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二 襲撃

 金曜日の早朝、山添は警護の初日を予定通りまだ暗いうちに開始した。クライアントが早朝の高級スポーツクラブへ通う生活を維持するため、それよりさらに早く自宅へ到着し、周辺のチェックをしなければならない。

「おはよう。もう出られそうかしら?」

 城生ひとみが地味な服装とサングラスといういでたちで玄関から出てきて、車周りのチェックを終えていた山添に声をかける。玄関の扉の中には、夫である作家の城生一郎氏の姿も見える。読書嫌いな山添でも、名前は聞いたことがあるノンフィクション作家だ。

「おはようございます。」

 山添も挨拶を返し、クライアントを車外に残したまま先に運転席に乗り込みエンジンをかける。車三台入るガレージに、大きな国産高級車はガレージに残し、二人が使うのは目立たない軽自動車のほうだ。

「・・・・エンジンがかかりませんね。」

 運転席から山添が二人に声をかける。

「ええー?」

 クライアントが夫とともに玄関からガレージへ降りてくる。

「バッテリーが上がっています。」

「お前また、ランプつけっぱなしにしてたんじゃないのか?」

「そんなことないんだけど・・・。バッテリーがもうだめなのかしら。」

「もう一台の車をお使いになりますか?」

「いやよ、あの車は目立ちすぎるもの。」

「電車になさいますか?それとも・・・」

「タクシーを呼ぶわ。」

「念のため、今日はスポーツクラブへのお出かけを見送られることはできませんか?」

「できないわよ。」

 携帯電話でタクシー会社に電話をかける城生ひとみに、山添は、来る車のナンバーと運転手名を必ず聞いておくよう伝えた。



 会社へ向かう電車の中で、茂は、夕べ波多野と山添が帰った後の事務所で高原と話したことを思い出していた。

「おい河合、お前が怜にちょっと似てきたところで、聞きたいんだが。」

「はい。」

「能舞台での警護のとき、あいつは・・・山添は、どんな様子だった?」

 前回の警護で、茂と葛城は三村流関係者を警護したが、山添は予備要員として会場全体の監視を受け持ち、また、最後に負傷したクライアントを茂から引き取って病院まで連れていっている。

 そしてそのクライアントは、山添と仲がよかった朝比奈和人警護員を欺き、彼が殉職した原因をつくった張本人だということを承知で、彼らが警護した人間だった。

「特に・・・変わった様子はありませんでしたが・・・」

「何も、か?」

「はい、何もです。・・・あ・・」

「そうだよな」

「おかしいですよね。何も変わった様子がない、なんて・・・・」

「ああ。」

 そのクライアント・・・升川厚を、茂や葛城や山添そして高原という大森パトロール社の警護員たちが警護したのは、もちろん、違法な攻撃の対象となりえる者は誰であろうと守るという会社の方針を放棄しないためだ。しかしそれは、喜んでそれをしたということとはまったく異なる。現に山添も他の人間同様に、当初はその警護を回避しようとしていた。

「誰より山添にとって、升川は、殺しても飽き足らない人間だったはずだ。あんな役目を引き受けた上に、トラブルもなかったこと自体、逆におかしい・・・。俺も、あのときは自分のことで精一杯で、こんなことにまったく気づかなかった。」

 メガネの奥の高原の知的な両目が、口惜しそうにその視線をテーブルの上の両手へと落とした。

「山添さんって、すごく冷静で自制心ある人、というわけでもないんですね?」

「むしろその正反対だよ。」

「そうなんですね・・・・。今日、警護の内容について詳しく打ち合わせをしましたが、すごく冷静で自制心ある人という印象でした。」

「それは、たぶん」

 茂は高原がメガネを外すのを初めて見た。

「たぶん、あいつが今死ぬほど動揺していて自制心を失っている証拠だと思う。」

 ガラス越しではないその両目に、茂は射られる思いでこの先輩警護員の次の言葉を待った。



 到着したタクシーのナンバーと運転手名を確認し、クライアントを先に乗せると、山添も続いて後部座席へ乗り込んだ。

 タクシーは三十分弱走り、川沿いにオフィスビルが林立する早朝のビジネス街へと入っていく。

 運河のように幅のある川にかかる橋を渡ったところにある、ひとつのビルの前に到着し、タクシーが扉を開けた。城生が会計をする。

「よかった、間に合ったわ。早朝クラスじゃないと、人が多くていやになっちゃうのよね。」

 山添がタクシーから降り、次に城生が降りようとしたちょうどそのとき、タクシーの前方から、次の客が、タクシーに向かって手を上げながらこちらへ走ってくるのが見えた。つば広の帽子をかぶった、女性だ。

 その一秒後、山添はタクシー後方から近付いた別の人影と、クライアントとの間の空間に身を滑り込ませ、襲撃圏内に入ったその人影を排除すべく右手を払うように前方へ出した。

 タクシーがドアを閉じ発車する音と同時に、風のようなスピードで、さっきのつば広の帽子の女性が山添の前に立ちふさがった。

 女性は大きな目を山添に向け、後方の人物が走り去るまでの間、隙のない構えを崩さず山添を見ていた。走り去る人物が視界から消える直前、山添が怒りを抑えきれないように大きく一歩踏み出し、足払いと同時に右手の手刀打ちが入った。きわどく避けた相手が逃げるための反撃に出ようとしたところへ、山添の左手正拳が相手の鳩尾にほぼまともに決まる。山添は相手の襟元を両手でつかみ、道の反対側のフェンスまで追い詰め押し付けた。

