第1話『都内Vtuber襲撃事件』
「イヤッ……! 来ないで……!」
残業帰りのことだった。夜更けの駅前を歩いていると、今まさに通り過ぎようとしていた路地裏から女の悲鳴が聞こえた。
咄嗟に足を止め、奥を覗く。
猫背の男が、少女を壁際に追い詰めている様子が見えた。
「なんで僕のことブロックするんだよ! あんなに尽くしたのにコメントも非表示にして!」
「ひぃっ……!」
「僕がどんな想いで働いてると思ってるんだよ!? サラ金で限度額いっぱいまで借りて投げ銭したんだぞ! カード3枚もパンクさせて!」
「そ……、そんなの頼んでません……!」
「飯は毎日カップ麺で済まして、それでもナギの喜んでくれる姿が見たかったから必死で金を作ったんだ! 人生全部ナギに捧げたんだよ!」
ふむ。察するに、どこぞの配信者とそのリスナーといったところだろうか。
こういうトラブルも最近増えたな。四十路の俺にはわからない世界だ。
「お金は返しますから! だから落ち着いて……」
「へえ……返してくれるんだ。素直だね。じゃあさ――」
男は言葉を区切ると、興奮した様子のまま続けた。
「慰謝料代わりに1回ヤらせてよ」
欲望ダダ漏れだな……。
当然、少女は困惑していた。
「え……?」
「誠意だよ誠意! 僕を苦しめた慰謝料みたいなものだよ。清純ぶって、どうせ裏では男とヤりまくってるんでしょ? ならいいじゃん、減るもんでもないし」
「いっ……嫌……」
「は? 僕が相手じゃ嫌ってこと?」
「そういう話じゃなくて……!」
「うるさい! 本心では僕のことキモいとか思ってんだろ!」
「キャッ……!」
「ふざけんなよ……! 散々貢がせといて、用済みになったらポイ捨て? 僕を馬鹿にするなぁッ!」
「誰か! 誰か助けて……ッ!」
肩を掴まれた少女が壁際に押しつけられる。
普段なら関わり合いにならないように警察に通報して終わりだが、このままだと手遅れになりそうなほど男の雰囲気は鬼気迫っていた。
俺が止めるしかないのか……。
まあ、対する男は服の上からでもわかる線の細さ。タッパも俺の方があるし、最悪、取っ組み合いになったとしても負ける要素は見当たらない。
「その辺にしといた方がいいですよ。俺も警察は呼びたくないんで」
間に入り、ふたりの肩を引いて距離を取らせる。
俺は庇うように少女の前に立った。
「あ? 誰だよおっさん」
「通りすがりのサラリーマンですけど。その子、嫌がってるじゃないですか」
「……部外者は失せろよ」
「警察呼びますよ」
あえて見せつけるようにスーツのポケットからスマホを取り出す。
「なにが警察だ! どいつもこいつも僕を馬鹿にしやがって……!」
説得は無意味だった。激情の矛先が俺を通り越して再び少女に向く。
「ふざけるなぁッ! 僕を見ろよ! 僕だけを見ろよぉぉッ!」
拳を掲げながら男が突っ込んでくる。
大振りのパンチだ。いなそうと身構えた刹那、街灯の光が男の拳に反射して――。
銀色の尖先。ナイフ!?
「くっ……!」
刃物を持っているなんて聞いていなかった。
男の狙いは俺じゃない。今からでも回避行動は取れる。体を捻れば、ナイフは空を切るだろう。
しかし、そうなると刃は後ろの少女に突き刺さる。
……クソ。損な性格だ。
「――ッ」
焼けるような熱さと、異物が体内を侵食する気持ち悪さが走った。 視線を落とすと男の手元が映り、ナイフが根元まで俺の腹に埋まっていた。
「あ、あぁ……ちが……僕は、お前なんかを刺したかったんじゃ……」
「キャァァァァァッ――!」
少女の絶叫を間近に聞く。それに釣られるように、大通りの方から「どうした!?」と野次馬たちの声が近づいてくる。
来るの遅えよ……。
「ぼっ、僕は悪くない! 全部ナギが悪いんだ……!」
パニックになった男は、俺の腹部にナイフを残したまま路地裏の奥へと逃走していった。無論、追いかける余力など今の俺には残っていない。
腹部から溢れる生暖かい液体。急速に全身の力が抜けて、俺は膝から崩れ落ちてしまった。
「おじさんっ!? おじさん!」
白みかける視界の中、こちらを覗き込む少女の顔が見えた。
たしかに、ストーカーが生まれてもおかしくないほど整った顔立ちをしている。もっとも、今の有り様じゃ台無しだが。
熱かったはずの腹部は感覚を失い、代わりに凍えるような寒気が全身を支配していた。
「救急車……! 今、呼びますから……!」
意識を保てたのはそこまでだった。




