第5話『あーん』
刑事たちによる事務的なやり取りは30分ほどで終了した。
「――では最後に、こちらに署名と親指の拇印をお願いします」
須藤刑事が差し出した調書に、俺は朱肉をつけた親指を押しつける。
「ご協力感謝します。これで正式に被害届として受理されますので」
「よろしくお願いします」
「では、我々はこれで。進展があり次第また」
須藤刑事たちが立ち上がる。去り際、若い方の木村刑事が心配そうな眼差しを深月に向けた。
「深月さん。蛭田はまだ捕まっていません。再びあなたに接触を図ってくる可能性は十分に考えられます」
「はい」
「当面は絶対にひとりにならないよう心がけてください。人目のないところを歩いたりするのも」
「わかっています。お気遣いありがとうございます」
恐怖に怯える様子を見せるかと思ったが、深月は気丈に頷いていた。
木村刑事は安堵した表情を見せると、最後に俺の方を向いた。
「片桐さんもどうぞお大事に」
「ありがとうございます」
そのやり取りを最後に、刑事ふたりは病室を後にしていった。
「ふう……」
ベッドの背もたれに体重を預ける。生まれて初めて警察の世話になったが、独特の緊張感があるものだ。ただ話をしただけなのに気疲れが半端ない。
俺のそんな様子を見てなのか、黒鉄マネージャーが恐縮そうに沈黙を破った。
「本当にすみません。内輪のトラブルに巻き込んでしまい」
「もう謝らないでください。第一、俺が勝手に巻き込まれていったんですから」
「すみ……いえ、ありがとうございます」
あまり謝られ続けるのも居心地が悪い。俺は空気を変える意味も込めて、先ほどから気になっていた疑問を口にすることにした。
興味本位ではあるが、被害者として知っておく権利はあるだろう。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「どうして蛭田に深月さんの顔や居場所がバレたんです? VTuberって個人情報とか漏れずらいのでは」
「それが……、わからないんです」
「わからない?」
「お恥ずかしながら。流出の経路が特定できておらず」
大丈夫なのかその会社……。
「責めるとかではないんですけど、プライバシーの管理とか大丈夫なんですか?」
「仰る通りです。徹底しているつもりでしたが、こうなってしまっては弁解の余地もありません」
「事務所は悪くないですよ。私がどっかで油断したのかもしれないですし」
縮こまる黒鉄の背中を、深月が苦笑しながらさすっている。タレントに慰められるマネージャーというのも珍しい構図だ。
黒鉄は咳払いをすると、居住まいを正した。
「管理不足は弊社の責任です。社内でも対策チームを組んで、セキュリティ体制の抜本的な見直しを進めている最中です」
まあ、内部に問題がなく、犯人の手口が巧妙だった可能性もある。今も警察の捜査から逃れているようなやつだし、ストーカーの執念が成した結果なのかもしれない。
本当に責めたかったわけではないので、この話は切り上げることにする。
「わかりました。すみません、外部の人間が」
「いえ、ごもっともなご指摘です。片桐さんのお言葉、重く受け止めさせていただきます」
黒鉄は真面目な顔で頷いた。
そこへ、会話の切れ目を埋めるようにノックの音がした。
「片桐さーん」
看護師の声だ。
「どうぞ」
「お昼ご飯お持ちしましたよー」
病室の扉が開いて、配膳車を押した看護師が入ってくる。
もう昼飯の時間か。
「痛みはどうですか? 自分で食べられそうです?」
「手は動くのでなんとか」
「そうですか。では、ここに置いておきますね」
「ありがとうございます」
ベッドテーブルにトレイを置くと、看護師は会釈と共に去っていった。
黒鉄が腕時計を見下ろす。
「お食事の邪魔をしては悪いですし、私はこれで失礼しようと思います」
「お構いもできず」
