日本酒はまずい!
飲み会は戦である。
……少なくとも、大学生にとっては。
飲み会に行かないと、友達が増えない。これは、大学生にとって非常に不利な事態だ。単に寂しいというだけでなく、つてがないと先輩から定期試験の過去問がまわってこない。すなわち留年のリスクが高まるということだ。
如月飛鳥は社交的な性格ではない。子供の頃から家の道場で黙々と空手に打ち込み、山を駆け回って育った。口の悪い男女から『山猿』と言われていたことを知っていたが、それが性に合っていたのだ。できることなら稽古だけしていたかった。
しかし、事態は変わった。大学に入るためにすでに一浪している身分である。早急にどこかのグループに潜り込み、親交を深めて縦のつながりを作る必要があった。
ない頭をしぼって考えた結果、キラキラしすぎず、マニアックすぎもしない部活にもぐりこむのが一番いいだろうという結論になった。
先に進学していた幼なじみはしきりに空手部に誘ってくるが、せっかくの新天地なのだから今までやったことのない部活をやりたかった。悩んだ結果、飛鳥はようやく美術部に籍を置くことに決める。
美術に興味のなさそうな、日に焼けたショートカットの女が入部したいと言ったからか、部員は目を丸くしていた。しかしそれ以上のことはなにもなかった。無事に新人歓迎会にも誘ってもらい、飛鳥は心底ほっとした。
そして歓迎会当日。飛鳥は中堅チェーンの居酒屋を訪れた。予約してあった個室の中には、すでに二十人ほどの部員たちが集まっていた。男女の比率も四:六くらいで悪くない。
飛鳥はとりあえず空いている座布団に座った。周りの部員に挨拶をして、どこに住んでいるか学部はなにか、というあたりさわりのない会話を交わしているうちに、宴会が始まる。やせて背の高い、針金のような部長が立ち上がり、ぐるりと会場を見回した。
「飲み物届いた?」
部長が声をかけると、みんなが大きくうなずいた。周りの新入生は一様にウーロン茶やジュースだが、浪人生の飛鳥だけはちゃんとビールのジョッキを持っている。酒などほとんど飲まないが、周りの先輩から「ビールでいいよね?」と聞かれてしまい仕方なくこうなったのだ。
「いいなー」
「俺らも酒がいい」
心中を知らない新入生たちから声があがる。飛鳥はどう言っていいかわからず、あいまいに笑った。新入生たちは手近にあったメニューをめくり、酒のページに目を走らせ始める。
「頼もうぜー」
「お、今年の一年は攻めるなあ」
未成年といっても十九歳、周りの先輩もそうきつく止めはしない。注文決めのために場がざわつき出した時、部長が眉間にしわを寄せた。
「バカ、ただでさえ零細なんだ。飲酒なんてしてみろ、部費カットどころかいきなり廃部だぞ。絶対新入生は飲むなよ」
きつい言葉を投げつけられて、場の雰囲気はぴしりと固まった。見た目は黒縁眼鏡の優男だが、部長はなかなか辛辣なようだ。
部長が言っていることは、間違っていない。だが、それを上から押さえつけるように言ってしまうと、みんな立つ瀬がなくなるのだ。
(なんでそれがわからないかねえ)
飛鳥は黙って頭をかく。部長の横にいた先輩たちが苦笑いしながら、フォローに回った。
「……ま、みんな、適当にな。すまんが、俺たちのために頼むわ」
「適当ってなんだ」
部長がむっとした顔でかみついたが、ほかのメンバーは彼を無視して淡々と話を進めた。
「それより、乾杯しましょう」
「賛成、グラス全員持ったね? それじゃあ、新入生のみなさん、美術部へようこそ! 今日は楽しみましょう、かんぱーい!」
女性の乾杯の音頭とともに、グラスがそこここで鳴らされる。気まずさを押し流すように、飛鳥以外は一斉にグラスの中身を飲み干した。
(うー……ビール、まっずいなあ。なんだよこれ)
飛鳥は飲み干すこともできない巨大なジョッキを恨めしげにみつめた。まだ小さい頃に、親戚のおっさんに一度ビールをなめさせられたことがある。その時は苦いわぬるいわで大変不愉快だったが、大人になったらうまくなるのかと思っていた。
が、実際成人になってみても感想はちっとも変わらない。わざわざお金を払ってこんなものを飲まなくても、ほかに美味いものが山ほどあるではないか。よくわからん、と思いながら飛鳥は再びビールに口をつけた。
「やっぱ苦っ」
飛鳥はため息をついたが、新入生の中でおおっぴらに酒が飲めるのは自分だけである。隣の人に飲んでもらうこともできず、次第に疲れてきた。飛鳥はちっとも減らないビールを恨めしく見ながら、ウーロン茶を注文する。
「あれ、もうノンアルいっちゃうの?」
「こんくらいにしときます。あんま飲めないんで」
「強そうなのになあ」
「それ、よく言われますけどね」
飛鳥は、なぜか酒が強いと勘違いされるタイプだ。しかしありがたいことに、自己申告すると先輩たちはそれ以上アルコールを勧めてこなくなった。やれやれ助かったと胸をなで下ろす。
「如月さん、ビールだめなの」
その時、部長がこちらにやってきた。飛鳥はイヤな予感がして席を立とうとしたが、部長はさっさと正面に座ってしまった。
「……まあ、苦いんで」
「そのうち慣れるよ。もう一杯いく?」
「結構です」
飛鳥がやめろと言っているのに、部長は笑ってビール瓶を持ってくる。さっき固い発言で新入生から非難をあびたのがこたえたらしく、唯一成人しているすり寄って点数を稼ごうとしているのが見えて痛々しい。
飛鳥は沸騰寸前になったが、「過去問過去問」と自分に言い聞かせてようやくこらえる。それでも気持ちは収まらず、「アルコールに慣れるもクソもあるか代謝の問題だ、そもそも飲んでないの見たら好きじゃないって分かるだろボケ」と内心で毒づいた。
「これならどう? 日本酒」
飛鳥の内心をつゆ知らぬ部長は、笑いながらもう一つ酒瓶を出してきた。ビールの茶色い瓶と違い、緑色の透明な瓶だ。実家の父が日本酒好きなので、家に帰れば似た瓶が山ほどあったなと飛鳥は思い出した。
「日本酒ですか……」
「好き?」
「いや、あんま飲まないんで」
「じゃあこの機会にぐっといっとこう。これはいい日本酒だから、水みたいに飲めちゃうよ」
受け答えがつながってないぞ、と思ったが、指の関節をぽきぽき鳴らしてやり過ごした。その間に部長は瓶をあけ、猪口に酒を注ぐ。
「さ、飲んで飲んで」
「……やー、弱いんで」
「大丈夫、一口一口」
断っているのに、部長はしつこい。流れで猪口を手にせざるを得なくなり、飛鳥は顔をしかめた。
飲んで感想を言ってやらないと、部長は立ち去りそうにない。うんちくまで語り出したこの面倒くさい物体に早く消えてほしくて、飛鳥は仕方なく口をつけた。
そのとたん、強烈なアルコール臭が押し寄せてきて、気分が悪くなった。なめたが、味どころか工業用の溶剤を飲まされているのかと思えるくらい、辛い。これはいかん、と一瞬で本能がストップをかけてきた。
「どう?」
うきうきした口調でうんちくを語っていた部長が、飛鳥の顔をのぞき込んでくれる。麻痺した理性は、今度は動き出した口を止めてはくれなかった。
「……どこが水なんですか? クソまずいですよこれ」
その一言が染み渡ると、居酒屋内の空気が凍った。