第18話 生命の共鳴(儀式式治癒と大樹の誕生)
王都ライゼンの王立中央病院。
かつては怪我人や病人でごった返し、呻き声と消毒液の匂いが充満していたこの場所は、今や奇妙なほどの静寂と明るい活気に包まれていた。
「ありがとうございます、聖女様! 長年悩んでいた膝の痛みが、嘘のように消えました!」
「擦り傷程度で病院に来て申し訳ない……。でも、聖女様に手をかざしてもらっただけで、傷跡もなくなるなんて」
中庭では今日も十名の聖女たちが、まるで流れ作業のように、しかし慈愛に満ちた手つきで患者たちを治療していた。
彼女たちの手から放たれる温かい光は、擦り傷、切り傷、打撲、そして軽い骨折に至るまで、次々と「なかったこと」にしていく。
その光景を、テラスで優雅に紅茶を飲みながら眺めている少年がいた。
アルヴィス・フォン・ヴァルドスタ。
この「聖女改革」の仕掛け人であり、彼女たちをわずか数回の講義で一人前の治癒術師へと変貌させた、規格外の異能者である。
「……ふむ。順調だな」
アルヴィスは満足げにカップを置いた。
最初は自信なさげにおどおどしていた彼女たちも、今では患者に対し「はい、次の方。患部を見せてください」「動かないで。光球しますから」と、テキパキと指示を出している。
その姿は、神に祈る巫女というよりは、熟練の野戦医のそれに近かった。
「擦り傷や骨折などの外傷治療は、もうマスターしたと見ていいだろう。俺が手を出さなくても、街中の怪我人はあらかた治癒されている」
だがアルヴィスの目は、まだ満足していなかった。
基礎はできた。次は応用だ。
彼は立ち上がり、中庭に声を響かせた。
「よし、午前の診療はそこまでだ! 全員集合しろ!」
◇
聖女たちがアルヴィスの前に整列する。
その顔には、充実感と次の課題への期待が混じっていた。
「先生、本日の成果報告を……」
「報告はいい。見れば分かる。お前たちはよくやっている」
アルヴィスは短く労うと、すぐに本題に入った。
「さて、治癒能力で街中の怪我人を治癒しているが、今回は応用編だ。お前たちも気づいているだろうが……まだ重い怪我の治癒には、複数回の治癒が必要だな?」
聖女たちの表情が曇る。
代表格の少女が、悔しそうに頷いた。
「はい……。先日、工事現場の崩落事故で全身を強く打った患者が運び込まれました。内臓破裂と多発骨折……。私一人では魔力が続かず、三人掛かりで、しかも半日かけて、ようやく容体を安定させるのがやっとでした」
彼女は唇を噛む。
「重い怪我や病気の場合、一回の治癒では治癒し切れません。どうしても途中で魔力が尽きたり、集中力が途切れたりして、治癒の力が切れてしまいます。そのたびに時間をおく必要があります」
「申し訳ありません……。私たちはまだまだ未熟で……」
他の聖女たちも肩を落とす。
「いやいや、未熟じゃない。それが普通だ」
アルヴィスは手を振って否定した。
「人間一人が保有できる魔力には限界がある。タンクの容量が決まっている以上、一回で出来る治癒出来る量には限度があるからな。ガス欠になったら休む。それは、生物として当たり前のことだ」
彼は、患者たちが去った後の中庭を見渡す。
「通常ではそれでも良い。命に別状がないなら、数日かけて治せばいい話だ。だが……」
アルヴィスの瞳が鋭く光る。
「戦場や大事故の現場では、そうはいかない。
心臓が止まりかけている者。
毒が全身に回りかけている者。
あと少しで死んでしまうような場合。
『魔力が切れました。休憩してから続きをやります』なんて言っていたら、患者は死ぬ」
聖女たちがゴクリと喉を鳴らす。
命の現場における絶対的な時間制限。
それが、彼女たちの壁だった。
「個人の限界を超える必要がある。だが、魔力タンクを急に大きくすることはできない。なら、どうするか」
アルヴィスは黒板(異能で出した)に図を描き始めた。
十個の点が円を描き、それが線で繋がっている図だ。
「対応する方法を教える。『儀式式治癒』だ!」
「儀式……式治癒?」
聖女たちが首を傾げる。
教会にも儀式はある。
大勢で祭壇を囲み、長時間祈りを捧げるものだ。
だがそれはあくまで信仰心を高めるためのもので、実用的な魔術としての儀式とは違う。
「ああ。複数人で集まり、儀式に沿って治癒の力を集結させて、治癒の力を乗算させて、致命傷をすぐ治癒する技術だ」
アルヴィスは説明する。
「単純な足し算(加算)じゃないぞ。1+1=2にするなら、二人で同時に治癒を掛ければいいだけだ。だが、この儀式は『乗算』だ。魔力を共鳴させ、増幅回路の中で加速させる」
「共鳴……加速……」
