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第8話 蹂躙(模擬戦という名の公開処刑)

 王立魔法学園大会議室。

 重厚な樫の木のテーブルを囲み、学園の幹部たちが殺気立った表情で座っていた。

 その視線の一点に集中するのは、テーブルの末席で足をぶらぶらさせている六歳の子供、アルヴィス・フォン・ヴァルドスタである。


「――以上が保護者および各担当教員からの苦情の総括である!」


 教頭を務める初老の男が、分厚い書類の束をテーブルに叩きつけた。

 バンッ! という音が室内に響くが、アルヴィスは欠伸を噛み殺すだけだ。


「アルヴィス殿! 聞いておられるのか! 貴様の授業は常軌を逸している! 『重力訓練』だと? 生徒たちを地面に這いつくばらせ、泥水を啜らせるなど、貴族の誇りを何だと心得ている!」

「生徒の半数が全身筋肉痛で保健室送り! 中には疲労骨折の疑いがある者まで! これは教育ではない、拷問だ!」

「即刻解任すべきだ! あのような『異端』を、神聖な学び舎に置いておくわけにはいかん!」


 教師たちの怒号が飛び交う。

 彼らはアルヴィスの就任当初から、その存在を疎ましく思っていた。伝統ある王立学園に六歳の子供が、それも王の勅命で講師として入ってきたこと自体が面白くないのだ。

 そこにきて、あの野蛮な訓練内容である。彼らにとってアルヴィスを追い出す絶好の口実ができたわけだ。


 アルヴィスは、彼らの怒号が止むのを待ってから、ゆっくりと口を開いた。


「……で?」


「なっ……『で?』だと!?」


「筋肉痛? 骨折? 治癒魔法をかければ治るだろう。精神的苦痛? 戦場で敵に殺される苦痛よりマシだ。俺は彼らを死なせてはいない」


 アルヴィスの平然とした態度に、教頭の顔が真っ赤に染まる。


「き、貴様ぁ……! 教育者としての矜持はないのか!」


「矜持ならあるさ。俺の仕事は、彼らを『使える』戦力にすることだ。お前たちのように、温室で肥料だけやって腐らせることじゃない」


 アルヴィスは椅子から飛び降り(着地音はしない)、テーブルの上を歩いて学園長の目の前まで移動した。

 白髭を蓄えた学園長は沈黙を守っていたが、その目はアルヴィスを興味深そうに見つめている。


「学園長。言葉で言っても、こいつらの石頭には響かないようだ」


「……ふむ。ではどうするつもりかね? アルヴィス先生」


「簡単だ。結果(成果)を見せればいい」


 アルヴィスは、並み居る教師たちを睥睨し、不敵に笑った。


「模擬戦を提案する。俺のクラスの生徒と、お前たち教師が選んだ『選抜チーム』とで戦わせよう」


「な……何を馬鹿な!」

「生徒と教師が戦うだと? 勝負になるわけがない!」

「子供扱いして手加減しろと言うのか!」


「手加減?」


 アルヴィスは鼻で笑った。


「逆だ。お前たちが手加減なしで本気を出して、もし俺の生徒に一瞬でも勝機を見出せたら……俺は大人しく解任を受け入れよう」


 その言葉に会議室がざわめいた。

 教師たちは顔を見合わせる。

 相手は、落ちこぼれや問題児ばかりを集めた特別クラス。しかも指導期間はわずか数週間。

 対する教師陣は、この国の魔法教育の頂点に立つエキスパートたちだ。

 勝負の結果など、火を見るよりも明らかだった。


「よかろう!」


 教頭が立ち上がった。


「その生意気な口、二度と利けぬよう我ら教師陣の『格』というものを教えてやる! 特別クラスの生徒諸君には気の毒だが、君の無謀さの犠牲になってもらおう!」


「決まりだな」


 アルヴィスはニヤリと笑った。

 獲物がかかった。

 これで面倒な外野を黙らせることができる。


          ◇


 数日後、第一闘技場。

