表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/21

第18話 生命の共鳴(儀式式治癒と大樹の誕生)

 王都ライゼンの王立中央病院。

 かつては怪我人や病人でごった返し、呻き声と消毒液の匂いが充満していたこの場所は、今や奇妙なほどの静寂と明るい活気に包まれていた。


「ありがとうございます、聖女様! 長年悩んでいた膝の痛みが、嘘のように消えました!」

「擦り傷程度で病院に来て申し訳ない……。でも、聖女様に手をかざしてもらっただけで、傷跡もなくなるなんて」


 中庭では今日も十名の聖女たちが、まるで流れ作業のように、しかし慈愛に満ちた手つきで患者たちを治療していた。

 彼女たちの手から放たれる温かい光は、擦り傷、切り傷、打撲、そして軽い骨折に至るまで、次々と「なかったこと」にしていく。


 その光景を、テラスで優雅に紅茶を飲みながら眺めている少年がいた。

 アルヴィス・フォン・ヴァルドスタ。

 この「聖女改革」の仕掛け人であり、彼女たちをわずか数回の講義で一人前の治癒術師へと変貌させた、規格外の異能者である。


「……ふむ。順調だな」


 アルヴィスは満足げにカップを置いた。

 最初は自信なさげにおどおどしていた彼女たちも、今では患者に対し「はい、次の方。患部を見せてください」「動かないで。光球スキャンしますから」と、テキパキと指示を出している。

 その姿は、神に祈る巫女というよりは、熟練の野戦医のそれに近かった。


「擦り傷や骨折などの外傷治療は、もうマスターしたと見ていいだろう。俺が手を出さなくても、街中の怪我人はあらかた治癒されている」


 だがアルヴィスの目は、まだ満足していなかった。

 基礎はできた。次は応用だ。


 彼は立ち上がり、中庭に声を響かせた。


「よし、午前の診療はそこまでだ! 全員集合しろ!」


          ◇


 聖女たちがアルヴィスの前に整列する。

 その顔には、充実感と次の課題への期待が混じっていた。


「先生、本日の成果報告を……」

「報告はいい。見れば分かる。お前たちはよくやっている」


 アルヴィスは短く労うと、すぐに本題に入った。


「さて、治癒能力で街中の怪我人を治癒しているが、今回は応用編だ。お前たちも気づいているだろうが……まだ重い怪我の治癒には、複数回の治癒が必要だな?」


 聖女たちの表情が曇る。

 代表格の少女が、悔しそうに頷いた。


「はい……。先日、工事現場の崩落事故で全身を強く打った患者が運び込まれました。内臓破裂と多発骨折……。私一人では魔力が続かず、三人掛かりで、しかも半日かけて、ようやく容体を安定させるのがやっとでした」


 彼女は唇を噛む。


「重い怪我や病気の場合、一回の治癒では治癒し切れません。どうしても途中で魔力が尽きたり、集中力が途切れたりして、治癒の力が切れてしまいます。そのたびに時間をおく必要があります」


「申し訳ありません……。私たちはまだまだ未熟で……」

 他の聖女たちも肩を落とす。


「いやいや、未熟じゃない。それが普通だ」

 アルヴィスは手を振って否定した。


「人間一人が保有できる魔力オドには限界がある。タンクの容量が決まっている以上、一回で出来る治癒出来る量には限度があるからな。ガス欠になったら休む。それは、生物として当たり前のことだ」


