第17話 魔眼作成理論(人工的な才能の作り方)
王立魔法学園特別選抜クラス教室。
窓の外からはセミの鳴き声が聞こえる、夏の午後。
今日の授業は、珍しく座学だった。
普段なら「重力下での瞑想」だの、「互いに殺気を向け合う精神修養」だのといった、肉体を酷使するメニューばかりなのだが、今日はアルヴィスが教壇に立ち、黒板を使っている。
「……なんか初めてだな。まともな授業してるの」
最前列の席で、マルクスが小声で呟いた。
「ええ。いつもなら、開始早々床に這いつくばらされるか、プールに投げ込まれていますもの」
エレノアも同意する。
生徒たちは皆、少しだけ警戒していた。
この教師が「普通」のことをする時は、大抵その後に「普通じゃない」何かが待っているからだ。
「おい、私語を慎め」
アルヴィスがチョークを置く音と共に、教室が静まり返る。
彼は黒板に、大きく一言『魔眼』と書いた。
「えー、では今日は『魔眼』についての授業をする」
魔眼。
その言葉に、生徒たちの目の色が少し変わった。
魔法使いにとって、それは憧れであり、畏怖の対象でもある単語だからだ。
「魔眼とは、通称『ギフト』と言われる先天性の特殊能力であり、生まれつきの才能として有名だ。教科書的にはそう定義されているな」
アルヴィスは、淡々と解説を始めた。
「特徴としては、『見る』ことをトリガー(鍵)にして魔力を行使することだ。対象を見たら燃やす、凍らす、石化させる、あるいは魔法を打ち消す、未来を視る……などなど、その効果は多岐にわたる」
生徒たちが頷く。
この世界において魔眼持ちは、エリート中のエリート、あるいは忌み嫌われる怪物として扱われる。
努力して身につく魔法とは違い、それは神から与えられた、理不尽なまでの特権だからだ。
「魔眼持ちは、詠唱も魔法陣も必要としない。ただ『見る』だけで現象を引き起こす。魔法使いの天敵とも言える存在だ」
アルヴィスは、生徒たちを見渡した。
「お前たちの中に、魔眼持ちはいるか?」
シーンと静まり返る。誰も手を挙げない。
当然だ。魔眼の保有率は数万人に一人と言われている。そう簡単にいるものではない。
「ふむ。いないか。まあ、基本的には貴重な人材だからな」
アルヴィスはつまらなそうに言った。
そして、爆弾を投下した。
「――しかし、実は魔眼は後天的に使えるようになることも出来る」
教室の空気が凍りついた。
生徒たちの脳が、言葉の意味を処理するのに数秒のラグが発生する。
「……は?」
マルクスが、間の抜けた声を上げた。
「はー、聞いたことがないですよ、そんな話! 魔眼ですよ!? 血統か突然変異でしか発現しない、神の領域の力でしょう!?」
他の生徒たちも騒然となる。
「そうだ! 後天的に魔眼を得るなんて、禁忌の儀式か何かか?」
「眼球移植でもするつもりか!?」
アルヴィスは、騒ぐ生徒たちを手で制した。
「うむ。俺が初めてするからな。お前らが聞いたことないのは当たり前だ」
彼は事もなげに言った。
まるで「今日のランチのメニューは新作だ」くらいの軽さで、魔法界の常識をひっくり返したのだ。
「自分の眼に魔法をかけて、眼球を一時的に『魔眼』にするのだ」
アルヴィスは、黒板に眼球の断面図を描き始めた。
「原理は単純だ。眼球というのは、光(情報)を受け取る入力器官だ。網膜で光を感じ、視神経を通じて脳へ送る。これが通常の『視覚』だ」
彼はチョークで矢印を描く。外から中へ。
「魔眼作成術は、このプロセスに魔術的な回路を割り込ませる。眼球そのものに『術式』を付与し、視線というベクトルを利用して、魔力を逆流させるんだ」
「逆流……?」
エレノアが眉をひそめる。
「そうだ。脳内で構築した魔法を、手や杖から放出するのではなく、眼球というレンズを通して、視線の先に『投影』する。プロジェクターみたいなもんだな」
アルヴィスは、説明を続ける。
「手順はこうだ。
1.魔力を眼球に集める。
2.呪文で、眼球に付与したい魔法を定義する。
3.『固定化』の魔術で、眼球の水晶体に術式を焼き付ける」