 そこは学園中の生徒、教師、さらには噂を聞きつけた王宮関係者までもが詰めかけ、立錐の余地もないほどの大観衆で埋め尽くされていた。


「おい聞いたか? あの特別クラスが教師選抜チームに挑むってよ」

「無謀すぎるだろ……。いくらエレノア様がいるとはいえ、他の連中は落ちこぼれだぜ?」

「公開処刑だな。あの六歳のガキ講師、ついに年貢の納め時か」


 観客席の空気は、完全に教師チームの勝利を確信していた。

 無理もない。

 東側のゲートから現れた「教師選抜チーム」は、威風堂々たる姿だった。


 教頭をリーダーに、火炎魔法のスペシャリスト、防御魔法の権威、高速機動の風使いなど、歴戦の魔導師五名。

 彼らは最高級のローブを纏い、手には名工が打った杖を携えている。

 その全身から立ち昇る魔力は、熟練の技を感じさせる安定したものだった。


「我らが教育の正しさ、生徒たちに示す時が来たな」


 教頭が杖を掲げると、観客席から割れんばかりの歓声が上がった。


 対して西側のゲート。

 静まり返った通路から、アルヴィスの生徒たちが姿を現した。


「……なんだあいつら」


 観客席の誰かが呟いた。


 現れた五人の生徒たち。

 リーダー格のマルクス、そしてエレノアを含む彼らの姿は、お世辞にも「優雅」とは言えなかった。


 制服はボロボロで、所々に泥がついている。

 髪は乱れ、肌には無数の擦り傷。

 まるで猛獣の檻の中に放り込まれ、生き延びて帰ってきた生還者のようだった。


 だが。

 彼らの「目」を見た瞬間、最前列の観客たちが息を呑んだ。


 飢えている。

 彼らの瞳は、怯えや緊張など微塵もなく、ただ目の前の「獲物(教師たち)」をどう料理してやろうかという、ギラギラとした捕食者の光を宿していた。


「……おいマルクス。あれ教頭だぞ」


 風使いの少女が、舌なめずりをするように言った。


「ああ。いつも俺たちのことを『不良品』と呼んでいた古狸だ」


 マルクスは、ボキボキと指の関節を鳴らした。


「なぁ、みんな。師匠(あの悪魔)のシゴキに比べれば……あいつらの魔力、止まって見えないか?」


「ああ。あくびが出るな」

「さっさと終わらせて師匠に褒めてもらおうぜ。今日は肉が食いたい」


 彼らにとって今の状況は、「恐怖」の対象ではなかった。

 毎日毎日、死ぬ寸前まで重力をかけられ、意識が飛ぶまで殴り合い、常識をレイプされ続けた彼らにとって、目の前の教師たちは「ただの人間」に過ぎなかった。


 審判が中央に進み出る。


「これより特別模擬戦を開始する! ルールは相手の降参または戦闘不能まで! 殺害は禁止とするが、治療可能な範囲の負傷は問わない!」


 両チームが対峙する。

 教頭がマルクスたちを見下ろすように言った。


「可哀想になぁ。狂った指導者のせいでこんな目に遭うとは。安心したまえ、手加減はしてやる。痛くないように一瞬で……」


「御託はいいから、さっさと構えろよ」


 マルクスが言葉を遮った。


「あんたらが詠唱してる間に、昼寝ができちまう」


「なっ……貴様! その減らず口、後悔させてやる!」


 教頭の顔色が変わり、教師たちが一斉に杖を構えた。


 観客席の最上段、貴賓席。

 アルヴィスは頬杖をつきながら、その様子を眺めていた。

 隣には国王と学園長が座っている。


「アルヴィスよ。本当に大丈夫なのか? 相手は熟練の魔導師ぞ」


「陛下。熟練? 笑わせないでください」


 アルヴィスは、手元のマイク(拡声用魔道具)のスイッチを入れた。


「彼らは自転車の乗り方を覚えただけの子供です。対して俺の生徒たちは……ジェット機に乗る訓練をしてきた」


 アルヴィスの声が、闘技場全体に響き渡る。


「――始め」


 その号令は、あまりにも短く、そして軽かった。


 だがその瞬間。

 世界が裂けた。


 ドォォォォォォォンッ!!!!


