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三 前触れ

 土曜日の朝、茂がクライアント宅前に到着すると、待ち合わせ時刻より三十分ほど早かったにも関わらず、すでに山添の大型二輪が広いガレージの隅に駐車してあった。しかし二輪車の持ち主の姿は見えない。茂は自分が乗ってきた事務所の中型二輪を、通行の邪魔にならないようなるべく塀に寄せて停め、もたれて立ったまま待つ。

 ヘッドフォン型携帯電話を装着し、服の中の予備用携帯もスイッチを入れた。波多野部長の指示で、警護の間じゅう集音マイクのついた予備用携帯もオンにし、山添との間で通話状態にしておくことになっている。

 待ち合わせ時刻ぎりぎりになり、ようやく山添が徒歩で現れた。

「おはようございます、河合さん。」

「おはようございます。今日はよろしくお願いします。」

 山添は昨夜のような捉えどころのない感じは和らぎ、今朝はまた特に変わった様子はない。

 二人がインターホンを押すと返事があり、城生ひとみとその夫が玄関を開けて出てきた。

 茂が自己紹介とあいさつを済ませると、山添が先にクライアントの車に乗り込み、エンジンをかける。この日は問題なくエンジンはかかった。クライアントが助手席に乗りこむと、車が先に発車し、茂がオートバイで追走し出発した。

 茂のヘッドフォンには、前方を走るクライアントの車の、車内の会話が山添の携帯電話越しに聞こえてくる。といっても、ほぼ城生ひとみがしゃべっているだけだ。今日これから向かう別荘地をいかに昔から目をつけていて最も良いエリアに自分の別荘を確保したかに始まり、それは基本的に終わりのない自慢話だった。それも、同じ内容を最低三回は繰り返す。茂は山添に同情した。

 昼前に晴天の別荘地に到着し、クライアントが乗馬クラブの建物へ入っていってしまうと、二時間ほどの待ち時間となった。茂はオートバイから降り、車のドアを開けた山添のところへ行く。山添が黒目がちの目を茂に向け、少年のような顔に微笑みを浮かべた。

「河合さん、長距離お疲れ様。今のうちに飯食ってしまいましょう。」

「そうですね。」

 車とバイクをロックし、近くの木の切り株にピクニックのように腰かけ、持ってきた昼食を一緒に食べながら、茂は山添に話しかけるタイミングを探した。しかし特に絶好のタイミングも訪れないので、茂はおもむろに声をかけた。

