冬時雨
「あの、このマフラー、貰ってくれませんか?」
俺がそう問いかけると、隣にいる男は目線だけをコチラに向けて
「急ですね。随分と質の良いものに見えますが、どうしたんですか?」
と、抑揚の無い声でそう聞いた。
「折角買ったのに、肌に当たるとチクチクしてしまって、合わなかったんです。素材は良いものですし、捨てるには忍びないんですよね」
「……ああ、それは災難でしたね」
「なので、貰っていただけるとマフラーも喜びます」
「なるほど。別に私は構いませんが……」
そうして、男は少し考える。
「こういった私物の譲渡というものは、普通、知人同士でやり取りするものだと思ってました」
なので驚きです。
と男は言った。
「と言うと?」
「だって、私たち、初対面ですよね?」
男の問いかけに合わせて、俺が首をコテンと傾けると、男も同じように首を傾げる。
不規則な雨の音が、駅の屋根に当たってやけに響いていた。
【冬時雨】
突然の雨だったのだ。
電車から降りたらパラパラと降っていた。
天気予報を見る癖のない俺は、当たり前のように傘を持っていなかった。
やってしまったと思ったが、まあ、仕方が無いので大人しく駅で雨宿りをする。新品のコートを着ていたので、濡らしたくなかったのだ。
周りを見渡すと、傘を持っている人が殆どで、雨宿りをしているのは俺と、隣にいる男くらいだった。
隣の男は陰気な雰囲気で、髪色からコートの色、靴まで全身真っ黒だった。
自販機より高い身長をしているからか、やけに目立っていて、通行人の中には、男のことをチラリと見る人もいた。
「今はフリマアプリというものがあるそうですよ」
俺がそう言うと、男は少したじろぎながらも頷いた。
「えぇ、知っています。CMでもやっていますよね」
「はい。もう世間一般に広まっていて、結構な人が使ってます」
「そうですね、社会問題にもなっていると聞きました」
「そして、そのアプリは見ず知らずの人と、モノの売買のやり取りするそうです。もう、そういう時代みたいです」
「……つまり?」
「よって、お互いのことを知らなくても、俺が今貴方にマフラーを渡すことは、何らおかしいことではないのでは?」
そう言うと男は口に指を置いて少し考えた。
「……しかし、フリマアプリの話は、物の売買が前提でありますから、今の状況とは少し、いや、かなり違うのでは?」
「はぁ」
見事に論破されてしまった。まあ、確かに男の言う通りではあるのだが。
「このままだと私は、初対面の貴方に、無償で上質なマフラーを貰ってしまうことになります」
「まあ、そうですね。」
「この世にはタダより高いものはないという言葉がありまして」
「なるほど。では、これは受け取って貰えないと」
「……しかし、そのマフラーを諦めるのは、惜しいといいますか」
なんせ質が良いので。と、男が付け加えた。
案外乗り気なのでは?
「いいですね。その意気です」
「なので、買い取らせて下さい」
おや、話が思ってたのと違うところに行った。別に俺は儲けを出したいわけではない。
「それは……俺が勝手に要らないものを押し付けようとしているだけなので、心苦しいです」
できればタダで貰っていただけると助かるのですが。
俺がそう言うと、男は目を丸くした。
「押し付けてる自覚はあったんですね」
じゃあ、と言って、男は近くの自販機に行き、飲み物を二つ買った。
手が大きいからか、二つの缶を片手だけで持っていて、凄いなと思いながら見ていると、そのうちの一つが俺に差し出された。
「マフラーを頂く代わりに。よければ受け取ってください」
渡された缶を見ると、パッケージにはおしること書いてあった。
この時期のおしるこは嬉しい。好きなのだ。ありがたくいただくことにする。
「ありがとうございます。では、マフラーをどうぞ」
俺がマフラーを渡そうとすると、男は「あ」と声を出す。
「……できれば、巻いていただけると嬉しいのですが」
男は目を逸らしながら言った。語尾に近づくに連れて、声が段々と小さくなっていた。
男をよく見ると、片方におしるこの缶、もう片方に荷物を持っている。
なるほど、両手が塞がっているのか。
俺が、いいですよと伝えると、男は静かにしゃがんで首を差し出す。巻きやすくしてくれているのだろう。
マフラーを持って首に手を回すと、俺の胸元にある男の頭から、くぐもった声で「わ」という声が聞こえた。
