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一 不安

 警護員山添崇の実質的なデビュー編です。

 河合茂は平日昼間に勤めている会社で、同じ係で斜向かいに座っている長身の美男子を、毎日見る日がいつか終わることだけを楽しみにうだつの上がらない日々を過ごしている。入社同期であるため、それは相手の退職ではなく人事異動を待つ以外にない。

 その美男子は茂とは違い平日昼間のここでの仕事が明らかに露骨に片手間であることを隠そうともせず、また茂とは違い会社中の女性から崇拝され、そして、茂とは違い本業副業いずれにおいても優秀だ。

 茂は、三村英一の、カラスのような真っ黒な髪と同じ色の漆黒の端正な目を、斜めに睨みつけながら言った。

「あのさあ、三村」

「もう愚痴は聞かないよ」

 就業のベルが鳴って久しい。英一はさっさと立ち上がった。身長は茂より十センチほど高く、百八十センチほどある。背筋がぴしっと伸びて姿勢が良いので、さらに長身に見える。

「そうじゃないよ。お前が会社に出てきたら、聞いておいてくれって、波多野部長に言われただけだ。」

「なにを?」

「腕の傷の具合に決まってるだろ」

「ああ」

 英一は憎らしいほど勝ち誇った顔で、茂の、その絹糸のようなさらさらの茶色の髪よりさらに色の薄い琥珀色の目を、正面から見た。

「な、なんだよ」

「生活に支障がなくなるまではあと少しかかるが、後遺症の恐れもないし、したがって舞には一切支障はない。また是非公演にご招待させてくださいと、伝えてくれ。」

「公演のことは端折る。」

「ちゃんと伝えろ。」

「傷の具合のことだけだもんね、聞かれたのは。」

 英一の副業、というより本業は、日本舞踊三村流宗家の舞踏家であることだ。そして英一は、茂にとってはあまりうれしくないことであるが、茂の副業先である警備会社、大森パトロール社の、茂の上司や先輩たちと異常に仲がいい。

「なら、これから大森パトロールさんに寄って、自分で伝えるさ。」

「待て三村」

「冗談だ。傷が治るまでは代講で良い代わり、寄り道したら破門だと親父に言われている。」

 英一は土日夜間はプロの舞踏家として舞を教えてもいる。

「ふーん」

「河合、今、俺の傷が永遠に治らなければいいと思ったな。」

「思った思った」

「三村流の関係者たちの間に、最近、大森パトロールさんの評判が広まっている。紹介を頼まれている案件が色々あるんだが・・・」

「すみません、傷、早く治ることをお祈りしてます」

 茂が謝ったのは、もちろん、三村流の関係者たちに仕事の依頼をしてほしいからではなく、してほしくないからだった。



 平日昼間の会社と同じ最寄駅だが駅の反対側にある、雑居ビルの二階に大森パトロール社の身辺警護部門の事務所はある。茂はここに登録して土日夜間限定で仕事をする警護員、いわゆるボディガードである。まだほぼ新人ではあるが。

 仕事は毎日あるわけではないが、昼間の会社が終わると、なんとなく事務所に立ち寄ることが習慣になっている。やはり夜によく事務所に立ち寄る、尊敬する先輩警護員の高原や葛城に会える可能性が高い。

 しかし今、葛城に会える可能性はゼロだった。

 従業員用入口からカードキーで事務室に入ると、ちょうど帰宅しようと事務所を出た二人の警護員たちとすれ違った。互いに黙って会釈する。顔は知っているが名前はわからない。警護員たちは、仕事でペアを組む相手を除いては基本的に個人業務のため、なかなかこの事務所に所属する二〇人以上の警護員たちの、名前さえ覚えることができない。

 事務室内には、あと二人だけ、自席で端末を見ている警護員がいるだけで、あとは誰もいない。と思ったとき、奥の打ち合わせコーナーから高原が手を振った。

「河合、今日はちょっと遅かったな。」

 茂が打ち合わせコーナーまで行き挨拶すると、先輩警護員の高原晶生がいつもの愛嬌と知性の同居した笑顔を返した。メガネがよく似合う、このすらりと背の高い、女子高の超人気科学教師のような容貌の男は、大森パトロール社きっての有能な警護員である。

「こんばんは。俺も残業することもあるんですよねー」

「珍しいなあ。あ、英一さんの傷の様子はどうだった?」

「波多野さんも気にしておられたので、本人に聞いてみましたが、生活に支障がなくなるまではあと少しかかるけど後遺症の心配もなく、問題なしみたいです。」

「よかったよかった。」

「それから・・・・」

「?」

「いえ、公演にまた招待したいとか言ってましたが、それは別にどーでもいいですからね」

「おお、ぜひ波多野さんに伝えておこう。」

 茂はとりあえず話題を変えた。

「葛城さんは、今海外なんですよね。」

「そうだ。怜から聞いたか?」

「はい。一週間海外出張だけど、俺を連れていけなくて申し訳ないっておっしゃってました。」

「あいつらしいなあ。海外での出張警護なんかまだ河合には千年早いぞ。」

「はあ・・・」

 葛城怜は高原同様、茂が尊敬する先輩警護員である。基本的に茂は葛城の下で彼とペアを組んでいるが、高原に肉薄するような有能な警護員である葛城が担当する案件の中には、まだまだ茂がついていけないレベルのものも多い。