彼女たちには難しい理論(現代物理学や異能理論の応用)は分からない。
だがアルヴィスの言うことだ。きっと凄いことに違いない。
「理論を語っても眠くなるだけだな。とりあえず今日は、植物相手に儀式式治癒を発動させるぞ」
アルヴィスは、中庭の隅にある花壇を指差した。
そこには先日の授業で彼女たちが発芽させた、まだ膝丈ほどの若木が植え替えられていた。
「今日芽が出た若木を、今ここで『大木』まで成長させるぞ」
「た、大木ですか!? 数百年かかるような?」
「そうだ。それを数分でやる。一人の魔力じゃ到底足りないエネルギー量だ。お前たち十人全員の力を一つにするんだ」
◇
中庭の中央に、若木が植えられた鉢が置かれる。
その周囲を、十名の聖女たちが取り囲んだ。
「中庭に出る。手を繋ぎ、若木を囲め」
アルヴィスの指示に従い、彼女たちは手を繋ぎ円陣を作った。
右手が隣の左手を、左手が隣の右手を握る。
閉じた回路の完成だ。
「いいか、イメージしろ。お前たちは今、一本のパイプになった。あるいは、一つの巨大な血管だ」
アルヴィスは円陣の外を歩きながら、声を張り上げる。
「誰か一人が起点となり、治癒のエネルギーを右隣へ流す。受け取った者は、そのエネルギーを自分の体内で増幅させ、さらに自分の魔力を上乗せして次の者へ流す」
「えっと……バケツリレーのようなものでしょうか?」
「バケツリレーだが、バケツの中身が渡すたびに倍に増えていくイメージだ。そして、その水流は一周して戻ってくるたびに、さらに加速する」
アルヴィスは、最初の起点として最も優秀な聖女を指名した。
「よし、お前からだ。治癒の力をみんなで循環させろ! 最初はゆっくりでいい。隣の魔力を感じ、受け入れ、そして送り出せ!」
「は、はいっ!」
最初の聖女が目を閉じ、魔力を練る。
掌から温かい光が生まれ、繋いだ手を通じて、隣の少女へと流れ込む。
「あ、来ました……!」
「受け取ったら止めるな! 自分の力を足して次に回せ! 流れを作るんだ!」
光のエネルギーが、聖女たちの腕を伝って移動していく。
一人、二人、三人……。
最初は淡い光だったものが、半周する頃には強い輝きを帯び始めた。
「そうだ、その調子だ。受け取った治癒エネルギーに自分の力を足して、次に回せ! どんどん加速させろ!」
一周。
起点の少女に光が戻ってくる。
「っ!? つ、強い……!」
彼女は一瞬たじろぐが、すぐにその強大なエネルギーに自分の力を乗せ、二周目へと送り出した。
グルグルグル……。
目に見えない魔力の奔流が、円陣の中で渦を巻き始める。
繋いだ手と手の間から、バチバチと金色の火花が散り始めた。
「そして、ある程度まで大きく育った治癒エネルギーを真ん中に集中させる! 俺が良いと言うまで、治癒エネルギーを回し続けろ! 絶対に手を離すなよ!」
アルヴィスの声が厳しくなる。
エネルギー密度が上がっている。
この状態でリンクが切れれば、暴走した魔力が弾け飛び、全員が吹き飛ぶことになる。
「そこ! 受け取ったエネルギーのロスが多い!」
アルヴィスは一人の聖女の肩をペシッと叩いた。
「恐怖心で魔力回路が縮こまってるぞ! 来るエネルギーを怖がるな! 自分がただの導管になったつもりで、スムーズに流せ!」
「は、はいっ! ごめんなさい!」
「手を繋ぐだけじゃなくて、心も同じように統一しろ! バラバラの意識じゃ共鳴しない! 全員で一つの目的だけを見ろ!」
アルヴィスは中央の若木を指差した。
「木よ育て! と強く思え! 全員の意思を、その一点に重ね合わせろ!」
「「「木よ育て……!!!」」」
聖女たちの声が重なる。
その瞬間、循環していたエネルギーの質が変わった。
雑音が消え、純粋で透明な、しかし圧倒的な質量を持った「命令」へと昇華される。
ブォンッ! ブォンッ!
空気が振動する。
彼女たちの修道服が、発生した上昇気流で激しく舞い上がる。
髪が逆立ち、肌がビリビリと痺れる。
「あああっ……! もう抑えきれません……!」
「身体が熱い……!」
限界が近づいていた。
個人のキャパシティを遥かに超えた巨大なエネルギーが、彼女たちの回路を焼き切る寸前まで膨れ上がっている。
「そうだ……どんどんエネルギーが溜まっていく……! まだだ、まだいける!」
アルヴィスは冷静にエネルギー総量を、『異能ライブラリ』で計測していた。
この程度では、まだ苗木を巨木にするには足りない。
彼女たちの限界の、その先へ。
「歯を食いしばれ! 神に祈るな、自分を信じろ! お前たちは今、太陽を作っているんだ!」
キィィィィィィィン……!
