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四 再会

 茂は早朝のスポーツクラブまでの送迎を終えていったん山添と別れ、次の夜間の警護までの間にぽっかりと空いた時間をつぶしながら、結局昼食は事務室で食べることにして、 そのあと仮眠もしようと大森パトロール社事務所へ顔を出した。

 警備会社は土日夜間も関係のない営業時間だが、日曜昼間はやはり人がいないことが多い。

 打ち合わせコーナーのテーブルで食事し麦茶を飲みながら、静かな事務室で、昨日そして今日の警護のことを思い出してみる。

 クライアントはかなり好感度が低いが、過去大森パトロール社が契約した相手はおびただしい人数であり、あの程度の感じの悪さは山添にとってどうということもないだろう。

 そして茂にとっても、前回警護のインパクトを考えれば、今もこれからも、どんなクライアントが来てもおおむね驚くには当たらずといえる気がする。

 しかし山添の様子が引き続き茂は少し気になっていた。何も変わったところはない。金曜日の過剰防衛の件があったことや、そのあとの高原と山添の会話を聞いたせいで、過剰に心配になっているだけかもしれないが、なんとなく感じる違和感が消えないのだ。

 茂は仮眠しようと宿直室に入り明かりをつけて、たまげて一歩後ずさった。和室の真ん中に堂々と、枕だけ頭の下に敷き、高原が寝ていたからだ。

 あわてて明かりをまた消したが、すでに遅く、高原が目を覚まして伸びをしているのがわかった。

「た、高原さん、すみません起こしてしまって・・・」

「ああ・・・・お前も昼寝か、河合・・・気にしなくていいぞ、寝ろ寝ろ。」

 高原が寝たままの恰好でずるずると部屋の奥へ移動する。

「高原さん、確か明日から山添さんと交代されるけれど、今日は非番なんじゃ・・・」

「ん、まあ、そうなんだが、別件の警護の準備で作業があって、ちょっと疲れたから寝てた。」

「そうなんですね。」

「河合、お前こそ今長い休憩時間中だろう。わざわざここに来なくても、好きなところで時間をつぶしていればいいんだぞ。」

「今日は夜のオペラ劇場前の待機時間が長いので眠くなりそうで。」

「なるほど、先に寝ておこうってことか。」

「はい。」

 茂も押入れから枕を取出し、部屋の反対側の隅近くに横になった。しかしすっかり目が冴えてしまっている。

「あの、高原さん」

「ん?」

「昨日も今日も山添さんは特に変わった様子はありませんでした。」

「そうか。」

「でもなんとなく、違和感を感じます。」

「うん。」

「俺は今回初めて山添さんの下でペアを組んだので、山添さんのことは何も知らないですが、なんというか、ちょっと・・・抜け殻みたいな感じなんです。」

「うん。」

「普通に仕事しておられますし、俺にも優しくしてくださるんですが・・・。」

「河合の違和感は、アパート監禁事件で有効性立証済みだからなー。」

「ははは・・・」

「あいつさ、大森パトロール社には、朝比奈さんに誘われて入ったんだ。」

「・・・・・」

「別のところで警護の経験を積んでいた朝比奈さんと違って崇は未経験者だったけど、朝比奈さんについてよく頑張っていた。すごく仲がよかったよ。高校から一緒だったそうだ、あの二人。」

「そんなに前から・・」

「朝比奈さんが最後の警護案件で亡くなったとき、ご家族は身内だけの葬儀をして、基本的にはそれ以外は出席できなかった。でもなんとか頼み込んで、あいつと社長と、波多野さんは出席した。」

「はい。」

「葬式で、あいつは・・・崇は、全然涙を見せなかった、と波多野さんが言っていた。俺も、あいつが、朝比奈さんのことで泣いているところを一度も見たことがない。そして何年も経ってあいつが朝比奈さんの最後の警護案件についてもう一度調べてみたいと言ったとき、俺は、少しわかった気がした。あいつは、全然納得をしていなかったってこと。」

