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第19話 空間の支配(結界魔法の理論と実践)

 王立魔法学園第三演習場。

 夏の日差しが少し和らぎ始めた、午後の授業。

 アルヴィス・クラスの生徒たちは、いつものようにボロボロになりながら整列していた。しかし、今日の彼らの表情には、肉体的な疲労よりも、知的な興奮と困惑が混じっていた。


「さて、今日は新しい分野を勉強するぞ」


 アルヴィスは、空中に作り出した即席の黒板(光の幻影で文字を表示するタイプ)を指差した。

 そこに書かれていたのは『結界魔法』という文字だ。


「結界……ですか?」


 マルクスが首を傾げる。


「聞いたことはありますけど、あれって神殿の神官とか、あるいは城を守る専門の結界師が数人がかりで張るものじゃありませんか? 俺たちみたいな攻撃主体の魔法使いには縁がないような……」


「甘いなマルクス。砂糖菓子より甘い」


 アルヴィスは、チッチッと舌を鳴らした。


「結界こそが、魔法使いが『個』として戦場を生き抜くための必須スキルだ。これを使えるか使えないかで、生存率は天と地ほど変わる」


 アルヴィスは教鞭(その辺で拾った木の枝)を振るい、講義を始めた。


「まず、結界の定義からだ。教科書的な定義を言えば……『特定の場所を聖なる空間と俗なる空間に分けるための、宗教的な境界線』だ」


「聖と俗……?」


 エレノアが、興味深そうに呟く。


「元々はな。神域に穢れが入らないように、あるいは悪霊を封じ込めるために使われた概念だ。だが、俺たちにとって重要なのは宗教的な意味じゃない。機能的な意味だ」


 アルヴィスは黒板に図を描く。

 空間を一本の線で区切り、『内』と『外』に分ける図だ。


「結界とは転じて、『空間を仕切る魔法』として定義される。自分の支配下にある空間と、それ以外の空間を、魔力の壁によって物理的・概念的に遮断する技術だ」


「空間を仕切る……。つまり、空間魔法ってことですか?」


 風使いのフィアが手を挙げる。


「ああ、それでいい。広義には空間魔法の一種だ」


 アルヴィスは頷いた。


「空間魔法は高位の魔法とされているが、結界はその中でも『固定』と『遮断』に特化した、比較的習得しやすい分野だ。ワープ(空間跳躍)みたいに複雑な計算はいらない。『ここは俺の場所、お前は入ってくるな』というジャイアニズム(俺様理論)を空間に押し付ければいい」


