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暁の神話~風と翼の物語~  作者: 暁焔 神楽
第1章 風と翼の出会い
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Second Episode 風の渓谷

 アネモーイ渓谷。

 ラルグアーク五国の一つ、北の大陸エレヴォス西南部にある連合国家シュメリオンの中心都市エステラより、西に200kmほど進んだ地点に存在する渓谷で、切り立った崖と鋭い岩肌が人を圧倒する深い谷川である。

 名も知れぬ風の神位精霊――神霊の領域であり、風の精霊の住処の一つでもあるこの谷には強弱問わず、常に風が吹いている。その風は谷の最奥部から渓谷の入り口に向けて吹いており、世界を巡るあらゆる風の生まれ故郷とも言われている。

 この渓谷には鳥や鹿、熊、ウサギ、サル等と言った動物達の他に、常に風が吹くと言う特殊な気候の関係で独自の進化を遂げた「風星花(ふうしょうか)」を始めとした、多くの特徴的な草花が存在する。それらは渓谷付近に住んでいるヴェントを含めた風の一族によって採取され、祭りの飾りや交易品の一つとして街に向けて出荷される。

 この谷に存在すると言われている風の神霊は、一説によればその身の存在力を自ら堕とし、神霊となったと言われる三柱の祖神が一柱、存在神ゼノヴィアではないかとも言われているが、(くだん)の神霊に誰かが出会ったと言う情報は一つとして無く、あくまで一説であり定かではない。


 そんな風吹く渓谷に向かって、一人の少年が歩いて進んでいた。

 彼の名はヴェント。渓谷のほど近くに存在する風の一族の集落に住む、弓を獲物とする風使いだ。

 彼は目を細めてゆっくりと、身体を撫ぜる様に吹く風を感じながら歩いている。艶やかな黒い髪と、特徴的な紋様を染め抜かれた民族衣装が風に揺れる。


「さて、と。今日は何処まで行こうかな」


 自分の獲物である木製の弓を背負い、腰に多量の矢を納めた矢筒と鞘入りの短刀、そして水筒を下げたヴェントは渓谷の入り口に向かう。

 

「リースのお説教から逃げて来た手前、それなりの獲物は欲しいかな。でも、大きな獲物は奥の方にしか居ないし、重いから仕留めても運ぶのに苦労するんだよなぁ……。

 大怪我しない様にも気を付けないといけないか、またリースに泣かれるのは嫌だし。でもなぁ、怪我しない事前提で結構大きな獲物を狩るのは難しいと思うんだけどなぁ……僕の運的に。でもまぁ、仕方ないか」


 溜息を吐きつつ、彼は近付く度に強くなる風の吹く渓谷へ向かう道を歩く。

 数分後、彼は渓谷の入り口へと辿り着いていた。先程よりも強い風が吹き、岩肌に自生している草花が風に揺られている。

 少し回りを見れば、薄い翠色の小さな何か――フワフワと宙に浮いている、丸っこい何か――が風に巻かれて渓谷の奥からゆらゆらと、クルクルと流れて来ていた。その存在を見て、彼は手を上げて声をかけた。


「や、皆久しぶり」


 流れてくる薄翠色の小さな存在に、ヴェントは親しげに声をかける。するとそれらも彼を認識したか、近付き挨拶を返して来た。


『ア、ヴェントダ―』『ヴェント―』『オヒサシ―』『ヒサシブリ―?』『サンシュウカン―』

「ん、久しぶり。今日も元気そうだね」

『ウン―』『ゲンキ―』『ボクタチゲンキ―』『ヴェントハゲンキ―?』『ケガナオッタ―?』


 フワフワ、クルクルとヴェントの周りを風と一緒に回りながら声をかける何か達。しかし周囲をクルクル回られているヴェントは迷惑そうではなく、一緒に吹く風の所為か、寧ろ擽ったそうに目を細めていた。

