2. 地下の聖域と、銀髪の少女
「こっちよ! 早く!」
行き止まりの壁に追い詰められたとき、足元のハッチが突然開いた。
そこから伸びてきた細い腕が、私の足首を掴んで、力任せに引きずり込む。
「んぐっ!?」
叫ぶ暇もなく、ドスンと尻もちをついた衝撃で、目の前がチカチカする。
「ちょっと! 急いで! 膜が閉じるわ!」
ハッチを閉じながら慌てる声に急かされ、私はよろよろと立ち上がり、さらに奥へと進んだ。そこには、通路を遮断するように、ゆらゆらと揺れる透明な膜が張られていた。見た目は巨大な石鹸の泡の表面のようで、虹色の光沢がわずかに走っている。
「これ、なに……?」
「はぁ?何言ってるの!早く通って!」
背中を押され、私はその膜に飛び込んだ。
一瞬、冷たい水の中に潜ったような、あるいは全身を細かい静電気で撫でられたような奇妙な感覚が走る。
鼻の奥を抜けるような、ツンとしたオゾンの香り。
通り抜けた瞬間、耳にかかっていた圧迫感がふっと消えた。
そして――空気が、変わった。
「……っ、はあ……っ!」
思わず深呼吸をしていた。鉄臭さと焦げ臭さは残るものの、ピリピリと喉が焼け付くような感じがしない。
無機質だけど安全だと本能的に感じる空気。
後ろを振り返ると、さっきの銀髪の少女が、重厚な金属のハッチを何重にもロックしているところだった。
「……助かった。あと数秒遅れてたら、パトロールのナノマシン・スキャンに引っかかって、ここごと焼き払われるところだったわよ」
暗闇の中で、誰かが呆れたように言った。
「……あんたバカなの? あの大気管理連合のパトロールに追いかけられるなんて、自殺志願者?」
カチッ、とライトが灯る。
そこは、無数のケーブルとホログラムのディスプレイが明滅する、狭い地下室だった。
目の前には、つぎはぎだらけの防護服を着た少女が立っていた。
彼女がヘルメットを脱ぐと、中からさらりとした銀色の髪がこぼれ落ちる。
年齢は私と同じくらいか、少し下だろうか。
「ここ、どうなってるの? さっきの膜は……?」
彼女はヘルメットを乱暴に作業台に置き、私の顔をまじまじと見つめながら言った。
「……本気で言ってるの?あんた……。防護服、どこに捨てたの? フィルターの予備は? 肺、焼けてないの?」
「えっと……、防護服って、なに? 私、さっきから普通に歩いてたんだけど……」
私の言葉に、彼女の表情が凍りついた。
彼女は震える手で、壁に据え付けられたスキャナーのようなデバイスを私に向けた。
「嘘……。フィルターなしで、この外気を……?ありえないわ、タイラント・セルが効いてないなんて……。なんで生きてるのよ……。」
彼女――ライラが、震える声で説明してくれた。
2208年、地球規模で流行した病。
それに対抗するために、全人類は遺伝子レベルで作用するワクチンを接種した。
そのワクチン、レガシー・パソゲンは子々孫々へと受け継がれ、人類は病に勝った……はずだった。
けれど、環境は変わった。
2500年の今、空気中に漂う変異した病原体、タイラント・セルは、かつての救いであったはずのワクチン遺伝子と組み合わさることで、人体を内側から破壊する毒へと変わってしまった。
今の人類は、自分たちの血に流れる過去の遺産のせいで、外気を吸うことができない。
「でも、私のスキャン結果には……それがない。あんたの遺伝子、真っさらよ。ワクチンのコードが一本も入ってない。……あんた、まさか、300年前のオリジナル?」
「オリジナル……。私はただの、佐藤ななみ、だけど……」
私は力なく座り込んだ。
2500年。
202X年から、約500年後。
私は、もう二度と戻れない場所に来てしまったんだと感じた
美味しいケーキも、友達とのLINEも、お母さんの小言も、全部、歴史の砂の中に消えてしまったの?
「あは……、最悪……。」
乾いた笑いが出て、それから、涙が止まらなくなった。
ボロボロと溢れて、灰色の床を濡らす。 ライラは何も言わず、ただ黙って、私の肩に手を置いてくれた。
その手の温かさだけが、ここが現実であることを教えてくれていた。