 彼は、患者たちが去った後の中庭を見渡す。


「通常ではそれでも良い。命に別状がないなら、数日かけて治せばいい話だ。だが……」


 アルヴィスの瞳が鋭く光る。


「戦場や大事故の現場では、そうはいかない。

 心臓が止まりかけている者。

 毒が全身に回りかけている者。

 あと少しで死んでしまうような場合。


 『魔力が切れました。休憩してから続きをやります』なんて言っていたら、患者は死ぬ」


 聖女たちがゴクリと喉を鳴らす。

 命の現場における絶対的な時間制限。

 それが、彼女たちの壁だった。


「個人の限界を超える必要がある。だが、魔力タンクを急に大きくすることはできない。なら、どうするか」


 アルヴィスは黒板(異能で出した)に図を描き始めた。

 十個の点が円を描き、それが線で繋がっている図だ。


「対応する方法を教える。『儀式式治癒リチュアル・ヒーリング』だ!」


「儀式……式治癒?」

 聖女たちが首を傾げる。


 教会にも儀式はある。

 大勢で祭壇を囲み、長時間祈りを捧げるものだ。

 だがそれはあくまで信仰心を高めるためのもので、実用的な魔術としての儀式とは違う。


「ああ。複数人で集まり、儀式に沿って治癒の力を集結させて、治癒の力を乗算させて、致命傷をすぐ治癒する技術だ」


 アルヴィスは説明する。


「単純な足し算(加算)じゃないぞ。1+1=2にするなら、二人で同時に治癒を掛ければいいだけだ。だが、この儀式は『乗算』だ。魔力を共鳴レゾナンスさせ、増幅回路ブースターの中で加速させる」