彼は黒板をトントンと叩いた。
「これだけで魔眼の完成だ。
呪文で眼球に魔法をかけるというワンアクションが必要だが、一度完成してしまえば、あとは『見る』というアクションだけで、魔法が発動出来るようになる」
生徒たちは呆然としていた。
理屈は分かる。分かるが、それを実行しようという発想が狂っている。
「先生……眼球に魔力を集めるって……失敗したら失明しませんか?」
気弱な生徒が手を挙げる。
「ああ、魔力制御を誤って網膜を焼けば失明するな。だが、お前らの今の魔力制御力なら問題ない。俺が散々、指先の血管一本一本まで意識しろと叩き込んだはずだ。眼球の毛細血管に魔力を通すくらい、朝飯前だろう?」
アルヴィスはニヤリと笑った。
確かに彼らは、指の切断・接合訓練を経てミクロレベルの魔力操作を身につけている。普通の魔法使いなら自殺行為だが、アルヴィス・クラスの生徒にとっては「可能な技術」だった。
「これを使えば、例えば『発火の魔眼』『凍結の魔眼』『解析の魔眼』などが自在に作れる。
付与したい自分の魔法をイメージして使うと良い。
正直、難易度は凄く低いから、お前ら以外でも……そうだな、宮廷魔導師クラスなら練習すれば出来るだろうな」
難易度が低い。
その言葉に、生徒たちは戦慄した。
「へー……凄いじゃないですか? これ発表したら、魔法使いに革命が起きますよ!」
マルクスが興奮気味に言う。
「魔法を発動する時に、呪文や杖が不要になるんですから! 両手が塞がっていても、拘束されていても、睨むだけで敵を殺せる!」
それは戦術的な革命だ。
魔法使いの最大の弱点は、詠唱と動作の隙だ。それが無くなるとなれば、魔法使いの脅威度は跳ね上がる。
「ああ、革命だな。だが、世の中そんなに甘くない」
アルヴィスは、人差し指を立てた。
「デメリットが一つだけある。それは、魔眼発動中は『維持コスト』がかかることだ」
「維持コスト?」
「そうだ。眼球に術式を固定し続けるためには、常に魔力を供給し続けなければならない。電気製品をつけっぱなしにするようなもんだ」
アルヴィスは、黒板に数式を書いた。
『自然回復魔力 < 維持費消費魔力』
「普通の魔法使いなら、魔眼を維持できるのは、せいぜい1時間って所だな。魔力タンクがでかい優秀な奴でも、6時間ぐらいが限界だ。それ以上続けると、魔力欠乏で倒れるか、眼球が魔力負荷に耐えきれず自壊する」
生徒たちが「うへぇ」という顔をする。
常時発動型のギフトと違い、これはあくまで「無理やり魔眼の状態を維持する」技術だ。燃費が悪いのは当然だ。
「俺は超優秀だから、そもそも魔力総量が桁違いだし、術式の最適化で維持費をごくごく少数に抑えているから、自然回復魔力の範囲で済むがな」
さらっと自慢を挟むのを忘れない。
つまりアルヴィスにとっては、この「人工魔眼」はデメリットなしで使い放題ということだ。
「さて、座学はここまでだ。実践してみようか」
アルヴィスは、生徒たちに命じた。
「各自、自分の得意な属性で魔眼を作ってみろ。マルクスは炎、エレノアは氷だ。まずは片目だけでいい。両目同時にやると酔うからな」
「は、はい!」
生徒たちは緊張した面持ちで、自分の目に意識を集中させた。
魔力を、視神経を通じて眼球へと送り込む。
繊細な作業だ。少しでも乱れれば視界が歪む。
「イメージしろ。瞳の奥に魔法陣を刻むんだ。水晶体をレンズではなく、砲身に変えるイメージだ」
アルヴィスのガイドに従い、生徒たちの片目が、それぞれの属性色に淡く輝き始める。
マルクスの右目が赤く。
エレノアの左目が蒼く。
「……ん? なんか視界が変わったぞ……?」
マルクスが片目を押さえて呟く。
「世界が……熱源反応で見える……?」
「成功だ。それが『魔眼』の視界だ」
アルヴィスは言った。
「お前は今、眼球に『発火』の概念を焼き付けた。だから、燃やせるものが強調されて見えるはずだ。……そこにある紙くずを見てみろ」
マルクスが、机の上のメモ用紙を睨んだ。
カッ!
