Seventh Episode 兄妹の語らい
ようやくできた割に、今回短いです。
有翼人の少女をヴェントが渓谷で助け、集落の治癒理術師――イリーナの元に連れて行ってから数刻後である暁光の一半刻。
彼は途中で合流したリースと一緒に家まで戻り、渓谷で鹿を仕留めた後にあの少女を見つけた事と、彼女は毒を受けて瀕死の状態だった事等をリースに説明していた。
「そうですか、渓谷の奥で……」
「うん、始めて行った場所だったけどビックリしたよ。大きな白い翼を見つけて、魔獣か何かかと思って近付いたら死にかけてる人だったんだから」
ヴェントの説明が終わり、それを聞いていたリースは溜息を一つ吐く。話を聞く前に淹れた茶は、その話を聞いている間にすっかり冷めきってしまっていた。
冷えた事で茶の渋みが増したせいか、喉を潤す為に茶を飲んだヴェントが僅かに眉を顰めている。
「ですが、どうしてそんな所に? 鹿を仕留めたのは、其処よりもずっと手前と兄様は言っていましたよね? 奥地に行く理由が分かりません」
「確かに鹿を仕留めたのは、あの子を見つけた所より入り口側だったよ。けど、血抜きをしようとしたら風が血の匂いを運んで来てさ……何でか知らないけど、その匂いがやけに気になったんだ。それで少し進んだら、精霊達に急に背中を押されてさ。それで奥地に行って、あの子を見つけたんだ」
リースの疑問にそう答え、冷めた茶を飲み干す。
「ほんと、驚きだよ。風に押されて着いた場所には矢が刺さった女の子が倒れていて、しかもクリルの毒で瀕死の状態。血も結構な量を失ってたみたいだし……理術を使って、さらに精霊に頼んで加速して連れて帰ったとは言え、よく生きていられたもんだよ」
「待って下さい兄様。今、毒と言いましたか!? それも、クリルの!?」
「……うん。それも、イリーナさんが見た限りではかなり純度も毒性も高いやつ」
ヴェントの出した単語に、リースはひゅっと息を呑み、大仰に反応する。唯一の弟子であったイリーナほどではないが、彼女もヴェントと同じく、母エイルが存命だった頃に一通りの治癒理術や薬物等の知識は教えられていた。尤も、ヴェントはともかくリースの方は治癒系理術とは相性が良くなかったらしく、まともに癒しを発動する事さえ出来なかったのだが。
母から教えられた知識の中には当然、毒物のそれも含まれる。体に害を為す毒でも、極々少量なら薬効を示す物があるからだ。ほんの僅かに接種しただけで生き物を死に至らしめるような強力極まる猛毒に関してはその限りではないが。
クリルの毒は、深い森に自生するクリルと言う小さく可愛らしい白い花を無数に咲かせる植物の花や根から採取できる毒の事だ。その毒は無数にある毒の中でもとりわけ強力な物の一つで、仄かに甘い香りを放つ透明な液体だ。
しかし僅か一滴で聖獣や魔獣すらも麻痺させ動けなくする猛毒であり、取り扱いには非常に注意せねばならない。特に、花から採取できる毒は量こそ少ないものの極めて強力で、間違って飲み込みでもしたら、口に含んだその瞬間に絶命が約束されると言っても過言ではない。人間が取り込んで生きていられる様な物ではないのだ。
ヴェントが連れ帰って来たあの少女は、そのクリルの毒を塗られた矢に貫かれていた。それも矢二本分、かなり純度と毒性の高い物を使った矢に、だ。
普通なら、彼が見つけた時には少女は既に死んでいてもおかしく無かったのだ。
「毒性の強い、高純度なクリルの毒を受けて生きていられるなんて……失礼ですけど、その人、普通の人間なんですか?」
リースが思った疑問を口に出す。言った言葉は失礼なそれだが、クリルの毒の危険性を母からみっちりと教えられたからこそ、その毒を受けて生きていられる人間が信じられないのだ。
ヴェントも内心では彼女と同じ思いなのだろう。強力なあの毒を受けて生きていられる人間が居るなど、普通は考えられない。
しかし彼女は生きていた。傷だらけで、毒が体に廻り、血を多量に失った瀕死の状態でいて、それでもなお生命の火を消してはいなかった。
「僕が見た限りじゃ普通の人だったよ。呆れた体力と生命力だ……って思ったんだけどね、イリーナさんが言った属性で、その理由にも一応納得はいったよ」
「属性、ですか? なんだったんですか?」
「花、だってさ」
リースの問いにヴェントはそう返す。それはイリーナが少女を見てそう判断した属性だ。
しかしそれで納得がいったのか、リースも成る程と言う風に頷いている。
この世界には火、水、風、地、氷、光、闇、月、花、時、源、暁と言う十二の属性が存在するとされており、一つ一つの属性にはそれぞれ特性がある。火属性ならば『炎上』、地属性ならば『硬化』、そして光属性なら『拡散』と言う具合だ。