「道路の長距離の移動時警護、俺はまだあんまり経験がないので、緊張してます。山添さんは、普段から遠出とかはされるんですか?」

「そうですね、私物のバイクで個人的にもよく出かけます。警護のときは、緊張感が切れないようにするのには、少し慣れがいりますね。」

「波多野さんには、まだまだ新人だって言われます。山添さんは大森パトロールが始まったときからいらっしゃるんですよね。」

「そうです。河合さんもそのうち、もっと色々な案件を担当させてもらえますよ。」

 快晴だが木陰にいると快適な気温だ。葉の間から漏れてくる陽光が、山添のその日焼けした、少年のような表情を一層際立たせている。

「俺はいつも、高原さんや葛城さんみたいになりたいと思ってやっていますが、なかなか進歩しないです。」

 山添が楽しそうに笑った。

「晶生には・・・高原には、俺もたぶん永遠に追いつけないですよ。彼のレベルは別格です。」

「そうなんですね。」

「警護員は、普通はそれぞれ得手不得手があります。でもあいつは、全体にバランスがすごくいいんです。つまりは、パーフェクト。」

 茂がちょっとうつむいて考え込んだ。

 山添が意外そうに茂を見る。

「どうかしました?」

「高原さんは、だとすると、仕事で何か悩んだときは誰に相談するんでしょうか・・・」

「え?」

 しばらく茂のほうをなんとなく見つめていたが、やがて山添がさっきよりもっと楽しそうに笑った。

「確かに、河合さんの言うとおりですね。あいつの相談相手って、誰なんだろう。やっぱり怜かな。でも怜があいつに相談しているとこは想像できるけど逆はなあ・・・」

「うーん・・・」

「あ、なんかそういえば、よくうちの事務所に来ている、三村さんっていましたよね。前の警護で負傷されたという。」

「げっ」

「あの人事務所で晶生と話しているところを見たことあるけど、ちょっとそんな感じかもって、思いましたよ俺は。」

「げげげげ」

「どうかしました?」

「い、いいいいえいえ」

「三村さんは、河合さんと昼間の会社の同期仲間だそうですね。じゃあ、きっと三村さんは河合さんが相談相手なんでしょうね。」

「それだけはありえません」

「?」

「えっと・・・・・山添さんの相談相手は、やっぱり高原さんなんですか?」

「・・・・」

 山添は少し沈黙した。茂は少ししまったと思った。

「すみません、俺、あの・・・」

「そういえば、そういう相手は、いないかな、俺は。」



 私鉄駅から少し離れたところにある、あまり大きくない病院の一室で、朝から和泉は目をまるくして立ち上がり、訪問者を迎えた。

「酒井さん・・・!空港に到着されたのって確か・・・」

「ああ、三時間前や。」

 酒井は長身をいつものように猫背気味にして、無精ひげの顔に彼には珍しいくまをつくったまま、立っていた。

「空港から直接いらっしゃったんですか。ご連絡いただけたら迎えに・・・」

「板見は?」

「はい、ちょうどさっき起きたところです。」

 和泉は寝起きの寝ぐせがついたままのショートカットの髪をちょっと手で押さえながら、酒井を個室の奥へと案内した。

「和泉、お前泊まったんか。男女同じ部屋で一夜を明かすとはふしだらな」

「違いますよ、別室で仮眠させてもらってますから、ちゃんと」

 酒井は狭い個室の奥のベッドへ歩み寄った。

 ベッドのマットをあげて少し上体を起こしている、目の大きなごく若い青年へ声をかける。

「おう、板見。お前、派手にボコボコにされたんやって?」

 板見は笑おうとしたがたちまち激痛に顔をしかめた。

「すみません。・・・お恥ずかしいです。」

 ベッドの脇にあった椅子二つのうちひとつに酒井が腰を降ろし、長い脚を持て余すように組んだ。

「和泉からのメール読んだで。お前、よく自力で川から上がってこれたなあ。補助要員も、あと少しで救助に飛びこむとこやったそうやないか。」

「こういう訓練は一応・・・受けてますから。」

 板見が複雑な表情でそう言い、酒井は楽しそうに笑った。

「まあいずれにせよ、日曜日にお前が参加できなくなったのは残念やろうけど、喜べ、恭子さんの計らいで、お前も実況を楽しめるで。」

「そうなんですか?」

 和泉がにっこりした。

「そうよ。無線の音声をここで聞けるようにするから。今日中に機材をセットしておくね。」

「ここの病院はうちの探偵社が必要なことやったら、基本的にどんなことでも便宜を図ってくれるからなあ。ありがたいことやな。」

 短時間の会話を終えると酒井はすぐに病室を後にした。

 追いかけてきた和泉に向かって、廊下で振り向き酒井が言った。

「ここへ来る前、電話で恭子さんと話した。」

「はい。」

「日曜日の予定、ちょっとだけ変更やってな。」

「はい。」

 酒井の精悍な顔から、さっきまでの笑顔は消えていた。

 両目が少し伏せられ視線が落ちた。

「・・・・うちの新人が世話になったんやからな。今までのように、優しい酒井さんやないで。」

 和泉は同意と恐怖の混ざった顔で酒井の顔を見つめた。



 乗馬と豪華ランチを仲間と楽しんだクライアントが車へ戻り、昼過ぎの別荘地を後にして山添の運転する車と茂のオートバイは、もと来た道を再び戻った。

 この日二箇所目の目的地は、街の中心の少し高台の一角にある、老舗の高級ホテルだった。

「一日で数百キロの移動距離ですね。」

「本当は泊まりたかったんだけど、主人がだめだって言うの。防犯装置がちゃんとしてる自宅以外での、外泊は当分だめ。」

「ご主人のおっしゃることは正しいと思いますよ。」

「公式行事も全然出られなくて、ストレス溜まっちゃって仕方がないわよ。」

 当然だ、と、茂はオートバイ上で、車内の会話をヘッドフォンで聞きながら思った。

 ほぼ渋滞にはつかまらなかったが、たっぷり三時間かけてホテルへ車は到着した。

 入口に目をやった城生が、顔色を変えて山添に言った。

「ホテルの正面玄関に、マスコミの連中がいるみたい。あっちの道から、回り込んでもらえる?別館から入るわ。」

「かしこまりました。」

「有名作家の妻が事故を起こした、って、そんなに面白いのかしらね。いまだに追っかけてくる記者がときどきいるのよ。すごい迷惑。」

 そして今度はクライアントは一時間弱で再びホテルの車寄せに戻ってきたが、アルコールが程よく入り、さらに饒舌になっていた。

 今日のワイン教室で出たワインの銘柄について話し始める城生へ、山添が冷めた声で確認するのが茂の耳に届く。

「ご自宅へ向かいますよ。」

 車は高速道路へと入っていく。

「山添さん、あなた、ほんと運転うまいわねえ。」

「ありがとうございます。」

「私だって、うまいのよ。なのにもう運転しちゃいけないなんて。不便ったらありゃしない。」

「・・・・」

「ちょっとうっかりしちゃっただけ。誰だってあるでしょう。車運転してて、前も後ろも全部一秒も残らず注意してるなんて、できる?」

「・・・・」

「人間なんだから。でもあの旦那さん、人を極悪人みたいに・・・。私、わざとやったわけじゃないのよ。あの人だって、明日は我が身じゃない、車で事故起こすなんて。」

「・・・そうかもしれませんね。」

「顔の傷なんて、今は医学も進歩してるんだから、カネかけりゃ消えるわよ。」

「・・・・」

「まあ、裁判で慰謝料たっぷりとるつもりらしいから。いくらでもくれてやるわ。そのカネで顔キレイにして、さらに贅沢してお釣りがくるわよ。内心ほくそえんでるんじゃない?私、良いカネヅルなのよ、あいつらにとってきっと。こっちは生活全方位的に迷惑してるっていうのに。」

 オートバイの上で茂は耳を凝らしたが、山添の返事は聞こえてこなかった。

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