適当にクルクルと巻いてやり、終わりの合図にポンと手で軽く叩く。
真っ黒な髪と、真っ黒な目、真っ黒な服装の中に、マフラーだけ白く目立っていた。
「似合いますよ」
「……ありがとうございます」
そう言って男はマフラーに顔を埋めて、すぅと大きく息を吸って吐いた。
寒いのか、耳が赤くなっている。
「あ、今更ですけど」
「はい?」
「名前、なんですか?」
俺がそう言うと、男は目を丸くした。
「本当に、今更ですね」
男の名前は柊星と言うらしい。
「しゅうせい」
俺が呟くと、柊星は
「人生が終わるまでの終生、ではなく、ひいらぎに星と書いて、しゅうせいです」
と言った。
別に最初から勘違いはしていなかったが、わざわざ自分から言い出すあたり、名前にコンプレックスを抱いてるのかもしれないと思った。
「綺麗な名前ですね」
そう言って、俺は飲み終わったおしるこの、缶のおしりの部分をトントンと叩いた。
粒入りのおしるこなのだ。せっかくなら最後の一粒まで食べたい。
そうしていると、柊星は、ジッと俺のことを見ていた。
まだ、自分の缶には口をつけていないようだ。
「余程好きなんですね」
突然柊星が俺に話しかけてきた。
「……はい?」
「そのおしるこ」
「ええ、まあ」
きっと、俺が缶を叩いているのを見てそう思ったのだろう。
なんだか急に恥ずかしくなって、缶を叩くのをやめた。張り付いた一粒は惜しいが、今日のところは諦めよう。
ぺきょりと缶を潰した俺を見た柊星が、「続けてくれて良かったのに」と言った。
「……私の分も飲みますか?」
柊星は自分の分の缶を俺に差し出した。
「いえ、今飲んだ分だけで大丈夫です」
いくら好きとは言えど、二缶も飲んだら気分が悪くなりそうだ。
俺が、「それは柊星さんが飲んでください」と言うと、柊星は「そうですか」と言って、缶をコートの内ポケットにしまった。
あ、飲まないんだ。
そう思いつつ、柊星を見ていると、彼が小さく口を開くのが見えた。
「私は……」
「はい」
「私は貴方の名前を聞いても良いのでしょうか?」
柊星は、何故か不安そうにしながら俺にそう言った。
別に、名前を聞くことに何も悪いことは無いので、頷いて返事をする。
「俺は志希といいます。死ぬほうの死期ではなく、こころざしと、希望のきで志希」
「……貴方にピッタリな名前ですね」
「はあ、そうですかね」
一体俺の何を見てそう言ったのかは分からないが、褒めているのだろうということは分かった。
ちなみに、柊星の自己紹介を真似てみたのだが、それについては触れられなかった。
「志希さんは何のお仕事をされてるんですか?」
柊星が続けてそう聞いてきた。教科書に出てくるような、お手本みたいな質問だ。
「ただのサラリーマンです」
「確かに、見た目からしてそうですね」
俺はスーツを着ていたので、サラリーマンだと分かるだろうが、柊星はよく分からなかった。
全身真っ黒な服装の職業なんて、スパイか暗殺者くらいしか思いつかない。
「柊星さんはなんのお仕事を?」
「……私は脚本家をしています」
「脚本家、凄いですね」
予想外の職業。でも、なぜだか分からないが似合っていると思う。
「主に映画の脚本を書いているんです。売れている訳では無いので、志希さんは知らないとは思いますが……」
柊星は淡々とそう言った。
「映画、好きですよ。気になったものは公開初日に見に行くくらいには」
俺がそう答えると、柊星は少しだけ目を見開いた。
「それは中々ですね」
「はい、ネタバレが嫌いなんです。今はすぐに情報が流れて来てしまいますから、内容を知る前に見に行きたくて」
「なるほど……」
柊星は少し考える素振りを見せる。
「だとすると、私は志希さんとは全く正反対ですね」
「正反対?」
「ええ。私、映画は内容がわかるレビューを読んでから見たいんです」
今度は俺が目を見開いた。
「……変わってますね。大抵の人はネタバレを嫌がりますが」
「初めて見る映画だと、これから何があるのだろうと不安になって、早く終わらないかなと思って集中できないというか」
つまりは、終わり方を知らないと、安心できないんです。
柊星はそう言った。
不安、そんなこと、考えたこともなかった。
「映画だけでなく、人生というものも、結末を先に知れたら良いのにと思います」