「じゃいあにずむ……?」


 生徒たちは聞き慣れない単語に首をひねったが、ニュアンスは伝わったようだ。


「さて、能書きはこれくらいにして実際に結界魔法を使ってみるぞ」


 アルヴィスはニヤリと笑った。


「百聞は一見に如かずだ。今から俺の周囲に『認知出来なくなる結界』を張る。見とけよ」


 アルヴィスがスッと指を立てる。

 魔力が動く気配はない。詠唱もない。

 だが、次の瞬間。


 フッ。


 アルヴィスの姿が、世界から消失した。


「うおっ!? 消えた!?」


「師匠!? どこへ……!?」


 生徒たちがざわめく。

 透明化インビジブルの魔法か? いや、それにしては魔力の残滓すら感じられない。

 そこに「誰もいない」という感覚だけが、強烈に場を支配している。


「マルクス、どこを見ている?」


 声がした。

 誰もいないはずの演壇の上から。


「えっ? こ、声だけ……?」


「右だ。もっとよく見ろ」


 生徒たちが目を凝らす。

 ……何もいない。いや、何かが「ある」ような気はするのだが、脳がそれを認識することを拒否しているような、奇妙な感覚。


「1098……」


 カウントダウンが聞こえる。


「……321、解除」


 パッ。


 アルヴィスの姿が唐突に現れた。

 消えた時と同じ場所、同じポーズで座っている。


「うわぁっ!?」


 マルクスが驚いてのけぞった。


「い、いつの間に……!」


「いつの間にじゃない。最初からずっとそこにいたぞ」


 アルヴィスは意地悪く笑った。


「どうだ、見えなかっただろ?」


「ええ、凄いですわね……」


 エレノアが、感心したようにため息をつく。


「光学迷彩(光を曲げる魔法)とは違いますわ。光はそこにあるのに、『そこに人がいる』という事実だけが認識から滑り落ちていくような……とても不気味な感覚でした」


「正解だエレノア。勘がいいな」


 アルヴィスは褒めた。


「これは『認識阻害結界』だ。光を曲げているわけじゃない。周囲の空間に『ここは空っぽですよ』『注目に値しませんよ』という情報を垂れ流すフィルターを張っている。お前たちの脳の視覚野に直接干渉し、俺という存在を背景ノイズとして処理させたんだ」


「脳に干渉……!?」


 生徒たちが戦慄する。物理的な魔法よりも、精神に作用する魔法の方がタチが悪いことを、彼らは知っている。


「隠密・諜報で活躍しそうですね……」


 フィアが呟く。


「本来の用途は、一般人に見られないようにするのが目的だが……まあ、それでもいい。要は認識出来なくなるだけで、そこにはいるからな。流れ弾が当たれば怪我をするし、範囲攻撃魔法を撃たれれば巻き込まれる。過信は禁物だ」


 アルヴィスは指を振った。


「だが、戦闘中でも一瞬姿を消せれば相手の狙いを外せる。逃走にも使える。覚えておいて損はない技術だ」


「すげえ……。透明人間になれるのか……」


 男子生徒たちが何やら不純な動機で目を輝かせているのを、アルヴィスは見逃さなかった。


(……まあ、覗きに使ったら即座に重力魔法で潰すがな)


「では次は、もっと分かりやすい物理的な防御結界だ」


 アルヴィスは再び指を鳴らした。


 ブォン。


 低い振動音と共に、アルヴィスの周囲に半透明に輝く「正六面体キューブ」が出現した。

 一辺が二メートルほどの、薄い光の壁で構成された箱だ。アルヴィスはその中に、すっぽりと収まっている。


「これは『物理遮断結界』。単純に空間を、物質的に仕切る壁だ」


 アルヴィスは結界の内側から、生徒たちを挑発した。


「よし、攻撃してみろ。マルクス、全力の火球でいいぞ」


「えっ、いいんですか? 中に閉じ込められてる状態で爆発したら、逃げ場がないですよ?」


「心配無用だ。お前の火遊び程度で壊れるようなヤワな結界じゃない。やれ」


「へっ、言いましたね! 後で泣いても知りませんよ!」


 マルクスはやる気満々で構えた。

 日々の訓練で、威力が桁違いに上がっている彼の火炎魔法だ。直撃すれば、岩盤すら溶かす。


「喰らえ! 《エクスプロージョン・ボール》!!」


 ドォォォォォォォンッ!!


 凄まじい爆炎が、光のキューブを飲み込んだ。

 熱波が周囲に広がり、他の生徒たちが腕で顔を覆う。

 演習場の地面が焦げ、土煙が舞い上がる。


「やったか!?」


 お約束の台詞を誰かが吐く。


 煙が晴れた後。

 そこには傷一つない光のキューブと、その中で退屈そうに欠伸をしているアルヴィスの姿があった。


「な……ッ!?」


 マルクスが絶句する。


「嘘だろ……? ヒビ一つ入ってねえ……!」


「言ったろ。ヤワじゃないと」


 アルヴィスは、結界の内側から壁をコンコンと叩いた。


「この結界は、外部からの物理的干渉および魔力的干渉を『拒絶』する定義で固定されている。お前の炎がどれだけ熱かろうが、衝撃が強かろうが、この空間座標において『内部への侵入』は許可されていない。だから弾かれただけだ」


