7. 忍び寄る視線
「今日はパーツの仕入れに行くわよ。ななみ、装備の確認。」
地下室に引きこもって半年。
私はフィルターが不用だから、外に出るお仕事は私がやると言ったら、「それもそうね」と認めてくれた。
もともとライラも外出頻度は低いので、引き継ぎがてら私も少しずつ外に出るようになった。
もちろん、厳重な偽装付きだ。
ライラが作ってくれたスカスカ防護服に袖を通す。
見た目は重厚な装甲だが、実はライラが廃棄された古いフィルターを改造し、ただの送風機を仕込んだだけのハリボテだ。
今の人間がこれを着て外に出れば、三分と持たずに肺が焼ける。けれど、21世紀製の頑丈な肺を持つ私には、これで十分だった。
「ヘルメット、ロック。バイザーの不透明度は30%に固定して。中の顔が見えないようにね」
「わかった。……うわ、重い。これ、肩こりそう」
「我慢しなさい。贅沢なオリジナル・サピエンスさん」
ハッチを開け、作ったばかりのプラズマの膜を通り抜ける。
一気に視界が開け、灰色の砂漠と化した「かつての東京」が目の前に広がった。
向かったのは、要塞の影に隠れるように存在する、通称「煤の市場」。
そこには、政府の目から逃れて生きる下層民たちが集まっていた。
「……なに、これ」
私は、バイザー越しに見える光景に絶句した。
市場を行き交う人々は、誰もがボロボロの、継ぎ接ぎだらけの防護服を着ていた。
彼らの動きは鈍い。背負っている酸素タンクは錆びつき、排気孔からは時折、不吉な黒い煙が漏れている。
「……ゼー、ゼー……。おい、ライラ、いいフィルターはないか。ランクF以下でもいい、これじゃあ、もう……」
一人の老人が、ライラに縋り付いた。
彼のヘルメットのバイザーはひび割れ、テープで補強されている。そこから漏れ出す彼の吐息は、ひどく濁っていて、重苦しかった。
「……ごめんなさい、今は在庫がないの。」
ライラは冷たくあしらった。
私は、その老人の姿から目が離せなかった。
彼は、必死に呼吸をしようとしていた。
21世紀の公園のベンチで、あるいは学校の屋上で、私たちが無意識に、タダで行っていたその行為のために、彼は全財産を投げ出そうとしている。
「ななみ、前を見て。情けをかけちゃダメ。ここでは誰もが清浄な空気を求めている。あの人を助けても次から次に湧いてくるわ。」
ライラに腕を引かれて歩きながら、私は俯いた。
「みんなを助けるなんてできないの。」
私の肺は、今、この瞬間も、彼らが一生かけても手に入らない安全な空気を、なんの苦労もなく吸っている。
この不公平さに、胸が締め付けられるようだった。
その市場の喧騒を、一キロ先から監視する眼があった。
高高度から静止状態で浮遊する、蜂型の隠密ドローン。
そのカメラが捉えていたのは、ライラの後ろを、おぼつかない足取りで歩くツギハギだらけの防護服を着た人物――ななみだった。
「……バイタル・スキャン開始」
数十キロ離れた連合軍の司令室で、ゼクス・ヴァンが冷徹な声を出す。
モニターには、ななみの周囲だけ、空気の汚染指数が異常なカーブを描いて低下している様子が映し出されていた。
「……信じがたい。彼女が歩くだけで、周囲のタイラント・セルが中和されているのか。フィルターの性能ではこのカーブにはならない。彼女の存在そのものが、環境を浄化している?」
ゼクスは、自身の端正な顔立ちを、歪んだ興奮で強張らせた。
彼は、連合内部では徹底的な弱者排除を掲げる強硬派として知られている。けれど、その実態は、誰よりもこの世界の窒息感に怯えている男でもあった。
「大気最高評議会の連中は、フィルターの利権で甘い汁を吸っている。……だが、もし彼女を手に入れたら?その細胞を解析し、自分だけが浄化方法を手に入れたら?」
それは、この絶望的な世界で、王になることを意味していた。
神になることと同義だった。
「捕縛隊、スタンバイ。……絶対に逃すな!間違っても殺すなよ!……隣にいるやつは、焼き払っても構わん」
彼女の機能だけは絶対に失うわけにはいかない。
ゼクスは、冷たい紅茶を一口飲み、モニターの中のななみの背中を、愛おしげに、あるいは獲物を品定めする蛇のような目で見つめた。