 彼の周囲をクルクルと回っている存在はこの渓谷を象徴する、風の精霊だ。下位ではあるが、その力は人間など遥かに超えるものがある。


「怪我自体は村の治癒理術師(クラル・アルモニス)のおかげもあって、五日で治ったよ。でも、リースにすごく心配されてね。……家に一週間くらい閉じ込められてさ。家から出ても、村から一歩も出してもらえなくて」

『リース?』『リース』『シンパイシテタ?』『シンパイ?』『リースシンパイ?』

「うん。あの時、大怪我しちゃったからね。随分と心配させちゃったみたい」

『ヴェント、メ―』『メ―』『リースシンパイサセチャ、メ―』『メ―、ナノ』『メ―』


 周囲をクルクル回りながら、風の精霊達はヴェントに口々にそう言い、彼の体の所々に体当たりしていく。しかし当たると同時にぽよんと軽い音を立てて跳ねる辺り、責めていると言うよりも、寧ろじゃれついている様に見える。

 ヴェントもそれを知っているためか、微笑ましそうに精霊達に対応する。


「あはは、ごめんね。そんなつもりは欠片どころか微塵にも無かったんだけど。またそうならない様に気をつけるよ」

『ソウスル―』『キヲツケル―』『シンパイサセチャメ―』『ガンバル―』『ガンバ―?』

「うん、頑張るよ。もう心配させない様にね」

『ガンバル―?』『ガンバ―?』『ガンバレ―』『ガンバロ―』『ガンバ―』


 ヴェントにそう言いながら、精霊達は再び渓谷から吹いて来た風に巻かれて何処かへと流れて行った。

そんな精霊達に手を振りながら、


「みんな元気だったなー、って当然か。精霊(あのこたち)人間(ぼくたち)みたいに風邪とか引かないしね」


 言って、自分達との違いを思い出してヴェントは苦笑する。

 創造神(アルトルーネ)破壊神(ラルハザード)そして存在神(ゼノヴィア)と言う、三柱の祖神たちの間に最初に産み落とされた存在である神霊達。

 精霊とは皆、属性を統べ司る神霊より世界へと産み落とされた、神霊の下位存在である。たった今、ヴェントと会話し流れて行った彼等も、この風の渓谷に領域を作り世界を見守る風の神霊によって世界に産み落とされた風の精霊である。

 ある意味親子であり、同時に兄妹でもある神霊を含めた彼の存在達に、人間の常識などは当て嵌まらない。当然、風邪など引く筈もなく、そもそも病気にかかるわけがない。


「それにしても、リースは相変わらず風の精霊達(あのこたち)に好かれてるんだなぁ……。流石は風月の愛し子ってところか。兄としては、妹が精霊達に愛されているって事が嬉しくもあるし、誇らしくもあるけれど……ほんの少しだけ、妬けるかな」


 自分の力は、妹に劣っている。

 ヴェントの力とて弱い訳ではない。寧ろ、風の一族全員で見れば、上から数えた方が早いと言って良いだろう。

 だが彼の妹、リースの力は兄である彼の上を行く。勿論、あらゆる意味で彼の上を行っている訳ではなく、分野によってはヴェントの方がリースよりも優れている物もある。だが元々の力の大きさもそうだが、才能的な部分で彼は妹に劣っている部分が多い。

 加えて、彼女は精霊達、特に風の精霊に好まれている。


 頂点である神霊を含め、精霊は上位、下位問わず、自分が気に入った存在に『加護』と呼ばれる特殊な印を与える事がある。

 精霊から与えられた加護は明確な形を持たず、普通は見ただけでは分からない。

 さらに与えられるものも人間とは限らず、動物であったり、植物であったり、あるいは武器や道具であったり、時には場所であったりと様々だ。

 加護を与えられた存在はその全てが共通して強大な、あるいは極めて特殊な力を有するという恩恵を与えられ、その加護を与えられた存在の事を、人間や動物の場合は『愛し子』と、武具や道具の場合は『想具(イルサリオン)』と呼び、場所の場合は『星堂(エストレア)』と呼ぶ。

