4. 安定していく日常
一週間が経ち、二週間が経つ。
「……ねえ、ライラ。この世界、絶望的だと思ったけど、もしかして家の中だけなら202X年より天国じゃない?」
私は、ライラがジャンク品として放置していた椅子に座り、唸った。
その椅子は、私が座った瞬間に骨格をスキャンし、最も負担の少ない形状へと形を変えたのだ。腰痛持ちの大学生だった私にとって、これはもはや家具ではなく相棒である。
「天国? 冗談。この生活を維持するために、私がどれだけのフィルター代と電力を支払ってると思ってるのよ」
ライラは相変わらず不機嫌そうに、消えては繋がるホログラム回路を弄っていた。
でも、私は気づいてしまった。
この地下室、狭いし窓もないけれど、一歩も動かずにすべてが完結する究極のズボラ空間なのだ。
まず、トイレとシャワー。
2500年のトイレは、排泄物を流すのではない。瞬間的に凍結・粉砕し、肥料成分として回収する。
シャワーにいたっては、水という概念すら古いらしい。
プラズマ・ミスト・サウナと銘打たれた狭い個室に入ると、目に見えない微細な粒子が全身の毛穴に入り込み、汚れだけを吸着して剥がれ落ちる。
「……あぁ、これ、メイク落としも洗顔もいらないやつじゃん。最高……」
しかも、仕上げに保湿成分を含んだ温風が吹き出し、出た瞬間には肌がモチモチになっている。202X年の高級エステも真っ青だ。
そして、食事。
ライラが最低限の栄養と呼んでいたペースト状の食べ物は、実はフレーバー・セレクトという機能がついていた。
「ライラ、このボタン、押してもいい?」
「……勝手にしなさい。一番安いやつだから期待しないで」
私が押したのは、古めかしいフォントで書かれたテリヤキのボタン。
すると、チューブから出てきた茶色の物体が、口の中で肉の繊維感と甘辛いタレの風味を完璧に再現した。
「……っ! これ、コンビニのつくね棒より美味しいよ!」
「ななみ、あんたの味覚、中世並みに低コストね……」
私は感動した。
確かに外は地獄だ。空気を吸うだけで死ぬとか、巨大組織が戦争してるとか、物騒極まりない。
でも、この地下室には人類が500年かけて磨き上げた、怠惰への執念が詰まっている。
それを享受しない手はない。
◇
生活に慣れてくると、私はライラの仕事を手伝うようになった。
2500年のジャンク修理は、202X年のDIYとは次元が違う。
ネジを回す代わりに、ナノマシンの群れに指示を出す。
壊れたホログラム回路に銀色のナノマシンが生き物のように伸びて、断絶した経路を繋ぎ直していく。
「ライラ、このフィルター、真っ黒だけど……これも直せるの?」
私が手に取ったのは、防護服の肺の部分に装着する使い捨てのカートリッジだ。
ライラはそれを見て、苦い顔をした。
「使い捨てよ。それはEランクの最底辺フィルター。空気中の微細な病原体は完全にはカットできない。だから、これを吸い続けてると、肺にタイラント・セルが蓄積して数年でしきい値を超えて死ぬわ。……だから1 ヶ月で4時間しか外で過ごせないのはある意味それでいいのよ」
彼女は、棚から一つだけ、宝石のように輝く青いカートリッジを取り出した。
「これがCランク。政府の役人や、連合の幹部が使ってるやつ。このランクでやっとタイラント・セルを99.8%分離できるわ。」
昔、役人に恩を売って貰ったの。Aランクなんて脳を活性化させる高濃度酸素を供給するのよ。とライラがため息をつきながら言った。
私は、その青い輝きを見つめた。
この世界では、呼吸することがそのまま格差なのだ。
金持ちは甘くて清浄な空気を吸い、長生きする。
貧乏人は泥を濾したような空気を吸い、短命に終わる。
「……ねえ、ライラ。私は、どのランクの空気を吸ってることになるの?」
「あんた? あんたは規格外よ」
ライラは呆れたように笑った。
「あんたが平気な顔で吸ってる外気は、私たちにとっては死そのものだけど、成分だけ見れば、人工的に作られたどの空気よりも複雑で、生命力に溢れてる。」
私は、自分の胸に手を当てた。
202X年では当たり前だった呼吸。
それが、この世界では何よりも残酷な富の象徴であり、私の体はその頂点にあるのだ。