「お前、女じゃないな、そして・・・素人じゃないな。」

 つば広の帽子が背後の川へと落ちる。左手で鳩尾を押さえて息を上げ、襟元をつかまれたまま大きな両目で山添を睨みつけているのは、ごく若い青年だった。

「どこのどいつだ。」

「・・・・」

「車に細工をしたのはお前たちだな。・・・自家用車とタクシーの違い。それは、つまり、降りるときに次の客がいるかどうかだ。そんな単純なやり方で、俺の気を逸らそうとした・・・・。なめるのもいいかげんにしろ。」

「・・・・」

「こんなやり方で、くだらない力試しをした。ふざけるな。」

 左手で襟首をつかんだまま、山添が右手の引手を取った。

 鈍い音がして、右手拳が相手の胴体中央に突き刺さるように入り、相手はそのままフェンスを背面で乗り越えるようにして、下の波打つ藍色の川へと落ち、沈んだ。



 金曜日の夜、茂は初めて、大森パトロール社の事務所へ行きたくないと思ったが、しかし今日はどうしても行かなければならなかった。それは、明日の土曜から警護業務が始まるというだけの理由ではなかった。

 金曜午後、高原から茂に電話が入っていた。

 事務室へ入ると、打ち合わせコーナーの、椅子ではなくテーブルに浅く腰をかけ、高原が待っていた。

 茂のほうを見ても、高原は何も言わない。

 やがて、応接室から波多野の呼ぶ声がして、高原と茂は部屋へ入った。山添のとなりに茂が、そして波多野のとなりに高原が座る。

「茂も晶生から電話で聞いたと思うが」

「はい」

「崇の過剰防衛は、本来今すぐ警護の担当を換えるべき程度のものだ。」

「はい」

「だが、その後すぐに被害者の捜索をしたこと・・・・ただし被害者はついに発見できなかったが・・・・それから土日の警護は茂が一緒であること、そして土日の警護現場の詳細を崇が理解していることから、明日と明後日の二日間だけは、崇に引き続き担当させる。月曜からは、また単独態勢に戻るから、高原に交代する。」

 山添はゆっくりと頭を下げた。

「・・・申し訳ありませんでした・・・・」



 街の中心にある高層ビルに入っている事務所の、個人の書斎のような簡素な個室で、部屋の主が窓の外を見たまま部下の報告を聞いていた。

 入口近くに立ったまま、吉田恭子は上司の背中にさえ目をやらず、手短に状況を話した。

「・・・それで、」

 阪元航平は、吉田の言葉が途切れたあとしばらくしてから、ようやく振り向き、その異国的な顔の深いエメラルドグリーンの両目で部下の顔を見た。

「それで、板見のケガは?」

「肋骨骨折、ほかに打撲数か所、命に別状はありませんが、当分入院です。今は和泉が付き添っています。」

「そうか・・・。」

「申し訳ございません。社長。」

「君が謝ることじゃない。私の想像が、甘かったんだから。」

「・・・・・」

 吉田は、セミロングの髪をかすかに揺らして、鼈甲色の縁のメガネをした両目を、感情を気取られるのを避けるように伏せた。

「前回の一件で、私は、大森パトロール社の警護員たちに、多少は同情した。」

「はい。」

「多少はね。しかし私は、彼のことだけは、ちょっとよく分かっていなかったようだ。不思議なことだ、考えてみれば。・・・・・朝比奈和人の件で、一番影響を受けてきた、そして受けているはずの人間が・・・一番、何も考えていないなんてね。」

「考えていない・・・?」

 阪元は少しだけ表情を和らげた。

「語弊があったかな。思考停止、そして飛躍。そういう表現のほうが、適切かもしれないね。」

「日曜日は、酒井をはじめ、十分な布陣で参ります。」

「うん、そうだね。それから・・・・ちょっとだけ、予定を変えても、いいかな?」

 阪元の緑色の両目に、凶暴な光がよぎった。

 


 応接室から出て、山添が事務室を出て行こうとするのを、高原が呼び止めた。

「崇。お前、どうしてこんなことをした?」

「・・・・もうさんざん波多野さんに叱られた。お前まで責めないでくれよ。」

 抗議するように見返す山添の顔をしばらく高原は見ていた。

 やがて、決意するように、言った。

「お前さ、前回の警護で、佐藤氏を・・・いや、升川を、警護する俺たちを、手伝ってくれた。」

「それが?」

「あの時、怜も俺も、お前のことを考えているつもりで・・・実際は自分のことで手一杯で、まったくそれ以外のことに頭が回っていなかった。」

「そうか?」

 茂は、そっとその場から少し離れた場所へ外した。しかし二人の会話は否応なしに聞こえてくる。

「お前、なにか、おかしいよ。俺たちが朝比奈さんの最後の警護案件について調べ終わった後は特にそうだが・・・・でも実際は、それよりもっと前から、だ。」

「・・・・・」

「襲撃犯に同情しないのは、警護員として正しいことだが、今回お前は完全にネジ一本落ちてる。そして、お前は、本来そんな人間じゃないはずだ。」

「俺が無鉄砲なのは、昔からだよ。」

 山添は踵を返し、事務所出口へと向かった。


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