高周波の音が、中庭に響き渡る。
繋いだ手の中心、円陣の真ん中の空間が、黄金色に歪み始めた。
それは、濃縮されすぎた治癒エネルギーが、物理的な光となって顕現した姿だった。
(……よし。臨界点だ)
アルヴィスは右手を振り上げた。
「よし! 今だ! 若木に治癒エネルギーを集中させろ! 解き放てぇぇぇ!!!」
「「「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」」
聖女たちが溜め込んだ全てのエネルギーを、中央の若木に向けて一気に放出した。
循環していたベクトルが、中心点へと収束する。
カッッッ!!!!!!!
中庭がホワイトアウトした。
直視できないほどの強烈な閃光。
それは破壊の光ではない。
圧倒的な「生」の奔流だ。
ズズズズズズズズ……!!!
地響きが起きる。
光の中で、若木の時間が狂ったように加速した。
ピシッ、メリメリメリッ!
幹が太くなり、樹皮が割れ、新たな樹皮が生まれ、それが瞬時に古木の色へと変わる。
枝が空へと爆発的に伸び、無数の葉が芽吹き、茂り、広がる。
根が地面を割り、石畳を隆起させながら、深く広く大地へと食い込んでいく。
「きゃぁぁぁっ!?」
聖女たちが、成長する木の勢いに押され、手を離して尻餅をつく。
だが、もう儀式は完了していた。
光が収まる。
舞い上がっていた土埃が晴れる。
そこには――。
「……う、嘘……」
誰かが呟いた。
病院の中庭を覆い尽くすほどの巨大な樹木が、そびえ立っていた。
高さは二十メートルを超え、幹回りは大人が三人で手を繋いでも届かないほど太い。
青々とした葉が天蓋のように広がり、木漏れ日を落としている。
まるで数百年、いや千年前から、そこに鎮座していたかのような威容。
さっきまで膝丈だった苗木が、神話の世界樹の片鱗のごとく成長していたのだ。
「これが……私たちの力……?」
聖女たちはへたり込んだまま、見上げる首が痛くなるほどの大木を呆然と見つめていた。
信じられない。
自分たちの中に、これほどのエネルギーが眠っていたなんて。
「うむ。成功だな」
アルヴィスだけが涼しい顔で、大木の幹をコンコンと叩いた。
「細胞分裂の加速、炭素固定の強制、栄養吸収の超高速化。全て正常に行われた。……ちょっと育ちすぎて、病院の日当たりが悪くなったかもしれんが」
彼は聖女たちの方を振り返り、ニヤリと笑った。
「見たか。これが『儀式式治癒』の威力だ。一人では小石しか動かせなくても、十人集まって共鳴させれば、山をも動かせる」
聖女たちは震える手で、互いの手を取り合った。
熱い。まだ手のひらが痺れている。
だがそれは不快な痺れではなく、何か大きなことを成し遂げた高揚感だった。
「先生……! すごいです! 私たち、本当に……!」
「これなら! これなら、どんな重傷の方でも救えます!」
彼女たちの瞳から涙が溢れる。
無力感に苛まれていた日々は、もう過去のものだ。
今、彼女たちは知った。
自分たちは一人ではない。仲間と手を繋げば、奇跡すら超える力を起こせるのだと。
「ああ。内臓が破裂していようが、手足が千切れていようが、今のエネルギーをぶち込めば、死神の腕をねじ伏せて現世に引き戻せる」
アルヴィスは頷いた。
これこそが、彼が狙っていた「戦略級治癒魔法」の完成形だ。
個の力では限界がある聖女たちを、一つの「システム」として運用する。
この技術があれば、戦場の死亡率は劇的に下がるだろう。
「ただし」
アルヴィスは釘を刺すのを忘れなかった。
「今の儀式は、お前たちの精神力もゴリゴリ削る。乱用すれば、今度はお前たちが患者になるぞ。使い所は見極めろ」
「はいっ!」
「それと、今後はもっとスムーズに連携できるように練習だ。いちいち俺が調整しなくても、阿吽の呼吸で共鳴できるようにしろ。……さあ休憩したら、次は『切り株を元通りにする』訓練だ。この大木を切り倒すから、それを元に戻せ」
「ええぇぇぇぇ!?」
「せっかく育てたのに、切り倒すんですか!?」
「破壊と再生は表裏一体だ。さあ、のこぎりを持ってこい!」
悲鳴を上げながらも、聖女たちの顔は明るかった。
病院の中庭にそびえる大木は、彼女たちの成長と新たな時代の医療の象徴として、風に枝葉を揺らしていた。
その様子を病室の窓から見ていた患者や医師たちが、「またあの先生が何かとんでもないことをやったぞ……」と、驚愕と感謝の眼差しで見つめているのを、アルヴィスは背中で感じながら密かにほくそ笑むのだった。
(これで教会からの報酬も倍増だな。……ふふふ、老後は安泰だ)
最強の異能者の不純な動機による人助けは、今日も世界を少しだけ(物理的に大きく)変えていくのだった。