 爆音。

 それは魔法の炸裂音ではない。

 物体が音速を超えた時に発生する衝撃波ソニックブームだった。


「え?」


 教頭が詠唱の第一節「偉大なる大地の……」を口にしようとした瞬間だった。

 彼の視界から、目の前にいたはずのマルクスの姿が消失していた。


(消えた? 転移魔法か? いや、魔力の予兆はなかった!)


 教頭の思考が、現実の速度に追いつかない。

 彼は反射的に防御結界を展開しようとした。


 だが遅い。

 あまりにも遅すぎる。


「――よそ見してんじゃねえよ」


 耳元で悪魔の囁きが聞こえた。

 教頭が驚愕に目を見開いた時、彼の腹部に深々とマルクスの拳がめり込んでいた。


 ドゴッ!!!


「がはッ……!?」


 人体が発してはいけない鈍い音が響く。

 教頭の身体は「く」の字に折れ曲がり、そのまま砲弾のように後方へ吹き飛んだ。

 数名の教師を巻き込みながら、闘技場の壁に激突し、クレーターを作って埋まる。


「な、なんだ!? 何が起きた!?」


 残された火炎魔法の教師が叫ぶ。

 彼はマルクスが「走ってきた」ことすら認識できていなかった。

 ただ爆音と共にリーダーが吹き飛んだ事実だけが、そこにあった。


「ひ、怯むな! 迎撃だ! 『燃え盛る炎の精霊よ、我が敵を焼き尽く――』」


 彼が杖を振り上げ、最大火力の魔法を放とうとした時。

 銀色の閃光が走った。


 パリーンッ!


 乾いた音がして、彼の手から杖が弾き飛ばされた。

 いや、杖だけではない。

 彼が展開しようとしていた魔法陣そのものが、物理的な衝撃で「蹴り砕かれて」いた。


「え……?」


 目の前には銀髪の少女――エレノアが、美しい回し蹴りのフォロースルーの体勢で立っていた。


「遅すぎますわ」


 エレノアは冷たく言い放つ。


「詠唱などしている暇があったら、なぜ動かないのです? 師匠の授業なら、その隙に百回は殺されていますわよ」


「ば、馬鹿な……魔法陣を蹴りで……!?」


「魔法は現象ですもの。干渉できる速度と質量があれば、壊せますわ」


 エレノアは呆然とする教師の胸ぐらを掴むと、片手で軽々と持ち上げた。

 身体強化フィジカル・ブースト

 アルヴィス直伝の、魔力を筋肉そのものへと変換する技術により、彼女の細腕はオーガをも凌ぐ怪力を発揮していた。


「おやすみなさいませ、先生」


 ズドンッ!