「へー……。完全な防御魔法としても機能するってことですか?」


「ああ。ある程度の攻撃まで、これで対処出来る」


 アルヴィスはキューブを消滅させた。


「より強度を増したバージョンもあったりする。多重展開したり、ハニカム構造にしたり、あるいは攻撃を受けた瞬間に魔力を集中させて受け流したりな。

 但し、その場合は魔力消費が激しくなるし、さっきの『認識阻害』のような隠密性能なんかを捨てる必要があるが……」


 彼は説明を続ける。


「結界には容量キャパシティがある。防御力に全振りすれば硬くなるが目立つ。隠密に全振りすれば見えなくなるが紙装甲になる。状況に応じて使い分けるのがプロだ」


 生徒たちは熱心にメモを取る(あるいは脳に刻み込んでいる)。

 防御魔法として「シールド」は知っていたが、全方位を遮断する「空間結界」となると、その有用性は段違いだ。


「そして応用として……これには『乗る』ことも出来る」


 アルヴィスは、足元に小さな平たい結界を作り出した。

 そしてその上にヒョイと乗った。

 まるで見えない階段を登るように。


「え?」


 アルヴィスはさらに一段、また一段と、空中に作り出した結界を踏みしめて登っていく。

 そして高さ三メートルほどの空中で、椅子の形をした結界を作り、そこにどっかりと座り込んだ。


「な? これで制空権を確保したりする」


 アルヴィスは空中から生徒たちを見下ろした。


「風属性ではない者でも、空中戦を出来るわけだ! 風魔法のように不安定な気流に乗るんじゃない。空間そのものを足場として固定するから、安定感は地面と変わらない。狙撃ポイントを作ったり、緊急回避で空に逃げたり、使い方は無限大だ」


「空を……歩く……!」


 土使いの生徒が、憧れの眼差しで見上げる。

 地面に縛られる土属性にとって、空中移動は夢のまた夢だった。


「すげえ……! 俺も空から炎を降らせられるのか!」


 マルクスも興奮している。


「そうだ。高所を取れば(ハイ・グラウンド)、戦術的に圧倒的有利になる。結界魔法は単なる防御技じゃない。移動技モビリティとしても最強クラスだ」


 アルヴィスは空中で足を組み、王様のように宣言した。


「さて、理論は分かったな? 今日は結界を展開出来る所まで出来るになれ」


 彼はスッと地上に降り立った。


「向き不向きがあるが、基礎的な結界は誰でも出来ることは出来る。魔力操作と空間把握能力があればな。お前らはもう、眼球に術式を刻んだり、自分の指をくっつけたりする変態的な魔力操作を身につけている。今更結界ごときで躓くはずがない」


