第20話 魔導殺しの式神(身体能力特化型への対策)
夏の暑さが残る第三演習場。
アルヴィス・クラスの生徒たちは、これまでの過酷な訓練――重力下での基礎体力作り、プールでの環境適応、結界による空間支配――を経て、もはや学生という枠には収まりきらない戦闘集団へと変貌を遂げていた。
彼らの眼差しは鋭く、立ち姿には隙がない。
しかし、そんな彼らの自信を、最強の教師はいつものように軽々とへし折る準備を整えていた。
「よーし、今日は戦闘訓練をするぞ」
アルヴィスは演壇から飛び降り、生徒たちの前に立った。
彼の手には一枚の奇妙な紙片――ヒトガタに切り抜かれた和紙のようなもの――が握られている。
「またですか、師匠。最近は対人戦ばかりで、相手をしてくれる騎士科の連中も逃げ出す始末ですけど」
マルクスが肩を回しながら、不敵に笑う。
確かに彼らの強さは学園内で突出しており、もはや生徒同士の模擬戦では練習にならなくなっていた。
「安心しろ。今日の相手は、そこらの騎士とは格が違う」
アルヴィスは紙片を放り投げた。
ひらひらと舞う紙片に、彼の魔力が注ぎ込まれる。
「――式神召喚」
ボンッ!
白煙と共に、演習場の空気が軋んだ。
煙が晴れた後に立っていたのは、一人の男だった。
黒髪を荒々しく逆立て、上半身裸で、岩盤のような筋肉を晒した巨漢。
その顔立ちは凶悪そのもので、眼光だけで人を射殺せそうなほどの殺気を放っている。
「……ななんだコイツは?」
「魔力がない……? いや、生命反応すらない……人形か?」
生徒たちがざわめく。
男はピクリとも動かない。
だが、その静止した姿からは、爆発寸前の火山のようなエネルギーが感じられた。
「こいつは『式神』だ。俺の魔力で構築した、自律戦闘型の人形だな」
アルヴィスは紹介する。
「モデルは俺の前世の敵だ。かつて『武神』と呼ばれ、異能を己の肉体のみでねじ伏せた、脳筋の極みみたいな男だよ」
前世の記憶。
異能者たちが覇を競った時代において、異能を持たず、ただひたすらに肉体を鍛え上げ、異能者狩りを専門としていた狂戦士。
アルヴィスも、かつてこいつには何度か煮え湯を飲まされた記憶がある。
「こいつと戦ってもらう。言っておくが、身体能力特化だから強いぞ。魔法なんて小細工は通用しないと思った方がいい」
式神の男が、虚空から二振りの武器を取り出した。
右手には反りのある片刃の長剣――「刀」。
そして腰の後ろには、見えにくいが、何かを隠し持っている気配がある。
「合わせて魔法道具を使うから、手札も多いぞ。……じゃあまずはマルクスから闘え!」
「俺からですか! 上等だ!」
マルクスが進み出る。
彼は自信満々だった。
元素体化を会得し、物理攻撃を無効化できるようになった今、剣士ごときに負ける気はしなかったのだ。
「へー、剣使いかよ。前衛職なら、近づく前に黒焦げにしてやるぜ!」
マルクスは構えを取る。
「行くぞ! 《フレイム・ナック――》」
ドォンッ!!
爆音。
マルクスが魔法を発動しようとした瞬間、地面が爆ぜた。
式神が地面を蹴った音だ。
「……って早ッ!!!」
マルクスの思考が凍りつく。
認識した時には、もう目の前に黒髪の男がいた。
距離にして二十メートルを、一瞬でゼロにしたのだ。
振り上げられた刀が、太陽の光を反射してギラリと輝く。
(元素体化!?)
マルクスの脳裏に、防御の選択肢が浮かぶ。
いつものように身体を炎に変えて、物理攻撃を透かせばいい。
だが。
(……いや違う!)
本能が警鐘を鳴らした。
迫りくる刀身から漂う、異質な気配。
ただの鉄塊ではない。魔力を帯びているわけでもない。
もっと根本的な、魔術的な現象を断ち切るような「鋭さ」を感じたのだ。
(剣がヤバい雰囲気ある! これは何か魔法効果が付与されてると見るべき!!)
マルクスは直感に従った。
受けるのは危険だ。
(回避一択! 炎になって後方へ退避!!!)
彼は攻撃に転じるはずだった魔力を、全量、回避運動へと回した。
下半身を爆発的に炎化させ、その推力でバックステップを踏む。
ヒュンッ――!!
鼻先数センチを、不可視の斬撃が通り過ぎた。
風圧だけで皮膚が切れそうだ。
もしあのまま棒立ちで元素体化していたら?
