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なんとなく文学的な

彼とクリームソーダ

作者: 録宮あまね

 第一印象は、精気が無い。そのくせ、妙に存在感はある。彼が居るときにはつい近くに座って彼を観察してしまう。

 彼は大抵ヘッドホンから音楽を聴いている(と思われる)。ヘッドホンのその先はいつも大きなバックであり、携帯、アイポッド、CD、MD、カセット(これはないような気がするが)ラジオ(ないとも言い切れない)何に繋がっているのかは定かではない。視線は常に下に向けられ、勉強しているときもあれば本を読んでいるときもある。

 本当は、いつ声をかけたって構いはしないのだろう。

 ここは、そういう場なのだから。



 麻里子に初めてここに連れてこられたのは一ヶ月ぐらい前だった。

 なんてことはない普通の一軒家に「どうぞ入って」と気軽に言う。そこが麻里子の家じゃないことぐらい、幼馴染としては当然知っている。

 戸惑いながらも、彼女の勢いに押されて部屋に上がると、数人の男女が銘々に好きなことをしてくつろいでいるようだ。麻里子と挨拶しあう人も居る。突然、変な世界に入ってしまったと思った。麻里子を信用していないわけではないが、危ない集団でないことだけを只管祈った。

 麻里子はマスターが二階に居るということを確認すると、私の手を引いて二階に上がる。

 マスターとみんなから呼ばれるその人は、呼び名に反してとても若かった。私たちより4、5歳年下に見える。でも、もしかしたら童顔なだけで、この落ち着きようは同じ二十代なのかもしれない。着ているシャツが、印象的だ。

 彼は、「始めまして。麻里子さんの信用できる人なら大歓迎です」と開口一番に言った。

 まず、意味が分からない。私がぽかんとした顔で戸惑っていると、麻里子に「説明もしないで連れてきてしまったの?」と彼は慌てて聞いた。麻里子の返事は「ビックリすることも時には必要よ」というもの。彼は仕方が無いと肩をすくめ、自己紹介と、簡単にこの家の説明をしてくれた。

 この家は彼、沢井さんの持ち家であり、気に入ったならいつでも遊びに来ていいのだそうだ(当然、気に入らないのなら来なくてよい)。疲れたら逃げ場にしてもいいし、気の合う仲間を探してもいいらしい。しかも、信用の置ける友人なら(ここがポイント)いつでも大歓迎だそうだ。

 全くの赤の他人を、無償で受け入れる。

 ‥‥‥理解が出来ない。

 思わず、「それは、人助けですか?」と失礼なことを聞いてしまう。すると彼は、「違うよ。僕の酔狂な趣味だよ」と答える。マスターという呼び方も何だか格好いいからという理由らしい。それから、「秘密基地みたいなのを作るのが夢だったんだよね」と照れたように笑う。

 子供みたい。何だかとても変な人だ。

 最後に、非常に重要だというルールを一つ。

 恋愛は自由だけど、この家での性行為は一切禁止、らしい。

 まあ‥‥ね。重要といえばそうなのかもしれないが、唯一のルールがそれですか。もはや、どこをどう突っ込んでいいのか分からない。

 ああ、マスターのシャツ。襟だけが青すぎるから目立つんだ‥‥などと、説明を受けながら、どうでもいいことをぼんやり考えたりしていた。


 それから、二、三日後に聞いたのだが、麻里子はマスターのことが好きなのだそうだ。

 どう思う?と意見を求められたが、変な人だと思うとしか答えようもなかった。

 彼女は告白をしていないが、「マスターと両想いになったときは、どこで性行為をすればいいんですか?」という馬鹿げた質問をしたらしい。それに対するマスターの返事は保留。麻里子は未だ返事を待ち続けている。


