1.きみをみつけた
ウソだろ。
思わず二度見した。
ふらりと立ち寄ったスクラップ屋の片隅。銅線やら加工機なんが並んだ店先のその奥に、廃棄処分されたアンドロイドたちが、乱暴に山積みされた一角があった。ほぼ原型が残っているので、遠くからは人の頭や足なんかが積まれているように見えてぞっとしない。店主の趣味の悪さが露呈していて、普段は何気にそこを見ないようにしているのだけれど、その時は、なぜか視線が吸い寄せられた。
多分、その明るい栗色の髪が気になったんだと思う。次に目に入ったのは、黒い襟なしシャツと同色のスキニーパンツを身につけた、すらりとしたボディ。左腕はあるが、右腕がない。根元から切断され、金属のカバーが取り付けられている。そして、左耳の上に小さく光っているのは、黄色の石のついたイヤーカフ。
……ティアレスじゃん。
いや、でもまさか。
ちらりと店主の方を伺うと、手垢に汚れた旧式レジスターの向こう、瓶底メガネをかけた禿頭のオヤジが、顔をくっつけるようにして広げたスポーツ新聞の紙面を追っていた。ぶしゅっと下品な音を立ててくしゃみして、鼻をすすり上げている。
店の前を大型車が通り、入り口の木製ドアに嵌められたくすんだ硝子がビリビリと音を立てた。
おいおい待てよ。なんでこんな店に、ティアレスなんかあるんだよ。
俺は、もう一度目の前に横たわるアンドロイドを見た。
長い睫毛が伏せられた上品な顔立ち。近くで見ても、本物の人間にしか見えない顔は、特殊シリコン製の皮膚に覆われている。胸はなく、若干肩幅があるので男性型だ。
トパーズの光るイヤーカフの上に刻まれているのは、Aの文字。
……だよな。間違いない。これやっぱティアレスだよ。カタログで見たのと同じ顔だよ。
もともとアンドロイドにはたいして興味はなかったんだけれど、友人の一人がマニアだったせいで、なぜかその手の知識はやたらと耳に入っていた。
今から30年以上前、高松晶子博士によって作られたアンドロイド、ティアレスシリーズは、もっとも人間に近いとも言われていて、いまだ熱狂的なファンが多数いる。博士が45歳という若さで早世したこともあって、作られたアンドロイドはわずか8体。マニアの間では伝説扱いで、めったに市場に出回ることはない。
最後にティアレスがオークションにかけられたのは、今から7年前。その時に競り落とされた金額は、ところどころ欠損がある個体だったにも関わらず12億の値がついたそうだ。
12億だよ、12億!新品のアンドロイドが100体は買えるよ。
思わず、ごくりと唾を飲んだ。意識すると、心臓がバクバク言い始めた。
もう一度店主を見ると、オヤジはこちらに気がついて、うさん臭そうに俺を見た。
やばい。
慌てて目をそらせてその場を離れた。
落ち着け俺。こんなチャンス一生に一度だ。
12億あれば、人生が変わる。借金も返せる。
何気ないふりをして、興味もない他の棚を見ているふりをしながら、気を落ち着かせた。軽く息を吐いて咳払いをすると、俺はもう一度アンドロイドの横に立った。
「……なあオヤジ、これ最近仕入れた奴?」
無理に何でもない表情を作って俺は言った。
店主は、新聞をバサリとカウンターに置くと、にやりと笑った。
「めずらしいな、お前がアンドロイドに興味を持つなんて」
「ああ、自作アンドロイド作ってる奴に頼まれてたんだよ。いいボディがあったら買って来てくれって」
余計なことは聞くなオヤジ!と思いながら、適当なウソをつく。
「ふん、そいつは、昨日持ち込まれたばっかりだ。見かけはきれいだが、あいにく故障で動かんぞ。パーツにすりゃ使えると思うがな。買う気はあるのか?」
あるよ、ありまくりだよ。と思いながら、足下を見られないように必死に興味のなさそうなふりをする。
「さあ、値段によるかな」
店主は、ほうと言って電卓を叩いた。
「350万だ」
俺は心の中でガッツポーズを作った。やった!こいつは何にも知らねえ。
「高いな、片腕しかないのに」
うるさく鳴り続ける心臓を必死でだまらせながら言う。
「何言っとるんだ。こいつは壊れちゃいるが、もとは上物だぞ。マスターチップだってちゃんとついてるんだ」
……すげえ。
「眉の上んとこにも、傷がついてる」
