第3話『中年サラリーマンとVTuber』
「良かった! 目が覚めたんですね……!」
「ええ。なんとか死なずに済んだみたいです」
ハッとしたように駆け寄る彼女に、俺は苦笑いを浮かべながら応じる。
近くまで来ると、十六夜ナギは深々と頭を下げた。
「本当にごめんなさい……ッ! 私のせいでこんなことになっちゃって……!」
「俺が勝手に首を突っ込んだだけですから。頭上げてください」
「でもっ! 刺されたんですよ!? 死んでたかもしれないんですよ!?」
「結果的に生きてますし。それでいいじゃないですか」
俺の軽口に対しても彼女は首を縦には振らなかった。
一度だけ唇を噛み締め、なにかを振り払うように顔を上げる。
「あの……」
涙混じりのその瞳に強い光が宿る。
「私、決めました」
「はい?」
「今回のこと、一生懸けて償います」
償う? 一生?
それはつまり、治療費を払うとかそういう話だろうか。
「気にしなくていいですよ。保険で賄えるでしょうし、金は犯人に請求しますから」
通るかわからないが、退勤中だったからワンちゃん労災も降りるし。
「違います! お金の話じゃなくて、もっとこう、人生レベルの話です!」
彼女が身を乗り出す。圧が凄まじい。
「おじさんの残りの人生、すべて私が責任を持ちます。介護でも家事でも、おじさんが望むならなんでもします」
「いやいや。話が飛躍し過ぎじゃ」
「命の恩人なんです、それぐらいさせてください! じゃないと……私の気が済みません!」
なんだなんだ。ちょっとおかしくないかこの子。いくら命の恩人とはいえ、ほぼ他人の俺に普通そこまで恩を返そうとするか。
第一、十六夜ナギの年齢はMikipediaに16歳と書いてあった。
16歳の少女が40歳の中年相手に責任を取る?
逆ならまだしも、そんな馬鹿な話があるか。
「落ち着いてください。俺は中年で、あなたは未来ある若者なわけで。大事な時間を奪うわけにはいきませんよ」
政治家みたいな澄ました言い分になってしまったが、それが事実である。
加えてこの少女は50万人のファンを抱える有名人。どう考えても、他のことに時間を使った方が有意義だ。しかし、
「年齢なんて関係ありません!」
十六夜ナギは止まることを知らなかった。
「残りの人生すべて捧げてでも、この恩は絶対にお返ししますから」
ネットでは活動休止だのトラウマだのと騒がれていたが、どうやらこの少女、芯の部分は随分とタフらしい。あるいは責任感が強くて、極端な方向に針が振り切ってしまっているのか。
いずれにせよ、断って引くような性格ではなさそうだ。
……仕方ない。
厚意は素直に受け取る、それも大人の余裕というやつか。
なーに。16歳ということは暫定女子高生だ。言うなら彼女は、命を狙われ命を救われたという状況に困惑しているだけ。1週間も経てば冷静になって、おっさんの世話焼きなんて愛想を尽かすに違いない。
それまでの、束の間の時間をもらうぐらいならバチは当たるまい。成り行きとはいえ命を捧げたわけだし、それぐらいの権利はあるだろう。
「そこまで言うなら……わかりました。軽く世話になろうと思います」
「はいっ。謹んでお世話させていただきますっ」
俺の返答に満足したのか、十六夜ナギはニコッと笑った。
……破壊力がえげつないな。
VTuberじゃなくてアイドルの方が向いているんじゃないか。
「あっ、自己紹介がまだでしたね」
「記事で読んだんで知ってますよ。十六夜ナギさんでしょ?」
「それは活動名ですよ」
ああ、それもそうか。実名で活動しているわけがなかった。
「本名は深月凪咲って言います。おじさんは、片桐宗介さんで大丈夫なんですよね?」
俺の名前はおそらく報道で知ったのだろう。
「ええ、片桐です。片桐宗介。しがないサラリーマンですが」
「片桐宗介さん……」
意味ありげに俺の名前を反芻すると、少女――深月凪咲は再び頭を下げた。
「片桐さん。改めて、助けていただいて本当にありがとうございました。これからよろしくお願いしますねっ」
顔を上げた深月は、一点の曇りなく笑っていた。
……すぐに飽きてくれるといいのだが。




