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3.おでかけのまえに

 その日、いざ玄関を出ようとして、気がついた。

 俺の黒のジャケットを着たローは大変に男前だったが、その分あちこちにどうしようもない違和感を感じてしまう。

「……そうだった」

 俺は、慌てて救急箱からバンソウコウを取り出すと、ローの額の傷にぺたりとはった。うん、傷口から中見えてたもんな。ローは、バンソウコウの上をそろりと手でなぞると、嬉しそうに微笑んだ。

「あとは、それだな」

 ジャケットの袖にはいりきらなくて、片袖を肩にひっかけている形のローは、それはそれで様になっていたが、脇からのぞいている無骨な鉄のアームが、あまりにもあんまりだ。

 俺は一人で外に出て、また自動契約機で金を借りると、オヤジの店で腕を買った。オヤジは何だかまた勝手な妄想をしているらしく、何だかニヤニヤしていたけど、相手にしなかった。どうせ、ローを売却すれば元は取れると思って、店にあるやつで一番いい腕を買った。

 一度家に帰って、ローの腕を取り付けた。ていうか、ローがほぼ自分で取り付けた。

 継ぎ目はあるし、裸になれば肌の色に多少の違和感はあるものの、動作には問題ないようだ。今までの鉄のアームに比べれば、雲泥の差だ。もっと早くに買ってやればよかった。

「今までほっといてごめんな」

 と言うと、ローは恐縮していた。機械も恐縮するんだな。知らなかった。

 こっそりと静かに手を握ったり開いたりしているローは、なんだか嬉しそうで、俺はやっぱり買ってやってよかったと思った。

 あらためて、外に出た。

 並んで駅に向かい、切符を買った。ローの分は人間の85%の金額だ。改札で体をスキャンされる仕組みになっている。LRTに乗ると、午後の車内は空いていた。2つ先の駅で降りた。


 だいたい、なんで図書館なんかに行きたいのかと聞いた俺に、ローは教えてくれた。

 アンドロイドは、基本的に人工知能保有型機械に関する保安規定とかいう法律に強く縛られており、ネットでもアクセスできるサイトやデータは限られている。一般的な家事労働や社会生活をおくる点では何の不便もないけれど、特殊な知識を得ようとするとやや不便がある。その点、図書館に蓄積され整理された体系的データは、ネット上よりはより広く開放されており、紙にしろ電子データにしろ、大変有益なんだそうな。

 ローが欲している知識、それは機械工学だった。つまり、俺の機械いじりの手伝いをするためだ。

 どこまでも俺のことしか考えていないローに、俺はなんだか心苦しい気持ちになった。


 駅から歩いて10分で、図書館についた。館内に入ると、独特の静けさの中、多くの人が読書に没頭したり、本を選んでいる姿が見えた。久しぶりに来たけど、何だか落ち着く。

 ローは、すぐに工学の棚に向かった。

 俺はローと分かれて小説のコーナーをうろついたり、雑誌を読んだりした。ぶらっと書架を眺めたり、窓際の席でぼんやり外を眺めたりする時間は、思いのほか楽しめた。途中小腹が減ったので、館内にあるカフェでコーヒーを飲みパンケーキを食べた。なかなか美味しかった。

 しばらくたって、ローの姿を探した。

 ローは、工学の棚のすぐ近くの閲覧机のそばに立っていた。大きな分厚い本を広げ、普通の人の10倍ほどのスピードでページをめくっている。ほとんど、パラパラと読み流しているような感じだ。この短い時間で文字を読みとることができているんだろうか。

 俺はなんとなく離れた場所から、ローを見ていた。

 本をめくるスピードは置いといて、その他はローはまるで人間と変わらなかった。窓から西日が射しこんで、ローの横顔をオレンジ色に染めている。長めの前髪がはらりと落ちて、頬にかかっている。すっと伸びた鼻梁に、伏せた長い睫毛。