 ふと、高原の表情が変わったことに、茂は気がついた。

 高原の手元にある携帯端末には、いくつものニュース記事のスクラップの画像が表示されている。

「高原さん・・・なにか、心配事ですか?」

「ん?」

「高原さんが調べものをしておられるときは、楽しそうにしておられるか、不安そうにしておられるかの、どちらかな気がします。」

「・・・・」

「今日は、なんだかとても心配そうです。」

「河合、お前さ、・・・なんかちょっとずつ、怜に似てきたんじゃないか?」

「葛城さんにですか!それはすごくうれしいです!」

「ちょっとだけ、だけどね。」

「これからもがんばります。」

 高原はメガネの奥の知的な目で、優しく笑った。

 従業員用入口がカードキーで開く音がして、波多野部長と、もう一人、事務室に入ってきた。波多野部長の隣にいる日焼けした青年を、茂はよく覚えている。

「あ、こんばんは、波多野部長、山添さん。」

「おお、河合!」

 隣の山添を先に応接室へ行かせ、波多野は打ち合わせコーナーの椅子から立ち上がった茂のところまで来て立ち止まった。

「英一さんは会社に復帰されたんだよな?ケガの具合はどうだって?」

「全然問題ないそうです。それで、えっと・・・・」

 口籠った茂の代わりに高原が補足した。

「また公演に招待してくださるそうですよ。」

「それはうれしいな。皆で行くぞ」

「・・・・・」

「なんだ茂、うれしそうじゃないな。英一さんは我々の警護案件が原因で負傷されたのに、英一さんをはじめ三村流の人々が我々に温かく接してくださるのはありがたいことだぞ。」

「ええ、まあ、そうですねー。」

 高原がちらりと応接室のほうを一瞥した。

 波多野がその様子に気がついたように、茂と高原に言った。

「二人とも、大丈夫ならちょっと来てくれ。山添の今回の案件について、急ですまないが、頼みがある。」

「はい。」


 応接室に入ると、もう資料を前に山添崇がソファに座っていた。その隣に波多野、向かいに茂と高原が座る。

「基本的に崇の単独案件だが、晶生、念のため資料に目を通しておいてくれ。」

「わかりました。」

「それから茂。」

「はい。」

「怜が不在でもあるし、お前、明後日の土曜と明々後日の日曜、サブで入れるか?それから可能なら、次の週もだ。」

「あ、はい、大丈夫です。」

「急にすまんな。崇から後で詳しい話を聞いてくれ。・・・今日お前たちに会えてよかったよ。明日の夜呼び出そうと思っていたところだ。」

 波多野がそのまま簡単に案件を説明する。

「クライアントは・・・警護対象は城生ひとみ氏。警護依頼人は夫だ。いわゆる”出所後警護”じゃあないが、それにやや近い。彼女は過失運転致傷で罰金刑を受けている。」

「はい。」

「そして現在、民事訴訟の係争中でもある。」

「被害者は・・・・」

「クライアントの車に怪我させられたのは若い女性だが、特に脅迫はない。ただし・・・」

「?」

「被害者女性の内縁の夫が、法廷で暴言を吐いて注意を受けている。処罰感情は相当だったようだ。」

「怪我はひどかったんですか?」

「そうじゃないが、ただし、顔に大きな傷が残ったそうだ。」

「そうなんですね。」

「民事訴訟のほうでは、かなりの額の賠償が課される見通しだ。」

「それはそうですよね・・・。」

「警護は移動時警護・・・つまり送迎だ。もちろんクライアントはもう車の運転はできないから、崇がクライアントの車を運転し送迎する。明日から、一応一か月間の契約になっているが、延期もありえる。土日は遠出があるので、警護員二名態勢がよいだろうということになった。」

「はい。」


 茂は山添に伴われて応接室から打ち合わせコーナーへ移動し、案件の詳細の説明を聞いた。

 前回の警護のときはじめて会ったこの先輩警護員を、これほど近くで見るのはもちろん茂は初めてだ。スポーツ好きということがひと目でわかる、よく日焼けした肌、しっかり筋肉のついた肩や腕。しかしごつい感じではなく、強靭だがしなやかな体つき、という言葉がぴったりくる。身長は茂より高いが高原ほどではない。

 そして、その顔立ちは、黒目勝ちの目のせいかやや童顔に見えるが、全体としてかなりきれいな目鼻立ちだ。

 黒目勝ちの瞳に似合う、長めのまつ毛。少しぽってりした唇も、顔全体をかわいらしく見せている。茂も童顔で、いつかの女装しての警護では非常にかわいいと言われたが、山添は、化粧しなくても可愛い感じがする。耳の少し下まで伸ばした髪は、茂より濃い茶色に染めてあるが、肌の色が黒いので茂よりもっと明るい色に見える。

 前回警護で初めて山添を見たときと、印象が全然違う。それは、今は葛城がいないせいだと、茂は気がついた。

 葛城の、この世ならぬ異常な美貌のそばにあると、どんな美男美女も基本的にかすんでしまうのだ。

「河合さん、今回は急な話ですみません。でもたぶん、波多野さんのお考えだから、きっと何か理由があるんだと思います。」

「はい。」

 山添は波多野が高原や茂に急にこの案件のサポートをさせようとした理由を、よく呑み込んでいないように、言った。

 高原の圧倒的な知性とも、葛城の徹底した配慮とも違う、この警護員の不思議な感じを、茂はまだつかみかねている。


 応接室に残った高原は、波多野の顔を見ながらその説明を待った。

 波多野はソファにもたれ、足を組む。

「クライアント・・・警護依頼人じゃなく警護対象のほうと今日初めて会ってきたが、ちょっとやばいと感じたよ。」

「はい。」

「本人が思っている以上に、被害者に恨みを買っているはずだ。」

「はい。」

「それから・・・崇は、前回警護のときから、まだ時間が経っていない。わかるな?」

「・・・そうですね。」

「何かあったら、すぐお前と交代させる。そのつもりでいてくれ。」

「わかりました。」

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