 エレノアは教師を地面に叩きつけた。

 慈悲はない。ただの制圧作業だ。


 他の場所でも、同様の「蹂躙」が行われていた。


 風使いの生徒は、相手の風魔法教師よりも速く動き回り、残像で攪乱してから背後を取り、首元への手刀一発で沈めた。

 土使いの生徒は、相手が作り出したゴーレムを強化された素手で正面から粉砕し、その勢いで術者本人を殴り飛ばした。


 わずか十数秒。

 カップラーメンが出来上がるよりも遥かに短い時間。

 教師たちが誰一人として、まともに魔法を完成させることなく、全員が白目を剥いて地面に転がっていた。


 静寂。

 大歓声に包まれていたはずの闘技場は、今や墓場のように静まり返っていた。

 観客たちは口を半開きにし、目の前の光景を理解できずに固まっている。


 勝ったマルクスたちでさえ、自分たちの手のひらを見つめ、困惑の表情を浮かべていた。


「あれ……?」


 マルクスが呟く。


「俺……結局、魔法(炎)使わなかったな……」


 彼はアルヴィスに教わった「熱量反転」や「氷炎複合魔法」を使う気満々だったのだ。

 だが、いざ始まってみると相手の動きが止まって見えた。

 わざわざ魔力を練って、術式を組んで、放つという工程が、とてつもなく「まどろっこしく」感じたのだ。


 だから一番速い手段――拳で殴る――を選んだ。

 それだけで勝ってしまった。


「魔法って……何だっけ?」


 他の生徒も、哲学的な顔で空を仰いでいる。


 その時。

 闘技場にハウリング音が響いた。


『――終了』


 アルヴィスの声だ。

 彼は貴賓席から立ち上がり、マイクを通して全校生徒、全教師に語りかけた。


『見たか。これが現実だ』


 彼の声は淡々としていながらも、絶対的な説得力を持っていた。


『お前たちは、魔法を芸術か何かと勘違いしている。美しく詠唱し、華麗に陣を描き、派手にぶっ放す。それが魔法戦だと思っている』


 アルヴィスは、倒れている教頭たちを指差した。


『だが実戦はそんなに甘くない。敵は待ってくれない。お前たちが「あ」と言う間に、首を刈り取られる』


 彼は一息つき、この学園の――いや、この世界の魔法概念を覆す「真理」を口にした。


『魔法戦の極意は、強力な魔法を撃つことじゃない』


 全観衆が固唾を呑んで、次の言葉を待つ。


『――相手に魔法を撃たせないことだ』


 アルヴィスは言い切った。


『詠唱が終わる前に殴って黙らせろ。認識される前に懐に入って終わらせろ。魔法使い相手に距離を取るな。ゼロ距離まで詰めて物理で殴れ。魔法はそのための補助バフに過ぎない』


 シーン……。

 会場は、あまりの暴論――いや「脳筋理論」に絶句した。


 魔法学園で「魔法を使うな、殴れ」と教える教師。

 だが目の前には、その理論を体現し完勝した生徒たちが立っている。

 ぐうの音も出ない「結果」だった。


『これが俺のクラス(アルヴィス・イズム)の教育方針だ。文句がある奴はいつでもかかってこい。ただし――』


 アルヴィスはニヤリと、凶悪な笑みを浮かべた。


『次は俺が相手をしてやる』


 その瞬間。

 アルヴィスから放たれた「覇気」が、闘技場全体を揺らした。

 観客席にいた教師たちの数名が、そのプレッシャーとこれからの学園生活への絶望で泡を吹いて失神した。


 マルクスたちは顔を見合わせ、苦笑した。


(……やべえ。俺たち、とんでもない人の弟子になっちまったな)


 だがその顔には、もう以前のような卑屈さはなかった。

 自分たちは強い。

 あの「怪物」に鍛えられたのだから。


 こうしてアルヴィス・クラスの生徒たちは、一夜にして「学園最強の武闘派集団」として恐れられることとなった。

 そしてアルヴィスの「気楽な隠居生活」は、本人の意図とは裏腹に「伝説の最強教師」という名声と共に、ますます遠のいていくのだった。


(……おかしいな。俺はただ静かに暮らしたいだけなんだが)


 貴賓席で国王から「素晴らしい! これぞ我が国が必要としていた軍隊だ!」と手を取って称賛されながら、アルヴィスは遠い目で空を見上げた。

 空はどこまでも青く、そして皮肉なほどに澄み渡っていた。


(次こそは……次こそは絶対に地味にやるぞ)


 その決意が絶対に守られないフラグであることを、彼自身も薄々勘づき始めていた。

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