 きれいだな、と思った。

 そして、普段こんな風にローをじっと見たことがないことに気がついた。何でだろうと思って、少し考えて気がついた。

 そうだ。家にいるときは、ローはいつも俺を見ているからだ。だから、俺が知っているローは、いつも優しげに微笑んで、こちらに顔を向けていて。

 何人か傍を通って行ったけれど、ローがアンドロイドだと気づいているかどうかは、わからなかった。ちらっとローに視線を投げている人はいたけど、あれは多分みとれていたんだと思う。でも、もしローがアンドロイドだと気づいても、誰も何も言わないだろう。図書館のこういう他人に不干渉なところがいいなと思った。

 しばらくして、本を閉じたローが俺の視線に気がついて顔を上げた。目元が優しくなる。

「すみません。お待たせしてしまったでしょうか」

「いや、もういい?閉館までもうちょっとあるよ」

「いいえ、大丈夫です」


 それで、図書館を後にした俺は、ちょっと考えた。これは結局、ローの息抜きになったんだろうか?

 なってないよな。ロー、勉強しただけだよな。しかも俺のために。

 んーと悩んで、そういえばここから海が近いなということを思い出して、ローに「海を見たことある?」と聞いてみた。ローは「いいえ」と答えた。

 それで散歩がてら、海を見に行くことにした。


 図書館の横にある川の河川敷を、海に向かって歩いた。たまに、ジョギングをしている人や、犬の散歩をしている人とすれ違ったけれど、人影は少なかった。

 夕日が深く差して、あたりを黄色に染めていた。川面がキラキラと光って美しかった。

 ローはこんな場所でも俺の左側、つまり車道側を歩いた。

 最初は自分が女の子扱いされているようで、むずがゆかったけれど、ふと、ローが右手を失ったのは、こういう風に歩いていて誰かを守って事故にあったのかもしれないと考えついた。

 ローが製産されてから、多分30年以上経っている。その間、何人の人間がローのマスターになったんだろう。いったい誰が、ローと暮らしていたんだろう。

 とりとめもなく、いろいろなことを考える。

 しばらく歩いて、河口についた。目の前を夕日に染められた広い海が広がっている。防波堤の向こう、遠く小さく船がゆくのがみえる。波音が響いている。

 ちらりとローを見ると、黙ってじっと海を見ていた。

 海の広さに驚いたのかどうかはわからなかった。

「風がでてきましたね」

 ローが言った。

「ん、そうだな」

 強めの風が、ローの栗色の髪をなびかせている。

「寒くはないですか?」

「ちょっと寒い」

 ローが右手を伸ばして、俺の手をとった。

「体温が下がっています」

「そう?ちょっとだろ」

「暖めます」 

 ローがそう言ったとたん、ローの右手が暖かさを増した。

「わっ」

 驚いた。放熱量を調整できるんだ。

 ローが、一歩俺との距離を縮めた。手が伸ばされ、背中にまわされる。ほとんど、ローの胸に抱き込まれるような形になった。

「!」

 こ、これは恥ずかしい。はたからみると抱き合っているようにしか見えないだろう。慌てて首を伸ばして辺りを見渡すと、近くに人はいなかった。それで、ちょっと迷ったけれど、俺はそのままの姿勢でいることにした。

 だって、めちゃくちゃ気持ちよかったから。人間よりちょっと高めに放熱されたローの体は、まるで適温の湯たんぽを抱いているようでもあり、ぬるめのお風呂に浸かっているようでもあり、とにかく、離れがたかった。

 これはいい。冬場はとくに、ローには傍にいてほしい。

 俺がうっとりしていると、ローの手が、俺の後頭部にまわされ、そっと髪を撫でられた。

 思わず「ん?」となる。

 壊れやすい宝物のように、愛しげに俺を抱きながら、ローがつぶやいた。

「トオヤ。私に海を見せてくださってありがとうございます」

 その言葉を聞いて、なんだか俺も嬉しくなった。

「ローが喜んでくれたんだったら嬉しいよ」

「あなたの傍に来ることができて幸運でした」

 ローがほとんど俺の髪に触れるかというくらいに、顔を近くに寄せる。

 そしてつぶやく。

「わたしはあなたに、恋をしているようです」

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……

 ……えーと、これは…………想定外です。

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