「共鳴……加速……」


 彼女たちには難しい理論(現代物理学や異能理論の応用)は分からない。

 だがアルヴィスの言うことだ。きっと凄いことに違いない。


「理論を語っても眠くなるだけだな。とりあえず今日は、植物相手に儀式式治癒を発動させるぞ」


 アルヴィスは、中庭の隅にある花壇を指差した。

 そこには先日の授業で彼女たちが発芽させた、まだ膝丈ほどの若木が植え替えられていた。


「今日芽が出た若木を、今ここで『大木』まで成長させるぞ」


「た、大木ですか!? 数百年かかるような?」

「そうだ。それを数分でやる。一人の魔力じゃ到底足りないエネルギー量だ。お前たち十人全員の力を一つにするんだ」


          ◇


 中庭の中央に、若木が植えられた鉢が置かれる。

 その周囲を、十名の聖女たちが取り囲んだ。


「中庭に出る。手を繋ぎ、若木を囲め」


 アルヴィスの指示に従い、彼女たちは手を繋ぎ円陣サークルを作った。

 右手が隣の左手を、左手が隣の右手を握る。

 閉じた回路の完成だ。


「いいか、イメージしろ。お前たちは今、一本のパイプになった。あるいは、一つの巨大な血管だ」


 アルヴィスは円陣の外を歩きながら、声を張り上げる。


「誰か一人が起点となり、治癒のエネルギーを右隣へ流す。受け取った者は、そのエネルギーを自分の体内で増幅させ、さらに自分の魔力を上乗せして次の者へ流す」


「えっと……バケツリレーのようなものでしょうか?」


「バケツリレーだが、バケツの中身が渡すたびに倍に増えていくイメージだ。そして、その水流は一周して戻ってくるたびに、さらに加速する」


 アルヴィスは、最初の起点として最も優秀な聖女を指名した。


「よし、お前からだ。治癒の力をみんなで循環させろ! 最初はゆっくりでいい。隣の魔力を感じ、受け入れ、そして送り出せ!」


「は、はいっ!」


 最初の聖女が目を閉じ、魔力を練る。

 掌から温かい光が生まれ、繋いだ手を通じて、隣の少女へと流れ込む。


「あ、来ました……!」

「受け取ったら止めるな! 自分の力を足して次に回せ! 流れを作るんだ!」


 光のエネルギーが、聖女たちの腕を伝って移動していく。

 一人、二人、三人……。


 最初は淡い光だったものが、半周する頃には強い輝きを帯び始めた。


「そうだ、その調子だ。受け取った治癒エネルギーに自分の力を足して、次に回せ! どんどん加速させろ!」


 一周。

 起点の少女に光が戻ってくる。


「っ!? つ、強い……!」


 彼女は一瞬たじろぐが、すぐにその強大なエネルギーに自分の力を乗せ、二周目へと送り出した。


 グルグルグル……。

 目に見えない魔力の奔流が、円陣の中で渦を巻き始める。

 繋いだ手と手の間から、バチバチと金色の火花が散り始めた。


「そして、ある程度まで大きく育った治癒エネルギーを真ん中に集中させる! 俺が良いと言うまで、治癒エネルギーを回し続けろ! 絶対に手を離すなよ!」


 アルヴィスの声が厳しくなる。

 エネルギー密度が上がっている。

 この状態でリンクが切れれば、暴走した魔力が弾け飛び、全員が吹き飛ぶことになる。


「そこ! 受け取ったエネルギーのロスが多い!」


 アルヴィスは一人の聖女の肩をペシッと叩いた。


「恐怖心で魔力回路が縮こまってるぞ! 来るエネルギーを怖がるな! 自分がただの導管パイプになったつもりで、スムーズに流せ!」


「は、はいっ! ごめんなさい!」


「手を繋ぐだけじゃなくて、心も同じように統一しろ! バラバラの意識じゃ共鳴しない! 全員で一つの目的だけを見ろ!」


 アルヴィスは中央の若木を指差した。


「木よ育て! と強く思え! 全員の意思を、その一点に重ね合わせろ!」


「「「木よ育て……!!!」」」


 聖女たちの声が重なる。

 その瞬間、循環していたエネルギーの質が変わった。

 雑音が消え、純粋で透明な、しかし圧倒的な質量を持った「命令」へと昇華される。


 ブォンッ! ブォンッ!

 空気が振動する。

 彼女たちの修道服が、発生した上昇気流で激しく舞い上がる。

 髪が逆立ち、肌がビリビリと痺れる。


「あああっ……! もう抑えきれません……!」

「身体が熱い……!」


 限界が近づいていた。

 個人のキャパシティを遥かに超えた巨大なエネルギーが、彼女たちの回路を焼き切る寸前まで膨れ上がっている。


「そうだ……どんどんエネルギーが溜まっていく……! まだだ、まだいける!」


 アルヴィスは冷静にエネルギー総量を、『異能ライブラリ』で計測していた。

 この程度では、まだ苗木を巨木にするには足りない。

 彼女たちの限界の、その先へ。


「歯を食いしばれ! 神に祈るな、自分を信じろ! お前たちは今、太陽を作っているんだ!」


 キィィィィィィィン……!

 高周波の音が、中庭に響き渡る。

 繋いだ手の中心、円陣の真ん中の空間が、黄金色に歪み始めた。

 それは、濃縮されすぎた治癒エネルギーが、物理的な光となって顕現した姿だった。


(……よし。臨界点だ)


 アルヴィスは右手を振り上げた。


「よし! 今だ! 若木に治癒エネルギーを集中させろ! 解き放てぇぇぇ!!!」


「「「はぁぁぁぁぁぁっ!!!!」」」


 聖女たちが溜め込んだ全てのエネルギーを、中央の若木に向けて一気に放出した。

 循環していたベクトルが、中心点へと収束する。


 カッッッ!!!!!!!


 中庭がホワイトアウトした。

 直視できないほどの強烈な閃光。

 それは破壊の光ではない。

 圧倒的な「生」の奔流だ。


 ズズズズズズズズ……!!!


 地響きが起きる。

 光の中で、若木の時間が狂ったように加速した。


 ピシッ、メリメリメリッ!