「うるさい奴だな。330万だ。これ以上まからん」
「320万5千」
「は、わかったよ。前金で今5万出すならな」
「買うよ。ありがと」
「残りは分割でもいいぞ」
「いや、明日には友達から回収して持ってこれると思う」
頭の中ではファンファーレが鳴り響き、紙吹雪が舞っていたけれど、そんな様子は微塵も見せずに、俺はつなぎの内ポケットからクチャクチャになった紙幣を取り出した。給料日のすぐ後で、あれば小さいフライス加工機を買う予定だったから、硬貨まで出したらギリギリ足りた。
「で、どうやって運ぶ?明日ならうちのバイトに運ばせてやってもいいが」
冗談じゃない。ここまで来て何かあったら困る。今すぐ持って帰りたい。
「いや、何とか運ぶよ。台車貸してくれる?明日返すから」
買ったばかりのアンドロイドを抱え上げて台車に乗せた。作動停止したアンドロイドに触ったのは初めてだけれど、何だか死体に触れているかのような変な気分になった。
30年前のものだけあって、まだ十分軽量化されてないみたいで、結構重かった。
台車に乗せて、外からわからないように麻袋をかぶせると、紐で台車の持ち手に固定した。そのままガラガラ派手な音をさせながら、3ブロック先のアパートまで運ぶ。ときどきスキップしたくなる気持ちを必死で押さえる。だめだ。でも、思わず口笛がこぼれでる。
アパートにつくと、エレベーターで3階まで上がった。エレベーター付きのアパートに住んでて心からよかったと思った。
部屋に入って、こいつをどこに置くか考えて、迷ったあげくベッドの上に寝かせることにした。なにせ12億だ。
俺は、少し離れたデスクの前に座り、パソコンを立ち上げた。
ネットに繋ぎ、ティアレス、高松晶子で検索する。すると、この部屋に横たわるアンドロイドと似たような顔が次々に検索結果に上がって来る。博士の晩期型のティアレスに一番顔が近い気がする。目印のトパーズのついたイヤーカフに刻まれたAの文字とシリアルナンバーを照合すると、現在所在不明とされる3体のうちの一体と一致する。
俺は思わず両手で口を覆った。
マジもんだよ、これ。
心臓がまた大きく脈打ち始める。無意識に貧乏揺すりし始めた足に気がついて、動きを止めた。
店主から本体と一緒に受け取ったマスターチップを取り出すと、祈るような気持ちで外部入力装置に押し込んだ。
あっけなく、入力画面が開いた。なんのエラー表示もない。俺の基礎住民番号を入力して、国の個人データバンクにアクセスする。パスワードを入れ、そこからデータを落とし込んで、あとは若干の補足情報を付け加える。意外に簡単に、マスター登録ができてしまった。
くるりと椅子を回して、アンドロイドに向き直る。
ベッドの傍に寄った。
こうしてみても、本当に人間が横たわっているようにしかみえない。手を伸ばして頬に触れた。温かくも冷たくもない皮膚の感触が伝わってくる。
体を点検することにした。
店で見たとおり、右腕がなくて、左眉の上に小さな傷がある。前髪を少し伸ばした髪の中もかきわけてみたけれど、他に瑕疵らしき部分は見当たらない。シャツをめくってみた。乳首があったので、なんだかドキリとした。ほどよく筋肉がついたようにみえる美しい体型だ。ちょっと迷ってからスキニーパンツに手をかけた。
なんか、めっちゃ照れた。
だって、見た目はまんま人間なんだから。自分が変態行為をしているような気になってくる。
いやいや、こいつは人形だから。機械だから。
失礼しますと心の中でつぶやきながら服を下ろすと、意外にも、というか想像通りというか、そこには生殖器も排泄器もなかった。ただ形の良い尻と足がついている。
……だよな。機械だもん。
それで普通だ。ただ、最近はそういう目的で生殖器がついたアンドロイドも数多く生産されていると聞く。俺はそんな趣味はないけど。
「ごめん」
何故だか謝りたい気持ちになって、背中の方までざっと点検すると服を元通りに戻した。
最初にみつけた箇所以外は、外見上問題はないようだ。アンドロイドをこんなに間近にまじまじと見る機会は今までなかったので、薄い体毛や足の指先の爪まで、本物そっくりに作られていることに妙に感心した。
……さて。
いよいよ起動だ。
