二限から出る」
「それがよろしいかと。わたくしもあれだけはごめんです」
つばきが笑った。優等生の彼女には珍しい発言に、飛鳥も吹き出す。だが、つばきの話はそこで終わらなかった。
「ですが、早起き自体は良いことですね。わたくしと図書館でお勉強などいかがです?」
飛鳥は頭を抱えた。余計な事を言ってしまった、と後悔してももう遅い。
「……文字見てると眠くなるの。パス」
「では一緒にほかの学部の授業に混ざってみる、というのはいかが?」
「ほかって……全部理系じゃん」
実は、飛鳥が通う大学は単科ではなく、学部棟がいくつか分かれて建っている。飛鳥たちがいる文学部の他に、心理学部・薬学部・栄養学部があった。
ほかの学部が専門の実験棟まで持っているのにひきかえ、圧倒的に人数が多い文学部にはなにも与えられていない。明らかにみそっかすな扱いだ。授業の内容もレベルも全く違う。混ざったところで、理解できるとは思えない。
渋る飛鳥を見て、つばきが首をひねった。
「それもいけませんか」
「うん、でも早起きはしたい。というか家を出たい」
「サークル棟で時間をつぶしてはいかが? せっかく美術部に入られたのに、もったいないでしょう」
「うぐ」
つばきに悪気はないのだろうが、痛いところをつかれた飛鳥は息をのみこんだ。歓迎会でやらかしてしまってから、サークル棟には足を踏み入れにくくなっているのだ。