8. ななみの違和感
市場からの帰り道、私は奇妙な感覚に襲われていた。
「……ライラ。なんだか、空気がチクチクする」
「チクチク? フィルターの異常?って付いて無いわね」
「……なんていうか、誰かに見られてるみたいな……。首のあたりが、ずっと寒いんだよ」
私は、昔から嫌な予感だけは当たるタイプだった。
テストの山が外れる予感、バイト先で理不尽なクレームが来る予感。
そして今、私の本能が、この灰色の世界から異物として排除されようとしている感覚を敏感に察知していた。
「……。ななみ、私の後ろから離れないで。少しルートを変えるわ」
ライラの声に、冗談めかした響きは消えていた。
彼女はジャンクの入った浮いたカートを引きながら、路地裏の、さらに複雑に入り組んだ廃墟の隙間へと滑り込んでいく。
廃ビルの中は、ひんやりとした死の匂いがした。
かつてはオフィスビルだったのだろうか。倒れたデスク、崩れかけた剥き出しの機械、そして、誰かが飲みかけだったであろう、完全に風化したマグカップの残骸。
「……。」
ライラが立ち止まった。
その瞬間、頭上の天井から、無数の赤い光が降り注いだ。
「ターゲット・ロックオン。」
無機質なシステム音声が、静寂を切り裂く。
「……狙いは何?ななみが見つかったの?」
ライラは、悲壮的に呟きながらカートの中に隠していた旧式の電磁銃を急いで抜き放った。
「このビルに入ったのは失敗、逃げるわよ!」
ライラが叫びながら来た道を走り出そうとする。
カツンカツンと足音が聞こえると、何かが入り口から出てきた。
前に現れたのは、市場で見かけたような、ボロボロの防護服の男たちではなかった。 漆黒の、継ぎ目のない装甲。
重力を制御し、音もなく浮遊する最新鋭のタクティカル・スーツ。
大気管理連合、直属の捕縛部隊。
「そこの貴殿を、連合の最高保護下に置く」
彼らのリーダー格が、ななみを指差しながら電子音声で告げる。
その声には、交渉の余地など微塵もなかった。
「……嫌。行きたくない!」
私は、ライラの背中に隠れた。
ライラの細い肩が、わずかに震えているのがわかった。
彼女は、勝てないとわかっていても、銃を構え続けた。
「……私の店の大事な店員に、勝手に触らないでくれる? 営業妨害よ、エリートさんたち」
ライラの皮肉に意を介さず、彼らは動き出す。
「排除を開始する」
漆黒の兵士が手を挙げた瞬間、周囲の空間が歪んだ。
それは、高周波の振動によって空気を固定する、未来の拘束技術。
私は、全身を巨大な透明な壁に押し付けられたような圧迫感に襲われ、息が詰まった。
「ライラ!!」
「ななみ、逃げ――ッ!!」
ライラがトリガーを引くよりも早く、別の兵士が放った衝撃波弾が彼女の足元で炸裂した。
爆風。灰色の砂が舞い上がり、視界を奪う。
私には透明な壁に阻まれ風は届かない。しかしライラの体のみ、小石のように軽々と吹き飛ばされ、崩れた壁の向こうへと消えていく。
「ライラ! ライラ!!」
私は必死で叫んだ。
けれど、見えない空気の鎖は私の四肢を縛り上げ、地面から数センチ浮かび上がらせた。
抵抗すればするほど、拘束フィールドは体温を奪い、意識を混濁させていく。
「検体、確保。……これより、第14要塞へ転送する」
巻き上がった粉塵の向こうから、一人の男がゆっくりと歩いてきた。
ゼクス・ヴァン。
彼は、拘束され、涙を流す私を、まるで博物館の貴重な展示品を見るような、陶酔しきった目で見つめた。
「……ああ。近くで見ると、さらに素晴らしい。君の周りだけタイラント・セルが中和されていく……。」
「……あ、なた、は……」
「君を、救いに来た男だ。……君を救うことによって、私が救われるのだがね」
「や、やめ……。」
「ん?このタイラント・セルの減り方の旋律はなんだ?そうか、呼吸か!実に興味深い。早速調べに行こうじゃないか」
ゼクスは、私のヘルメットのバイザーに指を触れた。
その瞬間、私の視界は強制的にシャットダウンされ、深い、深い闇へと落ちていく。
最後に聞こえたのは、遠くで響く、ライラの悲痛な叫び声だった。
「あぁ、生きてた…のね、良かった……。」
唯一の救いを胸に私は意識を手放した。
1章終わりです。
2章は大気管理連合内の話です。