「あんなふうな最後だったら、確かにそうですよね。」

「そうだよな。」

 高原はカーテン越しの弱い光だけの室内で、両手を天に向かって伸ばし、そのまま頭の後ろで組んだ。

「そうだよな・・・そしてあんな事実が分かった後、あいつがわずか一晩であんなに平静さを取り戻し、その後の警護であんなことができたなんて、普通に考えたら、ありえない。」

「はい。」

「・・・・とにかくお前は、波多野さんからも言われていると思うが、常時通信状態にしておくことを忘れるなよ。」

「はい。」

「そして、サブ警護員として周回警護をすることと、なにかあったときは警察へ通報することを自分の唯一最大の役目と考えろ。」

「はい。大丈夫です。」

「それから・・・」

 高原は右ひじを曲げて頭を乗せながら茂のほうへ体を向けた。

「それから、やっぱりもう一つ、言っておくよ、河合。」

 茂は高原のほうを見て、その次の言葉を待った。



 港の埋立地に立つオペラ劇場は、向かいの美術館や隣のホテルに囲まれ、美しさを競い合うように夜空の下で地上からのライトアップを受けている。すぐ近くを水上バスが暗い海面を滑るように通り過ぎていく。茂は駐車場でオートバイの傍らでときどき歩き回りながら、山添の指示を待っている。

 携帯から山添の声が入った。

「河合さん、起きてますよね?」

「え、は、はい!眠くなりそうなので歩き回ってます。」

「ははは、もう少しでオペラも終わりますから。」

「すみません。がんばります。」

 山添は笑い、そしてしばらくして彼のほうからさらに茂に話しかけてきた。

「俺も新人のころは、待ち時間が長くて居眠りして怒られたことがよくあります。」

「そうなんですね!」

「あいつに・・・和人に。」

「・・・朝比奈警護員ですね。」

「そうです。」

「あの・・・・」

「?」

 茂は思い切って訊ねてみた。

「朝比奈さんって、どんな人だったんですか?」

 少しの沈黙の後、返事があった。

「和人は高校のときから知ってました。二年先輩でしたが、年齢差を気にしない友達同士でした。そのころから、警護員として一緒に仕事を始めたときまで、全然あいつは変わらなかったです。常に物静かで、ものすごく頭がいいのに穏やかだった。」

「そして、有能な警護員だったんですね。」

「野生動物みたいに勘が良かったです。人混みで襲撃を受けたときも、ピンポイントで襲撃犯を排除し、関係ない人には全然気づかれないような、そんな警護をする奴でした。」

「はい。」

「口数が少なくて、知らない奴はあいつに取っ付きにくかったみたいですけどね。・・・そういえば河合さんは、三村さんが苦手みたいですね。」

「えっ」

 急に自分のことを言われて茂はひるんだ。

「色々と、あるんだろうとは思いますが・・・・」

 ゆっくりと、山添が言葉を継いだ。

「でも、もしもなにか・・・たとえば意地を張ったりして正直になれない部分があるなら、話ができるうちに、ちゃんと言葉で伝えておくべきですよ。」

「・・・・」

「・・・すみません、差し出がましいことではありますね。」

「あ、いえ・・・」

 茂は言葉が出なくなり、そのままじっと黙ったままバイクの横に立っていた。

 やがて、声のトーンが変わった山添から、業務連絡が入った。

「河合さん、クライアントが出てきました。車寄せで乗せます。追走よろしく。」

「了解しました。」

 ごく短い距離であるが、隣のホテルまでまた車での移動である。オペラ鑑賞をした友人たちとの私的な夕食をとる予定だが、念のためホテルのレストランで再度落ち合うことにして、クライアントは友人たちとは別に、警護員とともに移動する。

 ホテル入口に近づいた車の中の会話が、茂のヘッドフォンに入ってくる。

「いやだわ、またあれ、マスコミよ。」

 茂が前方のホテルの車寄せに目をやると、確かに昨日の高台にあった老舗ホテルでも見たような、ホテルに若干そぐわない空気の人間たちが、行き交う人間達を観察しながら立っている。