有翼人の少女が持っていると言われた花属性にも当然それはあり、特性は『耐毒』である。その効果は読んで字の如く、毒物に対する体の耐性を強化すると言う物で、あらゆる毒性に、特に自然毒に対し強い耐性を得る。
その花属性を身に宿し、『耐毒』の恩恵を得ていたからこそ、猛毒と言われるクリルの毒を受けても少女は生きていられたのだろう。
さらに完全な形で解毒をされたので後遺症なども無く、一生を寝て過ごさずに済むようだ。
「解毒も完璧に終わったらしいし、後はあの子が起きるのを待つだけなんだけど……」
「イリーナさんは確か、最低でも一週間は起きないと言っていましたね」
家に戻る前にイリーナに言われた事を思い出す。
――解毒自体は完全完璧に終わったのです。あの子自身の体質に属性と、ヴェント君が薄めてくれたおかげなのです。多分ですが、後遺症も無いと思うのですよ。
――ですが、やはり出血が多かったのです。経過を見ながら治療を続けて行くとして、今日明日、いえ、最低でも一週間は絶対に起きないと思うのです
その言葉を思い出し、ヴェントは何とはなしに部屋の片隅に目をやる。窓の近くの壁に、鞘に納められた白い細剣が立て掛けてあった。それは少女を見つけた渓谷で、少女の側に落ちていた物。状況から考えて、まず間違いなくあの少女の持ち物だろう。結局渡せず、そのまま持ち帰って来てしまった物だ。
元々の適性もそうだが、エイルの弟子だったと言う事もあって、治癒理術師としてのイリーナの腕は確かだ。伊達に集落最高の治癒理術師の弟子だった訳でも、現在唯一の治癒理術師と言う訳でもない。
その彼女が最低でも一週間は少女が起きる事はないだろうと言ったのだ。それは一週間経てば起きるだろうと言う事でもある。
あの剣を返しに行くのも、何故あの場所に倒れていたのかを尋ねる事も一週間後で良いだろう。そう想い、ヴェントは剣から目を外しリースの方を向いた。
「………………」
目が合ったリースは眉を寄せ、空色の目をジトっとさせ、ムスッとした表情で彼の顔を見ていた。
今まで見た事も無い妹の表情と威圧感に、ヴェントは思わず座っていた椅子ごと少し後ずさる。
私、不機嫌です。視線がそう語っている。
「り、リース? どうしたのさ、そんな顔して……」
「……随分と熱心に、あの白い剣を見ていましたね、兄様。そんなに連れ帰ったと言う女性が気にかかるのですか?」
「気にかかるって、仕方ないだろ? あの子、見つけた時には血塗れで死にかけてたんだから。いくら解毒と治療が終わったって言っても、そりゃ心配になるさ」
「それにしては、随分と顔が緩んでいるように見えましたが……」
「へっ!?」
リースの言葉に驚き、思わず自分の顔を触って確かめようとする。しかし鏡が無いので、触っても顔が緩んでいるかどうかは分からなかった。
それを見て、リースはさらに視線を厳しくし、溜息を吐いて冷めた茶を口に含む。
「まぁ、兄様が誰を好きになろうと良いんですけどね。ですが、変な人に引っかからないで下さいね」
「ちょっ、何でいきなり誰が好きとか言う話になるのさ!?」
「先程の兄様の顔を見たら、誰だってそう思います。だらしなく緩んだ顔で……」
言って、リースは再び茶を口に含んだ。何処か、不機嫌度が増したように感じる。
まずい。何がまずいのかは分からないが、とにかくまずい。初めて見る妹の態度に何処か危険な物を感じ、ヴェントは逃げようと席を立つ。
「兄様? 何処に行こうとしているのですか?」
しかしそれを見逃す程リースは甘くなかった。いつもは温かさすら感じる彼女の声だが、何故か今日は非常に冷たく感じる。
それに若干だが顔を青くし、しかし笑顔で返答する。
「い、いや。もう暁光の二刻だから、夕食を作ろうと思って。ウサギを狩ったから、それをシチューにでもしようかなぁ、と」
「……そう言えば、まだ夕食の準備もしていませんでしたね。兄様、私も手伝います」
「リースはゆっくりしてくれてていいよ。最近はずっと作ってくれてたし、僕も久しぶりに作りたいから」
手伝おうとするリースにそう言って、ヴェントは一人で台所に入って行き、すぐに食材を切る音や火を着ける音等が聞こえ始めた。
そして約五十分後、シチューの他にパンやサラダなどを持って台所からヴェントは出て来た。
「お待ちどうさま。さ、食べよっか」
テーブルに料理を置き、そう言ってヴェントは食事を始めた。リースは何かを言いたそうだったが、クスリと笑みを漏らし、兄と同じ様に食事をし、会話を楽しんだ。
そして、一週間が経過した。