炎ごと両断されていただろうという確信があった。
「……ッ、あっぶねぇぇぇ!!」
マルクスは冷や汗を流しながら、距離を取る。
「ほー」
アルヴィスが感心した声を上げた。
「こいつの一撃目を避けるか。それなりに強いんだがな、その初撃は」
式神は追撃の手を緩めない。
着地と同時に、流れるような動作で、二の太刀、三の太刀を繰り出してくる。
速い。とにかく速い。
マルクスは防戦一方だ。
「なかなか判断力があるな、マルクス。避けて無きゃ死んでたぞ? (まあ死んだら蘇生させるけど)」
アルヴィスの物騒な独り言は、戦うマルクスの耳には届かない。
「くっそぉぉぉッ!」
マルクスは必死に避ける。
炎の身体を駆使して、物理的な関節可動域を無視した動きで刃を躱す。
だが、反撃の隙がない。
式神の剣技は、ただ速いだけでなく重い。一撃ごとに空気が振動し、衝撃波が飛んでくる。
「よし、相手のレベルは分かったな! 動きが尋常じゃねー速度!!!」
数合打ち合ううちに、マルクスの目は徐々にその速度に慣れ始めていた。
アルヴィスの「指立て攻撃」や「重力訓練」のおかげで、動体視力は人外の域に達しているのだ。
(しかし、だんだん目が慣れて来た……。こいつの初速がめちゃくちゃ早いし、剣速が半端ねぇ!)
マルクスは分析する。
相手は魔法を使わない。純粋な身体能力だけだ。
魔力の予備動作がない分、動きの起こりが読みにくい。
だが、しょせんは物理法則に従った動きだ。
(が、言えば身体能力が高くて剣もやべーだけだ! 避けるのに専念してたら脅威じゃねー!)
マルクスの中に、僅かな余裕が生まれた。
当たれば死ぬが、当たらなければどうということはない。
「おーい、避けるだけじゃ勝てないぞ! 反撃しないとジリ貧だぞー」
外野から、アルヴィスの野次が飛ぶ。
「避けるのが精一杯だっての! ……ちっ、でも師匠の言う通りだ!」
マルクスは焦る。
このままでは、いずれスタミナか魔力が切れて狩られる。
攻撃したら、その隙にやられるかもしれない。
だが、リスクを冒さなければ勝機はない。
(ここは隙を伺う……!)
マルクスは、式神の動きを凝視した。
機械のように正確無比な連撃。
だが、生物を模している以上、そこには必ず「癖」が存在するはずだ。
連撃のリズム。
呼吸のタイミング。
重心の移動。
(……見つけた!)
数回の攻防の後、マルクスはある法則性に気づいた。
(よし、こいつ癖がある! 大きく踏み込んで斬り込んでくる時、必ず右足だ!)
式神が大技を放つ予備動作。
その直前、必ず右足を半歩引いてタメを作り、そして強烈に踏み込む。
その一瞬。
踏み込みの瞬間、必ず動きが止まる「タメ」の時間がある。
(攻撃するならそこ! 足を止めて踏み込みする、そのコンマ一秒!)
マルクスは賭けに出た。
次の攻撃を誘う。わざと隙を見せる。
式神が反応した。殺気を膨らませ、右足を引く。
(身体能力強化使い! ヨシ、今!!!)
式神が踏み込んだ瞬間。
マルクスは防御を捨て、カウンターの態勢に入った。
右手に圧縮した炎を纏わせ、相手の懐に飛び込む。
「もらったぁぁぁ!!」
タイミングは完璧だった。
式神の刀が振り下ろされるよりも速く、マルクスの拳が相手の鳩尾を捉える――はずだった。
ニヤリ。
無表情だったはずの式神の口元が、微かに歪んだように見えた。
(……え?)
マルクスの本能が、最大級の警報を鳴らす。
踏み込んだ右足。それは攻撃のためのステップではなかった。
誘い(フェイント)だ。
攻撃する瞬間、身体能力強化使いは、背後に隠していた左手を素早く動かした。
そこから抜かれたのは、もう一本の武器。
黒塗りの「短刀」だった。
(ヤバ、クソ罠だった! ガード!!)
マルクスは攻撃を中断し、咄嗟に左腕を盾にして防御態勢を取った。
だが遅い。
カウンターを狙って飛び込んだ勢いは、そのまま相手の刃への突進力へと変わっていた。
ザクッ!!
鈍い音が響く。
短刀がマルクスの左腕に深々と突き刺さった。
「ぐあっ!?」
(クソ、ダメージ入った! いや、それだけじゃない!)
マルクスは愕然とした。
彼は左腕を「元素体化」させていたはずだ。物理的な刃なら炎をすり抜けるはず。
だが、短刀は確かに彼の肉を裂き、骨に食い込んでいる。
それどころか。
「ななんだ……!? 魔力が……練れない!?」
刺さった箇所から奇妙な痺れが広がり、全身の魔力回路がショートしたように機能不全を起こし始めた。
腕の炎が消え、生身の腕に戻ってしまう。
(しかも刺さった箇所に魔力が回らねぇ! 恐らく『魔力阻害』の短刀!)
魔法使い殺しの武器。
これこそが、アルヴィスが「手札が多い」と言った理由だ。
刀は「魔法を斬る」武器。
短刀は「魔法を封じる」武器。
この式神は、対魔法使い戦に特化した最悪の天敵だったのだ。
「チッ! 離れろ!」
マルクスは短刀が刺さったまま、無理やり距離を取ろうとする。
だが式神は逃さない。
突き刺した短刀を軸にマルクスの身体を引き寄せ、右手の刀で首を刎ねようとする。
(終わった……!?)