「そっちの道から入って、回り込んでくれる?レストラン側の入口から直接入るわ。あそこの角から左折して。大丈夫、車ちゃんと通れるから・・・私このホテルはよく知ってる。」

 警護準備でホテル敷地の構造はよく理解しており、もちろん茂も山添も城生の言っている意味は分かる。山添が一言「はい」と言うのが聞こえた。



 街の中心の高層ビル街で、阪元は静かな事務室の、唯一明りがついている部屋のドアの隙間を指で静かに押し開け、中の人影に近づいた。

「そろそろだね、恭子さん。」

「はい。」

 吉田は室内のテーブルの前の椅子に座ったまま、目の前のスピーカーを見つめている。大きな窓から、夜空のかすかな星々が見える。

 阪元は近くの椅子に自分も座り、窓の外に目をやった。

「静かな、良い夜だよね。風もない、ただ、暗くて、星と月があるだけ。」

「・・・・」

「我々の業務も、常になるべくシンプルであれたら一番だね。」

「・・・そうですね。」

「ただし・・・・」

 阪元の声が一段低くなり、吉田はちらっと上司の横顔を見た。

「・・ただし、何かをすっ飛ばしてシンプルに走るのは、だめだよ。」

「・・・・そうですね。」

「シンプルであることと、迷いを放棄することとは、天と地ほど違うからね。あのくだらないクライアントを守っているボディガードくんは、そういう意味で、我々の邪魔をする資格はまったくない。クライアントがくだらないから、じゃなくてね。」

「はい。」



 ホテル正面玄関に入らず手前から反時計回りにホテルの建物の周回路に入り、左折すると海沿いの細い道が続いている。奥を更に左へ回り込むとレストラン側入口のはずである。

 はるか前方には港を行き交う船や、倉庫街の明りが、風のない夜空を背によく見える。

 そのとき、助手席の城生がヒッと声をあげた。山添も前方を見て目を見開いた。

 茂のヘッドフォンに城生の震える声が入ってきた。

「あれ、あれ・・・・あいつよ、あの女の旦那・・・・!」

 山添も茂もその男性の名前や特徴は事前に頭に入れていた。

 クライアントが交通事故で負傷させ顔に傷をつけた女性の、内縁の夫だ。写真で見たとおりの、痩せた、そして身長は普通だが手足がとても長い男だった。夜の闇でも、そのシルエットは鮮明だった。

 山添はその男性を見るのは二度目だと理解していた。一度目は、初日のスポーツクラブの建物の前だ。あの、女性に化けた青年が山添の注意をひいた隙に後ろからクライアントに近づこうとした、あの人物だった。

 その手足の長い痩せた男性は、山添と城生の乗った車の前方に立ちふさがり、そのヘッドライトの光を浴びながら何か右手に容器のようなものを持っている。

 思わずブレーキを踏んだ山添に、城生が言う。

「いいわよ、このまま行って!」

「・・・・」

 このまま行けば男に車がぶつかってしまう。

 山添は周囲を素早く見回し他に不審人物がいないことを確認すると、茂に一言後退の指示を出し、バックにギアを入れた。

 そのとき、男性が右手に持った容器を頭上に上げ、透明な液体を頭から浴びた。

 ヘッドライトの光に、液体はきらきらと煌めきながら男の全身を濡らし足元の路上まで滴を落とした。

「えっ!」

 車後方のオートバイの茂の目にも、前方の男性が液体の入っていた容器を投げ捨てた後、左手に持ったライターを高々と差し上げ、夜空を背景に点火したのが見えた。

 茂のヘッドフォンに山添の声が入った。

「出ます。クライアントを頼みます。河合さん。」

「はい!」

 山添が運転席のドアのロックを開け、ドアを開いた。

 その瞬間、車前方の暗闇から現れた別の人影が運転席ドアを無理やり引きはがすように開いた。

「・・・・山添さん!」

 車前方から現れた二人の人物の手際は、悪夢のように迅速かつ完璧だった。

 ひとりめが後部座席へ乗り込み助手席のクライアントを後方から拘束するとともに、ふたりめは山添の両手を後ろから拘束したままゆっくりと車から数歩離れる。長身の男性は、山添の両手を、下からではなく上から後方へ回し頭の後ろで拘束していた。これには理由があった。