 しかし、加護を与えられるものは極めて稀である。それは精霊に気に入られる程の存在が、ほとんどと言って良い程世に生まれてこないからだ。

 現在その存在が確認されている加護持ちでは星堂が9ヶ所、想具が23器、愛し子にいたってはリースを含めても世界で僅かに7人しか居ない。それもあって、彼女の力は風の一族の中でも極めて強く、理術(アルモニア)の源でもある理力(アルマナ)も、ヴェントと比べてかなり大きい。


「まぁ、力の大きさとかは先天的な物だし、気にした所で無意味、か。嫉妬した所で僕の力が上がる訳でもないし。それに、リースはリースで、僕は僕なんだから。僕にできる事をやっていけばいいか」


 そう言って彼は視線を渓谷の入り口から奥の方へと向ける。


「取り敢えず、今は狩りだね。鳥か兎を数羽ってところが妥当かな。欲を言えば鹿か猪みたいな大きな獲物が欲しい所だけど、高望みするとまた熊に遭遇しそうな気がするんだよなぁ。今度は熊に出会わないと良いんだけどなぁ……」


 言って、背中に負っていた弓を手に取り、弦を張って風吹く渓谷の奥地へ、風を読みながら彼は進んで行った。


 ♦


 水の流れる音と風の吹く音が静かに響く切り立った青灰色の岩肌の底に、一つ違う色彩があった。

 色は白。汚れ、傷だらけとなっているが、目にも鮮やかな白だった。黒に近い青灰色の岩肌にその色彩は、酷く目立つ。

 衣服だ。鮮やかな、且つ流麗な装飾を所々に施されたそれは、俗にドレスと呼ばれている女性が着る衣装だった。しかも一般庶民が着る様な物ではなく、王侯貴族が着る様な美しい純白のドレスだった。

 だが、そのドレスはボロボロにほつれ、作られた当初の美しさは無くなり鉄くさい紅と黒に汚れていた。

 しかし、それを纏っている者が居た。

 ドレスを纏うのは少女だった。血の赤と土に汚れた銀の、星の煌きを宿した様な美しく長い髪を持つ、美しい少女だった。

 その背には普通の人間には無い白い羽毛を持つ器官……一対の翼が存在していた。有翼人だ。少し離れた場所には少女の持ち物だろう、流麗な装飾を施された抜き身の細剣が転がっている。

 その姿は、汚れたドレスを着ていて尚美しく、まるで地上に降り立った天使の様にも見える。


「ぅ……あ、く……っはぁ……っ」


 しかし、その少女は苦しんでいた。

 身体には少なくない切り傷や擦り傷がある。左肩と翼には矢が刺さり、未だ流れる血が少女の白い肌と翼、そして岩肌を赤黒く汚している。矢が刺さっている部分は、紅い血に紛れて分かり辛いが青紫に変色していた。

 毒だ。

 内側から蝕まれ、身体を焼く様なじくじくとした痛みを抑える為かきつく瞼を伏せて掻き抱く様に身体を丸め、しかし耐え切れずに苦悶の喘ぎを漏らしている。その顔色は血の気が引いて蒼白く苦しげで、唇は紫色に変色し、真珠の様な汗を大量に顔に浮かべ、寒さに震えて喘いでいる。とても苦しげで、動くことすらままならないようだ。

 はぁ……と、熱く湿った息を、短い間隔で苦しげに漏らす。


(こんな、所で……私、は……死ね……な……)


 震える体に鞭を打ち、何とか起き上がろうとする少女。しかしすぐに体勢を崩し、再び倒れてしまった。


(誰……か……)


 声を出そうとするが、明確な音にはならず、かすれた息が口から洩れる。

 その微かな音は、谷に吹く風に溶ける様に消えて行った。



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