「……それだとつまらないのでは?」
「つまらなくても良いんです。だって、この先に何があるかと考えると毎日が不安じゃないですか」
「ほう」
「今抱えている不安や苦しみが、一生続いて、いっそ増えていくような気がするんです」
「ふぅん。……やまない雨はないと言いますけどね」
「……いつか止むとしても、いつ止むかはその時には分からないじゃないですか。止む前に洪水になって死んでしまうかもしれない」
柊星が上を見上げる。
俺もつられて見上げると、相変わらず雨はポツポツと降り続いていた。
「だから、映画はハッピーエンドが確約されているものだけを見たいんです」
そう呟いた柊星を、俺はチラリと横目で見る。
柊星は無表情ながら、少し忌々しそうに雨雲を見つめて、続きを話し出した。
「劇中、辛いことがありながらも乗り越えて、最後には登場人物全員が幸せに過ごしている様子を見ると」
「……見ると?」
「自分もきっと大丈夫なような気になって、その時ばかりは少しだけ、救われた気持ちになるのです」
柊星は少しだけ、口元を緩めていた。
「ちなみに、バッドエンドの映画もありますが、それについてはどう思ってるんですか?」
気になってそう聞いてみると、柊星はあからさまに眉を顰めた。
「バッドエンドの映画は、全て価値がありません」
「主語が大きいですね。怒られますよ」
過激な人に。
「だって、現実が既にしんどいのに、なぜ物語にも苦しい結果を求めるのかが分かりません。……きっと、常に幸せな人向けの、少しばかりのスパイスなのでしょうが、私にとっては劇薬です」
柊星は両手で顔を覆って語り出す。段々と早口になっていって、正直聞き取りにくかった。
「私はとにかく幸せになりたいんです。自分も幸せになれるという安心が欲しいんです」
ふうん、と思う。なんだか、柊星は焦っているように見えた。
正直、柊星の言っていることが全てわかる訳では無いが、とにかく、今語っていたことは多分、彼の心臓の部分なんだろうなと、そう考えた。
……なら、もしかして。
「もしかしてその話、柊星さんが毎日俺をストーキングをしてることと、何か関係してますか?」
俺が聞くと、
柊星は大きく目を見開いた。
そのまま顔をジッと見つめていると、黒い瞳はキョロキョロとアッチコッチに移動し始め、口をハクハクとさせていた。
「……バレてたんですか?」
「そりゃあ」
バレるでしょ。そんな大きい身体してたら。
俺がそう答えると、柊星の顔色が真っ青になった。
最初の印象は
よく帰り道が一緒になるなぁ。
だった。
どうしても目立つ風貌をしている分、視界に入ると
あ、またあの人だ。と認識してしまうものだ。
見覚えがある人を毎日見かければ、それは意識するだろう。
最初は電車の車両が被るなと思っていた。
だけど、段々と同じ駅で降りる日が増えて、帰り道も一緒になった。
不思議なことに、俺がどんなにゆっくり歩いても、立ち止まっても、俺より決して前に行くことはしなかった。いつも常に後ろにいた。
そして、俺はある日突然気がついたのだ。
あれ? これ尾行されてるのでは? と
試しに、数歩進んで後ろを振り返ることを繰り返すと、毎回ヒョイと電柱の影に隠れていた。
それを見て確信する。うん、間違いない。
全身真っ黒の服を着ているから、暗闇には溶け込んでいた。しかし、大きな身体と、暗闇に浮かぶ白い顔が目立っていたものだから、全然風景からは浮いていた。まるで、子どもの隠れんぼのようだなと思った。
まあ、別に危害がなければどうだって良かった。
ただ、俺は、彼がコート以外の防寒をしていないのを見て、首元が寒そうだなと、それだけが気になった。
「怖かったんです」
柊星は喉から無理やり絞り出したような声を出した。
「なにがです?」
「不幸に脅えながらそのまま死んでいくのが」
「それは確かに嫌ですね」
「私は向上心のある人間では無いので、好きなはずの映画の仕事にすら、喜びを見いだせないのです」
「まあ、そういう人もいるのでは?」
「……毎日、自分は一生幸せになれないのでは?と考えています」
「随分ネガティブですね」
「そんな中でした。先月、私が飲み物を買おうと自販機を探していた時、志希さんが先に自販機の前にいたんです」
「え」
急に俺の話が出てきて驚いた。いつのことだろうか?