店主のオヤジは、こいつが故障していると思い込んでたみたいだけれど、これが本物のティアレスだとしたら、内部には磁気流体を動力とするパワープラントが埋め込まれ、フリーエネルギーを生み出しているはずだ。つまり、こいつは致命的な故障がない限り、永遠に動き続けるというわけで、今動かないのは、単にマスターチップを抜き取られたためにアイドリング状態に置かれているという可能性が高い。
俺はアンドロイドの耳の中に指をつっこむと、外耳道の上部に探していた窪みをみつけた。
大きく深呼吸するとその窪みにマスターチップを差し入れた。カチッと小さな音がした。
一歩ベッドから離れ、動きを見守った。緊張に胸が締め付けられるように痛んだ。
ブン……と、聞こえるかどうかくらいの、ごく微かな振動音が響いた。
動いた。
思わずごくりと息をのんだ。
頭の先から足の先まで、皮膚の内側に、幾つかごく淡い青や黄色の蛍のような小さな光が走った。ちょっと意外なほどきれいな眺めで驚いた。多分状態確認をしているんだろう。左の肩の部分と、眉の上の傷のところに光が集中して明滅を繰り返している。
そのまま3分ほどの時間が過ぎると、やがて体の内を照らしていた光は静かに消えていった。
しゅ……、とアンドロイドの口腔から空気が漏れた。
ゆっくりと瞼が持ち上げられ、長い睫毛の下から美しい宝石のような茶色い眼球が覗いた。
ドキリと心臓が一際高く脈打った。
その目が不安定に動き、俺の姿を見つけて止まった。
アンドロイドはひとつ瞬きすると、ほとんど優雅とも言える仕草で体を起こし、俺に向き直った。唇が開く。
「初めまして、マスター」
しゃべった。
見ほれるような笑顔とともに、アンドロイドが口にした声は、高すぎることも低すぎることもなく、音楽のように耳に心地よかった。
「あ……うん」
俺は、間抜けに返事した。緊張で喉がカラカラに乾いている。唾を飲み込んだ。
「え……と、どこか具合の悪い部分はある?」
アンドロイドは、ひと呼吸おいて言った。
「右上腕部以下欠損。左顔面上部に裂傷があります。動力および思考集積回路、基本動作に問題はありません」
「そうか、よかった……」
俺の言葉に、アンドロイドはまた微笑んだ。
「貴方をどうお呼びすればよいでしょうか?」
「ん……?別になんでもいいよ。普通に名前で」
「では、トオヤとお呼びしてよろしいでしょうか」
「うん……。えと、君の名前は?」
言ってから、機械に対して君って何!と思ったけど、しょうがない。だって、まんま人間みたいだから。
「お好きなようにお呼びください」
だめだ。俺ネーミングセンス皆無。
「前は、どう呼ばれてたの?」
「様々な名前で。一番最初はローと呼ばれていました」
「じゃあそれで。ロー」
「はい、トオヤ。どうぞご命令を」
え……と俺は固まる。命令て。
しかし、そうだ。動作確認するには何か動いてもらわないとと思い直す。
「じゃあ、えと、夕飯とか作ってもらえる?」
「喜んで。メニューのご要望はありますか?」
「なんでも。簡単でいいから、あるもので作ってもらえると助かる」
「承知しました」
ローは立ち上がると、ゆっくりと部屋の中を見渡した。多分今ので、俺の汚い部屋の中の様々な位置関係を把握したんだろう。音も立てず歩き、ローはまっすぐキッチンに立った。冷蔵庫やストックの中身を確認している。じゃがいもと包丁を取り出し、しばらく固まっている。何だろう。俺の好みやアレルギーがないことなんかは、マスターチップからの情報で知っているはずだ。
ローがくるりと振り返り、言った。
「身体の欠損を補う必要があるため、ここにあるものを一部使用させていただいてもよろしいでしょうか?」
俺の趣味の作業スペースにある鉄製アームなんかの部品を、手のひらで差している。
「ん?いいけど」
「ありがとうございます」
ローは、自分の右腕のカバーを取り外すと、おもむろに溶接専用ペンチとアースクリップを使って腕の中から配線を引き出し始めた。
ええええと思って見ていると、すごい早さで鉄製アームを腕に取り付け始めた。
溶接トーチから派手に火花が散り、ローの顔を赤く照らしている。
俺は、もう言葉もなかった。
瞬く間に腕に無骨なアームを取り付けると、ローはその先端で、ぶすりとじゃがいもを差し、満足そうに調理に取りかかった。