 私は、知らない人が極端に苦手だ。沢井さんの秘密基地には、もう二度と行くことはないだろうと思っていたのだが、その日は嫌なことがあまりにも多すぎた。

 非日常を求めて、私の足はそこに向かっていた。行く場所がなかったわけではない。雨が降っていたせいかもしれない。雨は正常な思考回路を麻痺させる。

 そして初めて、ヘッドホンの彼に会った。

 それから、なんとなく、頻繁に通っている。



 彼の目線は常に下なのだが、それでもたまに目が合うこともある。

 今も、合った。気のせいなんかではない。

 そういう時、彼は軽く会釈する。けれど、にこりとも笑わない。だから余計に気になる。

 恋ではない、と思う。何だか彼を見ていると迷子になった時の様に、胸がざわざわとして、不安になる。

 彼とはまた違った意味でだが、気になるのは彼一人、というわけではない。類は友を呼ぶ、ではないが、さすがに変わり者のマスターの周りには不思議な人が集まってくる。

 先程ちらっと見かけた隣の部屋に居るテンコに声をかけようか、どうしようか悩む。

 しばらく悩んでいると、テンコの方から声をかけてきた。

「来ていたのなら、声かけてくださいよー」

 テンコはおっとりとしている。目が大きくて髪は巻き毛で、同性の私から見ても、とても可愛らしい。

「今、ちょっと考えてたんですけどー、自殺願望のある人は、ジェットコースターを恐いと思うのでしょうか?」

 とぼけた顔で、すごい質問をしてくる。

「さあ?死んでもいいと思ってるんだから、恐くないかもね」

 私はあまり考えずに言った。

「そうですかー。今度、葉月くんに聞いてみようかな。いっつも、死にたいーって言っていますからー」

 今日、葉月くんは来ていないようだ。

 でも葉月くんの「死にたい」は、本気ではないと思う。口癖のようなものだ。彼もまた、「この世界が海の中だと想像すると落ちつく」などと言う変わり者だ。

 テンコは塾の時間だからと言って帰っていった。


 キッチンの方から、大きな声が聞こえてくる。気になって覗くと、名前も知らない人達が集まっている。中には顔見知りも居たが、積極的に自分から話をしたことはない。私がいつもの場所に戻っても、声は聞こえ続ける。

「近頃、イライラするんだよね」

「カルシウムが足りんのよ」

「牛乳飲んだ方がいいよ。切れやすい人は常に牛乳飲もうよ」

 誰が話しているのかは分からないが、会話は全て丸聞こえだ。

「今日は、いい天気だからこういう日にはクリームソーダ、飲みたくなるよね」

「それ、実夏だけだって」

「そんなことないよ」

 “実夏さん”は、私の居るこの部屋まで移動して、

「クリームソーダが飲みたい人ー」

 と大声で聞く。

 私は喉が渇いていたせいか、反射的に右手を上げてしまう。

「ほら、お仲間だよ。天気のいい日は、やっぱりクリームソーダだよね」

 “実夏さん”は、にっこり笑う。そして、嬉しそうにキッチンに居る人達に私の存在をアピールした。

 