 茂が携帯から発信しようとしたとき、山添の両手を後ろから拘束している酒井が言った。

「大森パトロールの河合さん、携帯電話を二台とも外してこっちへ投げてください。クライアントの安全第一がおたくの方針ならば。」

 茂は酒井の言うとおりにした。

 酒井は地面を滑るように足元まで投げられた茂のヘッドフォン型携帯と予備用携帯とを、左脚で地面の上で踏みつけるように破壊し、後ろへ蹴ってフェンスの向こうの海中へと廃棄した。山添の持っていたものも同様にされた。

 車内の後部座席の男は、クライアントを、助手席の窓を背にし、座席の上で横座りをするように座り直らせた。そしてそのままクライアントの両手両足を手早くロープで縛り上げる。

 クライアントは、酒井に拘束された車外の山添と、向かい合うかたちになった。

 車前方から、全身を濡らした男性がゆっくり歩いて車へ近づいてきた。

 男性は、まだ服から滴を落としながら、大きく開いている運転席の扉から、右足の膝を運転席座席へつき、クライアントと斜めに向き合った。その左手のライターに、再び火がともった。

 酒井が山添の耳元でささやいた。

「おたくのクライアント、被害者に訴えられたとき、顔の傷なんてたいした話やないって、おっしゃったそうなんで。ちょっと試してみたいと思いましてな。」

「・・・・・!」

「ライターの火くらいじゃ、大したやけどにもなりまへんやろうけどな。」

 助手席の城生ひとみにライターの火を向けた男性は、少し前にヘッドライトの中で液体を浴びた人間と、異なる点がふたつあった。ひとつは、頭に通信機器を装着していること、もうひとつは、それは震えながらその男性を見た城生ひとみが指摘をした。

「あなた、あいつじゃない。・・・・誰?」

 それは車の前に立ちふさがった男性とそっくり同じ服装をした、女性・・・・和泉だった。

 和泉は城生の質問には答えず、マスクをした口から静かに低い声で別の話をした。

「城生ひとみさん、あなたは、被害者女性に一度でも、心から謝罪しましたか?」

「・・なによ、・・・なんなのよ・・・・」

「事故は、誰にでも起こりうることです。」

「・・・」

「でも、大切なことは、起こった後、どうするかです。」

「・・・・」

「相手の気持ちを少しも想像する能力と意思のないかたには、同じ目に遭っていただくほかないのは、とても残念なことです。」

 和泉が左手のライターの火を、ゆっくりと前方へ動かしていく。

「やめろ!」

 山添の声をあざ笑うように、その後ろに立つ酒井が山添の頭の後ろで拘束した彼の両手に、さらに力を込めた。

 酒井は山添の耳に口を近づけ、言葉を投げかける。

「人を助けようとして、裏切られる。どんな気分ですか?山添さん。」

「・・・・・」

「あんた、以前おたくの警護員さんがクライアントに手ひどく裏切られて死んだ、その後も、えらい元気に、くだらんクライアントたちを嬉々として守っておられますな。」

「・・・・・」

「迷いもせずに。」

「・・・なにが言いたい」

「さっさと、そんな色々なものを、乗り越えてしまったつもりですか?あほちゃいますか?」

「・・・・・」

「全て、受け入れたつもりですか?でも、実は、ぜんぜん、受け入れられてなんかいませんで。」

「・・・・・」

 和泉の手がさらにクライアントに近づいていく。

「やってもやっても、だめですよ。わかりますかね。」

 城生が絶叫した。


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