死の予感が背筋を走る。
だが、ここで諦めるようなら、アルヴィス・クラスの筆頭は名乗れない。
「ナメんじゃ……ねぇぇぇ!!!」
マルクスは、魔力が阻害されている左腕を捨てた。
代わりに、まだ動く右手と残った全身のバネを使う。
魔法が使えないなら、物理で殴ればいい。
ガシィッ!
マルクスは、自分を引き寄せようとする式神の襟首を、右手で強引に掴んだ。
そしてゼロ距離まで顔を近づける。
「直接なら……文句ねぇだろッ!!!」
身体能力強化使いの身体を掴み、直接攻撃する。
魔力阻害は左腕を中心に広がっているが、右手の先にはまだ僅かに魔力が残っている。
体内で練る必要はない。
ただ有り余る魔力を、爆発させるだけでいい。
「燃え尽きろォォォォォ!!!」
ドゴォォォォォォォンッ!!!!
至近距離での最大火力の火柱。
制御も何もない、自爆覚悟の特攻だ。
紅蓮の炎が二人を飲み込み、天高く噴き上がる。
「はぁ……はぁ……!」
マルクスは反動で吹き飛び、地面を転がった。
左腕からは血が流れているが、短刀は抜けたようだ。
彼は煤だらけの顔を上げ、炎の先を見つめる。
(勝ったか!? あれだけの火力をゼロ距離で……生身なら蒸発してるはずだ!)
炎が晴れる。
そこには。
ピンと背筋を伸ばし、服の端が少し焦げた程度の状態で立っている式神の姿があった。
「……は?」
マルクスの目が点になる。
身体能力強化使いは無傷だった。
火傷一つない。
あの筋肉の鎧が、あるいは彼が纏う「気」のようなものが、炎熱を完全に遮断したのだ。
(クソ……火力不足! 片手だけだから火力が出し切れなかったか……!)
マルクスは歯噛みする。
だがすぐに思い直した。
(……いや違う。だけどそれを置いても、なんて肉体強度だ! 恐らく火力を全開でぶち込んでも、ダメージが入らなかっただろう……)
魔法抵抗力の桁が違う。
中途半端な魔法では、あの筋肉の城壁を突破できない。
物理もダメ。魔法もダメ。
これが「身体能力特化」の到達点か。
式神が無表情のまま、ゆっくりとマルクスに歩み寄ってくる。
とどめを刺すために。
パンパンパン。
乾いた拍手の音が響いた。
「――はい、それまでー」
アルヴィスの声と共に、式神の動きがピタリと止まった。
振り上げられた刀が、マルクスの鼻先で静止する。
「ふぅ……。死ぬかと思った……」
マルクスは地面に大の字になって脱力した。
アルヴィスが歩み寄り、マルクスの左腕に治癒魔法をかける。
傷口が塞がり、痺れが消えていく。
「中々善戦したんじゃないか? 身体能力強化を極めたタイプの敵に、これだけ持たせたのは褒めてやろう」
アルヴィスは、動かなくなった式神をポンポンと叩いた。
「こいつはな、魔法使いにとって最悪の相性だ。『見てから回避余裕』の反射神経と、『半端な魔法なら筋肉で弾く』耐久力、そして『魔法殺しの武器』を持っている」
「……反則ですよ、そんなの」
マルクスが文句を言う。
「世の中には、こういう理不尽な強者もいるってことだ。魔法が万能だと思ってると、こういう手合いに狩られるぞ」
アルヴィスは教室の他の生徒たちを見渡した。
彼らは、クラス最強のマルクスが手も足も出ずに(最後は一矢報いたが)敗北したことに、衝撃を受けていた。
「魔法使いの弱点は、肉体の脆さと魔法への依存だ。魔力を封じられた時どう戦うか。魔法が通じない相手をどう崩すか。それが、これからの課題だな」
アルヴィスは式神を再起動させた。
式神の男が再び構えを取る。
「じゃあ次! エレノア、お前だ!」
「……やれやれ。優雅ではありませんが、致し方ありませんわね」
エレノアが前に出る。
彼女の目には、恐怖ではなく、解析と対策の光が宿っていた。
「マルクスの戦い、参考にさせていただきますわ。物理が通じないなら……凍らせて動きを止めるか、あるいは足場を崩して生き埋めにするか……」
「ほう、いい視点だ。だがこいつは、氷の上でも滑らないぞ?」
アルヴィスは楽しそうに笑った。
戦闘訓練は続く。
生徒たちは「魔法無双」の慢心をへし折られ、新たな壁(物理最強の敵)に挑むことで、さらなる高みへと登っていく。
その光景を見ながら、アルヴィスは確信していた。
こいつらがこの式神に勝てるようになる頃には、もはや国の騎士団長クラスですら相手にならなくなっているだろうと。
「……ま、俺が楽をするためだ。死ぬ気で頑張れよ、少年少女たち」
最強の教師は、冷たいジュースを飲みながら、生徒たちの悲鳴と爆発音をBGMに、午後の優雅な時間を過ごすのだった。