「いえ。……ナギはどうする? 出るなら送るけど」
黒鉄の問いかけに、深月は首を横に振った。
「私は残るよ。片桐さんのお世話をしなくちゃいけないから」
「お世話って」
「命の恩人が不自由してるんだよ? 私が手足にならなくちゃ」
黒鉄が、俺の意を問うように目配せしてくる。
仕方ないとばかりに俺が肩を竦めると、黒鉄は呆れたようにため息を吐いた。
「じゃあ、私は事務所の方に戻ってるから。片桐さん」
「はい?」
「ナギがここに来ていることは、その……」
「わかっています。口外はしません」
「度々申し訳ございません。ナギのことよろしくお願いします」
黒鉄は几帳面にお辞儀をすると、くるりと踵を返した。
「ナギ。帰るときには連絡頂戴ね。送迎するから」
「はーい。いつもありがとね、りっちゃん」
「それが仕事だからね。じゃあ」
深月が俺の方に向き直り、黒鉄が扉に足を向けたその瞬間。
それは、本当に一瞬の出来事だった。
振り返り様に、黒鉄が深月の背中に視線を投げた。まるで汚物でも見るかのような、不快感を張りつけた鋭い視線を。
「…………」
見てはいけないものを見てしまった気がして、俺は気づかれぬよう目を背けた。
黒鉄が去り、俺と深月のふたりだけが病室に残される。
「ふふっ、りっちゃんったら心配性なんだから」
当の本人は、あんな視線を向けられたことには気づいていないようで楽しげに笑っていた。
「仲が良いんですか?」
「小中一緒だった友達ですから。MIRACLEの社員になってて、本当にたまたま再会したんです。運命感じちゃいますよねっ」
「なるほど」
大人になって再会した友達、ねぇ……。
友達というより、親の仇を見るような目に思えたが。
まあ、女同士の人間関係に口を突っ込むとロクなことがない。他人のおっさんが詮索したところで藪蛇になるだけだし、見なかったことにしておこう。
「ささっ。冷めちゃいますし、ご飯にしましょうか」
さて飯の時間だ。
俺は眼下のトイレに視線を落とした。そこには米と半透明な汁物、見るからに色の薄い煮物とサラダが乗っている。
……憂鬱だ。昨晩も病院食を食ったのだが、これがまた絶望的なほど味気なかった。外食とコンビニ飯に慣れた舌には刺激が足りなさ過ぎる。
「はぁ……」
ラーメンが食べたいな……。
そんな願望をため息で吐き出して、俺は仕方なく箸を手に取った。否、取ろうとしたのだが、すんでのところで箸が消失した。
「私が食べさせてあげますね」
「は?」
「はい片桐さん。あーん」
ベッド脇に座った深月が、皿と箸を携えて俺の口元に煮物を差し出す。
「いやいや」
「なんですか? あっ、もしかして猫舌なんですか? ふー、ふー、ふぅーっ」
にんじんを器用に箸で掴みつつ、吐息を吹きかける深月。湯気は立っていないから熱くないと思うが。
「温度の問題ではなく。手は動くんで自分で食えますよ」
「お医者様は絶対安静って言ってたじゃないですか。下手に動くと傷口がパッカンしちゃいますよ?」
「飯食うぐらいで開くような縫合はされてませんよ。昨晩だって普通に食いましたし」
「万が一ってこともあります。命の恩人に負荷はかけされません。さあ、口を開けてください。あーん」
「…………」
40を過ぎたおっさんが親子ほど年の離れた女性に「あーん」をされているのは、客観的に見て地獄絵図ではないだろうか。もし会社の同僚に、特に小湊なんかに見られたら笑い者にされること請け合いだ。
だが、深月は頑として引かない構えだった。
「冷めちゃいますよ?」
「……いただきます」
結局、押しに負けて口を開く。
ぽいっと放り込まれ、咀嚼する。
「どうですか?」
「薄いな……」
「我慢して食べましょうね。次はお米です。はい、あーん」
……胃もたれしそうだ。
味気ない飯とは裏腹に、深月の献身は胸焼けしそうなほど甘ったるかった。