 生徒たちは苦笑いする。

 確かに、これまでの訓練に比べれば「空間を仕切る」なんて、なんだか普通で安全な修行に思えてくるから不思議だ。


「では練習開始! まずは自分の目の前に、拳大の『サイコロ(正六面体)』を作ることから始めろ!」


「はいっ!」


 生徒たちは散らばり、それぞれの場所で空間と向き合い始めた。


          ◇


 だが、実際にやってみると、これが存外に難しいことが判明した。


「ぬぐぐ……! 出ろ! 壁よ、出ろ!」


 マルクスが、何もない空中に向かって唸っている。

 魔力は放出されているのだが、霧散してしまい形を成さない。


「くそっ、イメージが固まらねえ! 炎なら形にできるのに、透明な壁ってのがどうも……!」


「マルクス、お前は魔力を『出しすぎ』だ」


 アルヴィスが背後からアドバイスする。


「結界は放出系じゃない。凝縮系だ。魔力を外に広げるんじゃなく、その座標に『留める』んだ。見えない箱の中に、空気をギュウギュウに詰め込むイメージを持て」


「詰める……詰める……。おおお? なんか硬い手応えが……!」


 マルクスの前で、空気が陽炎のように揺らぐ。

 不格好だが、歪んだ壁のようなものが一瞬だけ現れた。


「わたくしは……こうですわね」


 エレノアは流石に早かった。

 彼女は氷魔法の応用で、空間を「凍結」させるイメージを持ったようだ。

 パキパキという微かな音と共に、彼女の目の前に美しい幾何学模様の入った、薄氷のような結界が出現した。


「素晴らしい。だがエレノア、それは『氷の壁』に近いな」


 アルヴィスが評する。


「物理的な強度は高いが、熱に弱いという属性的弱点が残っている。もっと純粋な魔力の壁に昇華させろ。属性を捨てろ」


「属性を捨てる……。難しいですわね。わたくしの魔力はどうしても冷気を帯びてしまいますもの」


 エレノアは眉をひそめながらも、すぐに修正に取り掛かる。彼女の適応能力は天才的だ。


 他の生徒たちも、四苦八苦していた。


「あ、出来た! ……あ、消えた」


「丸いのは出来るけど、四角くならない!」


「先生! 足場を作ろうとしたら、滑って転びました!」


 演習場は、見えないパントマイムをしている集団のような、奇妙な光景になっていた。


「焦るな。空間認識能力を研ぎ澄ませろ」


 アルヴィスは、生徒たちの間を歩き回りながら指導する。


「お前たちが普段感じている『距離感』。あれを結界の座標に使え。

 手が届く範囲。剣が届く範囲。その境界線を意識しろ。

 そこにある空気の分子一つ一つに、『止まれ』と命令するんだ」


 徐々にではあるが、生徒たちの前に確かな「形」が現れ始めた。

 薄い膜のようなもの。ガラスのようなもの。

 それぞれの個性が出ているが、「空間を仕切る」という現象は発生している。


「よしマルクス。だいぶ形になってきたな」


「へへっ、どうですか師匠! 俺の『炎熱結界』!」


 マルクスの結界は、触れると火傷しそうなほど熱を帯びている。


「……まあ、防御と同時に攻撃判定があるのは面白いが、それじゃ隠密行動に使えないぞ。熱源探知で一発バレだ」


「あそっか……」


 時間は経過し、夕暮れ時。

 多くの生徒が、なんとか「拳大のサイコロ」を作れるようになっていた。


「うん、今日はこんなもんだろう」


 アルヴィスは頷いた。


「まだ強度は紙切れ以下だが、構造は出来ている。あとはそこに注ぎ込む魔力の密度を上げれば、鋼鉄より硬くなる」


 彼は生徒たちを集めた。


「いいか、結界魔法は地味だが、応用力は最強だ。

 敵の攻撃を防ぐ盾。

 敵を閉じ込める檻。

 足場にして空を駆ける翼。

 そして姿を消すマント。

 これ一つで、戦術の幅が四倍にも五倍にもなる」


 アルヴィスは最後に実演を見せた。

 彼は空中に無数の小さな結界片を作り出し、それを散弾のように射出した。


「攻撃にも使えるぞ。『空間断裂ディメンション・カット』の初歩だ」


 ヒュンヒュンヒュン!

 見えない刃が、演習場のカカシをズタズタに切り裂いた。


「空間そのものを刃として固定し、ぶつける。防御不能の斬撃だ」


「「「おおおおお!!」」」


 生徒たちの目が、今日一番の輝きを見せた。やはり、こいつらは攻撃魔法が一番好きらしい。


「まあ、これは上級編だ。まずは防御と足場作りを完璧にしろ。

 次回の授業までに全員、『空中の結界に座って優雅にお茶を飲む』ことができるようになっておくこと。出来なかった奴は、重力50Gの中で空気椅子だ」


「「「イエッサー!!」」」


 悲鳴交じりの、しかしやる気に満ちた返事が返ってくる。


 こうしてアルヴィス・クラスの生徒たちは、また一つ新たな武器を手に入れた。

 「空間を支配する者」。

 その称号を得るための第一歩を、彼らは踏み出したのだ。


 ……ちなみに翌日の学園では、廊下の天井付近を歩いたり、空中で胡座をかいて授業を受ける生徒が続出し、教師たちを恐怖のどん底に陥れることになるのだが、それはまた別の話である。

 アルヴィスは「高いところは気持ちいいからな」と、我関せずを貫いたという。

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