「順番を待とうと、少し遠目から眺めていました。すると、貴方はおしるこを買っていて、それを美味しそうにちびちび飲んで……。つい、目が離せなかったんです。そして、飲みきったかと思いきや、最後の1粒まで残さないように缶を叩きだしました」
「まあ、よくやりますね」
「しばらくすると、上手に粒が取れたのでしょうね。貴方は満足して、まあまあ大きい声でCMソングを歌いながら、ご機嫌な足取りで帰っていきました」
「見られてたんだ、恥ずかしい」
「私はそれを見て」
「……それを見て?」
柊星は息を吸って、ヒュウと吐いた。
「……酷く、救われてしまったんです」
「はぁ……」
分かるような、分からないような。
そう思い、俺が首を傾げると、突然、柊星はボロボロと涙を零し始めた。
突然の柊星の変化に、思わず俺は驚いてしまった。ましてや、大人が本気で泣いているのを初めて見たので、「えっ」と大きめの声が出てしまった。
すると、柊星はバッとしゃがんで顔を腕で覆った。泣き声を押さえつけたいのだろうが、腕の隙間から「ひっ、うっ、うっ」としゃくり上げるような声が漏れ出ている。
駅を歩いている人が、チラチラと俺たちを見ているのが分かった。気持ちはわかる。立場が逆なら俺だってそうすると思う。
必要かと思い、トントンと肩を叩いてハンカチを差し出す。すると、顔を上げた柊星は、鼻水だらけになっていたので、代わりにティッシュを差し出した。
柊星は、受け取ったティッシュで鼻をかむと、ハッとした顔をしてから、マフラーを外した。そして、それをギュウと抱きしめて、泣き続けた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
そう言って、ずっと何かに謝っていた。子どもみたいだなと思った。
俺はこんな時の対処法を知らない。
どうしようも無いので、とりあえず背中をさすることにする。
そうしてやると、段々と落ち着いてきたのか、小さく、「すみません……」と声がしたので、俺はそっと手を離した。
「お気にせず」
俺がそう言うと、柊星は静かに鼻をすすった。
「まあ、そうですね……とりあえず、柊星さんのスマホ、出してもらっていいですか?」
俺の言葉を聞くと、柊星はこれから断罪されるような顔をしながら、おずおずと自身のであろうスマートフォンを差し出してきた。
「すみませんでした。写真も、動画も、ちゃんと消しますので……」
え、写真撮ってたの? 動画も? 知らなかった。……まあいいけど。
俺はスマートフォンを受け取ると、連絡アプリを出し、俺の連絡先と柊星の連絡先を交換してから返した。
「はい」
「……これは」
「俺の連絡先です」
柊星は、「……は?」と有り得ないと言いたげな表情をして俺を見ている。
「……なぜ?」
「毎日、いつ来るかも分からない俺を待ち続けるのは大変かなと思ったのですが、違いますか?」
「違いませんが……」
「連絡してくれれば、返信しますし、誘ってくれれば遊びにも行きますよ」
「……なぜ?」
柊星はまた同じことを聞いた。
わけが分からないと言った様子で、真っ赤になった目を俺に向けていた。
別に大した理由はない、強いていえば
「俺もハッピーエンドが好きだから」
あ、雨、止んでる。