 幹が太くなり、樹皮が割れ、新たな樹皮が生まれ、それが瞬時に古木の色へと変わる。

 枝が空へと爆発的に伸び、無数の葉が芽吹き、茂り、広がる。

 根が地面を割り、石畳を隆起させながら、深く広く大地へと食い込んでいく。


「きゃぁぁぁっ!?」


 聖女たちが、成長する木の勢いに押され、手を離して尻餅をつく。

 だが、もう儀式は完了していた。


 光が収まる。

 舞い上がっていた土埃が晴れる。


 そこには――。


「……う、嘘……」


 誰かが呟いた。


 病院の中庭を覆い尽くすほどの巨大な樹木が、そびえ立っていた。

 高さは二十メートルを超え、幹回りは大人が三人で手を繋いでも届かないほど太い。

 青々とした葉が天蓋のように広がり、木漏れ日を落としている。

 まるで数百年、いや千年前から、そこに鎮座していたかのような威容。


 さっきまで膝丈だった苗木が、神話の世界樹ユグドラシルの片鱗のごとく成長していたのだ。


「これが……私たちの力……?」


 聖女たちはへたり込んだまま、見上げる首が痛くなるほどの大木を呆然と見つめていた。

 信じられない。

 自分たちの中に、これほどのエネルギーが眠っていたなんて。


「うむ。成功だな」


 アルヴィスだけが涼しい顔で、大木の幹をコンコンと叩いた。


「細胞分裂の加速、炭素固定の強制、栄養吸収の超高速化。全て正常に行われた。……ちょっと育ちすぎて、病院の日当たりが悪くなったかもしれんが」


 彼は聖女たちの方を振り返り、ニヤリと笑った。


「見たか。これが『儀式式治癒』の威力だ。一人では小石しか動かせなくても、十人集まって共鳴させれば、山をも動かせる」


 聖女たちは震える手で、互いの手を取り合った。

 熱い。まだ手のひらが痺れている。

 だがそれは不快な痺れではなく、何か大きなことを成し遂げた高揚感だった。


「先生……! すごいです! 私たち、本当に……!」

「これなら! これなら、どんな重傷の方でも救えます!」


 彼女たちの瞳から涙が溢れる。

 無力感に苛まれていた日々は、もう過去のものだ。

 今、彼女たちは知った。

 自分たちは一人ではない。仲間と手を繋げば、奇跡すら超える力を起こせるのだと。


「ああ。内臓が破裂していようが、手足が千切れていようが、今のエネルギーをぶち込めば、死神の腕をねじ伏せて現世に引き戻せる」


 アルヴィスは頷いた。

 これこそが、彼が狙っていた「戦略級治癒魔法」の完成形だ。

 個の力では限界がある聖女たちを、一つの「システム」として運用する。

 この技術があれば、戦場の死亡率は劇的に下がるだろう。


「ただし」

 アルヴィスは釘を刺すのを忘れなかった。


「今の儀式は、お前たちの精神力もゴリゴリ削る。乱用すれば、今度はお前たちが患者になるぞ。使い所は見極めろ」


「はいっ!」


「それと、今後はもっとスムーズに連携できるように練習だ。いちいち俺が調整しなくても、阿吽の呼吸で共鳴できるようにしろ。……さあ休憩したら、次は『切り株を元通りにする』訓練だ。この大木を切り倒すから、それを元に戻せ」


「ええぇぇぇぇ!?」

「せっかく育てたのに、切り倒すんですか!?」


「破壊と再生は表裏一体だ。さあ、のこぎりを持ってこい!」


 悲鳴を上げながらも、聖女たちの顔は明るかった。

 病院の中庭にそびえる大木は、彼女たちの成長と新たな時代の医療の象徴として、風に枝葉を揺らしていた。


 その様子を病室の窓から見ていた患者や医師たちが、「またあの先生が何かとんでもないことをやったぞ……」と、驚愕と感謝の眼差しで見つめているのを、アルヴィスは背中で感じながら密かにほくそ笑むのだった。


(これで教会からの報酬も倍増だな。……ふふふ、老後は安泰だ)


 最強の異能者の不純な動機による人助けは、今日も世界を少しだけ(物理的に大きく)変えていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