一瞬で紙が自然発火し、燃え尽きた。
「うおっ!? すげえ! 本当に見ただけで!」
「詠唱も指差しもしてないのに……!」
他の生徒たちも、次々と成功させる。
エレノアがコップの水を睨めば一瞬で凍りつき、フィアがカーテンを見れば風で切り裂かれる。
「わたくし……これ気に入りましたわ」
エレノアが、蒼く輝く左目でウィンクしてみせる。
「優雅ですわね。お茶を飲みながら、無礼者を氷像に変えることができますもの」
「性格悪い使い道を考えるな」
アルヴィスは苦笑した。
教室中が、魔眼の実験場と化した。
生徒たちは、新しい玩具を手に入れた子供のように、あちこちを見回しては魔法を発動させている。
だが、数十分後。
「……あ、あれ? なんか頭が痛い……」
「目が……乾くというか、熱い……」
「魔力が……ガリガリ削られていく……」
生徒たちが次々と倦怠感を訴え始めた。
維持コストの問題だ。
「なるほど、これがデメリットか……」
マルクスが魔眼を解除し、目をこすった。
「結構キツイな。戦闘中ずっと維持するのは無理だ。ここぞという時の切り札用か?」
「正直、俺等が覚えても意味がない……ですか?」
賢い生徒が気づいて尋ねる。
「そうだな。お前らが覚えても意味が薄いな」
アルヴィスは、あっさりと認めた。
「お前らは俺の訓練のおかげで、すでに『思考速度』での魔法発動が出来るようになっている。詠唱破棄も当たり前だ。わざわざ眼球に負担をかけて、視野狭窄のリスクを負ってまで魔眼を使うメリットは少ない」
彼らはすでに、指を立てられた瞬間に魔法を撃てる反射神経を持っている。
「見る」というアクションすら、彼らにとっては「遅い」場合すらあるのだ。
それに、魔力を眼球維持に割くくらいなら、身体強化に回したほうが生存率は上がる。
「まあでも、覚えておいて損はない技術だ。両手が拘束された時や、声が出せない状況、あるいは完全な不意打ちが必要な暗殺任務なんかでは役に立つ」
アルヴィスは、生徒たちの様子を見ながらまとめた。
「それに、これは『技術の幅』を広げるための授業だ。魔法とは固定された儀式じゃない。身体器官の使い方一つで、いくらでも応用が効くということを知ってほしかった」
生徒たちは、納得したように頷く。
自分たちにとっては「サブウェポン」程度だが、世界的に見ればこれは魔法の歴史を変える大発明だ。
「……これ、公表するんですか?」
エレノアが尋ねる。
「ああ。論文も国王に提出したから、あっちでもこの技術を検証して貰うよ」
アルヴィスは、王都の方角を見た。
「今頃、宮廷魔導師たちが泡を吹いて倒れてるかもしれんな。『ありえない!』とか叫びながら」
◇
その頃、王城の魔法研究所。
アルヴィスが提出した『眼球への術式付与による疑似魔眼形成に関する考察』という論文を読んだ宮廷魔導師長は、文字通り椅子から転げ落ちていた。
「なななんだこれはぁぁぁぁ!!」
彼は震える手で羊皮紙を握りしめていた。
そこには、これまで数百年、数千年の間「神の奇跡」と信じられてきた魔眼を、単なる「技術」として再現する理論が、完璧な数式と共に記されていた。
「こ、こんなことが可能になれば……軍事バランスが崩壊するぞ!」
一般の兵士レベルの魔術師でも、訓練すれば「簡易魔眼」を持てるようになる。
偵察兵に「遠視の魔眼」を、狙撃兵に「必中の魔眼」を付与できれば、戦争の形が変わる。
国王ゼノンは、報告を受けて苦笑していた。
「またか……。あやつは息をするように、常識を破壊していくな」
だが王の目は笑っていなかった。
この技術は諸刃の剣だ。自国が独占できれば強力だが、流出すれば脅威となる。
「アルヴィスよ……お前はこの国をどこへ導くつもりだ?」
王は、論文の最後に書かれたアルヴィスの走り書きを見て、溜息をついた。
『追伸:維持コストが高いから俺の生徒たちには不評でした。実用化するなら、魔力タンクの増設魔道具とセットで売ると儲かると思います。特許料は弾んでください』
「……結局金か」
王は呆れつつも、その技術の検証と、極秘扱いでの運用研究を即座に命じた。
◇
学園の教室。
授業を終えたアルヴィスは、生徒たちに囲まれていた。
「師匠! 俺さっき『透視の魔眼』を作ろうとしたんですけど、壁しか見えませんでした! コツを教えてください!」
「マルクス、お前の動機が不純すぎる。……先生、わたくしは『魅了の魔眼』に興味がありますわ」
「お前らな……」
アルヴィスは、やれやれと肩をすくめた。
世界を揺るがす技術も、この教室では単なる「新しい遊び」の一つに過ぎない。
(ま、それが一番健全か)
最強の異能者は、今日もまた一つ世界に爆弾を投下し、そして何食わぬ顔で午後のおやつ(プリン)を食べに行くのだった。
「解散! 明日はまた重力訓練だぞ。魔眼にかまけて基礎をおろそかにしたら、重力を倍にするからな!」
「「「ひぇぇぇぇ!!」」」
悲鳴と共に、平和で異常な日常が過ぎていく。