 しばらくして、代わりで申し訳ないけどと“実夏さん”はアイスティーを持って来てくれた。


 時計を見ると、もう夜の7時をまわっている。ヘッドホンの彼の視線は相変わらず下。

何事も無かったように、変わらず文庫本を読み続けている。


 私は、沢井さんの家を後にした。

 薄暗い中、帰り道で麻里子に会った。

「マスター、居るかな?」

 麻里子に聞かれても、私は分からないとしか答えようがなかった。二階には上がってないからマスターが居たのか居なかったのか知る由も無い。

 麻里子は、マスターのどこが好きなのだろう。

 私は恋という感情が良く分からない。


 次の日は、小雨が降っていた。仕事が休みだったので、午後から例の家に行くことにする。


 いつもと違う時間帯のせいか知っている顔は無かった。

 でも、誰も私を気にしない。居づらいとも思わない。この家はいつでも一定の同じ空気が流れている。

 多分、変わり者というより本当のところは、みんな少しずつどこか壊れているのだと思う。

 ここに通い続ける私も含め。それは哀しいことだろう。

 ヘッドホンの彼が座る定位置に、同じように座ってみる。

 雨音が眠気を誘う。私は、うつ伏せになり目を閉じた。


 目が覚めたときには二時間が経っていた。

 いつの間に来ていたのか、葉月くんが側に居た。

「久しぶり」

 葉月くんは、私の顔を見ないでそう言う。

「調子はどう?」

 私は聞いた。

「いいよ。今日は、雨だから落ち着くよ」

 彼はそう返した。

「テンコは来てないの?聞きたいことがあるって言ってたよ」

「どうせ変な質問だろ」

 さすがに読んでいる。


 彼がやってきたのはそれから二十分後だった。今日も当然ヘッドホンをしている。

 私は咄嗟に席を譲ろうとしたが、彼は無表情で真っ直ぐにキッチンへ向かっていった。

 五分ほどで、彼は左手にクリームソーダを持って、戻ってきた。

 

 彼は、私の目の前のテーブルにクリームソーダをゆっくりと置いた。

 私は予想もしていなかった彼のその行動に、驚いてしまって、呆然とクリームソーダを眺める。

 横に居た葉月くんが、

「すごいね。今、作ったの?」

と彼に聞く。

「昨日‥‥‥飲みたいって言っていたから、作れないか考えてみた。天気がいい日じゃなくて、悪いけど」

 彼はそう答えた。想像していたよりずっと低い声だ。

「アイスクリームとさくらんぼは分かるとして、その嘘くさい緑色の液体はどこで調達してきたの?」

 葉月くんは興味津々といった感じで、言葉を失っている私の代わりに、次から次へと質問する。

「サイダーにカキ氷のメロンシロップを入れてみた」

 彼は、答える。

「成る程。喫茶店ではどうやってメロンソーダを作っているのだろうね」

 葉月くんは、親指を軽く顎に当て、そう言う。

「作らなくても、最初からメロンソーダはメロンソーダでしかないんじゃないの?」

 近くにいた、初めて見る男性が口をはさむ。

「コーラがコーラであるように。家でコーラは作れないでしょ?おたくら、変なこと考えんね」

 そう言って、笑いながらその男性は去っていった。

 私は、ヘッドホンの彼にいただきます、と言ってクリームソーダ(もどき)を一口飲む。

 

 間違いなくクリームソーダだと思った。実は、私はここ何年もクリームソーダを飲んでいなかったのだが、嘘くさい味が余計に本物だと思えた。本来クリームソーダとはそういう嘘のメロン味の飲み物だろう。

「美味しいです」

 私は言った。

 とても驚いた。彼が少し笑ったように見えたのだ。

 彼は満足そうに、私がクリームソーダを飲み終わるまでじっと横で眺めていた。



 それから、何度か定期的にその家に通ったが、彼とは会えずにいる。

 あのクリームソーダは、さよならのつもりだったのだろうか。


 昨日、久しぶりに麻里子に会った。マスターから保留にしていた返事がもらえたそうだ。

麻里子の表情を見る限り、嬉しい返事だったに違いないが、返事の内容は敢えて聞かずにおいた(聞いても困る)。

 今日も、彼には会えない。もしかしたら彼は二度とここに来るつもりはないのかもしれない。

 何か新しい世界を見つけたのなら、それは彼にとって、きっといいことなのだろう。

 人はいつまでも同じところには居られないし、ここが彼の逃げ場所だったことぐらい本当はとっくに気付いていた。

 彼が上手く笑えていればいいと思う。

 恋を知らないはずの私の胸はなぜか痛いけれど、いつか痛みは忘れるだろう。

 

 次にクリームソーダを飲んだときに、彼のほんの少し笑った表情を思い出せれば、それでいい。


2006年に作ったものを、少し改訂しました。

拙い文章を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

感想などいただけましたら、とてもうれしいです。

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[良い点] 評価1:1のエッセイから来ました。 しっとりとした、それでいてちょっと不思議な出会いと別れでいい読後感になり良かったです。 [一言] 私もこんな雰囲気のお話を書きたいなあと思ったりするので…
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